男モード・女モード・混在モード
廊下を歩いて行くと、マリーが横からついてきた。
「ねぇ、アリス、この後私の部屋に来ない?」
「でも、さっきレベッカを心配させたまま来たから、一言声をかけておかないと」
「それは私が言っておくから。いいから、私の部屋に先に行ってて」
マリーは言い聞かせるように俺に言うと、厨房に向かって駆けだして行った。
「あー……ま、いっか」
言われたとおりに、マリーの部屋に入る。
マリーの部屋には椅子が無いので、ベッドに腰を下ろして待つ。
こうして男っぽく振る舞っていると、感覚がどんどん変わっていくのが分かる。
すごく大事なことなので、一人でゆっくり考えたかった。
でも、マリー相手に話しながら考えるのも悪くない。
俺一人では自分自身の感覚は分かっても、他人からどう見えているか分からない。
そう考えて待っていると、マリーが部屋に入ってきた。
「よかった、こっちに居て」
マリーはちょっと荒く息をしている。
走って戻ってきたようだ。
「ん? どうしたの?」
「自分の部屋に戻ってこもっちゃわないか心配で」
俺がやりそうな行動を読まれていたらしい。
「ははっ……気づかれてたんだ。本当はその気だったけど、ちょっと話してみようかなと思い直してさ。いろいろ整理したいし」
「そっか」
マリーが俺の隣に座った。
そして、マリーがじっと俺を見つめてきた。
「ん……な、なに?」
聞くと、マリーが不思議そうな顔をした。
「やっぱり違うね……」
「なにが?」
「だって、いつもなら見つめたりすると顔を赤くしたり目をそらしたりするじゃん」
「え、今だって恥ずかしいけど」
実際、見つめられるとちょっと恥ずかしくはある。
でも、確かにこれまでほど過敏な反応はしていない。
「うーん……男言葉を使うだけでそんなに変わるんだね」
マリーが不思議そうに俺の顔をじーっと見てくる。
さすがに照れくさいので顔をそらす。
とはいえ、いつもとはちがって素っ気ない動きで顔をそらしているのは、自分でも分かった。
たしかに挙動もなんか変わっている。
「そう……みたいだね。自分でもよく分からないけど、男言葉を使っていると冷静さ……いや、理性が強く働いている感じなのかもしれない。いつもだと、感情が先走って勝手に身体が動く感じなんだけど、今は自分の意思で動いている感じがある」
そう説明すると、マリーは少し間があってからゆっくり頷いた。
「うん、そういう感じだよね。いつものアリスってすごく無防備だけど、今はあんまりそんな感じしないかも」
「たしかに、理性が弱くなっていると無防備だろうね……」
そう返事してから、ちょっと怖くなってきた。
感情のままに動いて、端から見ても無防備って大分危ないじゃ無いか。
そりゃ、アルフォンスだってキスとかしてくるわけだ。
そして、それがこの屋敷内だからまだよかった。
外の世界でそんな無防備な姿だったらどんな目に遭っていたかわからない。
「今のアリスとさっきまでのアリスが違うのは分かるけど、ご主人様にキスされる前のアリスはどっちだったの?」
「え?」
マリーに聞かれてちょっと考えてみたが、よく分からない。
自分のモードについてまとめておいた方が良さそうだ。
「自分の心の中のことを説明するのは恥ずかしいんだけど……まぁ、マリーだからいいか」
「うん、私のこと信用して」
マリーが真剣な顔で頷く。
「ありがと」
そう返事すると、マリーが表情を崩した。
「今のアリス、なんかいい……」
マリーがニヤニヤしながら俺の顔を見てくる。
おい、さっきまでの真剣な顔はどこに行った。
ま、とにかく、話を始めよう。
「そうだなぁ……最初の時は、心の中は男だったはず。でも、男っぽく振る舞うとこの姿だとおかしいだろ? だから、振る舞いや言葉は女っぽくなるように気をつけていた」
「だよね。だから、なんかちょっと無理してる感があったんだね。私はその無理してる感じが気になって、守ってあげた方がいいかなって思ったの」
と、マリーが真面目な顔で行った。
そんなところを読まれていたのか。
「そうなんだ……ありがと」
「なんか、今のアリスに言われると照れちゃうな」
マリーがちょっと恥ずかしそうにする。
あ、このパターンは新しい。
「その状態に名前をつけるとしたら……うーん、演技? 混在? とりあえず、混在モードってとこかな。で、その状態で生活していたところでアルフォンスにキスをして……」
アルフォンスにキスされたときの記憶が蘇ってくる。
「う……」
「どうしたの?」
「いや……アルフォンスにキスされたときの記憶が……あのときは普通にすごくロマンチックだったのに、今考えると気持ち悪いのなんの……」
そう答えると、マリーが不思議そうな顔をした。
「そんなに感じ方変わるんだ……」
「変わる……みたいだね。俺自身でもびっくりだよ」
頭を振って忘れる。
考えたくない。
あーもー、考えたくない。
「と、とにかく、キスされた後は、なんか自分が男だって言う意識が薄れちゃったんだよな。そして、どんどん自分が普通の女の子だと思い込んでいって暴走した感じ……」
「そっか。だから、違和感を感じなかったんだ。身体は女の子で心も女の子だったら、すごく普通だもんね」
マリーが頷く。
「そ、そういうことかな……。俺としては、心が女の子になりきれることが意外なんだけど……いや、意外じゃ無いか」
そういえば最初から恋愛小説がすごく面白かった。
普通に最初から女の子の心を持っていた証拠だ。
「あれに名前をつけるとしたら……ベタだけど女モードかな?」
「それで、今は?」
マリーが俺の顔を見た。
「内面も男だと言うことを意識しながら、振る舞いと言葉も男にしてるから……男モードかな」
「わかりやすい」
と、マリーがクスッと笑った。
「とりあえず、この3モードがあるみたいだなぁ。といっても、別にきっちり分かれてる訳じゃ無いみたいだけどね。一番危ないのが混在モードだね。混在モードで男の意識を持っているつもりだけど、だんだん身体に引っ張られてどんどん女の思考になっていくのを感じたし……」
と、そこでアルフォンスに身体を触られたことを思い出した。
うわ、気色悪い。
あのとき、内心は男のつもりだったけど、結構女寄りになっていたに違いない。
今の男モードで考えると、あんなことあり得ない。
顔をしかめていると、マリーに顔をのぞき込まれた。
「どうしたの?」
「いや……な、なんでもないよ。ちょっと気色の悪いことを思い出してね」
適当に笑ってごまかした。
「そっか」
マリーが小さく頷く。
俺はものすごく久しぶりに男だと言うことを再認識して変な気分になっているけど、マリーの反応もいつもと違う。
男モードになってみても、やっぱりマリーのことはすごく大切なので、嫌われないか心配になってくる。
「あ、あのさぁ、本当のことを言って欲しいんだけど……この状態ってすごく変だったりしない?」
「え? なんで?」
マリーがキョトンとした顔をする。
「だって、自分で言うのもなんだけど、こんなかわいい見た目の女の子が、男言葉を使ったりがさつな動きをしてたら、すごく変でしょ」
「え、そんなことないよ。ちょっと待ってね」
マリーが台の上を漁って、手鏡を渡してきた。
「ほら、自分の顔を見てごらん」
渡された手鏡を見ると、そこに映し出された美少女は皮肉っぽい笑みを浮かべていた。
お……これ、なんかいいキャラだしてないか?
「あ、こ、こんな顔をしてるんだ」
軽く笑うと、自信満々な表情が鏡に映し出された。
うわ、ええキャラしとるで、この美少女。
「へ、へぇ……なるほど、こうなるんだ。今まで何度か鏡で見たことはあるけど、薄幸そうな顔ととろけた顔しか見たこと無かったよ。こんな不敵な笑みを浮かべられるんだなぁ……」
鏡を見ながらいろんな角度でどや顔していると、マリーに手鏡を取り上げられた。
「ちょっと自分の顔を見過ぎだよ」
「あ、そ、そう?」
本当はもっと見たかったんだが、仕方ない。
「でも、見惚れちゃうくらいいい感じでしょ?」
と、マリーが笑った。
「そ、そうだね。ちょっと自分でも驚いたよ。なんか、ここまで見事な皮肉っぽい笑いとか浮かべるとアニメのキャラっぽく思えるレベル」
「アニメってなに?」
マリーが首をかしげた。
「いや……説明が面倒だから、気にしないでいいよ。とにかく、男モードでもそんなに変じゃないね。ただ、どうみても男には見えないけど」
「でも、不良少女っぽくてちょっと格好いいよ」
と、マリーが言った。
たぶん褒めているつもりなんだろうが、あまり褒めているようには聞こえない。
「そ、そっか……」
「ねぇ、その状態で私にキスしてほしいんだけど……いい?」
と、マリーが遠慮がちに聞いてきた。
「え? キス?」
思わずマリーの顔を見る。
「こ、この男モードでキス? い、いつもと違って、なんか照れるかな……」
「それがいいの! ね、お願い!」
マリーが俺の手を握ってきた。
マリーの手の感触が伝わってきて、ちょっとドキドキする。
「わ、分かったけど……男モードって言っても、身長は俺の方が大分低いのは変わらないから格好つかないな……」
そうつぶやくと、マリーが笑った。
「私がベッドに座っているから、アリスが立てばいいじゃない」
言いたいことは分かる。
でも、それは……
「それは……コレットが俺にやったことの逆バージョン……」
「え? あー……コレットのやつ……」
と、マリーがつぶやいた。
俺はベッドから降りて、立ち上がった。
マリーと差し向かいになる。
「で……どっちからする?」
そう聞くと、マリーが笑った。
「アリスからしてよ。そっちの方が自然でしょ」
「う、うん」
マリーが目をつむる。
俺は息を吐いて気持ちを落ち着けてから、その唇に俺の唇を重ねた。
壊さないように、ゆっくりと優しく。
そして唇を離すと、マリーが目を開けて笑った。
「え、それが男のアリスのキスなの? もっとがっつり来るのかと思った」
「いや……むしろマリーのことは大切にしたいと思ってさ」
そういう発言が気恥ずかしくて視線をそらす。
すると、マリーがガシッと俺の両肩を掴んだ。
「え?」
マリーに視線を戻すと、マリーがすごいニヤニヤ笑いを浮かべていた。
「私にそういう手加減は不要ですよ、アリス君。じゃあ、私からやるね」
「え、ちょっと待……」
肩を抱き寄せられて、吸い付くようなキスを押しつけられる。
「んむぅぅぅ!!!」
抗議の声を上げるが、マリーは俺の身体をガッシリ掴んで唇を押しつけてくる。
やっぱりこうなるのかーー!!
「ぅぅ……ぅぅぅぅ……」
弱々しく抗議の声を上げながら半ば諦めていると、マリーが舌を割り込ませようとしてきた。
「んむぅぅぅ!!」
さすがに全力で抗議の声を上げて、マリーを剥がした。
剥がされたマリーは不満そうな声を上げた。
「え……なんで? いいでしょ?」
「い、いや、良くないから! 男モードでも身体の感度は全く同じだから! 舌入れるのは絶対に駄目!」
舌を入れられそうになった瞬間、すごくやばい感じがした。
「えー……いいじゃん。私たち恋人同士でしょ?」
と、マリーが指を絡めてきた。
指先からぞくりとした感覚が上がってくる。
「ひゃっ……そ、そういうこともほどほどにしてってば……刺激が強いからだんだん理性が弱まってくのを感じるんだよ……」
マリーが絡めた指を動かす度に、頭の中がふにゃふにゃになってく。
「そっか。気持ちよくなっちゃうと、どんどん女の子になっちゃう訳ね」
と、マリーが平然という。
「そ、そういう台詞を言わないでよ。ああもう、恥ずかしい」
「あ、本当だ、なんかちょっと女の子になってきてる……」
マリーがまじまじと見つめてくる。
顔が赤くなってくる。
あ、これ、前と同じパターンだ。
「ぬがぁっ! 違う違う!」
マリーから手を離して、自分の顔を強く叩いた。
顔が痛い!
しかし、心がしっかりしてくる。
「マ、マリー……頼むからほどほどにして欲しいんだよ。この身体、知ってるとおり敏感だから、ちょっと変なことをされるとすぐに身体の方に流されちゃうんだから。俺としてはその制御が効かなくなる感覚が怖いんだ」
「そうなんだ」
と、マリーが少し考える仕草をする。
「そっかぁ。じゃあ、アリスが男モードですごく男の子っぽく振る舞っているところを、いろいろいじってだんだん女の子にしていって堕とし尽くすっていう楽しみ方も出来るんだね」
マリーが冷静な顔でつぶやいた。
おい……
真面目な顔で何言ってはるんですか。
マジで引くわ。
「マリー……怖いこと言わないでくれる? 冗談でもそんなことしないでね」
「でも、純粋に楽しいと思うよ。アリス、とろけたときの感じすごくかわいいし。そこに男の子っぽい感じとのギャップが加われば最高だと思う」
マリーが真顔で頷く。
「マリー……案外上級者だね……」
「上級者?」
マリーが首をかしげる。
だめだ、突っ込みが間に合わない。
隠れドSだとは思っていたが、素質がありすぎる。
「と、とにかく、そういう冗談はやめてほしい。そういうことを勝手にやったら、普通に怒るからね」
「分かったよ、もう。本当にアリスは焦らすのがうまいよね」
と、マリーがわざとらしくほっぺを膨らます。
その仕草はちょっとかわいいけど、危険なことに変わりは無い。
「本当に危ないから言ってるんだよ。この身体、俺自身でもわっけわかんないんだから、変な一線を越えたらどうなるかわからないし……」
「あ、あぁ、それが怖いんだ。なんだ……単純に恥ずかしいから駄目って言ってるのかと思ったよ」
と、マリーが苦笑いした。
そりゃもちろん、恥ずかしいのもあるけどさぁ。
どうもマリーもレベッカもコレットも、こういうことにタブー感がないなぁ。
困るんだよなぁ。
「とにかく、駄目だから」
「分かった。その日が来るまで我慢するよ」
その日は来ない。
来てしまったら困る。
マジで命に関わる。
「うん……そうしてください」
力なく返事をした。
「でも、これ以上私以外を誘惑しないでね。とくに、その男モードっていうのでレベッカとコレットに会わせたら駄目かも……」
マリーが眉をひそめてつぶやく。
「そうなの? でも、俺はできる限りこの男モードで居たいんだけどな。混在モードでもうっかり女モードになっちゃうから危ないんだ。女モードになると何をやるか自分でも予測がつかない」
「そっか。でも……」
マリーが考え込む。
「うん、決めた。ちょっと喧嘩になるかもしれないけど、私からレベッカとコレットに言っておく。だから、二人に近づかないようにしてね」
マリーが真剣な顔で俺を見た。
その真剣さが伝わってくる。
基本的にこの屋敷のメイドは仲がいいので、ちょっとしたいざこざ以外で喧嘩をしているのを見たことが無い。
でも、マリーが俺を独占するとなったら、絶対に雰囲気が悪くなる。
「え……いいの? それに、言うことを聞かないと思うけど」
「聞かせる」
マリーがビシッと言ったので一瞬怖さを感じた。
「こんな状態のアリスをレベッカとコレットに渡したら、絶対駄目だよ」
「駄目なわけ?」
「駄目だよ。最初の頃のアリスなら、ちょっと不思議な感じがする女の子って感じだったけど、今のアリスは……うん、だめ」
「そ、そうなんだ」
「とにかく駄目だから」
「わ、分かりました。じゃ、俺は自分の部屋に戻るよ」
「うん」
マリーの頬にちょんと軽いキスをして、俺はマリーの部屋を出た。
○作者のコメント
『男っぽくなるときもあれば女っぽくなるときもある』という程度のゆるい認識で大丈夫です。




