戻ってきたバロメッシュのお屋敷
そして、その二日後、俺とマリーはバロメッシュ家の屋敷の前に立っていた。
古めかしいが立派な正門、微妙に手入れが行き届いていない庭、屋敷の形。
ここを離れていたのは二、三ヶ月のことだったはずだが、そのすべてが随分と懐かしく感じた。
「やっと戻って来れた……よかった……」
俺がそう呟くと同時に、自分とマリーを乗せてきた馬車はガラガラ音を立てながらまた走り出した。
屋敷の玄関口の所に、レベッカとコレットが立って待っている。
手を振ると、レベッカが早く来いと手招きをした。
一歩踏み出すと、屋敷の中から出てきたアルフォンスの姿が見えた。
「アルフォンス!」
荷物を持ったまま走り出すと、アルフォンスが手を広げた。
そのまま駆け寄って、荷物を手放してアルフォンスに勢いよく抱きついた。
荷物が地面に落ちてドタンという音がした。
「帰って来れた!」
「そうだな! 俺も心配したぞ!」
そのまま抱き合ってから離れると、レベッカとコレットが俺の方を見ていた。
「早速見せつけてくれちゃって」
「うらやましいです」
う……ちょっとテンションが高すぎたかな。
アルフォンスをもう一度見ると、アルフォンスが「うっ」という困った顔をしていた。
ん?
「と、とにかく中に入ろう」
「ど、どうしたの?」
なんかいきなり素っ気ない……と思ったらアルフォンスがぼそりと呟いた。
「向かいの家の執事さんとメイドさんがみんなこっちを見ているんだ……」
「あ……」
そういえばこの辺りはいわゆる高級住宅街だった。
やばい。
俺も恥ずかしくなってきた。
◇
屋敷の中に入ると、アルフォンスが人目を気にしなくなったのかやたらボディタッチをしてきた。
背中とかお尻をやたら触ってくる。
「ちょ、ちょっと……び、敏感なんですから」
「結婚するって決まったんだからいいだろ」
「嫌とはいいませんけど……。その……いろいろご心配をかけました」
「とにかく着替えてから俺の部屋に来てくれ」
「はい」
そんなことを言いながら廊下を歩いていると、変な視線を感じた。
後ろを振り向くと、マリー・レベッカ・コレットの三人がじーっと俺を見ている。
うわ……怖い。
そういえば、ここはここでそういう問題があるんだった。
また全員からぐちゃぐちゃにされる地獄の日々が始まるのだろうか。
だ、大丈夫かなぁ……。
とにかく、アルフォンスとよく話そうということで、
自分の部屋に行っていつものメイド服に着替えた。
そして、アルフォンスの書斎に行くと、アルフォンスは今か今かと自分を待っていた。
「ん……その服なのか?」
アルフォンスは俺の服を見て怪訝な顔をした。
「あ」
いつもの癖でメイド服に着替えてしまったが、未来の妻としてはおかしいだろう。
妻……自分で考えても頭がおかしくなる。
この自分がだれかの妻とか……。
「き、着慣れているものですから」
「ま、まぁ、いい。とにかくそこのソファに座れ」
「はい」
ソファに座ると、いつものようにアルフォンスが隣に座ってきた。
いつものセクハラポジションだ。
でも、結婚するわけだから拒否しちゃいけないかな?
ど、どう振る舞えばいいんだ。
うー……冷静になると自分が男だと言うことを思い出すというか……。
こ、困ったなぁ。
「あまり細かいことを聞いていないんだが、結局どうなったんだ?」
「あ、あぁ、そういえば話していませんでしたね」
ジスランさんの屋敷に居たときに起きたことや、エミリーさんについて話した。
エミリーさんを自分が雇うことについてはアルフォンスは特に異議が無いとのことだった。
よかった。
そして、エドワード王子がジスランさんを問い詰めて解放してくれたことを話した。
「あの狸じじい、王子まで引っ張り出してきたか……。だが、そのおかげで助かったな。王子にはなんとお礼を言えばいいか……近々お礼に行かないとな」
「はい。本当に助かりました」
「あの狸じじいと因縁が出来てしまったのは痛いが……お前が戻ってきてくれて良かったよ」
アルフォンスが背中から腕を回してきて、抱き寄せられた。
うっ……帰ってきていきなりって……こ、こういうの結構疲れるんだよ。
たしかにアルフォンスとあえて嬉しいけど、もっとこう……穏やかにさぁ。
「どうした? なんか固いぞ」
「そのー……これまではがんばって拒否していましたけど、これからはどういう風に振る舞えばいいんですかね? 今、け、結構困ってますけど」
「ん?」
「だから……変なところ触られたりしても、我慢しないといけないのかな。距離感が困るというか……」
「そんなこと、面と向かって聞かれてもな」
アルフォンスは手を離して、うーん、と唸った。
「なにもそこまで我慢しろとは言わない。嫌ならいやだと言ってくれていい」
といいながらも、気落ちした顔をした。
うー……男ってこういう所、繊細だよな。
自分も元男だから分かる。
「い、嫌じゃないですよ。でも、昼間ですし……。あー……朝っぱらからいろいろ触られたこともありましたっけ。でも、やっぱり、昼間ですし」
「んー……そうか。分かった。じゃあ、夜に改めてやろうか」
「い、いや、それも……。夜は……あぶないし……」
歯切れ悪く言うと、アルフォンスが不機嫌そうな顔をした。
こ、困ったぞ。
マジでどうすればいい?
今まで見たいに拒否できないし、かといってバッチ来いと言うほどの覚悟が……。
いや、いつか覚悟しないと行けないんだろうけど、この過敏さとか自意識の問題とかいろいろあって、すぐに覚悟を決めるのは難しい。
「そ、その……ゆ、ゆっくりと……」
俺が固くなって答えると、アルフォンスは意気消沈した様子で息を吐いた。
「おい、なんて顔をしてるんだ。別に取って食うと言ってるわけじゃ無いぞ」
「ちょ、ちょっと緊張しちゃって……」
あ、あれー……?
本当に難しい。
今までは強引に迫ってくるアルフォンスを拒否すれば良かっただけだけど、これからは歩み寄らないといけない。
でも、どう歩み寄ればいいんだ。
正直な話、かなり怖いんだけど。
俺が固くなっているのを見て、アルフォンスも萎えてしまったらしい。
さっきまでノリノリだったアルフォンスがつまらなさそうな顔をしている。
「……まぁ、疲れているだろう。今日は休め」
「は、はい。じゃ、じゃあ、あの、失礼します」
「あ、ああ……」
気まずい雰囲気で書斎から出た。
部屋に戻る気分じゃ無かったので、以前屋敷に居たときのように厨房に向かった。
いつものように料理人のフィリップが包丁で野菜を切っていた。
「おお、アリス、戻ったんだってな。タイミングが悪くて出迎え出来なかったけど、なんかいろいろあったそうじゃねぇか」
「あ、お、お久しぶりです。そうですね……いろいろありました」
「ま、大変だったな」
フィリップは細かいことを気にしない性格なので、特にそれ以上聞かれなかった。
面倒くさいことを説明せずにすんで助かる。
「そういえばナディーヌさんは?」
「マリーが戻ってくるから必要ないって休暇を取ったよ」
自分とマリーが居ない間、ナディーヌさんという熟練のメイドさんが仕事をしていてくれたのだが、自分たちが戻ってくると同時に休んだようだ。
それで姿が見えなかったようだ。
自分が屋敷を出る前と同じメンバーに戻っている。
「そういや、アリスはアルフォンス様と婚約したんだろ。メイドの仕事なんてしなくたっていいだろう」
「い、いえ、なんかしていたほうが気が紛れますから」
前のように料理の下ごしらえを手伝う。
やっぱり仕事をしていると落ち着く。
ある程度一段落付いたところで、レベッカが入ってきた。
「あれ……」
レベッカが目をぱちくりして俺を見た。
「あ、あぁ、レベッカ。さっきはちゃんと挨拶できなくてごめん」
「別にいいけど……。さっき書斎に行ったんじゃ無かったの? てっきり、ご主人様と仲良くやっているのかと思った」
「行ったよ。なんか……うーん……微妙な雰囲気になっちゃったけど」
「ええ?」
レベッカが顔をしかめた。
「アリスが私やマリーじゃなくてご主人様を取るのは仕方ないって諦めてるけど、どうしたの?」
「う、うーん……。今まではアルフォンスがガンガン来て、それを拒否してる感じだったけど……」
「拒否してたっけ?」
レベッカに真顔で聞かれた。
「い、一応。たまに理性が吹っ飛んでおかしくなったけど、基本的にはそれを拒否してたつもり。でも、いざ将来的に結婚するとなると、どうやって接していいかよくわからなくなって……」
「そんなの普通でいいじゃないの?」
「その普通がわからん~。本気で困ったぁ……」
若干男よりの言葉で返した。
すると、今度はコレットが入ってきた。
「アリス、お久しぶりです! キス! キスしましょう!」
顔を見るなり、いきなりキスをせがんできた。
「い、いきなりだね……」
「コレット、ずっとこうなのよね。アリスが居なくなってからずっと『キスしたい』って言ってるの」
「へぇ……。レベッカとコレットでキスしたりはしなかったの?」
そう聞くと、レベッカもコレットも「は?」という顔をした。
「そんな気持ち悪いことするわけないでしょ」
「ですです! そんなことしません!」
「え……。なんでどうなるの? 自分とのキスはいいわけ?」
「アリスは特別です。キスしましょう!」
コレットが唇をとがらせて近づいてくる。
「ちょ、ちょっと、困るって。アルフォンスと正式に婚約しているわけだし、こういうの困るよ」
「それとこれとは別です!」
「い、いや……困るから。ね、落ち着いて。ね、ね?」
全然納得しないコレットをなんとか説き伏せて、その場は切り抜けた。
これについては結婚を決めて本当に良かった。
コレットのキスは長すぎて怖いからな……。




