本
鏡を見ながら、いろんな表情の練習をしていると、扉をたたく音が聞こえた。
あわてて手鏡を横に置く。
「ど、どうぞ」
緊張して待ち受けると、入ってきたのは小柄な眼鏡をかけた少女だった。
先ほどレベッカが言っていたコレットという少女だろう。
俺の年齢は恐らく15-16程度、マリーとレベッカは17-18程度だが、この少女は13-14といったところだろう。
その少女は無言で入ってきて、俺の顔を見た。
「え……」
無言で顔を見てくるので、対応に困る。
「な、なにか?」
「……用事、ありますか?」
「用事?」
そういえば、少し空腹感を感じる気がする。
よく考えれば、昨日マリーに持ってきてもらったスープを飲んだ以外、ここ三日間食事をまともにしていない。
体力が回復するわけがない。
「あ……なにか食べるものがあればほしいんですけど」
と言ってからちょっとぶしつけかなと思ったが、少女は特にリアクションをとらず、
「はい」
と一言だけ言ってそのまま部屋を出て行った。
む、無口な子だなぁ。
しばらくすると、少女はお盆にのせてスープを持ってきた。
「どうぞ」
「あ、ありがとう」
受け取って、口をつける。
昨日もそうだったのだが、まだ味覚神経がちゃんと動いていないらしく、どうも味がよく分からない。
とりあえずまずい感じとか渋い感じはしないので、胃に負担をかけないようにゆっくりと噛みながら飲み込んでいく。
中に入っている野菜や肉はあらかじめかなり細かく切ってあるようだ。
「おいしいですか?」
「え……は、はい」
味が分からないがあえて喧嘩を売ることもない。
「フィリップに言っておきます」
たしか、料理人の名前だ。
「えーと、コレット……さん?」
「はい。呼び捨てでいいです。用があったら言ってください」
コレットはそう言って、壁際に置いてあった椅子を引き出してきた。
そのまま座るのかと思いきや、突然部屋を出てすぐに戻ってきた。
その手には本が握られていた。
「ん、本……?」
昔々の本はすべて手書きで非常に高価なもののはず。
メイドが手軽に触れるものとは思えない。
ということは、活版印刷があって本が安い世界なのか。
コレットは椅子に座って、本を開いて読み出してしまった。
本の表紙にはカバーがつけられていて、題名は読み取ることが出来ない。
そういえば、俺はこの世界の言葉を話せるが、文字を読むことは出来るのだろうか。
「ねぇ、コレット、その本、ちょっと見せてもらっていい?」
そう聞くと、コレットは突然パタンと本を閉じた。
「だ、駄目です」
「え?」
「たぶん、趣味が違うと思うので。だから、駄目です」
コレットは本をしっかり握ったまま硬い表情で答えた。
いや、どんな本を読んでいるんだ。
言っておくが、現代日本を生きてきた俺はそこそこの耐性があるぞ。
グロだろうがスプラッタだろうがそのくらい……あ、今の感性だと駄目かもしれない。
「そ、そう……わかった」
おとなしく引き下がると、コレットは安心してまた本を読み出した。
コレットも地味な感じの子だが、そばかす眼鏡の組み合わせが案外かわいらしい。
ん、眼鏡?
眼鏡って、昔だとめちゃくちゃ高価だったはずでは?
「コレット、その……ちょっと変なことを聞くかもしれないけど、その眼鏡って高価なもの?」
「はい。多分、高いと思います」
「え、でも買えるんだ」
「うちの家はお金持ちなので」
「その本も高いの?」
そう聞くと、コレットは不思議な顔をした。
「普通の本ですよ?」
「あ、そ、そうだよね……」
なるほど、本は普通に安い世界なんだな。
活版印刷がある世界で間違いないだろう。
だからどうということもないのだが、少しずつこの世界のことが分かってきて気分がいい。
コレットが本を読んでいるので、俺も焦らずスープを咀嚼していく。
飲み終わってカップを脇に置いたが、コレットはまだ本を読み続けている。
「その本、おもしろい?」
するとコレットははっと顔を上げて、本をバタンと閉じた。
「見ないでください」
「こっちから見えないって」
「そうですよね」
またコレットが本を開いて読み出そうとする。
「じゃあ、その本じゃなくてもいいから、なにか読むもの無いかな。少し暇で……」
といってから後悔した。
暇だと思うぐらい元気なら、働けよ、そんな風に思われるかもしれない。
実際、かなり動けるようになってきてるし、何の縁もない他人に世話になってる時点で大分厚かましい。
「あ、そういうことですか。どういうのがいいですか?」
しかし、コレットはそんなそぶりはなく、普通に聞き返してきた。
よかった。この世界は優しい。
少なくともこの屋敷の中は俺にとってはかなり優しい世界だ。
「なんでもいいけど……どういうのがあるの?」
「レベッカとマリーのところには恋愛ものが並んでます。あとご主人様のところには冒険ものと難しい専門書が並んでいます」
「へぇ」
そんなにいろいろあるのか。
よし、まぁここはオーソドックスに冒険ものを読んでみよう。
いくら女の体になっても恋愛ものとか読む気がしない……なんか読めそうな気がすごくするけど、それはあえて止めておこう。
冒険ものだ。
冒険ものにするんだ。
俺は男なんだ。
「ぼ、冒険もので勇敢で勇ましいのをお願いします」
「そういうのが好きなんですね。意外です。ちょっと待っててください」
コレットは目を丸くして、足早に走って行った。
先ほどまでとテンションが違うので、やはり本が好きなのだろう。
「さて、これからどうするか……」
と考えを少しまとめようとすると、コレットがすぐに戻ってきた。
めちゃくちゃ早い。
「これとかどうでしょうか!」
コレットがベッドの脇の机の上に本をドンと置いた。
小柄な少女なのに、重たそうな本を5冊も積み重ねて持ってきた。
「え、こんなに……」
「これ、海洋冒険ものです! すごく勇敢な感じです!」
コレットが緑色の本を指さして、ちょっと興奮気味に言う。
「な、なるほど」
「これが、地底探検です。これは勇者が悪い人を倒しにいくやつです。これがちょっと残酷なところありますけど、軍人が主人公のやつです。あとはこれが主人公とヒロインが旅をするやつです」
コレットが矢継ぎ早に説明する。
「な、なるほど。ありがとう」
本のタイトルに目をやると、全く見たことのない文字が並んでいる。
しかし、なぜか意味は伝わってくる。
文字も問題なく認識できるようだ。
試しに数ページぐらい読んでみよう。
問題なく読めるかどうかの確認だ。
海洋冒険……ピンとこないな。
地底探検……これもあまりピンとこない。
勇者が悪いやつを倒す……うーん、出来不出来がそうとうありそうだな。日本であれだけいろんなパターンを味わってきた俺が楽しめるだろうか。
軍人……グロいのは嫌だな。
主人公とヒロインの旅……ちょっとおもしろそう。もしかしたら、恋愛要素もあるかもしれないし。
「よーし、それじゃあ」
一番下の本を引き出して、1ページ目を開く。
なかなか重い本だ。
恋愛要素があるかな~あるかな~
「あ、あれ?」
お、俺はなんでそんな恋愛要素を求めているんだ?
い、いや、まぁいい。
深いことは気にせずとにかく読んでみよう。