一般常識vsローカルルール
部屋を飛び出した物の、自分の部屋をなくしたわけだから、当然行く場所が無い。
料理人のフィリップ……事情を知らないし、変に勘ぐられるのも嫌だ。
執事のガストン……絶対に無理。
アルフォンス……やっぱここか。ここしかないのかー。
仕方が無い。
この時間ならまだ書斎に居るかもしれない。
それとも自室か?
自室だったらさすがに止めよう。
男の寝ている部屋にこの身体で行くのは危険だ。
とりあえず、廊下を進み、書斎の前に行く。
物音が聞こえてくるから、居るようだ。
扉を叩くと中から返事があった。
「夜分遅くにすみません……」
と、中に入ると、男が半裸で奇妙なポーズを取っていた。
「なん……!?」
「おお、アリスか」
男が事もなげに言いながら、変な動きを……あぁ、ストレッチか。
びっくりした。
「お取り込み中みたいなんで……やっぱりいいです」
帰ろうとすると、男は服をつかんだ。
「まてまて、なんの用だ。ベイロン嬢のことか? 俺はもう怒ってないぞ」
「いやいや、そういう話じゃ無くてまた面倒なことが……」
「なんだ、またなにか起こったのか。忙しいやつだ」
そう言いながら、男は服を着込む。
「そういう風に他人事のように言いますがね。ちょっと考えてみてくださいよ。もし自分がいきなり女の子の身体になって他の世界に飛ばされたらって考えてみてください」
「なんだ、その話か。それはまぁ、大変だろうな。だが、お前はこのように職もあるし衣食住も保証されているだろう。まだなにか不満か?」
「そういう文句を言いに来たわけでは無いんです」
「なんだ?」
「職があるところまではいいんですが、同僚に問題があります。っていうか……かくまってください」
「は?」
男が不思議そうな顔をするが、そのまま書斎の奥に進む。
扉の近くに居ると、後ろから襲われそうな気がして怖い。
「ど、どうしたんだ?」
「ほら……レベッカとコレットが三日分のキスをしろと迫ってきて」
「またそれか。元男ならうれしいんじゃないか?」
と、男が何にも分かってない台詞を言う。
「ど、どこが……。さらに、クロエが怒りだして……も、もう、自分の部屋に戻れないです」
「そんな大げさな。嫌だって言えば済む話だろう」
「それで話が済めば困ってないですよ! そっちは雇い主で貴族で立場が上だからわからないんですよ。こっちの立場になってみてください。全然私の言うこと聞いてくれないんですから」
「そんなものか?」
男が分かっていない顔で首をひねる。
廊下の方で物音が聞こえてきた。
「お、追っ手が! た、助けて」
俺が必死な表情を浮かべると、男が笑った。
「本当におおげさだな」
と、男が扉の方に行って扉を開けようとする。
「ちょ、なにやってんですか! 鍵をかけて!」
男の背中に組み付いて、扉から引き剥がそうとするが、体格差がありすぎて歯が立たない。
「おいおい、なんの冗談だ」
男が笑って、扉を開ける。
すると、4人の悪魔が立っていた。
「ひっ……」
後ろへ後ずさりしそうになったが、ここは男の影に隠れた方が安全とみて、男の背中に食いつく。
「お、おい」
男が焦った声を上げる。
「お、追い返してもらっていいですか?」
「ん、そ、そうなのか?」
男がよく分かっていない様子で、4人の方に顔を向けた。
「なんだか知らないが、アリスが怖がっているみたいだ。俺にはよくわからないが、よしたらどうだ?」
と、歯切れの悪い台詞を言う。
そこはきちんと追い払ってほしい。
「ご主人様、これは私たちの問題ですので、失礼ですが口を出さないでください」
と言ったのはレベッカだ。
そういえば、アルフォンスとレベッカが話しているのをあまり見たことが無い。
その言葉にアルフォンスも驚いたらしく、ささやき声で聞いてきた。
「お前……なにかやったのか?」
「違いますって。どっちが俺の所有権を持っているかとか、喧嘩をし出したんですよ」
「はぁ? お前たち、何をやってるんだ?」
アルフォンスがあきれた顔をする。
この中では確実にアルフォンスが一番の常識人だ。
年齢も一番上だし、上に立つ立場だし、それなりに社交関係もあるから、女の子たちよりも確実に常識を知っている。
「おい、レベッカ、アリスが嫌がってるんだから止めてやれ」
アルフォンスが強く言う。
しかし、レベッカの矛先はこちらに向いた。
「アリス、ご主人様のところに逃げ込むとか反則でしょ? 男らしく出てきなさいよ」
「男だろうと女だろうと、あ、あれは無理……。4対1は卑怯……」
小さい声で言うが、レベッカには声が届いてない。
なんでレベッカがそんな熱くなってるんだ。
「おい、どうなってるんだ?」
と、男が振り返って、背中にひっついている俺を見る。
それを説明できればこんなところで怯えていない。
「な、なんだかわからないが、とにかく落ち着け。アリスがこれだけ怖がっているのは普通じゃ無いぞ」
男が俺をかばう。
助かる。本当に助かる。
「アルフォンス様、私からも申し上げます。これはこちらの事情です。即刻アリスをこちらへ引き渡してください」
クロエが言った。
さっきまでレベッカとクロエで対抗していたくせに、こんなときは協力とかずるすぎる。
「待て、説明をしろ」
と、男が一番冷静そうなマリーに声をかける。
するとマリーは少し困った顔をして、
「クロエとレベッカが張り合ってるんです。でも、アリスをこちらに渡さないと面倒だと思いますよ」
と、正論っぽく酷いことを言った。
「俺に女同士のいざこざはわからんが……あまり酷いことはするなよ」
と、男が背中にひっついている俺の腕をつかんだ。
ちょっと、なんでマリーの台詞に納得してるの!?
「ちょ、やめ! 止めて止めて! 怖い怖い! 渡さないでください!」
思い切り叫ぶと、男が驚いてまたマリーを見る。
「おい、尋常な様子には見えないが……」
「あぁ、ちょっと過敏に反応しているようです。気にせず渡してください」
とマリーがまたしても正論を装って酷いことをいう。
「だ、駄目! マリーの言うことを信じないで! あっちにいったら八つ裂きにされる!」
「は、はぁ?」
男は俺とメイドたちに挟まれて、ものすごく困った顔をしている。
多分自分だってその立場だったら同じ顔をするだろう。
「あのさ、アリス、こういうことになんでご主人様を巻き込むわけ? 関係ないでしょ? こっちに来なさい」
と、レベッカが高圧的に言う。
うう、怖いんだよー。
「そうよ。これは私たちの問題でしょ。アルフォンス様は関係ないわ。さぁ、こっちに来なさい」
クロエまで高圧的に言う。
いやだー。
「お、おい、あんなこと言ってるぞ……?」
男が完全に困った顔で、俺の方を見てくる。
いや、ローカルルールに負けないでくれ。
本人が嫌がっていることを強要するのは駄目という一般常識を主張してくれ!
「む、無理無理! 本当に酷い目に遭わされる!」
「お、おい、何があった……」
男はもう一度レベッカたちに向き直った。
「本当は口を挟みたくなかったが、ここまで怯えてるとなると話だけは聞かないとな」
「聞いたら、返してもらえますか?」
とマリーが言う。
「ああ、もちろんだ」
すると、クロエが進み出た。
「先日、私とマリーは話し合って、二人の手でアリスを守っていくことに決めました。アリスは他の世界から来た立場ですから、心細いこともあれば困ることもあるでしょう。そのために私たちは協力して手助けすることにしたのです」
「そ、そうか。それはありがたい話だ。俺としてもアリスの身の上は案じている。そういう協力には感謝する、ベイロン嬢」
男が頷く。
あー、その言葉に耳を傾けちゃだめー!
「そうしたら、ここの屋敷のメイドたちは無理矢理アリスにキスを迫っているではありませんか。こんなことが許されると思いますか?」
そのクロエの言葉に、男が目を白黒させて俺を見る。
ここで何を言ってもやぶ蛇になる可能性がある。
「そ、そう……なのか?」
アルフォンスは完全に知らなかったふりをすることに決めたらしい。
その気持ちはすごく分かる。
たしかにこの場では懸命な判断だ。
「そ、そう……です」
俺も初めて男に知らせるふりをする。
「うむ……」
男は困った顔でメイドたちを見てから、咳払いをした。
「なんであれ、本人の意思は尊重されるべきだ。あまり無理強いをしてはいけない」
と、男が正論を言う。
すると、今度はレベッカが口を開いた。
「いいえ、ご主人様、アリスは私たちの仲間です。それなのに、いきなりやってきたこのクロエ様が突然アリスの所有権を主張し始めたのです! おかしいでしょう!?」
「ん……?」
男が困った顔をする。
そして、俺の方にささやいてきた。
「おい、なんだこれは。頼むから、分かるように説明してくれ」
「説明できる事態なら困ってないですよ! お互いに自分の物だって言い始めて収集つかないから逃げてきたんです!」
「逃げてこられても、俺だって困る! 女同士で解決してくれ!」
「出来たらしてます!」
ささやき声で内緒話をしていると、コレットがそろそろっと前に出てきた。
「ご主人様、あまり関わらない方がいいと思います」
と、いつもの無感情そうな声で言う。
「そ、そうだな」
と、男が納得しそうになる。
「なに、納得してるんですか! 助けてくださいよ!」
「無茶を言え! 女同士の争いに男が入っていって勝てると思うか!?」
男が俺に小声でささやく。
「無理なのは分かってますけど! 見捨てないでください!」
すると、じっと様子を見ていたマリーが前に出てきて、こっちに近づいてきた。
「こ、来ないで……お、おい……」
男の背中にかじりつくが、マリーがどんどん近づいてくる。
「はい、アリスはこっちね。ご主人様は関係ないから」
マリーは優しい口調で言いながら、俺の腕を掴み、口調とは裏腹にすごい力で引っ張る。
「マ、マリー、やめて!」
「余計ややこしくなるから、私たちだけで話をした方がいいでしょ」
「で、でも、身が持たない」
「大丈夫だから」
「大丈夫じゃ無い!」
そのまま、マリーに両腕を掴まれて、無理矢理男から引き剥がされる。
男はその様子を気の毒そうな目で見ている。
「ア、アルフォンス! せめて立ち会って! ほんとにリンチにされる!」
「そんなこと、しないわよ」
とレベッカが言う。
これがすでにリンチだということを分かっていない。
「あー、分かった分かった。なんだか知らないが、喧嘩はここでしろ」
と、男が諦めたように言った。
た……助かった。
マリーが力を抜き、俺はアルフォンスの横に行って、その腕をつかんだ。
「おい、お前……」
「た、助けて……」
男はため息を吐き出して、俺は男の腕をつかんだまま情勢を見守った。
「で、どうしたんだ?」
と、男が話を切り出した。
「どうもこうもありません。アリスはこの屋敷の共有財産です。ご主人様もそう思いますよね」
と、レベッカが主張する。
「いや、待った、なにかおかしくないか?」
と、男が指摘をする。
よかった、俺と同じ意見だ。
「アリスは形としては俺が雇用している。アリスの立場としては本来は俺の指示に従う義務があるし、職務上必要な場合は俺の部下であるガストンや年長のメイドたちの指示にも従う必要がある。だが、所有権は誰にも無いぞ。アリスは形としては自由市民だ」
「それは……そうですが」
と、レベッカが視線をそらす。
アルフォンスの正論に立ち向かう理論は持っていないので、なんとかなりそうだ。
「問題は所有権でありません」
と、今度はクロエが出てきた。
いや、さっき、所有権があるとか自分で言ってたじゃん。
詭弁は止めてほしい。
「問題はアリスがどちらを選ぶかと言うことです。それなのに、アリスは誰も選ばずに右往左往していて、それが問題の根幹です。はっきりしてもらいましょう!」
と、啖呵を切る。
「おい、あんなこと言ってるぞ」
と、男が腕にひっついている俺にささやいてきた。
「え、選べると思います?」
「まぁ……正直これは同情するな」
「なら、助けてください」
「無茶を……」
男はそうつぶやいたが、少し考えてから話を切り出した。
「お前たちはアリスが誰かを選べばいいんだな?」
「そうです。別に一人を決めてもらわなくてもいいので、このお嬢様を取るか、私たちを取るか、それをはっきりしてほしいんです」
とレベッカが言う。
レベッカ、怖い。
「ふーん……なるほど」
男があごを撫でる。
そんな余裕をかましていられる状況か!?
すると、男は俺にささやいてきた。
「おい、アリス、俺を選べ」
「は?」
「あの中の誰かを選んでみろ。本当に血を見そうだぞ、この修羅場」
「た、確かに……」
「選択肢、あると思うか?」
「無いと思います……」
すると、男はまたレベッカたちに向き直った。
「アリスが選ぶそうだ。よし、アリス、誰を選ぶ?」
と、男が視線を送ってくる。
「もちろん、私よね?」
と、クロエが胸を張る。
「私たちよね?」
と、レベッカも俺をすごい視線で見る。
「あーあ」
と、マリーはあきれたような笑みを浮かべている。
多分、マリーはこっちの苦しみを普通に分かってくれている。
「んー」
コレットはただ黙って情勢を見ている。
「ア……アルフォンスで! ご、ご主人様で!」
俺は目をつむってそう言い切った。
一瞬、その場が静寂に包まれる。
よし、これで……。
「いや、そういうのはいいから」
と、レベッカがあきれたように言った。
は?
「そうよ。そういう逃げはいらないから」
と、クロエも不機嫌そうな声を出す。
「い、いやいや、二人とも! なに言ってんの!? 俺……ってか、私、アルフォンスとラブラブだから! そっちの入る隙とか全然無いから!」
「ぬお……」
なぜか、アルフォンスが口元を押さえる。
いや、そんなふざけたリアクションしてるときじゃないだろ。
「そっちはそっちでいいけど、こっちはどっちを選ぶかって聞いてんのよ」
と、レベッカが怒鳴る。
えー、話終わってないの!?
「ア、アルフォンス……」
男に助けを求めるが、男は口を押さえたまま首を振った。
「悪いが、これ以上は無理だ」
「頼りない!」
男から視線を外して、クロエとレベッカを交互に見る。
どっちを選んでも怖い。
すると、マリーがすこし諦めたようななんとも言えない表情をして、こっちを見た。
「アリス、私たち、恋人同士だったわよね?」
「あ、うん……」
あ、しまった。
ここから争いが始まる……
と、思ったがマリーはなんともいえない表情のまま、みんなを見た。
「レベッカ、コレット、この前私が駄目って言ったのに無理矢理キスしてたわよね」
「あ、あれは……」
とレベッカが反論しそうになるのを、マリーが手の仕草で言葉を止めた。
「クロエ、私が元々アリスの恋人だったことは知ってるわよね?」
「ええ、知ってるわ。それがなに?」
「つまり、まず、アリスは私の物だから。他の人への割り振りは私が決める。これでどう?」
すると、レベッカが横を向いた。
「まぁ、あのお嬢様が勝手に決めるじゃ無ければ、別にいいけど」
「私はいいと思います」
と言ったのはコレットだ。
そして、クロエも不承不承な感じで頷いた。
「マリーが言うなら、従うわ」
その様子を見て、ようやく恐怖が薄れてきた。
よかった。
マリー、ありがとう。
「ちょっと、待て」
と、男が声を上げた。
「ん?」
俺は男を見上げた。
「おい、マリー、その割り振りには俺も入っているんだろうな」
何を言っている!?
そして、マリーは少し考えるような仕草をしてから、答えた。
「そちらの方は……こちらであまりうるさく言える立場でもありません。ほどほどにご自由にお願いします」
その言葉に男は顔をほころばせて、俺を見下ろした。
「正式にお前をいじる許可が出て居るぞ」
と、ふざけた言葉を言った。
あぁ……一般常識が、ローカルルールに負けた……。
○コメント
ローカルルールと一般常識の対立を、TS転生という変なジャンルで表現してみた。
だいたいローカルルールが勝つよね。




