3日後の日常
あれから三日が経った。
あれからというもの、キスが日常になってしまった。
元男が少女3人にキスをする毎日。
なんてハートフルで夢に満ちた設定だろう。
字面上は。
実際は、かなりきっつい。
「あ~……疲れる~」
そんな独り言を言いながら厨房に入る。
皿洗いを頼まれていたので、腕をまくって皿が突っ込まれている水に手を突っ込む。
「冷たっ」
前の世界のような気の利いたスポンジなんてものはないので、ぼろ布みたいな物で皿をこする。
水道もないので、井戸から水壺に水を運んでくる必要があり、結構重労働だ。
それにしてもあの井戸水、時々生水で飲んでいるけれども、本当に大丈夫なのだろうか?
まぁ、お腹壊してないからいいか。
「あれ、アリス皿洗い?」
マリーがひょいと顔を出して、厨房に入ってきた。
「あ、うん」
水の冷たさを我慢して皿を洗っていく。
日本ならお湯が出たのに、そういうところがちょっとつらい。
手の手入れは気をつけているので、今のところそれほど荒れずに済んでいる。
「マリー……助けて……」
洗いながらつぶやくと、マリーが振り向いた。
「どうしたの?」
「毎日キスを強要されてるんだけど……正直、すごくつらい」
「レベッカね……」
と、マリーがため息を吐いた。
「うん……。この前なんか、ニラの匂いをさせながらキスを強要された」
「あーあ」
マリーが気の毒そうな表情を向けてくる。
皿を洗い終わって、手を拭いて、厨房の隅の椅子に座り込んだ。
すると、マリーが近寄ってきて、俺の頭を撫でた。
「よしよし」
「うぅ……子供扱いするなよー」
「はいはい」
マリーがぽんぽんと俺の頭を撫でる。
なんか最近すごくマリーに甘えてしまっている気がする。
い、いかん!
もうちょっとシャキッとしないと!
で、でも、気持ちいい……
「すっごい幸せな顔をするから、撫でてて楽しいなぁ」
とマリーが言ったので、慌てて表情筋に力を入れた。
「そ、そんな顔をしてる?」
「うん、してる」
「そ、そう……」
「で、どうしたって?」
マリーが俺の頭をなでなでしながら聞いてくる。
「えっと……というか、まずマリーは私が他の人とキスをしていて怒らないの?」
「ん~、恋愛感情でやってるんじゃなければ許せるかな。ちょっと妬いちゃうけどね」
と、マリーの手に力がこもる。
うわ、なんかなで方に気持ちが入っている。
「れ、恋愛感情なんかじゃないよ。ほら、ここって閉鎖空間で娯楽が無いでしょ。だから、私をおもちゃにしてるんだと思うんだ」
「ん~、たしかに楽しみは少ないかもね。でも、メイドなんてそんなものでしょ? むしろ、うちはよそのお屋敷よりずっと自由だよ」
と、マリーが不思議そうに言う。
たしかにこの感覚は他の世界から来た自分にしかわからないかもしれない。
ゲームも漫画もアニメもネットも、今思えばなんでもあった世界と比べると、この世界はとても娯楽が少ない。
レベッカもコレットも他に娯楽があれば、あんなに俺に執着しないと思う。
「説明は難しいし、分かってもらえないかもしれないけど……この世界は結構退屈だからさ」
「そうなの?」
マリーが不思議そうに首をかしげた。
「でも……ほんと勘弁。とくにレベッカが本当にきつい」
「なにされたの? ほらほら、お姉さんに話してみなさい」
マリーが頭をぽんぽんと叩きながら聞いてきた。
「マリー、叩くより撫でて欲しい」
「わがまま娘め~」
マリーがちょっとふざけた口調で頭を撫でてくれる。
「気持ちいい~。えーと、レベッカがね、いっつも廊下で会うといきなりキスしろって言ってくるんだよ」
「それは見たよ」
「しかも、嫌がると後輩なんだから従えとか言うんだよ? 酷くない? 普段みんな上下関係とか全然気にしないのに」
「あー、それはレベッカが……」
と、マリーが言いかけて口をつぐんだ。
「ん?」
「別に。それでなに?」
「えーと、それで散々私のことを煽ってくるから、いっつも私が切れてレベッカが嫌がるようなキスをするわけ。そうしたら怒ってどこかにいくんだけどさ。次に会うとまた要求してくるんだよ。なにあれ、もー」
「あー……なるほど」
マリーが一人で納得して頷いている。
そして、ちらっと俺の顔を見た。
「それにしても……ずいぶんと抵抗しなくなったね」
「へ?」
「最初にキスした時って、もっと緊張してたのに、最近はずいぶんと私に気を許してくれてる気がする」
と、マリーがちょっと笑った。
「え、その……話をちゃんと聞いてくれるのがマリーだけだからさ……。レベッカはあんなんだし、コレットもああみえて強引だし……」
ちょっとだけ顔がほてってくる。
毎日接するうちにだんだんとマリーの好感度が上がってきている。
こういう好きになり方もあるんだなぁ、と感じている。
もちろん恥ずかしいので、マリーには言えない。
「あらあら、じゃあレベッカにも感謝しなくちゃね。レベッカのおかげでアリスが私になついてくれたようなものか」
と、マリーが頬をペタペタ触ってくる。
「そ、そこまでされるとさすがに恥ずかしい! 頭ぐらいにしておいてよ」
「え? 意外とガードが堅いね」
マリーが意外そうな顔をして、頬から手を離した。
「だ、だいたい……一応元男なんだから、女の子に頭なでられて喜んでるとか……なんか、あれじゃん? 気持ちよすぎて抗えないけど」
「意地張っちゃって」
マリーが頭から手を離した。
途端に喪失感を感じる。
もっと撫でてもらいたい。
い、いや、それはさすがに恥ずかしくて言えない。
「あ、ありがと。ちょっと気分が楽になった」
我慢してそう答えた。
「コレットはどういう感じなの?」
と、マリーが聞いてきた。
マリーはもう俺の頭を撫でる気を失ったらしく、水壺の水で手を洗っている。
手を洗っているのは別に他意は無いと思うのだが、俺の髪の毛を触ってから手を洗っていると思うと、なんか汚いと言われている気がしてしまう。
そんなつもりはないのだけれど、ついそんな風に思ってしまう。
あーもー、なんだこの繊細な気持ちは!
考えすぎだって!
「え、えーと、コレットはね……コレットは……めちゃくちゃ長時間のキス」
「長時間?」
「いつも寝る前にやってくるんだけどさ。キスをして欲しいってねだるから、キスをするんだけど、ずっと私に吸い付いてくるんだよね。途中で離すと怒るからずっとやってると、10分とか経ってる感じ」
「あー、コレットらしい」
マリーが納得している。
「わ、笑い事じゃ無いよ! 口が引きつるレベルなんだけど! あんまりにも暇だから、キスしている間に横目で本を読もうとしたらすっごく怒られた」
「それは怒るでしょ」
と、マリーが笑った
「だって、本当に長いんだよ」
「私はコレットの方はそのうち収まると思ってるよ。レベッカは……ちょっとわからないけどね」
と、マリーがちょっと肩をすくめた。
「じゃあ、私はゴミを燃やしに行くけど、レベッカには気をつけなさいよ」
「うん」
マリーが厨房を出て行った。
それを見送ってから、そっとマリーに感謝をした。
もし、この屋敷にレベッカとコレットしか居なかったら、俺はきっともっと絶望的な気分で毎日を過ごさなければならなかっただろう。
事故で恋人になってしまったようだが、結果的にはすごくいい感じだ。
もしかして……ついてる?
 




