夕食後に
結局、屋敷に戻った後は調子を取り戻し、普通に振る舞うことができた。
メイド長も執事のおじいさんも特に不審がる様子は無く、俺とマリーはメイドでは無くゲストの立場でクロエと一緒に食事を取った。
たいした会話も無かったので、食事シーンは割愛する。
食事が終わった後に、俺が一人になったところでメイド長が話しかけてきた。
「本当にアリス様とマリー様に来ていただいてよかったと、心の底から思っております。先ほどから様子を見ていると、アリス様だけでなくマリー様とも親しげに話をされています。あのお嬢様が同年代のご友人とあんな楽しそうに話すのを初めて見ました。本当に、ありがとうございます」
メイド長は深々と頭を下げた。
「よ、よしてください。私たちは普通に一緒に楽しんだだけですから」
「いえ、それがなによりでございます」
メイド長は頷いた。
ちなみに、メイド長の後ろには執事のおじいさんもいて、彼は涙をぽろぽろ流している。
うう、やめてくれよぉ。
この身体、人が泣いているのを見ると普通に涙腺が緩んでくるんだよぉ。
っていうか、大げさすぎるよ。
「今後ともお嬢様のご友人でいていただけないでしょうか」
「それについては……マリーはよいと思うのですが、私はクロエ様に嫌われたかと……」
というか、心底あきれられた気がする。
でもまぁ、クロエにはマリーと仲良くなることが出来たし、結果はゼロでは無かったと言えるだろう。
「なにをおっしゃいますか。お嬢様はアリス様のことを本当にお気に入りになっていますよ」
と、メイド長がしみじみと言う。
「あぁ、昨日のことですが……あれはもう無かったことになってますので」
「いえ、昨日のことではありません。さきほどのやりとりを見ていても、お嬢様は確かにアリス様のことをこの上ないほどお気に入りです」
やりとりと言っても、静かにご飯を食べていただけなんだけど。
それに、クロエは俺を気に入っているんじゃ無くて、馬鹿にしてるだけだと思うけどなぁ。
あんな醜態さらしたし……。
「は、はぁ……そうでしょうかねぇ」
「まぁ、お疲れでしょう。お部屋でお休みください。ご用がおありでしたら、遠慮無く呼び出してください」
丁寧にメイド長に言われ、部屋に下がった。
が、ベッドに寝転ぼうと思った途端、クロエが来訪してきたのであった。
「お邪魔だったかしら?」
ゲストルームにやってきたクロエは寝間着姿だった。
「え、邪魔じゃ無いけど……」
ベッドに座っていた俺は、ちょっと驚いて返事をした。
俺は言葉を男言葉にしていた。
外で変なモードになってしまったこともあって、できるだけ男モードにしている。
「マリーは?」
「ああ、あっちの部屋」
俺はゲストルームの二つを仕切っている扉を指さした。
たぶんクロエは俺では無くマリーに用があって来たのだろう。
俺のことはもう興味が無いだろうし。
「へぇ、恋人同士とか言ってたけど、別の部屋で寝てるのね」
クロエがつぶやいた。
「いや……何考えてるんだよ。当たり前だろ」
「ふーん」
クロエが意味ありげな顔をする。
あ……こいつ……
嫌な予感がして、立ち上がってクロエの耳元に口を近づけた。
「な、なに!?」
クロエが少し身構える。
「マリーに聞こえるとまずいからさ。なぁ……言いにくいのは承知だけど、もしかして女同士の恋愛を扱った本とか読んだことある?」
「は、はぁ、読んでないわよ!」
と、クロエが小さい声で否定した。
いや、これは読んでいる。
「あ……それ一般向けじゃなくてもしかして大人向けのやつ? クロエのお父さんの鍵のかかった書庫に入ってるのを読んだとか……?」
「っ……!?」
クロエの目が泳いだ。
ビンゴだ。
「あ、やっぱそういう作品もあるし、ジャンルも存在するんだ。アルフォンスの屋敷の鍵がかかってる書庫にはそういうの無かったんだよ」
「あんた、そんなの覗いてるの!?」
クロエが小さい声でささやく。
「掃除ばかりしてても暇だし、文化研究はしないとね」
と、ちょっとふざけて言った。
ちなみに、半分本当だ。
アルフォンスの性癖は結構重要事項だ。
変な性癖だったら身の危険が危ない的な。
「なにが文化研究よ……!」
「とにかく、そういう概念知ってるんだったら、マリーに教えないでよ」
そうささやくと、クロエが不思議そうな顔をした。
「なんで……?」
「マリーはたまに気持ちが暴走するけど、多分そういうことあんまり詳しくないと思うんだ。特に女同士のあれこれとかさ。それが知識がついたら……俺が危険なので……。だって、毎日マリーと同じ屋敷に住んでるんだよ?」
「あ、あぁ……そういうことね」
クロエがぎこちなく頷いた。
話が済むと、俺は扉を叩いて、マリーを呼び出した。
マリーは寝間着で出てくると、クロエを見てちょっと驚きながらも笑みを浮かべた。
「クロエ様、なにをしに?」
「マリー、ここはばあやがいないんだから大丈夫だって。呼び捨てにして」
「そ、そう? じゃあ、クロエ……ね」
「うん」
クロエが頷く。
ばあやが見ていない……ん、ちょっと待て。
「クロエ、ちょっと待ってて」
「ん?」
不思議がるクロエを後にして、そっと部屋の入り口を開ける。
そこにメイド長と気の弱そうなメイドがいることを予期したが、誰も居なかった。
安心して扉を閉める。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
俺はベッドに腰を下ろして、マリーとクロエが話をしているのを聞くともなしに聞いていた。
今日の朝までは、クロエは俺に首ったけだった。
しかし、出かけている間に嫌われて愛想を尽かされて、そんでモードが変わるとどうしようも無くなる困ったやつだと思われただろう。
まぁ、マリーとクロエで楽しくガールズトークをすればいいさ。
俺はおとなしくしているか。
「ちょっと、なにそんなところで寂しそうにしてるのよ」
とクロエが俺を見た。
「別に……してないけど」
「うん、してるね」
とマリーまで同じことを言った。
「してないって」
すると、マリーが俺の手をつかんで、鏡台のところまで引っ張っていった。
「顔、見てみなよ」
といって、マリーが笑った。
言われて顔を見ると、確かに捨てられた子犬みたいなさみしそうな顔をしていた。
本当にこの身体は困る。
「うん……ひどい顔だね」
「どうしてそんなに落ち込んでるのよ」
と、クロエが笑った。
「え、説明する? いや……いいよな、そんなの」
ごまかしてベッドに行こうとしたら、クロエに手を掴まれた。
「聞かせてよ」
「え……」
男モードだとこういう話は大変にしにくい。
非常に恥ずかしい。
「あのな……ええと……」
クロエがニヤニヤと俺を見る。
「ああ、もう! 本当にごめん!」
頭を下げた。
すると、クロエが不思議な顔で俺を見た。
「なんで……謝ってるの?」
「ほ、ほら、昨日の夜、無理矢理キスしちゃっただろ。女同士ってことになってればギリギリうやむやにできるかと思ったけど、男だってばれちゃったし。だから謝ろうかと……」
するとクロエが吹き出した。
「ぷはっ! そんなこと気にしてたの!?」
「わ、悪いかよ。一応身体は女だからノーカウントってしてくれればいいけど、クロエがどう判断するかわからないからさ」
「え? カウント? ノーカウントな訳ないじゃん。あれ、私のファーストキス」
クロエがいたずらっぽく言う。
「だから……謝ってるじゃん。どう謝ればいいかわからないけど」
するとクロエがマリーを見た。
「へー、こんなことでいいなりに出来ちゃうんだ」
するとマリーも吹き出した。
「でしょ? 男モードのアリスも素直だから、あんまりいじめないでね」
二人でクスクス笑った。
「あーもー! じゃあ、どうすりゃいいんだよ!」
居心地が悪くて、ちょっと大きな声を出した。
「えー、それはもちろん……」
とクロエが近づいてきて、俺のおなかを突っついた。
「あふっ……だ、だから、男モードでも混在モードと感度一緒だから、そういうの駄目だって……」
「これはこれでかわいいね」
とクロエがまたマリーに話しかける。
「でしょ」
クスクス笑いながらマリーが答える。
「う……」
居心地の悪い間を歯を食いしばって耐え忍ぶ。
こういうとき、男モードはつらい。
「私のファーストキス、責任取ってくれるんだ?」
クロエが笑いをこらえているのが分かる表情で俺に聞いてきた。
「あー、責任をとれるならね。でも、今日ので俺のこととか嫌いになっただろ」
「まぁね」
まだ笑いをこらえている様子でクロエが答えた。
「……だろ」
俺は気落ちして返事をした。
「わっかりやすーい」
クロエはそう言って吹き出した。
「な、なんだよ!」
すると、マリーがクスクス笑いながら俺に言った。
「ねぇ、アリス、まだクロエがあなたのことを嫌いだと思ってるの? ちょっと考え直してみたら?」
そして、クスクス笑い続けた。
「そう言われても、嫌いになったに決まっただろ……」
そうとしか思えない。
ほんと俺ってどうしようもないし。
「ちょっと私の立場で考えてみたら?」
と、クロエまで笑いながら言う。
そこまで言うなら、頭の思考をちょっと女モードにして、クロエの視点で今までの出来事を振り返ってみよう。
「クロエ視点……クロエ視点……」
まず、いきなりやってきたアリスという美少女に好きって言われる。
す、好き!?
そんなの正面から言われたらめっちゃうれしい。
こちらからも惚れてしまうじゃ無いか!
しかも、これまで孤独だったわけだから、ものすごくうれしい。
そのあと馬車に乗ったら、その中で自分を好きと言ってくれた少女の恋仲と主張するマリーが現れる。
うーん、好きな相手は独占したいよね。
となると、マリーは本当に腹立つ相手だ。
けんか腰になってしまうのも納得だ。
そして、そんな中、自分を好きと言ってくれた少女が元男であることが判明する。
好きな相手が元男……あれ? 別にそんなに特に問題ないぞ?
自分が女だとして、女に好きって言われてもうれしいのに、元男の女に好きって言われてもうれしさは変わらない
どっちにしろ、好きな相手は好きなままだ。
でも、俺が男だと判明したらクロエは怒ってた。
俺は、俺が元男であることがクロエにとって嫌なことだと思い込んでいた。
でも、もしかして違う?
「クロエ、もしかして男嫌い?」
「んー、男全般って言われるとあんまり好きじゃ無いかも。でも、男だからと言うよりその人の性格次第かな?」
と、クロエが正直に答えてくれた。
ということは、俺が元男だから起こったわけでは無いっぽい。
「もしかして、クロエが馬車で怒ったのって、俺が元男だからじゃ無くて、昨日の夜に男だと言うことを言わなかったこと?」
「そうよ。もっと正確に言うと、マリーが言うまで自分で言おうとしなかったから。そんなこともわかってなかったの?」
クロエがあきれた顔をする。
「分かってませんでした……」
「もう、馬鹿だね」
クロエの言葉が突き刺さる。
クロエは本当のことを話してくれなかった俺にたいして怒った。
しかし、待て、これは怒っただけじゃないか。
怒るのと嫌いになるのは全然違う。
ということは、見捨てられたと思って足を引きずっていたあのときも、クロエは俺を嫌っていなかったのか。
だから、怒りが少し冷めてから引き返してきた。
そして、その後しょぼくれた俺を靴屋に連れて行って靴を買った。
あのときの俺は、クロエは俺を見下していて気の毒だから情けをかけているのだと思ってた。
でも、クロエの立場で考え直してみると、怒っては居ても俺のことが好きで、それでしょぼくれた俺を見て、ここが私の出番だ!と腕まくりをしたということか。
あー、そっかー、あれ、好きな相手にいいところをみせようとしてたのかー。
えー、なんか全然違うじゃんー。
それから、俺の意識が吹っ飛んで甘えまくる駄目な人になっていたわけだ。
俺はそれを思い出して、嫌われた上に駄目なところを見せすぎて、さらに見下されたと思った。
だけど、クロエの立場で考え直してみると、クロエは好きな相手にいいところを見せてたら、いきなりその相手が変な風になっちゃった。
それが案外かわいいけど、駄目な感じで……。
あー、これ、むしろある意味高評価。
そして、私が守らなければ的な保護欲が高まる。
そして、屋敷に戻ってきてここに至る。
「分かった?」
俺が長い思考を終えて顔を上げると、マリーが笑いながら聞いてきた。
「あの……クロエ、間違ってたら言ってほしいんだけど」
「なに?」
クロエが笑いながら返した。
「もしかして……俺のこと、まだ好き?」
「嫌いだよ」
とクロエが言った。
俺は息をのんだ。
「そんな顔をしないでって。本当に単純なんだから。はいはい、好きだって」
そう言われると、なんだか気恥ずかしい気分になる。
「そ、そっか……あはは。で、えーっと、俺って放っておくと危ないから見守らないとなーって思ってたり……する?」
こんなことを聞くのはすごく恥ずかしいが、勢いで聞いてみた。
「うん。その辺、マリーとも話が一致したよ」
「え、なにそれ?」
クロエとマリーの顔を交互に見る。
「だからぁ……」
クロエが近づいてきて、指で俺のあごをなでた。
「あっ……だから、駄目だって!」
「ほんと弱すぎ~」
クロエが笑った。
「こういう弱っちくてダメダメで、放っておくと悪い人に襲われて、しかもそれを喜んで受け入れそうなアリスを放ってはおけないじゃん。だから、マリーと私で守ることにしたの。ね、マリー?」
すると、マリーも頷いた。
「うん。やっぱり私はただのメイドだから財力も自由もないから、いざというときクロエが居てくれると助かるなって思ったの」
「え……俺、守られる側?」
ちょっとショックを受けて聞いた。
「まさか、守る側だと思ったの?」
マリーが本気の顔で聞いてきた。
たしかに……守る側にはいけそうにありません。
指でひと撫でされるだけで陥落する自信がある。
「あ、はい……自覚します……私は守られる側でございます……」
「ほら、言葉遣い。男言葉で言ってよ」
クロエがツッコミを入れてきた。
「勘弁して……。男言葉でこの台詞を言うと、けっこうきついんだから」
男の意地が壊れちゃうんで。
まじでプライドが打ち砕かれる。
ほとんど男のプライドなんて残っていないが、それでも心の奥底にわずかに男であるというプライドが残っている。
そこまで砕かれてしまうと、相当に落ち込みそうだ。
「うーん、しょうがないなぁ」
俺の葛藤を知らない様子で、クロエがニヤニヤ笑う。
「ま、まぁ……これからもお願いします」
恥を忍んで、頭を下げる。
「後は、私とマリー、どっちを選ぶかはよくよく考えてね」
と、クロエが気楽に言った。
いや、選べないだろ。
どっちを選んでも怖い。




