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2.夏が来れば思いだす

 夏が来れば思いだす――。


 6歳になった春、家庭の事情で親戚の元へ預けられた。茨城県のなかほどにあるいなか町である。

 当然、幼稚園は中退。まだ園でやり残したことがたくさんあるのにと、返す返すも残念でならなかった。

 狭い県道をそれて坂道をしばらく登り、ほとんど山のなかといったところに藁葺き屋根の家があった。周囲に隣家はなく、夜ともなれば鼻をつままれてもわからない闇に包まれる。


 子どもの足で10分ほど歩いた先に小学校の分校があり、入学式には伯母さんと20歳になるイトコの幸子が付き添ってくれた。 

 ほんとうに小さな学校で、新入生はわたし達のクラスだけ。30人にも満たなかった。

 すぐに友達ができ、放課後もよく一緒に遊んだ。

 坊主頭のヨシオ、弱虫でよく泣くタカオ、旧家の令嬢スエコ、男子も一目置く大柄で屈強なカズエ、この4人とはとくに仲がよかった。山を探検したり、春の小川で魚捕りもした。先頭はいつもカズエで、そのあとを子分のようにヨシオ、わたし、スエコ、タカオと続く。


 あっという間に夏が来た。


 夏は暑い。とにかく暑い。日本全国、暑いのはどこも同じはずだが、東京にいたときよりも日差しが強く感じられた。

 外出するときは祖母や伯母さんから、「熱射病になるから、帽子、忘れんなー」と言われる。それこそ耳にたこができるほど。

 麦わら帽子を被っていると頭が蒸してうっとうしくなる。止めゴムのせいでほほがムズムズする。うざったくなって帽子を脱いでしまうのだが、今度は直射日光が髪の毛を焦がし始める。白く乾いた土からの照り返しは、周囲の空気を熱して景色すらゆらゆらと幻のように見せていた。


「暑い~」わたしが根をあげると、カズエが囃したてる。

「夏だもん、当たり前。これだから東京もんは」

「おれなんか丸刈りだから、麦わらとったらフライパンみたいにアッチッチになっぺよ」ヨシオは帽子を脱いで、いがぐり頭をペシッと叩いてみせた。

「暑いときはねえ、白っぽい服で長袖がいいのよ」1人涼しげに言うのはスエコだった。白いワンピースに長袖のカーデガン、ふわっとしたつばの広いハットを被っている。

「ぼく、冬よか夏のほうが好きだけどよ、暑いのはやっぱつらいなあ」まるで、泣き顔のように目を細めながらタカオが汗を拭う。

 みんなの言うとおり、夏は暑いものなのだ。炎天下のもと、ふうふう言いながら遊び回る季節。つらいはずなのに、ずっとあとになってから憧れにも似た懐かしさに襲われる季節。光と影のコントラストが1年を通してもっとも際立つ、そんな特別な季節。

 それが夏なのだ。


 朝の大降りから一転、地平線から湧きあがる入道雲以外、太陽を覆うものさえなくなった。

 縁側に腰掛け、水たまりを眺めながら過ごしていると、ヨシオ達がやってきた。カズエ、スエコ、タカオも一緒だ。

「なあなあ夢野、虫採りに行くべ」

 ヨシオによれば、雨あがりはカブトムシがよく獲れるのだそうだ。

「うん、行こう行こう!」土間に放りだされた運動靴を突っかけると、そのまま家を後にする。

 いなか住まいも早2ヶ月。虫など、とうに見慣れたものである。いまさら怖いとも思わない。

「須藤さんげの山がいいべ。あそこんとこは、クヌギがいっぱい植わってっからな」カズエが提案する。提案というよりは、決定といったほうがいいかもしれない。誰も彼女に逆らうことなどできないのだから。


 夏の林は独特の匂いがする。湿った土から立ち昇る匂い、クヌギから滴る樹液の匂い。天井を葉で覆われ、こもった空気の蒸した匂い。

「ここいら、クマンバチが多いから、気ぃつけるんだど」とヨシオ。ここでいう「クマンバチ」とは、スズメバチのことを指す。コロコロッとしたあの大きなハチもクマンバチと呼ぶ地域があるが、本来の名称は「クマバチ」である。おとなしくて、自分から襲ってくることはない。

「ぼく、まえにミツバチさ捕まえっぺと思って、刺されたことあんだ。痛かったなあ」タカオは、刺されたという指をみんなに見せた。

「タカオはばかだなあ。なんだってそんなもん、捕まえようとすんだっぺか」カズエがばかにしたように言う。

「おおかた、ハナアブとでも見間違えたんだっぺよ。ありゃ、刺さねえかんな」ヨシオが代弁する。


 クヌギ林を見て回ると、いるわいるわ、幹から漏れるとろっとした樹液にびっしりとたかっている。

 カブトムシだけでなく、金色や緑色をしたカナブン、蛇の目模様をしたチョウチョ、名前も知らない小型の甲虫が、まるでバーゲンに群がる主婦のようにひしめき合っている。

「こいつは採り放題だっぺな」カズエが目を輝かせながら、カブトムシの角をつまんで虫かごに放り込んでいく。

「夢野もどんどんとれえ。東京さ持ってけば、売れっと」とヨシオ。

「ぼく、つがいで捕まえて卵さ産ますんだ。繁殖させっぺ」タカオも夢中になって捕まえている。

「わたし、2、3匹連れてって、うちの裏の木に住まわせてやるかな。部屋の中にあげるのは困っけど、外で飼うならいいべ?」スエコはそう言いながら、どれがいいかなとねんごろに見つくろう。


 夢中になっていると、いつ来たのか、3人の少年がじっとこちらを見ていた。明らかに上級生である。

 1人がどすどすと近寄ってきて、

「おめーら、どこの町のもんだ。ここんクヌギ林はおれらの縄張りだぞ」と言い放った。残る2人も、文句があるなら相手になる、と言わんばかりの勢いで攻め寄ってくる。

 タカオなど、すでに半泣きだった。ヨシオも、ぐっとこぶしを握ったままこらえている。

 するとカズエが毅然とした態度で言い返した。

「ここんクヌギ林は須藤さんげの山だっぺよ。あたしげとは親戚みたいなもんだ。あんたらが上級生だからって、勝手なこと言いなさんな」


 上級生達は一瞬ひるんだが、すぐに応酬する。

「おめえら女は、座ってションベンたれるんだろ。やーい、座りションベンっ」

「あんたら男衆は、余計なもんぶら下げてるじゃねえけ。邪魔にならねえよう、あたしがむしり取ってやっけ?」カズエは手をわしゃわしゃさせながら少年達に攻め寄る。背の大きさでは彼らに負けてはおらず、上級生達は恐れをなして後ずさりしたのち、一文さんに駆け出した。

 捨て台詞は、時代劇で覚えたような決まり文句である。

「ばっきゃろー。覚えてろ、今度会ったらギッタンギッタンの目にあわせてやっぺよ」


 夏の終わりを待たず、わたしは東京に戻された。別れの悲しみを、年端もいかないうちから味わうことになるとは思いもしなかった。

 夏が来れば思いだす。

 暑さにうだる毎日、仲間との楽しい思い出。

 まぶしいほどに輝いていたあの季節を。

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