マリーは離れない
ちょっと時間が空いたのでマリーに謝ろうと思ったが、厨房にもゲストルームにも居ない。
もしかしてと思って、マリーの部屋に入ると、マリーは珍しく自室に居た。
日記を書いているようだった。
「マリー、今いい?」
「ん、いいよ」
マリーが日記の文章をキリのいいところまで書いてから、こちらに向き直った。
「仕事中に自分の部屋に居るのはめずらしいね」
「まぁ、たまにはいいでしょ」
と、マリーが小さく笑った。
よし、雰囲気は悪くない。
ここで謝ろう。
「あの……本当にごめん」
「どうしたの?」
マリーがキョトンとした顔をする。
「キスしないって約束したけど、昨日の夜コレットに押し倒されてキスされちゃってさ……」
「あ」
マリーがつぶやく。
その小さなつぶやきがとてつもなく怖い。
「そ、それから、めちゃくちゃ言いにくいんだけど、ついさっき、レベッカがせまってきてさ。コレットにしたのになんで自分は駄目なんだーとか言って」
「へぇ」
マリーの言葉になんの感情もこもってない。
すごく怖い。
「で、ちょっとだけ……。俺からキスしたわけじゃ無いけど、レベッカに一瞬キスされちゃって。ほ、本当にごめんなさい。どんなに謝っても許してもらえるとは思ってないけど」
「そう」
マリーがゆっくりと立ち上がる。
今のこの体では、マリーの方が身長が高いし、力もマリーの方が強い。
暴力を予見して構える。
しかし、マリーは俺の頭に手を乗せて、なでただけだった。
「マ、マリー? っていうか、男言葉使ってるときに撫でられるのも変な気分で……」
しかし、マリーはねっとりと俺の頭をなでる。
あ、駄目これ……
やっぱり、男モードだろうが女モードだろうが混在モードだろうが、頭を撫でられるのは気持ちよすぎる。
「アリスは悪くないよ。私の言い方が手ぬるかったみたいね。ほんと、あの二人、アリスのこと、なんだと思ってるの?」
その瞬間、マリーの言葉がどす黒く感じられた。
思わずヒヤッとする。
しかし、頭をなでられているので、逃げるに逃げられない。
「マ、マリー?」
「うん、わかってるよ。アリスは優しいもんね。あの二人に強引に迫られたら断れないもんね。悪いのは、あの二人……」
「お、落ち着いて……」
「アリスは黙っててね?」
「は、はい……」
こ、こえええええ
「アリス、まだ仕事あるの?」
マリーが俺の頭をねっとり撫でながら、笑顔で聞いてくる。
その笑顔が怖い。
「べ、別に急な用事は無いけど、一応窓拭きとかしようかなと……」
「うん、わかった。私も手伝うね」
「あ、ありがとう」
マリーは身だしなみを整えて、俺と一緒に部屋を出た。
雑巾とバケツを引っ張り出してくる。
マリーも手伝ってくれて、一緒に窓を拭き始めた。
「マリー、手伝ってくれるのはうれしいけど、マリーは逆側からやった方が早いんじゃ無い?」
二人でやるなら、1カ所で固まるより別々にやった方が楽だったりする。
「私はアリスのお目付役だから、それは駄目」
「そ、そう?」
よくわからないが、拒否できる感じでは無いので、そのまま窓拭きを進める。
「でも、そんなに俺と一緒に居られないでしょ。マリーの仕事があるんじゃないの?」
「そうね。給仕の時だけは一緒に来てね」
「わかった……」
基本的には俺がやっているのは掃除とか雑用なので、どうしても今日中にやらないとまずいというものは少ない。
マリーに合わせて行動しても問題は無いだろう。
メイド長のような者がいれば、そんなことはゆるされないだろうが、この屋敷にはそんな人物はいない。
執事のガストンもメイドの行動にいちいち口を出すような人ではないので、かなり自由だ。
「こういうときにレベッカがアリスに近づいているわよね」
と、マリーが周りを伺う。
「うん。知ってたんだ……」
「知ってるわよ、それくらい」
とマリーがつぶやく。
いろいろ監視されていたようで、なんか怖い。
すると計算したように、レベッカが向こうからやってくる。
「ほら来た」
マリーがつぶやく。
レベッカが近づいてきて、自然な仕草で俺とマリーを見た。
「あれ、珍しいじゃん。マリーとアリスが一緒に掃除してるなんて」
「ええ。一緒に仕事することにしたの。だって私たち恋人同士だし」
そのマリーの言葉に、ほんの一瞬だけレベッカの表情が変わったが、すぐにもとの自然な表情に戻った。
「うん、そうよね」
「だから、できるだけ一緒に居ることにしたの。変な虫がつかないようにね」
「そっかー」
レベッカが笑顔で返す。
もちろん、マリーも笑顔だ。
怖い……
めっちゃ怖い……
心臓に悪い。
「そ、そういうの、やめてほしいんだけど」
思わず口に出すと、レベッカとマリーが俺を見た。
「あぁ、アリスこういうの苦手なんだ?」
なんでもない口調でマリーが言った。
「苦手なんじゃ無い? 男だし」
とレベッカが言う。
「に、苦手だよ。二人、普通に仲良かっただろ……?」
「仲、いいわよね?」
「悪くないわよ」
とマリーとレベッカが平然と言う。
「なんか……怖いんだけど」
「あのね。私、別にレベッカやコレットが嫌いなわけじゃ無いの。でも、放っておくとアリスにちょっかい出すからこうやって見張ってるの」
マリーがオープンに語る。
それを聞いたレベッカの表情が緩む。
やはりさっきまでの笑顔は作り笑顔だったらしい。
「そうね。それくらいあからさまに言ってくれ方が、私も楽かな。でも、おこぼれぐらいもらってもいいんじゃ無い?」
レベッカが不敵な笑みをマリーに向ける。
「駄目に決まってるでしょ。まるごと持って行くに決まってるんだから」
マリーも不敵な笑みをレベッカに向ける。
「信用無いなぁ」
とレベッカが笑う。
でも、目が笑ってない。
「とにかく私が見張ってるから、ほどほどにしてよ」
「分かったよ」
レベッカがそのまま通り過ぎていった。
「こ、こええ…………」
俺はかなりのショックを受けながら、レベッカを見送った。
「そう?」
マリーが軽い感じで聞いてきた。
「いや、怖いって。喧嘩するなら正面から喧嘩してくれよ。ああいうのが一番怖いよ」
「へぇ、そうなんだ。ほんと、アリスは気が小さいね」
マリーがニヤニヤと笑う。
む、男モードで居るときにそういうことを言われると、ちょっと腹が立つなぁ。
「あ、そろそろお昼ね」
マリーがぞうきんを絞って、バケツにかける。
「給仕があるから、ついてきてね」
「う、うん……」
抵抗する気にもなれず、俺はマリーについて行った。




