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異世界でTSしてメイドやってます  作者: 唯乃なない
第2章 豪商のお嬢様
73/216

本性覚醒イベント

 翌日、昨日のことが嘘のように身体がすっきりしたので、普通に朝から仕事をした。


 今は厨房で皿を洗っている。


「昨日は楽だった-」


 と、油汚れを落としながらマリーに声をかけた。


「そうね。一日中寝てたもんね」


 と、マリーが皿を拭きながら答える。


「それに、丸一日、一回もキスが無かった。キスが無い一日ってこんなに平和なんだって、心の平穏を感じたよ」


 と、思わず本音を言うと、マリーが頬を引きつらせた。


「は……? なにそれ」


 いかん、地雷を踏んだ。


「いや、べ、別にマリー一人なら全然平気だよ? そうじゃなくて、レベッカとかコレットとかも来るでしょ。それが大変なだけだよ」


「じゃあ、今私にキスできるわよね」


 と、マリーが皿をガシガシ拭きながら聞いてくる。


「仕事中はよそうよ。そういうのは業務外にしよう。メリハリは大事」


「今度、本当にちゃんとしつけないと駄目かしらね」


 と、マリーが怖い台詞をつぶやく。


 冗談だと思うけど、止めて欲しい。


「この前のリンチ……話し合いでも、業務中はアルフォンスの指示に従って、それ以外はなぜかマリーの指示に従うことになったじゃん」


「そうね。ま、しょうがないわね。夜を楽しみにしていようっと」


 と、マリーが拭いた皿をどんどん片付けていく。


 夜かぁ……


 これまでキスしていなかった分とか言って、すごい勢いで食いついてきそうで憂鬱だなぁ。


 キスが嫌なんじゃ無くて、ひたすら押されるのが嫌なんだよなぁ。


「あ、そうだ。あのお茶、書斎に持って行って」


 と、マリーが机の方に視線を向けた。

 机の上にはティーカップとポットが置いてある。


「うん」


 押し台の上にポットとティーカップを移動して、厨房の扉を開けて、台を押していく。


「そうだ、アリス」


「なに?」


 振り返ると、マリーがきつい目をしていた。


「ご主人様とはほどほどにしておいてよ」


「え?」


 そもそも、俺とアルフォンスの間には特に何も無い。

 アルフォンスはこの見た目が好きらしいが、それだけのことだ。


「業務中はご主人様のいうことは聞くってことになったけど、ほどほどに! なんか、私から離れていってる気がする……」


 マリーがなんか納得していない顔をする。

 そう言われても。


「それって……ここ、二・三日の事じゃないの?」


「それが我慢できないの! もう、本当に夜は頼むからね!」


「卑猥な台詞……」


「なに?」


 マリーがキッときつい目つきで俺を見た。


「いえいえ。なんでもありません」


 と、俺は台を押して厨房を出た。



 書斎に入ると、男は書類を見てうなっていた。


「お茶を持って参りました」


 仕事はきっちりやるということにしたので、丁寧に礼をした。

 そして、ティーカップにポットからお茶を注いで机の上に置く。


 しかし、男は書類を見てうなっているままだ。


「下げましょうか?」


「いや、いい。そこで待ってろ」


「はい」


 男は書類を見て、そして別の書類を引き出してきて、それも見て、そして両方を比較しながらさらにうなる。


 なにをそんなに悩んでいるのか聞いてみたい。


 しかし、メイドたる者、ご主人様の仕事を邪魔するわけには行かない。


 男の幻想に付き合ってやると請け合った以上、一応はかわいくて従順なメイドの演技を突き通さなくては。


「うーん……これが、これか。どうする?」


 男が独り言をつぶやいて、指で机を叩いて、そして額をもみながら考え込む。


 ものすごく、「何を悩んでいるのですか?」と聞いてみたい。


「んー……まぁ……いや、しかし……」


 すでにかなり時間が経っていて、お茶が冷めていそうだ。


「お茶、取り替えましょうか?」


 そう聞くと、男は顔を上げた。


「んー……いや、いい」


 鼻の付け根あたりを指で揉みながら返事をした。

 そして、ティーカップをつかむと、味を全然感じていない様子で飲み込んだ。


 そして、また考え込む。


 すごく無視されている感があって、なんだか腹が立つ。

 いやいや、立派なメイドたる者、そんなことを思ってはいけない。

 従順なメイドとしてかわいく振る舞わないと。


「んー……駄目だ。よし、一度ガストンに相談しよう。これはどっちに転んでも面倒だ」


 男は自分自身に言い聞かせるように独り言を言うと、書類を乱暴にファイルにはさんだ。


 そして、初めて気がついたようにこちらを見た。


「お、アリスか」


「さ、先ほどから居ましたが」


 思わず声に怒気がこもってしまう。


 いやいや、メイドたる者、この程度で心を取り乱してはいけない。

 

 しかし、なんだかこの扱いはすごく腹が立つ。


「あぁ、そうか。どうも面倒な事があってな……」


 よし、ようやく聞ける。


「何かありましたか?」


「あぁ、それなんだが……」


 と、男が言いかけて、言葉を止めた。


「これを説明しようとするとものすごく大変だな。言っても理解される気もしないしな……気にするな」


 と、あっさり流した。


「そ、そうですか」


 頬がちょっと引きつったが、できるだけ冷静に答えた。


 もっと普段、積極的に接してくるじゃないか。


 昨日とか、ソファにまで誘ってきたくせに!


 仕事に集中していて余裕が無いのは分かるが、ちょっと落差に対して腹が立ってしまうぞ。


 ん……これって、俺かなり性格悪くない?


 き、気をつけよう。


 ってか、なんで積極的に接してこないと腹が立つんだ、俺。


 なんか、おかしくない?


 落ち着け。とにかく、従順でかわいいメイドの幻想を演技し通すんだ。


「むー……」


 しかし、思わず不満げな声が漏れてしまう。


「どうした? なにか機嫌悪そうだな」


 と、男が初めてこちらの表情に気がついたらしく、不思議そうな顔をした。


「いえ、別に……」


「なんだ、腹に一物ありそうだな」


 その一言で、喉につっかえていたものがどばっと出てきた。


「昨日、ご主人様がまとわりつくかわいいメイドという幻想が欲しいと言っていたので、それを演じようと頑張っているつもりなのに! 全然相手してくれないから腹が立ってます!」


 あれ、なんか全部本音が出たぞ。


 ちょっと、心のガード機構どうなってるんだ。


 ガバガバやんか。


 ってか、相手して欲しいとか思ってるのおかしいから!


「あぁ……その話か。まぁ、この仕事は後にしよう。せっかくアリスが来たんだし……」


 と男がこちらを見る。


 あれ、俺うれしいって感じてる?


 いま絶対に笑顔を浮かべてるよ、俺。

 おかしいな。


「それで、どうやってまとわりついてきてくれるのかな?」


 と、男が試すように言う。

 まだ、仕事のことが頭の片隅にあるようで、ちょっと台詞に心がこもっていない。


 む、心を全部こっちに引っ張ってみせる!


「えーと……ご主人様、お茶でございます」


 と、ポットからティーカップにお茶を注ぐ。


「ああ」


 男がぐいっと飲み込む。


「それで?」


 と男がこっちを見る。


 そういう風に試されても困る。


「え……そっちから来てくれるんじゃ無いですか? いっつもそっちからちょっかい出してくるから、それを喜んでいるフリをすればいいのかなぁ、と思ったんですが」


「こっちから行っていいのか?」


 と、男が席を立つ。


 あ、今仕事が男の頭から完全に消えた。

 表情の変化でそれが分かる。


「いいというか悪いというか……。私としては、希望に添って機嫌を取らないとまずいかなぁ、と思っています」


 と、またしても本音が漏れた。


 不可抗力とは言え騒いでしまって書類を台無しにしたり、仕事中に男言葉を使っているのを注意されたり、かなり男の機嫌を損ねてしまった自覚がある。

 だから、今も男言葉は一切使わずに、完全に女言葉で女の仕草で通しているのだ。


「あぁ、気を使っているのか? 別に、そういうことをしてくれなくてもいいぞ」


 と、男が席にまた座る。


「あ……そうですか。ご主人様が私のことは別に好きじゃ無いけど幻想が欲しいとおっしゃっていたので、幻想だけでも演じて機嫌を取ろうと思ったのですよ。余計なお世話でしたか」


 そう答えると、なぜか男の顔が変わった。


「好きじゃ無いって……お前、本当にわかってないな」


「はい?」


「よし、機嫌を取ってもらおうか」


 男がまた席から立ち上がった。

 なんか敵対的な視線を向けられている気がする。


「は、はい」


 俺は、直立不動になって、男がのっしのしと近づいてくるのを見守っていた。

 そ、その勢いで、迫力で、近寄ってこられると……ちょっと威圧される。


 う……なんか存在感が怖い。


 うう……


 い、いや、落ち着け。


 落ち着け、俺!


「さて、どうやって機嫌を取ってくれるんだ?」


 男が試すような聞き方をしてくる。

 いままでそんな言い方はしなかったのに。


 変な緊張が走って、ちょっと目眩がした。


 落ち着け、私!


 私は落ち着いて演じればいいのだ。


 私は何も怖がることは無い!


 ご主人様にまとまりついて甘える感じの演技を適当にすればいいんだ!


「な、な、なんですか!?」


 ご主人様は私の前に来ると、視線で私の頭のてっぺんから私の足の先までなめ回した。


「そ、そんな見ないでください……」


 思わず体中が熱くなる。


「ん? おい、その演技はやり過ぎだろう」


 男が変な顔をする。


「演技? なにが……?」


 顔が赤くなるのを感じながら、顔を背けて視線だけでチラチラとご主人様の表情をうかがった。


「なにもそこまでやってくれというわけじゃないが……。本当になんで分からないのか、それがわからないが……」


 ご主人様はブツブツとつぶやいてから、私の手を取った。


 手に刺激が走る。


「ひっ」


「おい、やり過ぎだ。普通にしてくれ。別にいつもの感じでいいんだよ」


 と、ご主人様があきれたような口調で私の手を持って引き寄せた。


 え、え、な、なに、は、恥ずかしい。


「おい、どうした? また具合でも悪いのか?」


 ご主人様が顔をのぞき込んでくる。


「だ、駄目、見ないで! 恥ずかしいですから!」


「は、はぁ?」


 ご主人様が首をかしげる。


 顔を見られるのが激しく恥ずかしい。


 なんでこんなに恥ずかしいのか分からないけど、とにかく恥ずかしい。


「おい、まとわりついて俺に媚びを売るんだろ? それは演技の方向性が違うんじゃ無いか?」


 ご主人様があきれた顔をする。


 え、なんか失望されてる?


「あ、は、はい! がんばります!」


 えーと、媚びを売る。

 媚びを売る。

 媚びを売る。

 媚びを売る。


 媚びを売る……?


「こ、媚びを……?」


「なに固まってるんだ?」


 と、ご主人様が私の頬に触れた。


「ひゃ、ひゃいっ!」


「お、おい」


 ご主人様が焦った声を上げる。


「こ、媚びを売らさせていただきます! わ、私はご主人様のものでございます! す、好き勝手にしてくださいませ!」


 私は目をぎゅっとつむってご主人様に宣言した。


 怖々目を開けると、ご主人様があきれた顔をしていた。


「だ、駄目でしたか!? も、もっと、がんばります! 私は奴隷です! いえ、豚です! 人間にも劣る豚畜生でございます! 是非ともお慈悲をおかけくださいませ!」


 必死ですがるようにして言い上げる。


「おいおい……」


 ご主人様がさらにあきれた顔をする。


「ま、まだ、足りませんか?」


「お前、またおかしくなってるな……」


 男がうんざりした顔をする。


 そんな顔をしないで!


「な、なにがですか? 私はご主人様のメイドで媚びを売らないと見捨てられる存在で……」


「はぁ……」


 ご主人様がため息を吐いた。


「お前、今のそれは計算で俺を誘ってるんじゃ無いのか?」


「け、計算?」


「違うみたいだな。困ったな……。マリーを呼んでくるか」


 と、ご主人様が私から視線を外して、部屋を出て行こうとする。


 見捨てられる!


「ま、待ってください! 私にチャンスを! どんなきついお仕置きでもお受けします! ですから、どうか、私を見捨てないでください!」


 ご主人様の腕をつかんで、すがって頼み込む。


「おい……おいおいおい! 勘弁してくれよ! 後で素に戻ったお前に、俺はなんのかんの言われるのか? どう見ても、これはお前が悪いからな」


 ご主人様がため息を吐いて、ソファに向かう。


 あぁ、ご主人様が私に名誉挽回のチャンスをくださる。


 ご主人様がソファに座ると、私はその前に床に膝をついた。


「お、おい……」


 私は土下座した。


「どうか、この卑しいメイド風情にご主人様のご寵愛を賜るチャンスをくださいませ」


「おいおいおいおい」


 ご主人様がとても困ったような声を上げる。


「頼むから、正気に戻れ。困るぞ、これ」


 ご主人様が頭を抱える。


「どうかお慈悲を」


「とにかく、こっちに来い」


 ご主人様に引き上げられ、ご主人様の隣に座った。


「あのな、いいから、普通に戻れ」


「普通とは……?」


 私は慈悲を請うように、ご主人様の顔を見上げた。


「おいおい、誰か俺を助けろ……」


 ご主人様は顔をそらして周りを見回す。

 もちろん、この部屋には他に誰も居ない。


「おい、アリス、ゆっくりと深呼吸をしてから思い出せ。お前は誰だ?」


「アリスです」


「それは分かってる。その前は?」


「その前?」


 よく意味が分からない。


「男だろうが」


「男?」


 突拍子も無い言葉に頭がついていかない。


「私が……男? ん……?」


「おいおいおいおい! どうなってんだ、おい!」


 ご主人様が悲鳴を上げる。


 どうも困らせているらしい。


「ご迷惑をおかけしているようで、本当にすみません……」


「いつもはちょっと艶っぽい表情をするだけだろ? 今日は一体どうした!?」


「え? 普通ですが……」


「普通じゃ無いから言ってるんだ! くそっ……まぁ、そのうち戻るだろうが……」


 ご主人様が焦った様子で爪を噛む。

 こんな仕草を見るのは初めてなので、よほど焦っているのだろう。


「あの、どう媚びればご機嫌直していただけますでしょうか?」


「ああ!? もう、なんでもいい! 膝枕でもキスでも好きにしろよ!」


 ご主人様が怒っている。


 しかし、とにかく媚びを売らないと。


「では、失礼いたします」


 私はソファの上で横になって、ご主人様の膝に頭を乗せた。


「これでいいですか?」


「お、お前……」


 ご主人様は驚いた顔をしたが、辺りをうかがうようにしてから、手を私の頭に乗せてきた。


「いいか、これはお前が膝枕してきたから、形上仕方なくやってるだけだぞ。後で我に返ってから怒るなよ!」


「なんのことでしょうか。私がご主人様に怒るなんてとんでもありません。私はご主人様の慈悲が無くては一日も生きていけない身の上でございます」


「ああ、うるさい! 黙って撫でられていろ!」


 ご主人様の大きな手が私の頭を撫でる。

 後頭部は注意深く避けているようで少し物足りないが、なんともいえない幸福感に満ちていく。


「あ……ありがとうございます、ご主人様」


「いい! もう、黙ってろ」


「はい」


 黙って撫でられていると、ご主人様のもう片方の手が私の太ももに触れた。


「んっ!」


 思わず声を上げてしまい、慌てて口を結んだ。


 ご主人様のお気を悪くするわけには行かない。


「へ、変な声を出すな」


 ご主人様がそっと太ももに触れる。


 ゆっくりとした動きが、断続的な刺激を与えてくる。


「おい……さすがにこの辺で我に返らないのか? 昨日もそうだったが、朝っぱらから俺たちはなにをやっているんだ……」


 と、ご主人様が太ももから手を離した。


「そ、そんな。もっとお慈悲を」


 顔を上げて、ご主人様の目を見る。


「おい! 頼むから、いい加減にしてくれ! 付き合い切れん!」


 ご主人様はそう言いながらも、また太ももに手を伸ばした。


 また足からぞわぞわとした感覚が上ってくる。


 あぁ……気持ちいい。


「もっと……お慈悲を……」


 目を瞑ってうっとりした気分で言う。


「お前、後で我に返ってから文句を言うなよ! これはどう見ても誘ってるのはお前だからな!」


 と、ご主人様が私の太ももをがしっとつかんだ。


 ビクッと足が震える。


 刺激が強い。


「ひゃっ……う、うれしいです。ご主人様」


 悲鳴を抑えて、悦びを伝える。


「おいおいおい……どこまで行く気だ。このままなし崩しになったら、お前が我に返った後に仲が最悪になるんだろう? 早く戻ってこい。俺は普通のお前を着実に一歩ずつ落としていきたいんだ……」


 ご主人様がなにかをつぶやく。


「なし崩しとか、何をおっしゃっているんですか? 私のような豚畜生は最初からご主人様の所有物です。何をされても文句の言える立場ではありません。もっと自由に好きなように触るなりなじるなりしてください」


「おい……戻ってこい。頼むから、戻ってこい」


 ご主人様が突然私の脇腹を叩いた。


「ひゃっ!」


 思いがけない刺激に身体が震えた。


「あ、ありがとうございます!」


「おい、これでも正気に戻らないのか!? くそ……」


 ご主人様が困った声を上げる。

 なんで困っているんだろう。


「おい、マリーはどこに居るか分かるか!?」


 ご主人様が触るのを中断して、話題を変えた。


「え、マリーですか? 先ほどまでは厨房におりました」


「よし、呼んでくる。待ってろ」


 と、ご主人様が私を押しのけて、立ち上がろうとする。


「み、見捨てないでください!」


 慌てて、ご主人様の腰をつかむ。


「勘弁してくれ……。分かった、一緒に来い」


 私はご主人様の膝から身を起こし、ご主人様の腕にすがったまま立ち上がった。

 部屋を出て、ご主人様にしがみついたまま廊下を歩く。


「も、もっと離れろ」


「い、いやです」


 離すのが怖くて、しがみついたまま廊下を進む。

 廊下では誰にも遭遇しなかった。


 厨房に入ると、マリーとフィリップがいた。


「げ、フィリップがまだいたか」


 と、ご主人様が嫌そうな顔をする。


「あれ、アルフォンス様、えらくアリスと仲がいいじゃありませんか。そういう仲だったんですかい? まあ、私も前々からそうだろうとは思っていましたが、しかしお熱いじゃありませんか。はっはっはっ、見せびらかしに来るとは性格がお悪いですなぁ!」


 料理人のフィリップが楽しそうに笑う。


「ちょっと事情が面倒なんだ。悪いが、フィリップ、席を外してくれ」


「は、はぁ? そうですかい。そりゃ残念だ」


 フィリップは首をかしげながらも、包丁を片付けて厨房を出て行った。


 残ったマリーはご主人様にしがみついている私をじっと見つめていた。


「アリス、またなにかおかしなことに……」


「おかしい? いえ、普通ですよ」


 と、私は返事をした。


「な、おかしいだろ?」


 と、ご主人様がマリーに言う。


 マリーが頷く。


「おかしいですね。なにかしましたか?」


「いや、特に何もしてないと思うが……いきなりこんなことになったんだ」


「アリスは自己催眠にすごくかかりやすいので、ちょっとしたことでこうなるんです。この前もクロエ様とお出かけした際にこんな風になりました」


「そんなことがあったのか。とにかく、なんとかしてくれ!」


 ご主人様が私を振り払って、マリーに押しつけようとする。


「ご主人様! おやめください! どうか、お慈悲を!」


 私はご主人様の腕にすがろうとしたが、無理矢理振り払われた。


「お慈悲は売り切れだ! マリーに頼んでくれ!」


 ご主人様に振り払われて呆然としていると、マリーに手を握られ、顔を近づけられた。


「な、なんでしょう?」


 いきなりのことに、ちょっと驚く。


「なんでしょう。じゃないわよ! 私のこと、ちゃんと分かるわね?」


「当たり前ですよ。マリー」


 と返事をした。

 なぜ私が、同僚の顔を忘れるのだろうか。


「なんで記憶があるままこんな風になれるのかなぁ……ある意味才能? って、そんなのんきなこと言ってる場合じゃ無いか。ほら、アリス、思い出して、自分のことを」


「自分のこと?」


 私は首をかしげた。


「ここに来る前の事よ。なにが好きだった?」


「そんな漠然と言われてもわかりません」


 マリーが困った顔をする。


「そ、そうね。好きだった子の顔とか思い出せない?」


「うーん、居たような気もしますが、あまり思い出せません」


 マリーはご主人様に視線を向けた。


「ご主人様、アリスとなにか話をしましたか? 以前は記憶を辿っていって、そこから元に戻ったんです」


「話か……」


 ご主人様は首をかしげた。


「そういえば、残してきたエロホンがどうとか、ブックマークだとか外付けドライブがどうとか、そんなことを言っていたな」


 ご主人様は何気なく言った。


 その言葉が、頭の中に響き渡った。

 そして、ピキーンと何かが光るようなそんな感覚がした。


 エロホン……エロ本・同人誌


 ブックマーク……ブラウザのお気に入り


 外付けドライブ……見せられないコレクションの数々


 そして、警察や両親が俺の部屋に入ってきて、それを発見したときの驚きよう……


「ギャアアアアアアアアアアアアア!!!」


 俺は汚い声を上げた。


「見るなぁぁぁぁぁ!!! 見るな! 見るな! 部屋ごと無くなってしまえ! 絶対に見るなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 男はあっけにとられた表情で俺を見ていた。

 マリーも男と同じような顔で俺を見ている。


 戻ってきた。

 一気に記憶が戻ってきた。


 ぬおおおぉぉぉぉ……なんという醜態を……


「はぁ……はぁ……」


 息を整えてから、厨房の隅の小さな椅子に座り込んだ。


「も、戻った……のか?」


 と、男が聞いてくる。


「戻り……ました……怖っ! まじこの身体、しゃれになってない! 怖っ!」


 マリーも身をかがめて、俺の顔をのぞき込んだ。


「だ、大丈夫?」


「とりあえず、戻ったから大丈夫……」


 マリーの顔を見て頷いた。


「どうしたって言うんだ?」


 と、男が怪訝な表情を浮かべる。


 自分でもよく分からない。

 なにがきっかけでこんな風になったのか。


「よくわかりませんが……理想のメイドとして振る舞おうとして努力しすぎた結果、この身体の暗黒面に落ちたのかも……?」


「なんだ、どういうことだ? 意味が分からんぞ」


 男が首をかしげる。


「俺だってわかりませんよ。とにかくバランスの取り方が難しくて、ちょっと気を抜くとあっという間に理性が吹っ飛んで、この身体の衝動で上書きされるんですよ……こ、怖すぎ!」


 俺は自分の身体を抱えて、ぶるっと震えた。


 めちゃくちゃ美少女のかわいい身体に転生したと喜んでいた俺が馬鹿だった。


 たしかにかわいいけど、この身体はとんでもなく貪欲だ。

 なにかあるたびに、衝動に支配されてしまう。

 生まれた時からこんなものなら「こんなものだろう」と疑問に思わないかもしれない。

 例えば、雰囲気に流されやすい性格の人とか、相手の意見にすごく影響されてしまう人がいるだろう。

 この身体はそれをもっと極端にした特性を持っている。


 もし、俺が生まれたときからこの身体だったら、ものすごく雰囲気に流されやすくて、モーションかけられた相手に簡単に惚れ込んで、しかも、複数人に来られてもどんどん受け入れてしまうような、超ビッチになっていただろう。

 ちょっと、ビッチを批判できなくなってきた。

 こんな身体特性だったら、ビッチになるしかないじゃないか。

 でも、俺の理性はビッチでは無いのだ。

 これは本当に困る。


「こ、怖い……な、なんなんだ、この身体……」


「手、握る?」


 マリーに差し出された手を握りしめた。


「ど、どうしたの? 話、聞くよ?」


 マリーが心配そうな顔をする。


「う、うん。マリーには話す。ア、アルフォンスも聞いてくれ。二人には知っておいてもらいたい……」


 マリーが無言で頷いた。

 男も「わかった」と頷いた。


「この身体……すんごいビッチだ。すんごい雰囲気に流されるし、簡単に相手に乗っちゃう」


 酷い反応を予想して、恐る恐る顔を上げた。


 すると二人はなぜかあきれた顔をしていた。


「いまさら……?」


 と、マリーがつぶやく。


「いまさらだな」


 と、男も頷く。


「え?」


 なんだ……この反応は?


「というか、自覚してなかったの? 見境無く受け入れるから私が怒ってたのに」


 と、マリーがため息交じりに言う。


 待て、なんだその認識!


「ちょ、ちょっと待ってよ! 俺は別になんもやってないじゃん! レベッカだってコレットだってクロエだって向こうから来た感じだろ!?」


「あのさぁ。そういうのって、アリスが絶対に受け入れないって態度を取っていれば来ないんだよ? 口では否定していても、仕草や視線で肯定しているの。だから、みんなアリスに食いつくのよ?」


 と、マリーがジト目で俺を見る。


「あ……そ、そうなの?」


「うん」


 アリスはしっかりと頷いた。


「本人は意外と分かってないんだな」


 と、男がぽつりとつぶやいた。


 え、嘘だろ。

 そんな記憶全然無いけど。


「だって、レベッカにキス迫られるときとか、普通に困ってるんだけど?」


 そう言うと、マリーがあきれた視線を向けてきた。


「でも、目が『いいよ』って言ってるのよね」


「は? はぁ!? そんなつもり全然無いけど!?」


 一体どんな顔をしてるって言うんだ。

 困っている顔が期待している顔に見えているのか?

 いやいや、そんな馬鹿な。


「それだけ?」


 とマリーが聞いてきた。


 それだけ、と言いたいところだが、まだある。


「あ、あと……なんか、この身体、すごいドMな気がするんだけど。さっきの振る舞いで確信した」


 言いにくかったが、思い切って言った。

 本当に恥ずかしすぎる。


 二人の顔を伺うと、またしても二人はあきれた顔をしている。


「え……?」


 なぜそんな顔をする……?


「あれだけいじられてキャーキャー喜んでおいて、今更言われても……なぁ?」


 と男がマリーの顔を見た。


「そうですよね」


 とマリーが頷いた。


「は、はぁ!? あれは違うだろう! 単純に驚いてリアクションしてるだけだから!」


「あのねぇ、アリス。いきなり触られても、普通の人はあんな悲鳴上げないから。あんなうれしそうな悲鳴」


 と、マリーがあきれ顔をする。


「だから、悲鳴が勝手に出るんだって! ってか、うれしそうになんてしてないよ!」


「うれしそうにしてるつもりが無いのに、ああいう悲鳴が普通にでるんでしょ? 本当にMじゃん」


 と、マリーがあきれ顔で言う。


 そう言われると、なんか納得してしまう。

 なるほど。


 いや……納得していいのか?


「そ、そう……かな?」


「うん」


 マリーが頷いた。


「ああ」


 男も頷いた。


「はぁ……」


 俺はため息を吐いた。


「まぁ、そんなにバランスを取るのが難しいのなら、あまり極端なことをするな。むやみに男言葉を使うなとは言ったが、そこまでなりきれとは言っていないつもりだ」


 と、男が言った。


「男言葉は萎えるとか、この前熱く語ってませんでしたか……?」


 そう言うと、男は視線をそらした。


「ほ、ほどほどに頼む」


 なんて都合のいい言葉。


「はぁ……俺も別に女になりきるつもりは無かったんですけどね。……この身体を舐めてた。まさかあんな簡単に女モードにシフトした上、媚びるアクションでドMの本性発揮するとか……」


 なんかもう嫌になってきた。

 なんだこの身体。


「俺がいろいろ言ったのも悪かったかもしれないが、あまり無理はするな」


「そうします……」


 消え入るような声でつぶやいた。


「後は私が面倒を見ます」


 とマリーが言うと、男は頷いた。


「頼む。今日は俺も仕事があってな。相手をしたいところだが、そうもいかん。また何かあったら言ってくれ」


「はい」


 男が厨房を出て行った。


 マリーは俺を見て、ニッと笑った。


「仕事が終わったら、何があったか全部聞かせてもらうからね?」


「はい……」


 俺はマリーの目を見ることが出来ずに返事をした。


「夜が楽しみね」


 マリーが料理を再開するために、包丁を握って笑みを見せた。



○コメント

一番の危険人物=主人公


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