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来訪者

 あれから数日。

 マリーはいろいろと物件を探したり、代わりのメイドを探したりしているらしい。

 この屋敷にはメイド長みたいな人がいないので、実質的にマリーが責任者みたいなものだ。

 大変そうだなぁ、とは思うものの自分はこの世界のことが分からないので手伝うこともできない。


 俺はいつものようにモップを持って廊下をゆるゆると歩いていた。

 どこからか入ってきた砂埃を掃き集めながら窓の外の景色を見る。


「やっぱりこれが落ち着くなぁ……」


 広い屋敷の中をモップを持って歩いているのが性分に合っているらしく、この世界に来たときからずっとルーチンワークだ。

 引っ越した後はどういう感じになるんだろう。


 ぼけーっとモップをかけていると、レベッカが小走りで走ってきた。


「アリス! 居て良かった。お客さんだよ」


 レベッカが少し息を弾ませながら言った。


「お客さん?」


 外の知り合いと言えば、ダニエルとかギュスターブとか後はクロエぐらいだ。

 誰が来たとしてもレベッカは嫌そうな顔をしそうな物だが、そういう感じではない。


「ん……誰?」


「わからないけど、ひげを生やした立派そうなおじさんだった。ご主人様が呼んで来いって」


「え? な、なんだそれ……」


 不安を感じながら、モップを脇に置いて身なりを整えて、書斎の前に立つ。

 息を整えて、扉を叩くとアルフォンスの返事があった。


「失礼します」


 書斎に入ると、アルフォンスと知らない人がソファに座って話していた。


 そう、この前買ったソファが搬入されて、書斎には新しいソファが設置されている。

 でも、今はソファなんてどうでもいい。


 ちなみに最近はマリーが目を光らせているので、アルフォンスともほとんど言葉を交わしていない。

 そんなわけでアルフォンスもちょっと気になるが、今はアルフォンスもどうでもいい。


 まずはお客さんの方だ。

 あごひげを生やして立派そうなおじさんだが、全く見覚えがない。

 貴族なのは間違いないが、サロンで会った人でもないようだ。


「ほお、このメイドですか?」


 おじさんがちらりと俺を見た。


「ええ、そうです」


 アルフォンスが頷く。


 あ、これは俺を転生者と知って来ているパターン。

 でもこんな人知らないぞ。


 50近いと思われる年配の男は立ち上がって、すっと頭を下げた。

 失礼にならないようにこちらも頭を下げる。

 見た目の年齢の割に振る舞いはなんとなく若々しい。


「あなたが他の世界から来た英雄ですか……先ほどアルフォンス殿に不思議な時計も見せていただいた。まさか生きているうちに英雄に出会えるとは」


 ひげの男は抑えた口調で話したが、その目は感激に満ちていた。


 う、なんか気まずい。


 有名な三英雄のせいで、転生者はよく英雄と呼ばれるらしい。

 しかし、俺は英雄ではないし、そんなすごい人でもない。

 感激されるとちょっと気まずい。


「アリスと申します。ですが、そんな大した者ではありませんので……」


 ちょっと堅いが、常識人っぽく返事をした。

 最近慣れたと思ったが、やはり初対面の人に接するのはかなりストレスが大きい。

 ましてや油断している屋敷内でいきなり初対面の人が来るとか、本当は勘弁して欲しい。

 外なら気を張っているのでマシなのだけれど。


「ご謙遜を。ここよりも遙かに進んだ世界から来たというでは無いですか。お、失礼した。私はジスラン・モーリアックと申します。キオージン地方の領主をしております」


「ご、ご丁寧にどうも」


 この世界の礼儀作法が未だによく分かっていない。

 なんとなく返事をする。


「ジスラン殿はお前の話が聞きたくて来たそうだ。ここに来るまでにかなり苦労したそうだ」


 アルフォンスが横から説明をした。

 ん、苦労?


「左様。私も最初に英雄の話を聞いたときは疑ったのですが、何度も聞く物で徐々に興味を持つようになりまして、是非ともお話を伺いたいと思いました。そこで、人から人へと話を聞いて核心に迫っていったのですが……あなた様の身の回りについては一言申し上げたいことがございます」


 ジスランさんが硬い表情を浮かべた。


 え、なに?

 俺がなにか悪いことした?


 不安になる。


「な、なにか……」


 久しぶりに不安を感じて、ちょっとだけ声が震える。


「どうやらあなたを招くためのオークションがあったようですな」


 ジスランさんが眉間にしわを寄せて言葉を続ける。


「は、はい、ありました。あのときはクロエ……ベイロン家に行くことになりました」


 ベイロンはクロエの名字だ。


「その話も聞きました。なにか跳ねっ返り娘が注目ほしさに落札したとかどうとか」


 ジスランさんが不満そうに言った。


 うん、その通りだった。

 オークションの時のクロエの第一印象は最悪だったな。


「でも、クロエは仲良くなってみればそんなに悪い娘じゃなくて……」


「そんなことはどうでもよいのです!」


 ジスランさんが大声を出した。


 うわ、び、びっくりした。

 敏感体質なんだから、いきなり大声とか辞めて欲しい。


 ジスランさんが義憤に駆られたように首を振った。


「他の世界から来られた英雄を招くためにオークションをするなど、なんと低俗な。アリス様もこの世界をさぞ低俗なものと思われたでしょう。しかし、それは一部の者であることをご理解ください」


「え? は、はい」


 勢いに押されて、良くも分からず頷いた。


 怒られていると思ったら、怒っている相手は俺ではなくオークションを開催した人たちらしい。

 そうか、俺はこの世界にとってお客さんであって、そのお客さんについて無礼なことをしたと思って怒っているのか。

 実際には俺はお金がたくさん入るとオークションを喜んでたんだけど、この雰囲気では言えるわけがない。


「しかも、そのオークションをどこかの若造が仕切っているというじゃないですか。英雄を出汁にして金儲けなど、唾棄すべき事です」


 その言葉にアルフォンスが気まずそうな顔ながらも口を挟んだ。


「お、お言葉ですが、その男は私の友人でして……」


「そ、それは失礼しました。しかし、そうであっても正しいこととは言えません」


 ジスランさんは一瞬気まずそうな顔をしたが、すぐに義憤に駆られた表情に戻った。


「正直なことを申しますと、腹がたつながらも私も次のオークションに参加しようと思いました。しかし、その男はオークションを中断したのですよ。焦らされた貴族たちがさらに値を上げているとのことです」


 ダニエルとギュスターヴはコマ送り動画の作成に集中することにして、オークションを止めている。

 そのせいで、他の人たちが騒ぎ出していると言うことだ。

 たしかにあのサロンでの盛り上がりを見ても、俺に対する注目度はすごく高い。


「仕方が無いので、さらにつてをたどってこちらのアルフォンス様のお宅にいるということを突き止めたのです。例の男がアリス様の所在地について堅く口止めをしているらしく、情報を引き出すのに随分と苦労しました」


 あのサロンでは自分がアルフォンスに屋敷にいることは明白だったから、あのサロンから噂話がばっと広がれば、今頃千客万来になっていてもおかしくはない。

 そうはなっていないということは、ダニエルがサロンの参加者に口止めをしたと言うことだろう。

 噂話は止められないというが、よくここまで情報を隠せた物だ。

 ちょっとダニエルを尊敬してしまう。


「アリス様からいろいろとお話を聞きたいのはやまやまですが、まずあなた自身の身を守らなくては。あの儲け主義の若造に任せるなどとはもってのほかです」


 ジスランさんが熱く語る。

 

「い、いえ、それにはいろいろ事情がありまして。別にダニエルが値をつり上げるためにオークションを止めているとかじゃないんですよ」


 慌てて俺が口を挟むと、ジスランさんが納得していないような顔をした。


「そうなのですか? しかし、あんな軽薄な若者に任せるなどよくありませんぞ。アルフォンス殿も、なぜそのような暴挙に目をつむっておられる」


 突然話の矛先が向いたアルフォンスは、驚いた顔をして反論した。


「ど、どうか落ち着いてください。すべてはアリスが納得の上にやっていることです。ですから私もアリスの意思に沿って協力しているわけでして」


「アルフォンス殿! アリス様はこの世界のこともなにも知らないのですぞ! あなたがしっかりと面倒を見ないでどうするのですか! いえ、そもそもなぜ王宮に申し出てアリス様を王宮に連れて行かないのですか? アリス様の出自を証明するための時計まであるというのに」


 その言葉にアルフォンスがたじたじになる。


 ってか、王宮?

 そうか、転生者ってこの世界だと貴重かつ好意的な目で見られるから、そういう場所に招かれるのか……。

 って冗談じゃないぞ!

 俺はそういう面倒ごとはたくさんなんだ。


「い、いえ、私がここで静かに暮らしたいと言ったのです。ご主人様は悪くありませんので」


 慌ててそう言うと、ジスランさんは言葉を止めた。


「アリス様がそうおっしゃるなら……」


 しかし、すぐに口を開いた。


「アリス様、あなた様は他に二人と居ない貴重な方です。どうかご自分を軽んじられないように。静かに暮らしたいというのであれば結構ですが、なにもメイドなどしなくても……」


 その言葉は遠回しにアルフォンスを非難している。

 アルフォンスが気まずい顔をする。


「い、いえ、いろいろと私の希望があってそうなっただけです。アルフォンス様を責めないでいただけると助かります」


 丁寧な口調で擁護すると、アルフォンスが感動した顔で俺を見ている。

 ちょっ、そこまで感動するな!


「そ、そうですか……。アリス様のお考えは分かりませんが……」


 ジスランさんが納得してない顔で俺と壁を交互に見たり、俺とソファを交互に見る。


「私がこの世界に落ちたとき、バロメッシュ家は正体不明の私を快く受け入れてくださいました。その恩に報いたいだけです」


 と、ちょっと綺麗すぎるけど嘘じゃないことを言う。


「なるほど。それは素晴らしいお心がけです。しかし、アリス様の思いをそのまま受け取ってしまうのはどうですかな。その恩を返すには当たらないと断り、恩で縛らず自由にさせて支援までするのが貴族としての矜持ではないですかな」


 ジスランさんの言葉がアルフォンスに向き、アルフォンスが苦い顔をする。


 たぶん、俺がここに来るまではジスランさんとアルフォンスは無難に世間話でもしていたのだろう。

 ところが、俺と顔を合わせたジスランさんがテンション上がってしまって、本音をズバズバ言い出してしまったようだ。

 アルフォンスが苦しそうな表情をしている。


 恐らく、ジスランさんも俺の姿を一見しただけで、アルフォンスが自分のところに置いている理由が分かったはずだ。

 自分で見てもかわいいからな、この姿は。

 そして、「かわいいから手元に置きたい」なんて理由で俺をここに留め置いているアルフォンスに対して怒りが爆発したらしい。


「わ、私は決してアリスを縛ったりしておりません」


 アルフォンスが必死に言い訳をする。

 本当は『絶対に出て行くな!』と引き留めているけど、今そんなことを言ったらアルフォンスがジスランさんに完全にボコられてしまう。

 さすがに黙っておこう。


「とにかく、アリス様は英雄に連なる方です。私心で留め置いたり、儲け主義の若者がおもちゃにしてよい方ではありません。違いますかな」


 ジスランさんがびしっと芯の通った声で言うと、アルフォンスが一瞬口ごもった。


「わ、私はですね……」


「お、お二人とも、落ち着いてください! ジスラン様も言い過ぎです。心配していただけるのはありがたいですが、私の意思で行動しております」


 俺が割って入ると、ジスランさんは息を詰まらせた。


「こっ……これは……言い過ぎました。た、ただ、私としては、何の権限もない若者が誰がアリス様に会えて誰がアリス様に会えないかを勝手に決めているのが納得できず……」


 今度はジスランさんが恐縮してしまった。

 ジスランさんはかなり偉い貴族に見えるが、異世界からやってきた俺に対しては一種の信仰心のような物があるようだ。

 俺が強く言うと、何も言い返せないようで言葉を止めてしまった。


 ジスランさんの言いたいことは分かる。

 たぶん、この人が言いたいのは、俺はこの世界にとって公共財って事だろう。

 それを誰かが勝手にオークションしてるのがおかしく見えるのだろう。

 たしかに他にも同じ事を思っている人は居そうだ。


「であれば、ダニエルがオークションを開催するのではなく、私自身がオークションを開催すればよいのでしょうか?」


 そう聞くと、ジスランさんはおずおずと遠慮した感じで口を開いた。


「オ、オークションという手段事態がアリス様にとって非常な侮辱だと思っております。ですが、どうしてもそれをやるというのであれば、訳の分からない若造よりもアリス様ご自身で主催された方がよいと思います。むろん、実務に関してはアルフォンス様に一任するなどしてもかまいませんが、とにかく訳の分からない若造の名義でアリス様を売り買いするようなことは決してよくありません」


「なるほど……そういう風に考えられるのですね。私としても波風を立てたいわけではないので……考えておきます」


「わ、分かっていただけて安心いたしました」


 ジスランさんが緊張が少し解けたように少しだけ息を吐く。


 たしかにダニエルが勝手にいろいろ動くとサロン以外の人からは怪しく見えるのだろう。

 ダニエル任せじゃなくて、自分でも考えて動いた方が良さそうだ。


「つい熱くなってしまいまして。アルフォンス様にも失礼なことを言いました」


 ジスランさんが頭を下げると、アルフォンスが慌てたように取り直した。


「い、いえいえ、お気になさらず。たしかに私にも至らないところがありました」


 二人のやりとりを見ていると、ジスランさんが床に置いてあるカバンからおもむろに瓶を取り出した。

 高そうなお酒のようだ。


「ほお、これは……聞いたことはない酒ですが、ご領地の特産品でしょうか?」


「そういうわけでは無いのですが、友人から勧められた酒でして、飲みやすいのでどこに出しても喜ばれますからな。失礼なことを言ってしまったお詫びといってはなんですが、是非とも受け取っていただけますかな」


「それは楽しみですな。どんな味でしょう」


 アルフォンスが酒瓶を受け取って、そのまましまうのかと思ったら、いきなり栓を開けだした。


 あ、飲むの?

 この世界は昼間でも関係なく飲むんだな。


「おい、アリス、グラスを……あぁ、お前は今日はゲストだな。マリーかレベッカを呼んできてくれ」


 とアルフォンスが俺に声をかけた。

 俺がマリーを呼びに行こうと思って扉の方に2・3歩歩きかけると、扉が開いてすまし顔のマリーが入ってきた。


 マリー、扉越しに中の話を聞いていたな……

 まぁ、ここでそんな小言を言っても仕方が無い。


「マリー、よろしく」


「うん」


 マリーは丁寧にアルフォンスとジスランさんにお辞儀をして、また出て行った。


 そこから、アルフォンスとジスランさんの酒盛りが始まった。

 本当に飲みやすいお酒らしく、酒に弱いはずのアルフォンスが結構な勢いで飲んでいる。

 そして、顔が真っ赤になっている。

 ちなみにジスランさんもアルコールに強いわけではないらしく、すでに顔が真っ赤だ。


 ジスランさんは俺に興味津々だったので、前の世界について質問が飛んでくると思って構えていたが、その前に二人ともへべれけになってしまった。

 マリーとレベッカは入れ替わり立ち替わり、おつまみやちょっとした軽食を運んでくる。

 たまにコレットもやってくる。

 そんな中、俺は二人の酒盛りの横で、ひたすら水を飲みまくっていた。

 俺が居る意味あるのだろうか。


「いやぁ、これは本当に飲みやすいですなぁ」


 顔が赤くなっているアルフォンスがお酒を褒める。


「ええ、これが実に飲みやすい酒でしてね。そのせいでうっかり飲み過ぎるのですが」


 ジスランさん顔を見れば、その言葉が真実だと言うことが分かる。

 微妙に言葉も舌っ足らずになっている。

 結構酔ってきてるぞ。


 俺も前の身体なら普通に酒を飲めたが、さすがにこの身体でアルコールを取ったらまずいだろう。

 年齢的にもアルコール耐性がないだろうし、敏感体質だからものすごく気持ち悪くなりそう。


「おい、お前もジスラン殿に前の世界の話をしてやれよ」


 アルフォンスが若干怪しい発音で俺に話を振った。


「え? あ、あぁ……そうですね……。忘れられているかと思った」


 二人の酒盛りから距離を取って座っていたのだが、話がしやすいように近くに移動した。

 すると、アルフォンスが腰に手を回してきた。


「ひゃぁっ! え? ええ!? な、なにしてるんですか!?」


 最近あんなことがあったばかりだから大丈夫だと思っていたが、明らかに下心がある手つきだ。

 アルフォンスはお酒を飲むと煩悩の炸裂が酷すぎる気がする。


「な、なにをされているのですか!」


 ちなみに、俺よりもジスランさんのほうが慌てている。

 ひっくり返った声でアルフォンスを叱った。

 しかし、アルフォンスは酒で気が大きくなっているのか気にしない様子で笑った。


「はっはっはっ! そんな大げさな! こいつ、今でこそこんなかわいいなりですが、前の世界では男だったんですよ。そんなに気を使う必要はありませんって」


 い、いや、気を使って欲しいんだけど。

 いい加減にしてくれよ。


「そ、それは聞いておりましたが、しかし、このお姿で……元が男と言われましても……いやはや……」


 ジスランさんが赤くなった顔を左右に振って怪しいろれつで言う。


「どうですか。ジスラン殿も触ってみますか?」


 アルフォンスが笑って、ジスランさんにセクハラを薦める。

 なんかいつも以上にアルコールが回っている。


「そ、そんな恐れ多い」


「ご、ご主人様、ジスラン様も困っていますから、冷静に……」


 顔が真っ赤になっているアルフォンスに言い聞かせようとする。


「なに、こういうことをされて喜ぶような変態ですので」


 しかし、アルフォンスはへらへら笑ったまま、俺の背中に手を回した。

 や、止めろーーーーーーー!!!!


「背中はダメっ……ひぎぃっ!! ……うっ……くっ……」


 背中からゾクゾクと上がってくる刺激に、思わずソファの上で丸くなった。

 刺激が引いていくまでひたすら耐え忍ぶ。


 よかった、意識が吹き飛ぶほどの威力じゃなかった。

 立ち直ってから、男の背中を勢いよく叩いた。


「な、何するんだよ! 背中は止めろって言ってるだろ!」


 大声で叫んだが、男はヘラヘラと笑った。


「このように、素になると男言葉に戻るんですよ。はははっ」


 いや、はははじゃないよ。

 前回あれだけマリーに怒られたのに、数日経つとその緊張感も薄れてしまったらしい。

 というか、お酒が本当に良くない。

 アルフォンスを酔っ払わせるとダメだ。


「反応が良くて楽しいでしょう。どうですか、ジスラン殿も」


「な、なにが、楽しいだ! ふにゃっ!! ……な、なにするんだよ! は、離せぇ!」


 抗議しようとすると、腰に手を回された。

 逃げられないし、変な刺激が来る。

 腰って触られると結構まずいかもしれない。


「こいつ、頭を撫でられるのも好きでして」


 と、男は人の腰を掴んでおいて、空いた手で俺の頭に手を置いた。


「お、おい、人前で……うわ、ちょ……」


 抗議しようとしたが、頭を軽く撫でられた途端、ふわっとなんとも言えない心地よさが全身を襲ってきた。

 その心地よさに反射的に身を委ね、そのままアルフォンスに寄りかかってしまう。


 これ、本当に反則だ。

 強い刺激ではないけれども、とにかく本当に気持ちがいい。

 髪の毛の上を人の手が動く感覚が、強すぎず弱すぎない刺激で本当に自分にとってちょうどいい。


「んん……ん…………」


 言おうとした言葉が出てこなくなってしまう。


「先ほどは淑女ぶっていましたが、本当はこういう快楽に逆らえない女でしてね」


 アルフォンスが調子ぶって言う。


「だ、誰が……」


 文句を言いかけたが、そこでまた頭を撫でられた。

 また気持ちよすぎて言葉が止まってしまう。

 しばらく頭を撫でられていなかったから、久しぶりの刺激があまりに気持ちよすぎる。


「ん……んん……」


 ちょっと声が出たが、その後は無言で撫でられ続ける。

 体温を帯びた温かい手がゆっくりと頭の上を動くと、全部の感覚が吹っ飛んでしまう。

 思考が全部止まって、全感覚がその手の動きに集中してしまう。


「おい、身体を押しつけすぎだぞ」


 男が笑って言うけど、すでに身体のコントロールは効かない。

 気持ちよさを味わうために体中が集中してしまっていて、動こうとかそういう気分にならない。

 言ってしまえば、暖かい布団の中でまどろんでいるような感覚で、ずっとこのままで居たくなる。


「こ、これは……」


 ジスランさんの声が聞こえたので、完全に閉じかけていた目をちょっとあけると、ジスランさんが気まずそうな顔でがっつり自分を見ていた。


 あ。


 やばい、離れないと。

 きっと今の俺は、他人から見て気まずくなるほど蕩けた顔をしているのだろう。

 でも、身体が言うことを効かないんだけど。

 気持ちいい布団の中から起き上がるのが難しいように、この気持ちよさから離れるのもものすごく難しい。


「ア、アルフォンス、もうやめ……て……」


 自分で離れられないから、撫でている主に小さい声で言った。


「どうみてもやめてほしいという顔じゃないなぁ」


 男がふざけた様子で言う。

 だめだ。

 止める気が無い。


 ジスランさんが気まずそうな顔ながらも、なにかに納得したように頷いた。


「な、なるほど、そういう仲でしたか。アルフォンス殿が無理矢理留め置いているのかと思っていましたが、まさかお二人がそういう仲だったとは」


 い、いや、違う。

 たしかにそういう仲になりかけてるけど、でも違うから。

 否定したいけど、声を出そうとするとアルフォンスが頭を撫でて快感で上書きしてくる。

 こ、声が出せない。

 今回の頭なでなでは気持ちよすぎるんだけど……


「はっはっはっ、まぁこんな敏感な体質でちょっと頭を撫でるだけでイチコロなんですよ。それに普段から無防備ですから、危なっかしくて外に出せませんよ」


「たしかに、お気持ちは分かりますな……」


 ジスランさんが頷く。

 同意されてしまった。


「ア、アルフォ……ちょ、ちょっと……今日はやばい……やめて……」


 言葉が詰まりそうになりながら言うと、男が手を止めた。

 やっと止まった。


「はぁ……はぁ……あっ……はぁ……」


 息を整えるように呼吸をした。

 それから男を見上げると、男は真顔で俺を見ていた。


「なんだ、またなにかまずいのか?」


「い、いや、その……なんか……気持ちよすぎて……」


 と、言いかけると男の顔が本気になった。


 あかん。

 多分今の俺はとろけまくった顔をしている。

 その顔で『気持ちよすぎて』とか完全にアウトな発言だ。


「ち、ちがう! その、か、身体が過敏で変だから、お、抑えて……」


 必死に言うと、男は表情を変えた。


「なんだ……そうか、またダメなのか。医者にかかって治る物ならいいんだがな」


 と、男は残念そうに手を離してくれた。


 俺はきっとすごくエロい顔をしているだろうに、身体を気遣って手控えてくれる。

 酔うとちょっと強引になるけど、それでも俺の身体を気遣ってくれる。

 やっぱりアルフォンスって優しい。

 そんなところがすごくうれしくなってしまう。


 …………あれ?

 待て待て、冷静になれ。

 完全に流されているぞ。


「頭は刺激が強いから、腰に手を回すだけなら……」


 ん? 俺は何を言っている?


「そうか? なら……」


 男がまた手を伸ばしてきて、腰を掴む。


「ひっ……」


 か、感覚が敏感になっている。


「大丈夫か?」


 男が聞く。


「う、うん。そ、そのままずっと掴んでて……」


 また反射的に言葉が出る。

 く、口が勝手に物を言っている。

 おい、どうなってるこの勝手な無意識反応。


「あぁ……」


 男が頷いて、俺の身体を引き寄せる。

 すると、俺は無意識のままアルフォンスに体重を預けてしまった。

 な、なんか、完全にダメだこれ……

 すっごく安心するし、心地いいし……


 見上げると、アルフォンスが優しい顔で俺を見ていた。

 うう……なんでうれしくなっちゃうのか……。


 が、アルフォンスがふとジスランさんに視線を向けて、表情を変えた。

 釣られてそちらを見ると、ジスランさんが気まずそうな顔でレモン水を飲んでいた。


「い、いや、これは……。どうも自分は酒に弱くて、お恥ずかしいところをご覧に入れました」


 アルフォンスが俺から手を離して、両手で変なジェスチャーをして言い訳をする。

 が、俺の方は身体が動かなくて、というか動かす気がしなくて、アルフォンスにぴったりと取っ付いている。


「なになに、私もよく飲み過ぎまして家内に叱られますので、人のことは言えませんよ。しかし……たしかにこれをみているとアリス様をよそに出すのは心配になりますな」


 少しだけ口調がしっかりしてきたジスランさんが俺をジロジロ見る。

 恥ずかしいけど、やっぱり身体が動いてくれない。


「そうでしょう。私も心配でしょうがないんですよ。うちに手伝いに来ている若い男ともたまに遊んでいるようですが、なにか間違いはないか心配で仕方ありません。アリスは男として付き合っていると言っていますが、男どもに狙われているのではないかと心配でなりません」


「でしょうなぁ……」


 ジスランさんが深々と頷く。

 いや、別にジャンとはそういう仲じゃないって……。

 でも、口を挟む気にもなれず、そのままアルフォンスに黙って寄りかかっている俺。


「そもそも、来てすぐの頃に『身体が敏感だから試しに触ってみてくれ』って私に言ってきたんですよ。俺に下心があったなら分かりますが、こいつはそういうつもりもなくて頼んできたようです。そういうやつなんです。危なっかしいと思いませんか?」


「それは……いけませんな。年頃の少女が……特にアリス様のような少女がそんな脇が甘いようでは、よそで一体何をされますか」


 ジスランさんが動きの怪しくなった表情筋で眉をひそめる。

 会ったばかりの人にものすごく心配されている。


「本当に心配なんですよ」


 黒歴史までどんどん勝手に暴露されている。

 反論したいけど、力が抜けてしまっていて、なにか話そうという気持ちになれない。

 ずっとアルフォンスに体重を預けている。


「おい、黙ってるが本当に大丈夫か?」


 アルフォンスが俺の顔を見た。


「だ……大丈夫……このまま居させて……」


 無意識にそう言って、またアルフォンスに寄りかかった。

 もう理性が動いていない。


「こんなざまですよ。無防備すぎるでしょう」


「そうですなぁ……しかし若いというのはいいですなぁ」


 ジスランさんが変な感想を述べる。


「しかもここまでやっておいて、本人は俺と一緒になる気は無いそうです。ほんと、罪作りなやつですよ」


「そ、そうなのですか。てっきり恋人同士なのかと思いましたが……」


 ジスランさんも変な顔をする。

 たしかに、ここまでべたついておいて恋人じゃないとかおかしい気がする。

 は、離れないと……


 でもダメだ。

 身体が動かない。


「誰だってそう思いますよね。俺だってその気になってたのに、こいつ……」


 男がじっと俺を見たのが分かった。

 でも、俺の理性が動いていない。


「本人は男だって言い張ってますけど、その片鱗もありませんからね。覚悟を決めてくれればいいんですが、男だから俺と一緒は嫌だそうです」


「あまりそうは見えませんな……」


 ジスランさんが素の感じで言う。


「そうでしょう? 本当に腹が立ちますよ。こいつ……」


 と、アルフォンスが手を伸ばしてきて俺の頭を撫でた。

 ちょうどいい刺激で気持ちいい。


「ん……」


 ついに目を開けていられなくなって目を閉じた。


「おい、寝るのか?」


「うん……」


 なんとなく頷く。


「酒も飲んでいないのに寝ちゃいましたよ」


 と、アルフォンスがふざけたように言う。

 俺は半分寝て半分起きたような変な感覚で、目をつむったまま二人の話を聞いていた。


「私としましては、他の世界からやってきた英雄の方には自由に活躍していただくべきだと思っていたのですが……これを見ますとなかなかそうは言えませんな。手癖に悪い男などいくらでもいます。アリス様がそんなところに行ったら、まぁ無事では済まないでしょうな」


「私もそう思います。実際、結構危なかったようで……」


「すでにそんなことが。それは一大事ではないですか」


「ええ、ですからできるだけうちに置いておきたいのですがね。どうも、同僚のメイドと一緒によそに住むと言い出しまして、困っているのですよ」


「いやいや、手放してしまっては危ないですな。貴族の館なら招待されない者はなかなか入ってこれませんが、普通の物件に住んだら猫も杓子も簡単に入って来てしまいます。その中にはよからぬ輩もいることでしょうから、あっという間に傷物にされてしまいましょう」


「私もそう思うんですがね。怒らせてしまったので、なかなか強く言えず……」


「そうですか。それでは……」


 と、二人の話を聞きながら、完全に眠りに落ちた。


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