アルフォンスVSクロエ
「んん……?」
目を開けると、すでに暗くなっていた。
帰ってきたのは夕方だったが、30分ぐらいのつもりががっつり何時間も寝てしまったらしい。
部屋の中には誰も居ない。
部屋の隅にはクロエの鞄がそのまま積まれている。
「あれ……いま何時だ?」
時計は高級品らしく、書斎と大広間と食堂にしか無い。
そのネジを巻くのもメイドの仕事の一つだ。
ここには時計なんてものはないので、今何時なのか判然としない。
服と髪を軽く整えて、廊下に出る。
物音が食堂の方から聞こえてくる。
「あぁ、夕食の時間かな……?」
俺が寝ていたと言うことは、マリーやレベッカが代わりに給仕をしているはずだ。
寝ぼけ眼で途中から入るのも気まずいが、どうしようか。
とりあえず、食堂の扉の前まで移動してみる。
やはり、話し声が聞こえてくる。
「ほほぉ、ベイロン家はずいぶんと景気がよいようですな。私のような弱小地方貴族には雲の上の話です」
「またまた、アルフォンス様もお口が上手でいらっしゃいますね。そんなにたいしたことではありませんよ」
「いえ、見ていただいたとおり、この屋敷も古いばかりでろくな調度品もありません。ご不便ばかりおかけして申し訳ありません」
「そんなことはありませんわ。アリスとマリーがいれば私はなにも困りませんから」
「それはそれは。うちの使用人がずいぶんと気に入られたものですな」
と、アルフォンスが笑う声が聞こえてくる。
クロエとアルフォンスが話しながら食事をしているようだ。
大分打ち解けているようでよかった。
しかし、ここで話を盗み聞きしているような感じもあまりよろしくない。
でも、入りにくいなぁ。
「ええ、気に入っておりますわ。それにしてもアルフォンス様はずいぶんと運のお強い方でいらっしゃいますね。お屋敷の前に偶然アリスが落ちてくるなんて、うらやましくてしかたありませんわ」
ん、なんかクロエの言葉にとげがあるような。
「それは……たしかに運と言ってよいかもしれません。他の世界からの来訪者と生きているうちに出くわすだけでも大変な運ですからな」
「その通りです。ですが、その幸運をお一人で独占するのはいかがかと思いますわ」
おいおい、なんかきな臭くなってきた。
いきなり食事の席で喧嘩を売る!?
こりゃ、サロンで嫌われるわけだ。
俺に対してはあんなに甘いのに。
「……独占とは人聞きの悪い」
アルフォンスの返事までにかなり間があった。
あいつ、結構怒ってる感じだぞ。
おい、クロエ止めろって。
「独占では無いでしょうか? わずか給金で屋敷の中に閉じ込めておくなど、他の世界からやってきた英雄に連なる方に対してふさわしい仕打ちとは思えません」
いや、俺全然英雄とかじゃ無いから。
せめて、なんか専門知識を蓄えてから転生してくればよかったけど、ろくな知識も習得してない中途半端な大学生なんだ。
と、とにかく、アルフォンスをたきつけるんじゃ無い!
「お言葉ですが、私はアリスの正体も知らないうちからこの屋敷にかくまい、アリスの望みでメイドとして雇ったのです。そんなことを言われる筋合いはありませんよ」
ア、アルフォンス、やっぱり怒ってる。
おいおい、クロエいい加減にしてくれ。
「それは、アリスが自分の立場を知らなかったからでしょう。自らの立場が咎を受けると思い込んだからこそ、そういう境遇に甘んじたのです。その誤解が解けた今、アリスをこの屋敷に留め置くのは酷だと思いませんか? アリスのためにもなりませんし、この世界のためにもなりません。彼女の持ってきた知識は世界で広く共有するべきです」
いやいや、だから共有すべき知識とかそういうのろくなもん持ってないんだよ!
「ベイロン嬢、少しお言葉が過ぎませんか? 私はアリスを無理矢理この屋敷に縛り付けているわけではありません。現に今回あなたのところへ訪問したではありませんか」
「ええ、たしかに。しかし、アリスはここに戻らなければならないと強く言っておりましたよ。なんでも恩があるとか。素直なアリスをそういうしがらみで縛るのは卑怯だと思います」
「お言葉が……過ぎますね。確かにあなたは当屋敷のゲストではありますが、もてなされる側の態度という物も考えていただきたい」
うわー、やべー。
まじ、やべー。
扉の前で、落ち着かなくなってうろうろする。
でも、こんなことをしていてもどうしようもない。
えーい、女は度胸だ!
男も度胸だ!
行け!
扉を勢いよく押して、食堂に飛び込む。
「す、すみません、寝坊しましたぁっ! な、なにかお手伝いすることありますでしょうかーっ!」
無理矢理大声を出して、部屋の隅に立っているマリーとレベッカのところに駆け寄った。
焦っている様子の俺を見て、レベッカが顔をしかめた。
「寝てればよかったのに。今、修羅場だよ?」
「修羅場だから入らざるを得なくなったんだ」
そう小声で会話を交わして、何食わぬ顔でレベッカの隣に立った。
しかし、何食わぬ顔をしているつもりなのは自分だけで、きっと人から見れば焦ってるのがバレバレなんだろうなぁ。
感情が全部表に出るから困る。
俺が来たことで、話の腰が折られたらしく、アルフォンスとクロエは無言のまま食事を続けている。
大きな鶏肉のソテーに、肉や野菜がたくさん入っているなんとかスープに、高そうなフルーツの盛り合わせ。
おいしそうなメニューが並んでいる。
とっさのことだったのに、フィリップはよく用意できた物だ。
「うわ、おいしそう……」
料理に見とれていると、レベッカに声をかけられた。
「ちょっと、そんなのんきなこと言ってないで、せっかく来たならあの雰囲気なんとかしなさいよ」
「え……いや……それはちょっと」
「男でしょ、やってきなさい」
「それを今言います……?」
男とか関係ないと思うけど、いかないと格好がつかない。
うー、怖いなー。
「あのぉ……」
遠慮がちに声を上げると、クロエが振り向いた。
「今、あんたの話をしてたの。こっちに来なさい」
「は、はい」
あれ、なんでクロエに命令されてるんだ?
しかし、そんな疑問を持っている間に身体は勝手に移動し、クロエの横に立っていた。
「アルフォンス様、アリスは私のところで働きたいと言っております」
と、クロエがアルフォンスに向かって宣言した。
「ブフォォッ!」
男は飲み込みかけていた野菜を吹き出しそうになった。
うわ。
「ゴホッ……ゴホッ……ア、アリス、お前、本当か?」
咳き込みながら俺を見てくる。
「え、いや、別にそんな……お、おい、クロエ、止めてくれって」
「なんで!? だって、安い給金は嫌だって言ってたじゃないの」
「そ、それはそうだけどさぁ。でもこれからあちこちに呼ばれてお金を稼げるから、そこはいいんだよ」
「でも、呼ばれないときは普通のメイドの給金で働くんでしょ? それってどうなの?」
「ど、どうなのって言われても……」
「お、おい、アリス、俺は許さんぞ。勝手にどこかに行くんじゃない」
男が口を押さえながら俺を見た。
「い、行きませんから、落ち着いて……」
「ほら、そうやって縛ってるじゃないですか。あなたにアリスの自由を束縛する権利があるんですか!?」
クロエが声を荒げる。
「ク、クロエ、止めろって」
遠慮がちに肩を叩いたりしても、クロエは話を止めない。
「アリス、あなた本当にここで安い給金で働き続けたいの?」
それどころか、クロエのほうから俺の袖を引いてきた。
「あの……もっと穏便に……。なんでこんな喧嘩になってるわけ?」
「だって、私がアリスを守るって言ったでしょ」
と、クロエがまっすぐ俺の目を見てきた。
「あのさ……クロエ、そういうことは自分でなんとかするから、そこまで口を出さなくていいよ」
「なんでよ!? 私はアリスのためにがんばってるのよ!?」
「だから、いいってば。労使関係の交渉とかそういうのは自分でやるから、放っておいてくれ」
「な、なによ、その言い方……」
クロエが黙り込む。
俺はアルフォンスの方に向き直った。
「クロエと話をしたちょっとした愚痴を大げさに捉えてしまったようです。ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
と、きちんとお辞儀をした。
「いや、気にするな。俺も年下相手に本気になりすぎた。ベイロン嬢、不快にさせたな」
男はナプキンで口元を拭き取ると、食事中だというのに席を立った。
「あ、まだ……」
と、マリーが男に声をかけたが、男はそのまま食堂を出ていってしまった。
残された俺・マリー・レベッカはため息を吐き出した。
「あーあ……」
俺がそう言うと、マリーが渋い表情を浮かべた。
「最初は雰囲気すごくよかったんだけどね」
「そうみたいだね……」
すると、レベッカは肩をすくめた。
「あのさぁ、ゲスト相手にこういうこというのもよくないと思うけど、あんた常識無いわね」
その言葉にクロエが絶句する。
「ふん。片付けしてくる」
レベッカが不機嫌そうに厨房の方に行ってしまう。
「私、アリスの事を思って……」
クロエが困った顔で俺を見てくる。
「なぁ……クロエ……気持ちは分かるけど、あれはやり過ぎだって。別にアルフォンスは分からず屋じゃないし、普通に交渉すればいろんなことを受け入れてくれるいいやつだぞ。あんなに悪く言うことは無い」
「……好きだからかばうわけ?」
と、クロエが俺を見上げた。
「……は? いや、どういうロジックでそうなるの?」
意味が分からずに首をひねった。
「なんで私に怒って、あっちをかばうのよ! 私のこと好きなんでしょ?」
クロエが真剣な顔で俺を見た。
「えぇ……」
ちょ、ちょっとまて、好き嫌いで決まると思っているのか?
もっと公正な基準とかあるだろう!?
なにか今までモヤモヤしていた違和感が頭の中で形を作り始めた。
マリー・レベッカ・コレット、そしてクロエ、全員に対してなんとなく違和感を感じてきた。
なんの違和感か分からなかったのだが、いまだんだんと分かってきた。
「な、なるほど。スタンダードな価値観が……無いわけね」
「は?」
いきなり変な言葉を言い出したので、クロエが一瞬真顔に戻った。
「い、いやぁ、ちょっと前々からクロエだけじゃなくて、みんなに違和感があってさ。それがなんなんだろうなぁ……と思ってたんだけど、今のクロエの発言でちょっと分かってきた」
「違和感?」
マリーも俺の言葉に不思議な顔をした。
「俺がいた世界だと、テレビとかネットとかマスメディアがあって、全国の人間がある程度共通の物を見ていたから、ある程度共通の価値観があったんだよ。でも、この世界、マスメディアが新聞くらいしかないし、特に女はそういうものもほとんど見ないよね。俺たちみたいなメイドもクロエみたいなお嬢様も狭い世界しか知らないから、そういう国全体で通じる共通の価値観を持ってないんだ」
「カチカン?」
クロエが聞き慣れない言葉のように繰り返す。
一応この世界の言葉のはずなんだけど、レアな単語なのかもしれない。
「そういう価値観を持ってないから、クロエは自分の好き嫌いで全部判断していて、世の中の人もそういう風に判断していると思ってるんだね。だから、俺がアルフォンスを好きだからかばってると思う訳か」
マリー・レベッカ・コレットの3人も同じで、この社会全体に通じるような常識的な価値観をほとんど持っていないように感じる。
普通なら女同士で毎日キスしまくるとかちょっとアレだと思うけど、この世界だと女性にとって社会全体で通じる価値観というものがものすごく希薄で、その小さなコミュニティでOKとされた物がそのまま世界で通用すると思っちゃうんだ。
つまり、この世界の女性にとっては「ローカルルール」しか存在しない。
「いきなり……何を言い出すわけ?」
と、クロエが俺を見上げる。
「だから……俺は好き嫌いじゃ無くてできるだけ正義に従って行動したいの。その正義には受けた恩を返すって事があるの。俺はその正義に従ってアルフォンスの意に沿おうとしてるだけで、別に強要されてるわけじゃ無いから」
「……セイギ?」
この言葉にもクロエが片言で返す。
この言葉も一般的じゃ無いのか。
「だから、アルフォンスと俺の間のことには、口を出さないでほしい」
「そ、そうなの?」
「んー……なんかさ、クロエってどのあたりまでの行動が社会的に許されるかってのを全然把握してないんだよね。だから、あんなにサロンで嫌われるんだと思うよ。特に社交関係がある男は社会的通念を理解していない女とか嫌いだから」
そう言うと、クロエが下を向いてしまった。
「き、嫌いって……」
いかん、飯時にする話では無かった。
「ご、ごめん! あんまり気にしないで!」
あわててフォローする。
「だ、だって、アリスが何言ってるのかよくわかんないし」
「とにかく、社交関係でもっとうまくやっていくように、俺に分かる範囲なら手伝うからさ」
そう言うと、クロエは一瞬言いよどんでから、頷いた。
「わ、わかった……」
恐らくクロエは元々社交スキルが低いんだろうけど、家庭教師とかに習っていて集団生活を送らないから、なおさら社交スキルが全然発達しなかったんだろう。
思い出してみれば、俺も小さいころはそういうスキルが全然無くて、喧嘩ばかりしていた気がする。
「じゃあ、とりあえず、報酬と言うことで、その食べ残しそうなお肉もらっていい?」
なんか深刻っぽい雰囲気になってしまったのをごまかすため、それからお皿の上のお肉がおいしそうだったので、ちょっとふざけてそう言った。
「い、いいけど」
冗談半分に言ったんだけど、なんとOKされた。
「なら、私ももらう!」
マリーが後ろで大声を上げた。
クロエがその勢いにちょっと驚く。
そう、我々メイド一同は意地汚い。
意地汚さでは誰にも負ける気がしない。
アルフォンスが残した料理を誰が食べるかで毎日もめているのだ。
料理を全く残さないと恨まれるので、アルフォンスも本当は食べたいのにあえて残しているときもある気がする。
意地汚いメイドを雇う側も結構大変だ。
「え、残ったの!?」
厨房の扉がバン!と勢いよく開いて、レベッカが駆け寄ってくる。
「って、まだお客様がいるじゃん」
「あー……それもそうか。まだ食べる?」
「い、いいわよ、別に」
と、クロエが言ったので、俺は皿をかっさらった。
「大丈夫! 気にせずに食べる!」
「私も!」
マリーが駆け寄ってくる。
「なら私も」
レベッカは厨房からすでにフォークをつかんできていた。
「私も居ますぅ!!」
必死な声とともにコレットもナイフとフォークを持って厨房からかけだしてくる。
普段、肉なんてめったに食べられない俺たちは一気に更に群がった。
一瞬でアルフォンスとクロエの残飯を平らげる。
「す、すごい勢い……」
クロエがあっけにとられる。
「一応、残った食材でまかないも作るんだけど……やっぱゲスト向けのメニューとかまかないとレベルが違うからさぁ」
「ほんとよ。とくにこのうちはゲストめったに来ないから、普段こんな大きな肉は食べられないわ」
とレベッカがフォークを舐めながら言う。
この世界だと肉は貴重品だ。
普段は芋と豆ばかりだ。
「じゃあ、腹ごしらえしたし……アルフォンスに謝りに行くか」
「え……い、行くの?」
クロエが顔を引きつらせた。
そのクロエの肩をがしっとつかんだ。
「これも大事な社会経験です。お嬢様」
クロエを引っ張って、アルフォンスの書斎に入ると、アルフォンスはクロエの姿を見てすぐに拒否反応を示した。
本人は冷静に装ってるつもりだが、見れば丸わかりだ。
「何の用かな」
冷静を装ったアルフォンスが聞いてくる。
「ほら、クロエ」
「わ、分かったわよ」
クロエがおずおずと俺の前に出る。
アルフォンスが身構える。
「さ、先ほどの態度は私に問題がありました。ゲストとしてふさわしくありませんでした。謝らせていただきます」
クロエがぎこちないながらも謝ると、アルフォンスは驚いた顔をする。
罵倒が飛んでくると予期していたのだろう。
補足した方がいい気がしたので、俺も口を開いた。
「クロエ、いろいろ知らないから、アルフォンスが悪者だと思ったらしいんだ。俺を助けようとしただけだから、悪く思わないでほしい」
「そ、そうか。すまんな、立たせたままで」
アルフォンスが書斎の中を見回すが、ここにある椅子は男のための椅子だけだ。
壁に椅子が置いてあったはずだが、どこかに持って行ったようで、いまはその椅子がない。
「ということで、クロエを許してもらっていい?」
「別に俺は怒ってないぞ」
「いや、怒ってるから、謝りに来たんだよ」
「怒ってないと言っているだろう」
と、男が強硬に主張する。
怒ってるってバレバレなのに、変なところで意地を張るなぁ。
「ベイロン嬢、俺もアリスの身を心配しているのは同じだ。決してアリスに無理を強いているつもりは無い。そこは分かってほしい」
「はい」
クロエが頷く。
「よし……じゃあ、もう一度食堂に戻るか。夕食の途中だったからな。実は俺も途中で席を立ったので腹が減っているんだ」
と、男が冗談交じりに言う。
「すみません……」
今度は俺が謝る番だった。
「ん、どうした?」
「メイド一同で……全部、食べちゃいました」
男は絶句したのだった。
結局、アルフォンスとクロエには、本来俺たちが食べるはずだった、豆のごった煮のまかないをあてがうことになった。
本当に済まない……。




