立ったフラグは折りに行く
「おー、今日はアリスが配膳係か」
俺が皿をカートに乗せて押していくと、すでに男が座って待っていた。
そしてうれしそうな顔で俺をみている。
そんな期待に満ちた顔をしないでほしい。
その期待に応えたくなってしまう。
だが、ここは心にしっかりと鍵をかけて、きちんと拒否しなくてはいけない。
なし崩しは絶対に避けないといけない。
「私、配膳したことが無いので、お皿の並べ方とか分からないですが……」
と言い訳をしながら、机の上に皿を置いていく。
「気にするな」
と、男が笑みを浮かべて声をかけてくる。
それだけで、心がぐらっと動く。
本当にどうなってるんだ、この身体の感受性!
こんなことでいちいち反応するんじゃ無い!
「なにか悩み事があったら遠慮無く言ってくれていいんだぞ」
男が笑みを浮かべたまま、そんな台詞を言ってきた。
やめて、そんなおいしい言葉を言わないで欲しい。
心がぐらぐら揺れまくる。
「あ、ありがとうございます。でも、ちゃんと自分の力で頑張っていくつもりです」
「ほお、努力家だな。だが、頼ってくれていいんだぞ」
だから、そういう優しい言葉、止めてー!
まじで止めてーーー!!!
「い、いえ。そういうわけには。借金もきちんとお返ししますから」
「ああ、あの件か。ガストンに聞いたが、ずいぶんと高いようだな。お前の給金では苦しそうだな」
「ええ。でも、お返ししますので」
「快気祝いにその金は棒引きにしようか」
「え」
嘘、なにその超魅力的な提案。
心もぐらぐらしてるのに、理性までぐらぐらしてくるじゃないか。
いやいや、ここで乗ってしまってはますます後で面倒なことになる!
ホモルートは絶対に避けると心に誓ったじゃ無いか!
「い、いえ、きちんとお支払いします」
と、できるだけ抑えた口調で答えた。
「なんだ、真面目だな」
皿を並び終えたので、少し下がって壁際で待機する。
食事中は呼ばれない限りこうやって立って待っているものらしい。
その定位置に立ってじーっと男が食事しているところを見ていると、男が顔を上げた。
「アリス、もっとこっちに来い」
「え? な、なんでしょう」
呼ばれたので仕方なく、少しだけ近寄る。
「もっとだ。話がある」
「は、はい」
仕方ないので、男の脇にまで移動した。
しかし、そうすると、なんか男の表情が全部見えてしまうし、男がチラチラこちらの顔を見てくる。
やばい、恥ずかしい。
そっと、横に移動して、男の斜め後ろあたりに移動した。
それほど不自然な位置でもないし、振り返られない限り顔を見られない。
「な、なんでしょう」
特に意図は無くそこに移動したかのように振る舞い、用件を聞く。
「ところで、お前は何が好きなんだ?」
男が食事を平らげながら聞いてくる。
うん、この位置なら、顔を見られないはずだ。
「ん……?」
思わず、小さく声を出した。
お前?
今、この男、俺のことを『お前』って言った?
この言語でも『お前』は親しい間でしか使わない言葉だ。
こ、これは……本格的にやばいぞ!?
完全に『俺の女』扱いされてる!
「何が好き……とは? 食材のことですか?」
「そうじゃない」
と、男がフォークの手を止めて、振り向いてきた。
まともに目が合う。
あ……ああ……
み、見るな! 恥ずかしいから!
慌てて視線をそらす。
「物とかアクセサリーとか、なにか欲しいものがあるかと聞いているんだ。今度外出するときに買ってきてやろうかと思ってな」
「え……」
あかん!
なんで心の声が大阪弁になっているのか分からないけど、とにかくあかん!
本気で『俺の女』扱いされてる!
しかも、なんだかすんごくうれしいんですけど!
い、いやいや、この身体の感受性に流されるな。
表情と身体が全身でうれしさを表現しそうになる。
抑えろ。
断れ、断るんだ!
「いえ、そ、その……」
断ろうとしてもつい躊躇してしまう。
どうした、俺!
はっきり断れ!
「け、結構です……」
よし、言った。
安堵の気持ちとがっかりした気持ちが同時にわき上がってくる。
「遠慮するな。お前が欲しいものくらい、俺が買ってやる」
と、男が食事を中断し、俺の顔を見てくる。
「な……な……」
俺は息を飲み込んだ。
俺なんかのために、好きな物を買ってくれるの?
という感動混じりの疑問がわいてきて、不思議な幸福感がふつふつと湧き上がってくる。
男の時には感じたことが無い感情だ。
すごくうれしい。
「ぐっ」
危機感を感じて、歯を食いしばった。
だめだ、感情に流されるな。
この感情に流されると、取り返しがつかないルートに突入する!
「い、いえ……ほ、本当に……ほ、本当に……け……け……結構です」
ものすごく歯切れが悪いが、なんとか断った。
「なんだ、買ってやろうって言ってるんだから、おとなしく受け取ればいいものを」
男が少し不機嫌そうな声を出して、また食事を再開した。
ちょっとこのアルフォンスという男の評価を改めないといけないようだ。
最初の頃の真面目で常識的な態度から、すごく奥手で真面目な人間だと思っていた。
しかし、いざロックオンするとガンガンくるタイプらしい。
そういうことをされるとすごくうれしくなってしまうこの感受性との相性が最悪すぎる。
普通なら最高と言うべきなんだろうが、俺にとっては最悪すぎる。
断った後でも、うれしい感情が心の中で暴れててやばいんですけど。
本当は断りたくなかったんですけど。
男が振り向いて、チラリと俺の顔を見た。
「ほしいなら素直に言えよ」
「え?」
いかん。
相当物欲しそうな顔をしていたらしい。
感情がダイレクトに表情にでるので本当に困ってしまう。
「い、いえ、そんな……別に……だから、本当に結構です」
顔を見られるとつらいので、顔を背けた。
「素直じゃないな。ま、そういうところもかわいいぜ」
かわ……
一瞬で体温が上がって顔が上気してくるのが分かった。
理性とは全然関係なく、反射的に全身が感動を表現している。
ちょ、自重しろ!
まじで自重しろ!
絶対顔が赤くなってる。
あわてて、下を向く。
「お前、本当にかわいいやつだな」
男がからかうように言った。
「か、からかわないでもらえますか!?」
とっさに言い返したが、これは絶対に逆効果だ。
男は満足げに頷くと、食器を手放し、立ち上がって俺の前に立った。
な、なんだ……?
思わず身構える。
「ま、なにがあったか知らないが、この屋敷にいるうちは俺が守ってやるよ。もっとリラックスしろよ」
と、男は俺の顔を見てすごくいい表情を浮かべた。
「うぐ……」
いろんな感情がわき上がってくるのを、唇を噛んで食い止めた。
いかん。
本当にいかん。
この男、想像以上にぐいぐい来る。
これは危険だ。
このままでは絶対に流されてしまう。
とにかく、さっきのは誤解だと説明して、諦めてもらおう。
「あ、あの、勘違いされているようですので、言っておきます。さきほどうっかりその抱きついて……しまいましたが……あ……」
やば、思いだしたら恥ずかしくなってきた。
違う違う!
誤解だと説明するんだよ!
なにやってるんだよ、俺!
「あ……あれは、ちょっと動揺していただけです!!」
「ん?」
男が首をかしげた。
「も、もし、勘違いしているといけないので言っておきますが……」
男が俺の言いたいことを察したらしく、視線が険しくなる。
う、怖い。
先ほどまでの優しげな態度からの急転直下。
はっきり言って、すごくつらい。
せっかく向けられた好意を台無しにするのは非常にきっつい。
「ええっと……ええっと……」
「なんだ?」
男の声にちょっと棘がある。
や、やば!
俺は諦めて欲しいだけであって、嫌われたくは無い。
嫌われないように、穏やかに諦めてもらわないといけない。
「あの、ご主人様には拾っていただき大変感謝していますが……」
と、感謝を表現した。
しかし、男の態度はますます硬くなった。
「ん? つまり、俺は眼中にないといいたいのか?」
男の視線がさらに険しくなる。
え、こ、こういう人だったん?
こ、こ、怖いんだけど。
まじで怖いんだけど。
こっちは非力でちっちゃい身体なんだから、威圧しないで!
「そ、そ、そういうわけでは無いです。ほ、包容力があって優しくて素敵な男性だと思います」
本音が漏れる。
うをおお、何を言っているんだー。
「そうか。それで?」
「で、ですがーあのー……」
頭の中が混乱している。
もっとちゃんと考えてから話し出せば良かった。
どうやれば、嫌われずにうまく諦めてもらえるのだろうか。
この男に魅力があると言いつつも、俺が恋仲になることは無い。ということを表現するには、どうすればいい!?
「あ……」
妙案が浮かんだ。
これしかない!
「私、男に興味ありません!」
男の目を見て、叫ぶ。
「……は?」
男が口をぽかんと開ける。
「私、女が好きです! めっちゃ好きです!」
ドン!
心の中でそんな効果音を響かせながら、俺は宣言した。
「ん……んん?」
男が額に手を当てて、視線をキョロキョロと動かした。
かなり混乱しているらしい。
よ、よし、これでうまくいくはず……
「おいおい、お前いくらなんでも……本当なのか?」
男が目を白黒させながら聞いてくる。
「ほ、本当ですよ」
「じゃ、じゃあ、どんな女が好みなんだ? 年上か、それとも案外年下が好きなのか?」
女が好きって言えば引いてくれると思ったのに、男は全く引いてこなかった。
すごく聞きにくいことを質問してきた。
前の世界ならいろいろ好みがあったが、この美少女の外見で『肉付きが~』とか言い出すと変態臭が酷すぎる。
もっと無難な回答をしないといけない。
「ええっと……そ、それは……」
「おい、無いのか? それは怪しいな」
と、男が露骨に疑う。
な、なにか……肉付きとかじゃ無くて、もっとプラトニックな感じの……
その瞬間、マリーに看病された時のことが頭をよぎった。
「そ、そう! マ、マリーさんみたいな包容力がある女性が好きです!」
「ほぉ」
と、男が小さく声を出した。
ふぅ……
「えぇ!?」
甲高い声が後ろの方から聞こえてきた。
ん?
振り向くと、扉が開いてマリーが顔をみせた。
どうやら、扉の隙間から初心者の俺がきちんと仕事を出来ているか様子をうかがっていたらしい。
ってか、それどころじゃない!!
「マ、マリーさん!?」
「ア、アリス……女の子が好きだったの? それに私が好きって……?」
マリーが目を丸くして、ぎこちない足取りで食堂に入ってきた。
本当に驚いている様子で、なにかいつもと様子が違う。
「おいおい……どうなってんだ」
男が不機嫌そうに言ってから、俺とマリーを見た。
マリーは呆然とした顔のまま、俺の前に来て止まった。
う、気まずい。
「アリス、そ、そうなの? 私のことが?」
「あ、えっとぉ……そのぉ……」
マリーと男の顔を交互に見る。
マリーは呆然としながらも俺の目をまっすぐと見つめてくるし、男は不機嫌そうに横目でこちらを見ている。
ここでマリーを選択すれば、男の機嫌は損なうだろうが男と恋仲になることはないだろう。
男を選択したら、おそらくこのまま男の勢いに押されてしまう。
よし、俺も男だ!
ここはこっちの選択肢を選ぶぜ!
「は、はい。マリーさんのことが好きです。ほ、包容力があって優しくて素敵なので」
すると、マリーの顔もだんだんと上気してくる。
う、うわー……
なんか罪悪感がある。
『好き』というのは嘘では無いけど、今の体で感じている好きは恋心では無い気がしている。
どちらかというと、恩人としての『好き』だ。
俺が男だったら真っ先に惚れてメロメロだったと思うけど、感受性が違うとどうしようもない。
百合ルートはやっぱりきついかも。
「そ、そう? す、素敵? そっか、うん、うれしいな……」
マリーが恥ずかしそうにうつむいて、顔を赤らめた。
その様子を見ていると、なにか心の中に暖かい物が広がってきた。
うわ、かわいい!
か、かかかか、かわいい!
あれ、なんか百合ルートもいけるんじゃ無いかって気がしてきた。
でもマリーは普通の女の子なので、おそらくマリーもうれしくても困って断るだろう。
そうすると、俺の片思いと言うことで特に進展は無く、物事は平穏無事に進む。
よし、マリーが申し訳なさそうに断りの台詞を言って……
「わ、私もアリスが好き!」
マリーは顔を上げて、はっきりした声で言った。
「……へ?」
マリーは俺の手をつかみ、そして引き寄せた。
あっという間に、俺はマリーに抱きしめられていた。
え? あれ?
ど、どうなってるわけ!?
その様子を男がガン見している。
「最初にあったときから本当にかわいくて、なんでもしてあげようっていう気持ちになってたの。私もアリスが好き!」
そ、それは恋愛の好きではないのでは。
しかし、それを言い出せる雰囲気では無い。
「わ、私、アリスのためにがんばるから」
マリーが熱っぽく俺の目を見てくる。
「う、うん」
マリーに抱きしめられているせいで、マリーの体温や心臓の鼓動でさえも伝わってくる。
それを意識すると、俺の方までだんだん恥ずかしくなってくる。
マリーが俺の背中にまわした手で、俺の背中をさすった。
あ、それだめ……
「ふあ……」
思わず変な声が出てしまう。
俺の背中、敏感すぎるぅぅ!!
「大丈夫大丈夫」
マリーが俺の背中を優しく何度もなでる。
悪気は無いのだろうが、本当に困る。
「ちょ……そ、それだめぇ! ひぃっ……ってか、見てるし! 駄目、駄目! 手を止めてぇ!」
背後から男の視線を感じる。
この状況はいろいろまずいし、恥ずかしすぎる!
マリーをなんとか引き剥がすと、マリーは引き剥がされても手を伸ばそうとしてくる。
「ま、マリーさん、だ、駄目ですから」
「いいでしょ?」
マリーが悪気無く首をかしげる。
「よ、よくないです! れ、冷静に! 今仕事中ですし!」
男の方をチラリと見た。
男は不機嫌そうだった様子が少し軟化していて、うっすらと笑みを浮かべている。
ん……どうした?
「お、お騒がせしました。食事の続きを……」
といってまた壁際に立とうとすると、男がそれを止めた。
「いや、気にするな。おもしろいな、もっと続けろ」
男が意地の悪い笑みを浮かべている。
え、なんで……?
少しだけ考える。
なるほど、分かった。
振られた腹いせに俺が困るのを見て楽しんでるようだ。
そういう性格、あんまよくないぞ。
気持ちは分かるけど。
「い、いえ、仕事中ですので」
「気にするな。マリー、いいぞ」
と、男がマリーに言う。
普段丁寧な男の態度と比べて、ずいぶんと粗暴な言い方だ。
恐らく、男は腹いせのところもあるが、本当は内心落ち込んでいると思う。
その落ち込みを隠そうとして、こういう態度を取ってしまっているのだろう。
すまない、ご主人様。
「アリス……」
男のことを考えていると、いつの間にかマリーが近づいてきていた。
マリーは満面の笑みを浮かべている。
こ、怖!
黒い笑みも怖いけど、それも怖い!
「い、いやいや、マリーさん、時と場合を考えましょう。今は仕事中です」
「いいじゃない。アリス、かわいいし」
脳心に衝撃が走った。
この身体の感受性だと、言葉の攻撃力が本当にすごい。
男に言われたからやばかったのかと思ったけど、女の子に言われてもかなり『来る』。
「い、いや、別に……そんな……かわいくないし」
と、日本人の美徳で謙遜した。
本当は自分でもかわいいことは分かっている。
でも、このままだと、マリーにまた触られまくって醜態をさらしてしまう。
こちらから反転攻勢に出ないといけない。
「そ、それより、マリーさんもすごくきれいで憧れちゃいますよ」
反転攻勢で、マリーを褒めた。
マリーがキョトンとした顔をする。
「えぇ?」
そして、恥ずかしそうに、マリーがつま先を遊ばせてつま先で床をなでた。
その様子もかわいらしくて、心の中に暖かくてふにゃふにゃな物がわいてくる。
い、いや、感情に流されるな!
とにかく、こちらから攻勢に出て、マリーの暴走を止めよう。
「マリーさんに看病されながら、その優しさと美しさに本当に惚れ込んじゃいました!」
「そ、そ、そうなの?」
「マリーさん、本当に素敵です!」
「そ、そんなことないよぉ」
「いえ、素敵です! 憧れてます!」
「は、恥ずかしいじゃない……」
マリーが顔を赤らめて、手で顔を隠した。
よし、勢いを殺せている!
このままうまくご退場願おう。
「と、とにかく、私は仕事はちゃんとしたいんです。後で話しましょう」
「うん、分かった……」
マリーは夢見心地の表情で頷いた。
そして、ふらふらとおぼつかない足取りで食堂を出て行った。
よし、とりあえず乗り切った。
「ふぅ……」
ため息を吐いて、男の方に向き直る。
「ほお」
男が薄笑いを浮かべていた。
「な、なんですか」
「俺にはお前が本気でマリーを好きだったようには見えなかったがなぁ」
と、男が薄笑いを浮かべたまま言った。
う、なんか見透かされている。
「ただの憧れなんじゃ無いのか?」
「う、うるさいですね。と、とにかく、私は男の人を好きになったりしないので」
「そうかそうか」
男は席に戻って、手早く食事を済ませた。
俺は車輪のついたカートを引いてきて、その上に皿を移していく。
すると、男が俺の腕をつかんだ。
「おい」
「ひっ!」
いきなりだったので小さく悲鳴を上げてしまった。
「な、なんですか。び、びっくりするじゃ無いですか」
「お前、女が好きなんだよな? 男には興味が無いって言ったよな?」
男が攻撃的な目で俺を見てくる。
「は、はい」
「じゃあ、お前はレベッカとかコレットが好きなのか?」
「え……?」
うーん、これはどう答えればいいのか。
というか、やっぱり男はかなり機嫌を悪くしているようだ。
本来、こんなに絡んでくるようなタイプでは無いはずだ。
やはり、好意を表明したのに俺が拒否したから、心中かなり荒れているのだろう。
男としては同情せざるを得ない。
「そ、それは……どうでしょう。今のところ、好きなのはマリーさんだけです」
「ほお」
男が腕を放したので、あわてて引っ込める。
「し、失礼します!」
俺はカートを引いて足早に食堂を後にした。




