アルフォンスが訪ねてきた
あれから二日経った。
マリーともほとんど口を聞いていない。
そして、昨日は寝不足で頭クラクラで、夜になって目が冴えて寝られなくて、やっぱり今日も寝不足気味だ。
一度リズムが崩れるとなかなか元に戻らないものだ。
メイドやっていたときと違って仕事もないから、がんばって元に戻そうという気力も無い。
「うー……つらいわー……」
庭のパラソルの下で弱い太陽を浴びながら呟いた。
太陽を浴びた方が生活リズムが整うらしいので、あえて外で紅茶を飲んでいた。
給仕してくれるメイドさんはエミリーさんではないので、ただ黙って立っているだけだ。
普通、使用人とゲストであってもそれなりに世間話をするものだと思うけど、この屋敷の使用人たちは俺にはものすごく寡黙で役割に徹している。
最初はエミリーさんもそういう感じだったので、この屋敷はそういう教育をしているのだろう。
「あー……変な気分」
でも、そんな使用人の教育方針とかはどうでもいい。
今は俺の脳みその中がカーニバル状態だ。
変な時間に寝たり、眠りが浅かったり、そんな事が重なったせいか、思考がぐちゃぐちゃで考えもまとまらない。
どういう理屈か分からないが、昔やっていたゲームのボス戦BGMが脳内を無限ループし、そのゲームと全然関係ないマンガの味方が敵のスパイだったと判明するシーンが映像として再生され、次にはテレビで見たサスペンス物の岸壁で犯人が告白するシーンが再生される。
なんの脈絡もなく、過去の断片的な記憶が次々と再生される。
もちろん、歩くとフラフラする。
でも、眠いのにいざ寝ようとすると眠れない。
「だる……」
うなっていると、執事さんが慌てた様子で早歩きで近づいてきた。
「アリス様、こんなところに居られましたか!」
「ん?」
顔を起こすと、執事さんが歩きながら言葉を続けた。
「実は突然のことにアリス様の前の勤め先であった館の主人であるアルフォンス・バロメッシュ様が訪ねておいでになって、アリス様に面会したいとのことです。アリス様はアルフォンス様の仕打ちに耐えられずにこちらへいらっしゃった訳ですし、もちろん追い返した方がよろしいですよね? では追い返しますので」
なぜか追い返す前提で聞いてきた。
「え? いや、別にそんな険悪な仲ではないですが……。へぇ、来たんだぁ……」
普段の自分なら喜んだかも知れないが、頭の中がぐちゃぐちゃでそんな気分にもなれない。
「来たんだぁ……タイミング悪いなぁ。今度にしてくれないかなぁ」という感想しか出てこない。
「では、お断りしてきますので」
と、執事さんが答えも聞かずに背を向けたので、さすがに引き止めた。
「い、いえ、ですから、そんなに仲が悪いわけではないです。会います」
すると、執事さんが少し眉をひそめた。
「そう……ですか。それではできるだけ短時間にしたほうが良いと思いますよ」
なんとなく高圧的に言うと、執事さんは戻っていった。
「なんか用かなぁ……」
首をかしげながら、執事さんが早歩きで戻って言った道を辿る。
たぶん、いつものゲストルームだ。
ゲストルームの前まで来ると、メイドさんがカートを押していたので、間違いなさそうだった。
見知った仲だし、そんなに気張る必要も無いかと、ひょいとゲストルームに入ると、お茶に口を付けていたアルフォンスが突然むせ始めた。
「ブフォッ! ゴホッ……ゲッ……っはぁ……お、お前、顔を出すなら出せと言え」
なにに驚いたか知らないが、アルフォンスがむせまくってから、ようやく顔を上げた。
うん、アルフォンスだなぁ……
「…………」
ものすごく久しぶりなのでなにかの感慨が浮かんでこないといけないのだが、寝不足でボケボケなので感慨とかそういう曖昧模糊とした物は宇宙の彼方に吹っ飛んでいるのでなにも浮かんでこない。
今日は本格的にダメだ。
アルフォンスは息を整えると、すごい真剣な顔で立ち上がって慎重な仕草でゆっくりと近づいてきた。
まるで、俺が逃げるのが怖いような、そんな慎重さだ。
それでも、こちらはなんとも思わない。
今、俺の頭の中では、過去にプレイしたゲームで延々と雑魚敵を倒していたときのプレイ映像が無限リピートされているのだ。
ちなみに、そのプレイ映像が脳の80%くらいを占有していて、現実の景色を処理する領域がほとんど残っていない。
「ひ、久しぶりだな」
アルフォンスがはにかんだように言った。
「ん、あー……久しぶりー」
特に何も思わないので、ぼけーっと返したら、アルフォンスが変な顔をした。
「ん? どうかした?」
そう聞くと、男は調子を崩したようでポリポリと指で頬をひっかいた。
「あ、あぁ、久しぶりだな」
そして、無言になるアルフォンス。
なんだ一体。
「お、お前、ずいぶんとあっさりだな。もう少し感慨深い台詞とかないのか?」
アルフォンスが顔をしかめる。
「んー……今日、寝不足で頭がぼっけぼけで……ふんっふんっふふーん♪」
脳内BGMに合わせてリズムを刻む。
なんか、今日はやばいほど現実感がない。
アルフォンスと会っても全然心が反応しない。
あ、なんか昔やっていたゲームのイベントシーンの再生が始まった。
あのゲームは三周もプレイしてやりこんだからなぁ。
あの脇役の名前なんだっけなぁ……
けっこういいキャラしてて、死に際が格好良かったんだけど……
「おい……寝不足だと? 貴族の奥様方みたいに夜更かししてるのか?」
「一昨日、マリーとちょっと喧嘩したみたいな感じで、それからリズム崩れちゃってね……んーー……」
眠い……。
さっきまで寝るに寝られない気分だったが、なんか寝られそうな感じになってきた。
ちょっとお昼寝しちゃおうかな……
「寝ていい……?」
「お、おい……」
男は変な顔をして、それから気ぜわしく指で机をトントンと叩くと、ため息を吐いた。
「その……忙しいときに来てしまったらどうしようとは考えていたが、まさかこんなそっけない対応をされるとは思わなかったな……」
と、すごく恨めしい感じで俺を見た。
「だって……眠いんだもん……なんか用?」
「用がなくても会いにきたっていいだろ? 元気にしているかどうか見に来てやったのに……」
男がブツブツ呟く。
「あぁ、うん……」
なんとか気合いを入れて少し頭をはっきりさせる。
「……それはありがとうございます。元気にやってますって。今日は頭ふらふらだけど……えっと、お屋敷の方は?」
「そっちはなんとかなっている。新しく来たメイドが慣れているから、お前とマリーが居なくなった分を補っている。そこは心配しなくていい」
と、アルフォンスが軽く解説した。
「そっかー……」
と、上の空で答える。
うーん、あの脇役の名前……出てこないなぁ。
名前はいいとして、あそこの展開がいい感じだったのは思い出すんだけど、細かいところが思い出せなくて……
なんかぐっとくる展開で、あの気分をもう一度味わいたいんだけどなぁ。
あぁ、今日は本当にダメだ。
なにをどうやっても目の前のことに集中できない。
「どうした? なにか悩み事か?」
アルフォンスが眉をひそめて俺を見た。
「だから……眠いだけ……えっと、まだ居るの?」
と、早く帰って欲しい雰囲気を出すと、男は露骨に動揺した。
ん?
「お、おい、俺とお前は婚約者……だろ?」
アルフォンスがすがるような視線を向けてきた。
「ん……まぁ、形式上そうでしたねー」
立ってられないなぁ。
椅子を引いて、その椅子に座った。
顔を上げると、アルフォンスが動揺している表情が目に入った。
口元が痙攣するように動いて、手のひらで自分の目元を隠している。
「ん……どーしました?」
「お、お前……まさか他に男が……?」
「は?」
首をかしげる。
頭動かないんだから、面倒ごとはごめんだ。
「お、おい、あのな……」
男が何かを言おうとしてこらえているような感じだ。
「あー……なんです? 頭動かないんで、言いたいことははっきり言ってもらいたいんですけど」
頭が動かないのに、なぜか先ほどからゲーム画面のリプレイがやたら鮮明に流れる。
「あ、あのな、俺は真面目に……」
と、言いかけてアルフォンスがまた言葉を止めた。
「えーと……落ち着いてください。立ち話も何ですから座って座って」
男は椅子に座ると、俺の顔を見て気まずそうな顔をした。
「なんだ……寝ぼけているのか?」
「だから……眠いって言ってるじゃ無いですか……なんか……もう無理……」
「お前なぁ……」
男が力なくうなだれてから、顔を上げた。
「俺は真面目にお前のことを心配して、お前がいなくなってからさ、寂しくて……」
「……なるほど?」
いつもなら赤面するところだが、現実感を感じられずにふわっと返した。
「よ、ようやく時間を取って会いに来たんだ。な、なんでそんな素っ気ないんだ?」
「だから……頭動いてないんだから……そういうの、今度にしましょうよ」
頭の中ではコントローラを握りしめていて、ローリングして敵の攻撃を回避して隙を狙って攻撃をする流れを何度と繰り返している。
この世界に来てからずっとゲームをしていないから禁断症状だろうか。
「お、おい……。もう一度聞くが、他に誰か恋人ができたんじゃないだろうな?」
「クロエとかは来ましたけど」
「女はいい。だれか男が来たのか!?」
男が真顔になって聞いてくる。
「んー、ダニエルとかギュスターヴが来ましたよ」
「あの二人か。それで?」
「ギュスターヴとは結構話しましたよ。腹を割って話してみると、なかなか楽しかったですよー」
そういうと、男が顔を引きつらせた。
今日は顔芸を披露しに来たのだろうか。
「た、たしかにバルバストルは外見もいいし、仕草を洗練されているが、女とみれば見境無く口説こうとする御仁だと聞いている。あの男の甘言を真に受けるな。れ、冷静になれ」
「いや……別にそういう意味じゃないんですけどー……」
「他に男は!?」
「いや、別に……」
「そ、そうか……」
男は真顔になって空の一点を見つめたまま深く数回息をした。
「そう……だな。そうだよな」
そして、うなだれた。
ん?
なんか、よく分からないけれども、アルフォンスが一人で勝手にいろいろ考えてえらいコッチャになってる気がしてきた。
でも、頭がぼーっとしているせいで、それに対応する気力も無い。
なんでこんなときにやってきたんだ。
タイミングが悪すぎる。
「まぁ、今日は頭動いてなくて無理なんで……また来てください」
「あぁ……」
男がうなだれたまま、深く息を吐き出した。
そのままお互いに無言なまま数分の時間が過ぎた。
普段ならいたたまれない空間なのだが、現実感がなさ過ぎてなんとも感じない。
っていうか、寝たい。
そのまま黙っていると、扉が開いてマリーが入ってきた。
あ、ちょっと気まずい。
マリーと視線を合わせないように、ちょっとだけ顔をそらした。
「お……ご主人様! お久しぶりです」
その声にビクッと身体を震わせたアルフォンスは、とっさに表情を取り繕った。
「あ、あぁ、マリーか。元気にやっているみたいで安心した」
男が快活な笑みを浮かべようとしているのが分かるが、しかしぎこちないのが見え見えだ。
その様子を見て取ったマリーがいぶかしげな顔をした。
「どうか……しました?」
「い、いや、なんでもないさ」
男がそれだけ言って黙り込んだ。
マリーが遠慮がちに小声で俺に聞いてきた。
「なにか……あったの?」
マリーが思っていたより普通に話しかけてきたので、内心驚く。
気まずくてここのところマリーを避けていたけど、マリーの方はそれほど気にしてなかったのかな?
よくわからない。
「えっと……きょ、今日はすごく眠くて頭が動いていなくて……それで変な雰囲気になっちゃったみたい」
マリーにどういう顔をしていいのか分からず、ドギマギしながら答える。
「ふーん……」
「なんか、アルフォンスはがっかりしてるみたい」
「見れば分かるけど……」
それから意を決したようにマリーがアルフォンスに声をかけた。
「なにかありました?」
「い、いや、なんでも。あまりに素っ気なかったので少し面食らっただけだ。素っ気なくて当たり前だよな……」
男が自分で言った台詞にダメージを受けている。
眠くて現実感がないせいで素っ気ない対応になってしまったが、それで傷ついているらしい。
「アリス、寝ぼけてるにしてももうちょっとそれっぽく対応してあげたら?」
「無理……」
コソコソ話が聞こえたらしく、アルフォンスが身体をぴくっと震わせた。
「そうか……想っていたのは俺一人。馬鹿馬鹿しい限りだな」
アルフォンスが半ば自暴自棄のように腕を激しく振った。
「お、落ち着いてください。アリスが寝ぼけてるだけですから」
マリーがアルフォンスをいさめに入る。
「そうは言うが、お前だって俺とアリスを引き剥がそうとしたんだろっ」
そのマリーにアルフォンスがらしくない荒げた声を上げる。
あ、喧嘩が始まった。
あれ、これまずいんじゃ。
でも、現実感がさよならしていて、頭も動かない。
「う、うー……」
なんかもう、この覚醒度の自分ではなんともならない。
ダメだ。もう寝たい。
こんな状況の自分よりは、女モードの方がマシかな?
女モードでもただ眠いだけかも知れないけど、でもまぁ……いいや。
とにかく、もう無理。
「私は女……私は女……」
その言葉を聞いたマリーがはっとこちらをみた。
「アリス?」
「えーと……」
アルフォンスが怒っている。
アルフォンスをなだめるためには……
「私はアルフォンスのことが大好き」
目をつむって、私は私自身に向かってそう言い聞かせた。




