夢
目を開けると、なぜか自分はバロメッシュ家の自分の部屋にいた。
しかし、それを疑問に思うことなく部屋の外に出る。
そこは廊下だ。
マリーやレベッカがモップを持って真面目に掃除をしていて、コレットが窓の外で洗濯物を干すために身体を精一杯伸ばしているのが目に入った。
それをなんともなしに見ていると、どこからか女性のつややかな声が聞こえた。
「まぁ、アルフォンス様ったら」
「はは、……もなかなか言うじゃないか」
アルフォンスの声も聞こえたが、その女性を呼んだと思われる名前は聞こえなかった。
声がする方に向かって廊下を歩く。
そんなに距離が無いはずの廊下がなぜか無限に続いているような、そんな変な感覚を感じる。
どれだけ歩いたか分からないが、いつの間にか声が聞こえてくる扉の前に立っていた。
「それで、アルフォンス様、あのアリスというメイドはどうしますの?」
「あぁ、暇を出すさ。……が気に入らないんじゃ仕方ないな」
アルフォンスの声が聞こえた。
暇……クビって事?
なんで……?
扉に触れないのに、その扉が勝手に開く。
部屋の中にはアルフォンスの姿と、顔がはっきり見えない金髪の女性。
その二人が親しげに話している。
一目見ただけで分かった。
二人は恋人同士……いや、夫婦なのだ。
心臓をぎゅっと握りしめられたような苦しさを感じた。
絶望感。
「アルフォンスっ!!」
声を出した瞬間、目が覚めた。
◆
目をパッと開くと、マリーが上から覗き込んでいた。
「どうしたの?」
「あ、いや、なんでも……」
けだるげに身体を起こすと、マリーが首をかしげてこちらを見た。
「た、ただの夢……」
気まずく感じて視線をそらすと、マリーが首をかしげた。
「もしかして、エッチな夢?」
「ち、違うよ! そうじゃなくて、アルフォンスが……その……」
夢の内容を語るのが恥ずかしくて、言葉を止めていると、マリーが察した顔をした。
「……夢の中で振られた?」
「も、もっと悪くて……他の女と結婚してた……」
そう小声で言うと、マリーが一瞬ポカンとした顔をした。
「アリスもそういう夢見るのね。でも、気をつけないとそれ正夢になっちゃうけどね」
「え、なんでっっ!?」
思わず大声を出すと、マリーがちょっと驚いた顔をした。
「だって、ご主人様、貴族の長男だし、放っておけば縁談がどんどん来るわよ。アリスがあんまりなびかないとそのうち……」
「ええっ、嘘でしょ!? だ、だって、そんなこと今まで無かったし……。だ、だって、自分はアルフォンスのこ、婚約者だし!」
婚約者という言葉で顔が赤くなるのを感じた。
でも、それどころじゃない。
どういうこと!?
「ご主人様とアリスはそのつもりでも、ご主人様のお父様が放っておかないと思うし、あんまりアリスが意地張っていると、ご主人様も縁談で運命の人と出会っちゃうかも」
と、マリーが冗談っぽく少し意地悪そうな言い方をした。
「え、いや……そ、そんな……そんな……」
シーツをぎゅっと握りしめる。
気持ちを落ち着けようとするが、視線が小刻みに動く。
「アリス、冗談だってば。あの入れ込みようじゃご主人様もそう簡単にアリスを諦めないわよ」
「そ、そうだよね……よかった……」
それにしてもあの夢の絶望感は凄かった。
まだ心臓がドキドキしている。
「あ、あのさ……もしかして、自分ってあんまりのんびりしてたらまずい?」
真剣な顔でマリーを見ると、マリーは面食らったようで変な顔をした。
「だから、冗談だってば。そう簡単にあきらめないわよ。でも、アリスもあんまり余裕ぶっているとまずいってだけのこと」
「そ、そっか……」
落ち着かない気分で貧乏揺すりしていると、マリーが横目でちらっとこちらを見た。
「ご主人様のこと、好きなんでしょ?」
「うん……好き……」
好きという言葉がすっと心の中に染みこんできた。
言葉に出すことで再認識する。
「だったら一緒になっちゃえばいいのに」
「それは……その……元男だし、アルフォンスに申し訳ないかなと」
「ご主人様も最初のことは気にしていたみたいだけど、最近は完全にそんなことどうでもよくなってるわよ」
「そ、そうだね……でも……」
「でも?」
「元の世界に帰る手段があるかもしれないじゃん……。結婚するって決めた直後に帰れるってなったら困るし……」
「そっか、それは確かにね……。そんなことになったら、ご主人様荒れるだろうな」
と、マリーがため息を吐いた。
「でしょ? だから、そういうことを考えるとやっぱり結婚はないなって思うんだよ。そもそも自分は一応男のつもりだし……」
「男ねぇ……?」
マリーが苦笑した。
「でも、アレは嫌だ! アルフォンスが他の女と結婚とか……う゛う゛う゛」
唸っていると、遠慮がちに扉を叩く音が聞こえた。
俺とマリーが言葉を止めて扉に視線を向けると、扉がギーッとゆっくりと開いて、エミリーさんが扉の影から顔だけ出した。
「あの……取り込み中ですか? なんなら後にしますが……」
「あ、いいんですよ。なんですか?」
マリーが崩れた髪を手で整えながら、エミリーさんに笑顔を向ける。
朝から爽やかな笑顔を出来てマリーは偉い。
「あ、はい……。アリスさん、昨日は本当にやり過ぎてしまって申し訳ありません……。自分でも悪乗りしちゃったかなとは思っています……」
エミリーさんが精一杯身体を小さくして、自分に向かって頭を下げる。
そういえば、昨日は縛られて酷いことをされかけたのだった。
「分かってくれてるならいいですけど……あれはやり過ぎでした。まぁ、いいですよ」
正直なことを言うと、アルフォンスが他の女と結婚している夢のショックが大きすぎてそんなことはすっかり忘れていた。
思えば昨日は大分すごい体験をしたのだった。
「あ……で、その……話がちょっと聞こえたんですが……」
「え、聞こえたの?」
扉が閉まっていれば部屋の中の音はそこまで聞こえないはずだが、エミリーさんは地獄耳のようだ。
「結婚した後に帰るとか、聞こえましたけど、どういうことです?」
エミリーさんにかいつまんで自分の悩みを伝えると、エミリーさんは何度も頷いた。
「あ、アリスさんって結構悩んだりしてるんですね」
「なにそのセリフ」
「普段の様子を見ているとほわほわしていて、あんまり悩んで無さそうに見えるので……」
「うぐっ……」
まぁ、そう見えてもおかしくない。
無防備で隙だらけの女の子に見えるから、ある意味間抜けそうにも見える。
「あんまり参考にならないかも知れませんが、なんなら英雄が住んでいた家に行ってみたらどうです? 記念館みたいになってるので誰でも見れますよ。もっとも、見たところでなにも発見はないかもしれませんが」
エミリーさんが世間話風にさらっと言った。
その言葉にマリーが「え?」という顔をした。
自分も当然驚いた。
「ちょ、ちょっと待ってください。英雄が住んでいた家!? そんなものがあるんですか!?」
大声を出すと、エミリーさんが目を丸くした。
「そ、そんなに驚くことですか?」
「そ、そんなのあるの!? マリー、知ってた!?」
「し、知らないわよ。知ってたらもっと早く教えているってば」
マリーが首をふるふると振った。
「あ、あれぇ? あんまり有名じゃ無いんですかね。私の家の近所にあって、あの街では結構有名な観光スポットなんですけど……」
「エミリーさんの実家!? どこ!?」
「どこって……ジャン=ル=カンタリナの街ですけど」
エミリーさんが気圧された顔で答えた。
「マリー、それってどこ!?」
「えっと……たしかちょっと辺境な場所だったかな。東方向にかなりの距離が……」
「辺境って、そんなにド田舎じゃないですよ。失礼な。馬車で丸一日あれば着きますよ」
エミリーさんが辺境呼ばわりに少し不機嫌そうに答えた。
「い、行く! そこ、見に行こう!」
「そうですか? そんなに食いついてくるとは思いませんでした。わかりました。ちょっと執事に相談してきますね」
エミリーさんがくるっと身を翻して足早に歩いて行った。
その後ろ姿が廊下の曲がり角に消える前に、部屋の扉がゆっくりと閉まった。




