翌日のこと
翌日、少し気分が落ち着いたマリーと一緒に書斎に訪れると、男は緊張した顔で書斎机から立ち上がった。
アルフォンスは死刑宣告されるような顔をしている。
「き、昨日のことだな……」
俺が何かを言う前にマリーが前に進み出た。
「昨日アリスと話しましたが、ダニエル様やギュスターヴ様が進めている企画に協力することもあり、向こうに近い場所に住むことにしました。ですから、私とアリス、二人でしばらく長期休暇を頂きます。なんなら退職でも構いません」
マリーが硬い表情でいうと、男は意味を理解するのに時間がかかったらしく数秒固まっていた。
それから、大声を出した。
「ば、馬鹿な、なにを言っているんだ! 辞めることはないだろう!」
「私とアリスは本気です」
マリーが物怖じせずに言う。
「お、お前は本気かもしれないが、アリス、お前も本当にそうなのか!?」
男が情けない顔で俺を見てくる。
そういう顔をされると情が湧いてしまう。
え、別に辞めるとかそういうつもりはないんだけど。
マリーが勢いを出し過ぎている。
「い、いや、退職は考えていませんよ。ただ、本音としてもあっちの企画に協力した方がいいと思っています。なんかやってるみたいなんですけど、あんまり進んでいる気がしないので一緒に参加した方がよさそうです。あと、距離も少しは置いた方がいいような……」
そう言うと、男がオロオロとした。
やっぱり気の毒になってくる。
「お、怒っているのは分かる。だけど……なぁ……許してくれよ。酔ってなければあんなことはしない。約束する」
男が懇願するようにいう。
「そこまで言うなら……。まぁ、別に通ってもダニエルたちに協力することは出来る訳ですし」
と言いかけると、マリーが俺の前に出た。
「ちょっと、アリスはどうしてそう甘いの? とにかく、一ヶ月か二ヶ月かわかりませんが、しばらくお休みを頂きます」
「…………」
男が不安そうな顔で俺を見る。
「ま、まぁ……その、マリーがこういう調子なので、やっぱり休みを取ろうかなーと思います……」
しかし、男の目は、俺が戻ってこないことを心配している。
「い、いや、普通に戻ってくる気ですから。とにかく、ちょっと冷静になりたいので」
「そうか……戻ってくるんだな?」
男が念を押した。
「は、はい。マリーが怒っているのもありますけど、これを機に外でできることをいろいろやろうかと……。当てつけだと思わないでください」
「そうか……」
男が表情を緩める。
不安そうな様子だが、少しは納得してくれたみたいだ。
マリーがそんな俺とアルフォンスを交互に見た。
その目は「甘いなぁ」と言っている。
そして、変な目でじっと俺を見た。
その目は「そこまで優しく接するなら結婚すればいいのに。あなたが嫌だって言うから私が怒ってあげているのに」と語っている。
う、特殊能力かと自分で思うくらい、マリーの言いたいことがよく分かる。
目は口ほどにものを言う。
「マリー、悪いがアリスと二人きりで話をしたいのだが……」
アルフォンスがマリーに恐る恐る言う。
どっちが雇い主か分からない。
「それは危ないから駄目です」
マリーがぴしゃりと言う。
「お、おい、昨日の今日でおかしなことはしない」
「それに、アリスはご主人様にすごく甘いから、二人きりに出来ません」
「い、いや、二人で長期休暇を取ることは分かった。それは分かったから、少しだけ話させてくれ」
その言葉を聞いたマリーは少し安心したのか、肩を力を抜いた。
「休暇の許可、ありがとうございます。そういうことなら……二人で話してもいいですよ。でも、少しだけですからね」
マリーが一礼して書斎を出て行く。
マリーの姿が消えると男は息を吐き出した。
「はぁ……マリーは怒ると怖いな。全く女は怖い」
そして俺の顔を見た。
「にしても、こっちは全く怖くないな」
「……は?」
思わず眉間にしわが寄った。
「い、いや、なんでもない。その……怒っていないようで良かった」
男がごまかすように言った。
いや、怒ってるって。
「え、怒ってますよ。さすがに私も昨日のあれは酷いと思う……あ、男言葉にしないと」
うっかりしていた。
こういう詰めの甘いところが相手をつけあがらせるのだろう。
「え、えーと……お、俺は男ですからね。男言葉を使っているときは男で居るつもりなので、女モードの時と違って普通に気持ち悪いんですから」
さっきからいつものモードで話していたので、いきなり「俺」という一人称を使うと違和感がある。
違和感があるのが異常なのだが、慣れという物があるので仕方が無い。
なんとか男っぽく少しぶっきらぼうに話す。
アルフォンスは深く頷いた。
「本当に済まなかった。お前に無防備だとさんざん言っておきながら、そのお前に酔った状態であんなことをしたのがまずかった。どうも酒を飲むと気が大きくなって……」
「まぁ……分かりますけどね。正直、鏡で自分の姿を何度も見たので、つい襲いたくなるのは男としては分かる。ほんと、見た目が良すぎるし相手に媚び売るような表情をするから困る……ったく」
普段からすごく無防備で期待に満ちた顔で男を見て、しかもちょっといじられればトロトロに蕩けた顔をする。
普通に考えて襲われる。
「話が分かって助かる……。男同士、話が分かるな」
男が表情を緩める。
「でもまぁ、やっぱり良くないですよね。俺としては……その……えーと……や、やっぱり気まずくなるし、ああいう変なことにはならないように気をつけていかないと」
「まぁ……そうだな。俺も気まずいが、お前はもっと気まずいだろうな」
男は深いため息を吐いた。
「仕方が無いが……なにも明日から居なくなるというわけじゃないだろう?」
「ええ、そうですね。マリーが代わりのメイドを探そうとか言っていたし、家も探さないといけないらしいので、それなりに時間がかかると思います」
「そうか。とにかく、いきなり家出みたいに出て行かれるわけじゃなくてよかった……」
アルフォンスが無理矢理自分を納得させるように頷く。
そういう顔をされると、男モードの今でも気の毒になってなぐさめたくなる。
べ、別に俺はアルフォンスを悲しくさせたくて出て行くわけじゃなくて、変なことになるとまずいので出て行くだけだ。
アルフォンスがちゃんと反省して変なことをしてこなければべつに無理して屋敷を出て行くことはないのだ。
「えっとー……」
やっぱり出て行かなくても、と言いかけて口をつぐんだ。
多分、また俺がアルフォンスにべたついて同じ事になる。
やっぱり、俺が出て行って少し距離を取らないと行けないだろう。
つらいけど……出て行くことにしよう。
ん? つらい?
あれ、俺、そんなにアルフォンスになついているのだろうか?
女モードの時はなついているけど、男モードの時はただの恩人程度に思っているはずなのだが、なんでこんな気持ちになるのか。
「どうした?」
アルフォンスが不思議そうな顔をした。
「い、いえ、なんでもないです。とにかく、近々お休みもらうと言うことで。そんな大げさな話じゃないですよ」
軽い感じで言うと、アルフォンスも少し笑みを浮かべた。
「そうだな」
男が頷く。
「ま、頭撫でられるぐらいなら別にいいんですが、さすがにキスされたり襲われたりするのは勘弁して欲しいので。そういうのは本当に婚約とか結婚した相手にしてください。俺の婚約はただの名目だけですよ」
「あ、あぁ、分かってる」
男が頷く。
こうやって冷静なときに話すとアルフォンスはあの婚約が建前なことをちゃんと納得しているんだよなぁ。
だけど、うっかり俺が気を緩めると無意識に誘惑しまくって、アルフォンスが盛り上がって建前が吹っ飛んでしまうのだ。
怖い怖い。
そんで、俺もそれに乗ってちょっと喜んでしまうのだ。
怖い怖い。
「じゃあ、マリーが怒るんでこれで戻ります」
俺は頭を下げて、書斎を出た。




