再び馬車の中
結局、クロエが言ったとおりにあちこちのアクセサリーなどを見て回った。
クロエは私が気に入ったイヤリングや指輪をたくさん買ってくれた。
私はそのたびにクロエにキスしようとしたが、クロエが恥ずかしがったのでやめておいた。
そして、店を回っている間に遅くなってしまい、結局甘味処によれずに終わった。
今は、来たときと同じように貸し馬車の中だ。
「この馬車は乗り心地もいいね」
と、指を絡めたクロエの手をにぎにぎしながら言った。
「そ、そうね」
なぜかクロエが困った顔で答える。
「で、どうすればいいのかしら、アリスは」
クロエが私を無視して、マリーに聞いた。
ちょっと、なにそれ。
「私だってわかりません。あのときは一瞬だけだったんだけど、これだけ長いままこんな状態なんて……」
「こんな状態でばあやに見せたら、一発でばれるわ。雰囲気が違いすぎるもの」
二人で変な話をしている。
なぜ私を無視するのか。
「ちょっと、何を話してるの!? もう、私にも聞かせてよ」
すると、マリーがおずおずと話を切り出した。
「ね、ねぇ、今何かおかしくない?」
「おかしい? なにが?」
私は首をかしげた。
「身体の感じとか、気分とか……」
「別に……。あぁ、そういえばいつもなんとなく感じてる違和感が今日は感じないかも。身体の調子がいいみたい」
うれしい気分になって、クロエに体重を預ける。
「うわ」
クロエがそんな声を上げるが、特に嫌がってはないので、そのまま身体を寄せる。
「で、なんだっけ?」
マリーに視線を向けると、マリーはなんともいえない顔をした。
「か、身体の調子がいいの?」
「うん。普段はなんか馴染んでないような感じがあるんだけど、今日は全然そんな感じがしないの。うーん、なんでだろう?」
本当に何でだろう。
逆に言うと、これまではなんであんなに違和感があったんだろう。
「ちょ、ちょっと、アリスごめんね」
マリーが立ち上がって、身を乗り出してきた。
「え、なに?」
「ちょっとだけ、背中を見せて」
「は?」
意味が分からないけど、とにかくクロエの手をつかんだまま身体を少しだけひねった。
すると、マリーが私の背中に手を伸ばしてきて指をなぞらせた。
「ふわっ……」
背中から広がる刺激が熱のように感じられ、温泉につかっているようなぽかぽかな気持ちになった。
そして、ちょっとビリッとした。
「あ……反応違ってる」
と、マリーがつぶやく。
「そう? あ、そういえば、靴屋さんで触られたときは、視界がチカチカする感じだったけど、今はビリッとする感じかな。っていうか、あんまり触らないでよ……」
もう一度席にきちんと座り直して、クロエの手を強く握る。
「しかも、反応薄いし……」
マリーが釈然としない顔で席に座り直す。
「私もさっきの方が好みかな。あっちのほうがいじめて楽しそうだもんね」
と、クロエが笑いながら言う。
「い、いじめるって、そういう変なことを言わないでよ」
そう言い返すと、クロエがじっと私の顔を見て、唇を近づけてきた。
私はそのまま目をつむると、唇になにか触れた気配がしたが、なにかおかしいので目を開けると、それはクロエの指だった。
「ちょっと、クロエ、それ酷い」
私が抗議すると、クロエが軽く笑った。
「ふふふ、まぁ、これはこれでかわいいけどね」
と言ってから、不意に深刻そうな顔をした。
「あー、どうしよう。どうやってばあやに言い訳しよう。そもそも、アリス、元男なんでしょ? そんなことをばあやに言ったら、大騒ぎになるわ。キスしちゃったし」
と、クロエがだるそうな顔で言う。
「そうよ!」
マリーが大声を出した。
「元男! アリス、あなた元男なのよ! それを思い出して!」
マリーが私の顔を見て言った。
ん、男?
「え、私が?」
「そうよ」
「え……男?」
男……
男……
男……?
え……?
「ごめん、マリーの言いたいことがよく分からない」
マリーの言うことの意味が分からなすぎて、困った顔で言い返した。
「ちょっと! アリス、他の世界から来たんでしょ!?」
「えーと……」
言われてみるとそんな気がするが、しかし記憶がよみがえってこない。
「多分……?」
「多分じゃないでしょ! それに、元男だったって言ってたでしょ?」
「は? 男って? 私が男? ないない」
私はクロエの手を握っていない方の手で否定のジェスチャーをした。
「もう、ちょっと!」
マリーが怒っている。
本当に意味が分からない。
「ねぇ、やり方を変えてみない? アリス、昨日うちの館に来たことは覚えている?」
今度はクロエが俺の顔を見た。
あー、クロエ、好き……。
「お、覚えてるよ。クロエと会えて、本当によかった」
するとクロエも顔を赤くした。
「そ、そういうこと言わない! その前にサロンにいたわよね?」
「サロン……うん、えーと、アルフォンスと居た……」
「そのとき、他の誰かと話をしていなかった?」
「あぁ、ダニエル? たしかダニエルと話をしていて、そしていつの間にかオークションが始まって……最後にクロエが私を買い取ってくれて……」
クロエの手をぎゅっと握る。
「か、買い取ってないわよ! 人を人買いみたいに言わないで!」
クロエの声が裏返る。
そんなクロエもかわいい。
「ほら、思い出して。その前、ダニエルっていう男と何を話していたの?」
何を?
なにかいろいろ話していたけどが、そういえば、男が好きか女が好きかとか聞かれたような?
なんでそんなことを聞かれたのかな?
「ん……あれ?」
「そう、そこ。思い出して」
マリーが横から顔を出す。
ええっと……
そうだ。
元男から女になったからそれがどういう感じかという話だったっけ。
え、元男?
私が?
マリーも言ってたけど、そんな変な話……
でも、自分でも言ってたわけだよね。
ん……
ん……
んん?
「んんん!? ぬがぁっ! ち、畜生! おい、危ねぇ! 危なすぎる! おいおいおい!」
顔を上げると、クロエとマリーが驚いた顔をしていた。
「アリス!」
マリーが俺に抱きついてきた。
「うわっ」
「よかった! 戻ったんだ!」
「あ、あぁ! そうなんだ! び、びっくりした! 二重の意味でびっくりした!」
俺はクロエの手を離して、自分の胸の上に手を置いた。
心臓の鼓動を感じながら、少し気を落ち着ける。
「どうしたの?」
マリーが俺の顔を見る。
「め、迷惑をかけてごめん。えーと……二回びっくりした。まず、自分が元男だと思い出してまずびっくりした。そして、なりきっていた自分に対してなんでそこまで女になりきれるのかとびっくりした」
説明してから息を吐き出す。
もう……なんだこれ?
「そうなんだ。とにかく、よかったー!」
マリーが俺を抱きかかえて、俺の頭をなでた。
「あぁ……」
気持ちよくて気が遠くなりそうになる。
って、また女モードに戻っちゃうじゃんか!
「だ、ダメダメ! 不安定なときにそういうことしないで!」
マリーを引き剥がして、席に座りなおす。
クロエは俺を見てあっけにとられている。
「ご、ごめん……なんか、迷惑をかけた」
「も、戻ったの?」
クロエが緊張した顔で聞いてくる。
「ああ」
「え、でも、昨日のアリスと違う気が……」
とクロエが俺を指さす。
「あー……そっか、クロエには混在モードしか見せてなかったからそう見えるのか」
「なにそれ?」
クロエが首をかしげる。
今更な気もするけど、クロエにも説明しておこう。
「えーと……さっきの状態がいわゆる『女モード』ね。外面も女になるし、思考も女になる。あそこまで深かったのは初めてだけど……まぁ、ああいう感じ」
「う、うん」
クロエがぎこちなく頷く。
「今が俺が言うところの『男モード』。行動も言葉も男になるし、思考も完全に男だ。これはクロエに見せたのは初めてだね」
「う、うん」
クロエがまた頷く。
「昨日はずっと『混在モード』というか『中間モード』とでもいうのか、外面と言葉はほどほど女にしつつ、思考はできる限り男を保ってるモードなんだ。まぁ、時々女方向に振れちゃうときもあるけど、『女モード』ほど極端になることはないんだ」
「そ、そうなんだ。で、今が『男モード』ってことね。へ、へぇ……これが本当なんだ。たしかになんか振る舞いも言葉もちょっと男っぽいかも」
と、クロエが俺の姿をじろじろ見る。
「はぁ……危なかった」
俺はため息を吐いて、背もたれに体重を預け直した。
すると、クロエが手を出してきた。
「ん、なに?」
「握って」
「え、なんで?」
「いいから」
よくわからないが手を握ると、クロエが指を絡めようとしたのであわてて手を離す。
「ちょっと、それなし」
「え……こんなに変わる物なの?」
と、クロエが聞いた先は俺では無くマリーだった。
「そうみたい。私もこんな極端なのは初めて見るけど……」
「って、もうちょっとでうちに着くじゃないの! その言葉遣いをなんとかしてよ」
と、クロエが思いだしたように焦った声を出した。
「あ、あぁ。えーと、私は女……」
すると、マリーが俺の頭を叩いた。
「痛! なにするの!」
「それ駄目でしょ!?」
マリーの目が真剣だ。
そういえば、『私は女』は女モードになる自己暗示だった。
いかん!
「あ、ごめん。えーと、俺は女……のふりをする。ふりをする……」
いや、違うって。
混在モードは自己催眠かけちゃいけないんだ。
普通にこの状態のまま、無理矢理演技をするんだ。
「あーえー、うー……はい、女言葉を使います。これでいいでしょうか」
「なんかぎこちないわね。昨日はもうちょっと女ぽかった気がする」
クロエが難しいことを言う。
「そう言われましても、そういう微妙な調整はむずかしいっす」
「あ、今男言葉混じった」
マリーが指摘をした。
いかん、気を緩めすぎた。
「あー……うー……むー……ええっと、私はメイドでございます。お嬢様、なにかご用がおありでしょうか?」
ぎこちないながらも、クロエに向かって営業スマイルを向けた。
「ええ、あるわ」
「なんでしょう」
「手、握ってくれる?」
クロエが無造作に手を差し出した。
「え……」
その手を握ると、クロエはまた指を絡めてきた。
今度は避けずにそのまま受け入れる。
指からぞわぞわっと言う感覚が伝わってくる。
変な気分だけど、嫌な感じでは無い。
「そ、それからなにかありますでしょうか?」
「そのまま私の横でじっとしていて」
クロエが窓から外を眺めながら言った。
「はい……」
俺はクロエがもぞもぞ指を動かすのをくすぐったく感じながら、じっとしていることにした。
ただ、マリーの微妙な表情が怖かった。
なにこれ……。




