時計技師
アルフォンスがいなくなった後は、ダニエルとギュスターヴが二人で雑談をしていた。
俺は一人で考えているうちに、割と気持ちが落ち着いてきた。
そんな時に、マリーに案内されて時計技師が食堂に入ってきた。
時計技師は40代後半のガタイのいい男だった。
「しがない時計技師をしているサミュエルと申します。このたびは呼んで頂き、恐悦至極に存じます」
男は食堂に入ってくると、恐縮した様子でペコペコと頭を下げた。
「サミュエル、領主の息子は席を外してるぞ」
ダニエルがそう一言声をかけると、男はペコペコするのを止めてすっと背筋を伸ばした。
「なんだ……。頭を下げてみれば、お前たち悪ガキ二人しか居ないのか」
突然、どこかの町工場のぶっきらぼうなおやっさんみたいな態度になった。
というか、町工場のおやっさんそのものなんだろう。
外見といい、ふるまいといい、俺の中の町工場のおやっさんのイメージとぴたりと一致する。
「悪ガキとはいい挨拶だな」
ダニエルが嫌な顔をする。
「お前みたいなのを悪ガキと言わずになんと呼べばいいんだ。ったく、わけのわかんねぇ話を持って来やがって」
突然ふてぶてしい態度になった男は、よっこらしょと椅子に座った。
そして、部屋の中を見回した。
「しかし、領主様のいる館にしちゃ、広いには広いが殺風景だな」
「あいつの親父さんが質実剛健がモットーだそうだ。あまり華美なものは好まないんだとさ。そんなセリフ、本人を前にして言うなよ」
とダニエルがフォローする。
「さすがの俺でも言わねぇよ。で、お嬢ちゃんはなんだい?」
ダニエルとギュスターヴの向かいに座っているメイド……つまり俺に話しかけてきた。
「あ……そのダニエルが話したと思いますが、私が他の世界から来た人間でして、アリスと申します」
女言葉で丁寧に言うと、男はちょっと驚いた顔をして顎を撫でた。
「へぇ……あんたが」
おやっさんがまじまじと俺を見る。
この身体もさすがにこのおやっさんは対象外らしく、特に変な気分になることは無い。
でも、がっつり見てくるので、大変気恥ずかしい。
「ええと……念のため私からも原理を説明します」
と、映画の原理を軽く説明し始めると、おやっさんの表情が変わって何度も深く頷いた。
それから、映写機の構造を説明すると、おやっさんが首をかしげながらも「なるほど」を連呼した。
「まぁ、大体の構造はわかったよ。しかし、俺は時計技師だ。歯車やらゼンマイを組み合わせて機械を考えたり作ったりするのは俺の専門だが、そのフィルムなんてものは作れないぜ。どうするんだ。そのフィルムの形によっちゃ、機構の設計が全然違っちまうぜ」
「細長い紙に絵や写真を貼り付けていけばいいんじゃ無いか?」
ダニエルが横から言った。
「おいおい、そんな無計画でいいのか? ガタガタの段差のある紙を突っ込まれちゃ、俺だってかなわん。もうちょっとなんとかしてくれ」
「そこはなんとかしてくれよ」
「無茶を言え。新しくヘンテコな機構を作るのに、そんな所まで面倒見れるかい。そのフィルムをちゃんと作れる方法を考えてから頼んでもらいてえな。本当に作れるんだろうな?」
おやっさんが目を剥く。
「そいつは……」
ダニエルが困った顔をする。
ギュスターヴもさすがに顔をしかめて困っている。
「お嬢ちゃん、その絵というのは最低何枚くらい必要なのかね?」
おやっさんが俺に話を振ってきた。
「何枚ってことはないですけど……一秒間に24コマ必要です。もしかしたらもっと遅くてもいいかもしれないけど」
この世界の1秒と元の世界の1秒はほとんど同じだ。
「なるほど。じゃあ、繰り返せる映像だったら短くていいんだな。例えば歩く姿とかなら」
それならば、とダニエルとギュスターヴも話しに参加し、馬の走るところがいいとか、ダンサーがぐるぐる回り続けるのがいいとか言い始めた。
「まぁ、中身はなんでもいいんだ。繰り返せるなら2-3秒あればいいんだろ」
その後におやっさんは光源の話をした。
この世界の普通のランプの光ではとても壁に投影するだけの光量はなさそうだ、という話になり、投影するのでは無くのぞき込むことにした。
なんか、エジソンがそんなのぞき込むと動画が見れる機械を作ったとかN●K教育で見た記憶がある。
「じゃあまぁ、光源は高出力のランプでいいとして、50-70枚程度の絵を繰り返し再生するとしてだな……」
おやっさんが提案したのは、フィルムでは無くドラム式だった。
フィルムならすごく長い動画を作れるが、今の自分たちにはそもそも長い動画を用意できないし、フィルムという物をこの世界で作るのは大変だ。
ドラム式なら、円柱の周りに絵を描いてそれをぐるぐる回すだけでいい。
円柱が一周すると元の位置に戻ってくるので、特に考えずに繰り返しの動画が再生できる。
ただ、円柱1周分の長さしかないので、一枚一枚の絵はすごく小さくなるし、枚数はかなり限られる。
「たしかに最初にアリスに聞いていた機械よりも簡単だな。だが、2-3秒じゃインパクトがないな……」
ダニエルが少し渋る。
俺が映画に関しては結構壮大な話をしてしまったので、ダニエルの中ではそのイメージが先行しているのだと思う。
「気持ちはわからんでもないが、そんな大がかりなものを最初から作ろうとしてたら、いつになるかわからん。金も時間も高く付くぞ」
とおやっさんが言った。
「まぁ、それもそうだな……」
不承不承ながら、ダニエルも頷く。
ぐるぐる回る円柱に絵を何十枚と貼り付け、円柱を回転させる。
そして、その回転に合わせて光源のランプの光を遮るプロペラを回す。
人は装置に空いている穴から中をのぞき込む。
絵がちょうどいい場所に来たときだけ絵がみえるようになるので、映画と同じように動いて見えるはずだ。
「まぁ、こんな感じだろう。光を遮るプロペラと円柱の回転が同期しないと行けないから、ここをギアでつないでだな……」
おやっさんが紙の上にラフ絵を描く。
「動力はとりあえずハンドルで回るやりかたでいいだろ。速度が速くなっても問題ないんだろ?」
「はい。動きが速くなるだけで、特に見え方には問題ありません」
「それじゃ、これで決まりだな」
紙の上に図が書き込まれていく。
「いやぁ……口は悪いが、さすが一流の時計技師だな。よくこんな構造を思いつく。光をどうやって高速で点滅させるか全く分からなかったんだが、確かにこれなら点滅させることができるな」
ダニエルが感心したように絵を見る。
俺も感心した。
プロペラで光を遮れば確かに光は点滅させることができる。
しかし、ダニエルの賞賛の言葉にも、おやっさんは渋い顔をした。
「お褒めの言葉は結構だが、こういうのは実際に作るのが大変なんだぜ。あとで詳細図面を描いてギアの枚数も計算しないといけねーし、ここの光源の機構だって本当に動くかどうかわからんしな」
「いや、動くだろ」
ダニエルが気楽言うと、おやっさんが舌打ちをした。
「ちっ、素人が気安く言うなよ。新しい機構って言うのは、そうそう簡単に動かないんだよ。ここは光を漏らさないことが大事なんだが、プロペラと壁を密着させると摩耗が心配だし動きが渋くなるだろ。かといって、隙間を空けたら光が漏れて意味が無いしな。だいたい、こういうのはやってみるといろんな課題が見つかるんだ。タイミングだとか摩耗だとか変形だとかな。それにランプの熱をうまく逃がさないと焦げちまうしな」
「ふーん、なるほどなぁ」
その後もおやっさんが「ここの機構はこういうトラブルがでそうだ。うまくいかないかも」という話を何個も並べ立てた。
「む、難しいな……」
ダニエルがうめく。
「まぁ、なんとかやってみるけどよ。時間と金はかかるって話だ。金は大丈夫なんだろうな」
「あ、あぁ」
ダニエルが頷く。
「おし、じゃあこれで取りかかろう。じゃあな」
と言うと、おやっさんは立ち上がってふらっと出て行ってしまった。
なかなか自由人だ。
ちょっとあっけにとられて後ろ姿を見送った。
「なんとかやってくれると信じるしか無いな……」
ダニエルがつぶやいた。
「ってか、俺スルーされたんだけど……」
他の世界から来た人間だと話せば、だいたいの人はそれなりに驚いたりするものだ。
機構の話が終わった後に、「どんな世界に居たんだ」くらいの質問は来ると思ったのに、話が終わったらさっさと帰ってしまった。
頭の中は完全に機械のことで一杯になっていたようだ。
職人らしいといえば職人らしい。
「まぁ、そういう職人だからよ。それにしても、最初のうちは気乗りしないようなことを言っていたくせに、いざ装置の話をしたらノリノリじゃないか。まぁ、そのほうが助かるんだけどな」
ダニエルが肩をすくめた。
「それで、この後はどうするんだ?」
そう聞くと、ダニエルは少し考えてから返事をした。
「そうだな。とりあえず金稼ぎと知名度作りだ。あの時計技師は腕はいいが結構値がはるんだ。金を持ってかないと後回しにされちまう」
「どうかな。さっきの様子だと、他の儲かる仕事を放っておいても作り始めそうに思うが」
と、ギュスターヴが口を挟む。
「そりゃそうかもしれないが、どっちにしろ金は必要だ。それに、できたものを公開するにも噂話がさきにあったほうがいい。他の世界から来た人間が作った装置、なんて話が広がったら、装置ができる前から大騒ぎになるぜ」
なるほど。
それは分かる。
ただの珍しい装置というより、他の世界からのアイディアで作った装置だと言った方が注目度が高いだろう。
事前からその噂を流しておいた方が、公開したときのインパクトは大きくなるだろう。
「なるほど……」
「なるほど、じゃないよ。お前にはあちこち回って講演会とかやってもらわないとな」
ダニエルが真剣な顔で俺を見た。
え、まじ?
人前で話すのとかすごく苦手だ。
「え……それは、なんとかならないかな。人前で話すのは……ちょっと……いや、かなり苦手なんだけど……」
身体を後ろに引いて、嫌だということを精一杯アピールする。
しかし、ダニエルは引く様子がない。
「おいおい、そんなことでどうする! 使命を果たすためにがんばろうぜ」
ダニエルが力を込めて言う。
「だから……多分これって俺の使命じゃ無いと思う。というか、使命とか存在しない気がしてきたし……」
「おい、そこは気張ってくれよ! 頼むから、な?」
ダニエルが低姿勢で頼んでくる。
「でも、人前で話すのは……」
「俺もサポートするから、頼むよ」
ダニエルが困った顔をする。
う、この身体になってから困った顔とかされるとすごく弱いんだ。
なんかお人好しなんだよなぁ。
「わ……分かったよ。できる限りするから……だからそういう顔をするなって」
「よし、そうこなくちゃな」
ダニエルが笑う。
すると、ギュスターヴも身を乗り出してきた。
「アリスさん、私からもお願いします。ダニエルも私もこの企画は本気で取り組んでいるんです」
いつも嘘くさい爽やかな笑顔を浮かべているギュスターヴが、いつになく真面目な顔をした。
お、おい、そういう演出ずるくない?
「わ、分かったよ……」
美形が真顔で頼んでくる構図は、ちょっと刺激が強すぎる。
自分が男だったときでも、こんなに見栄えする人間に真顔で頼まれたら断れなかったと思う。
正直、ずるい。
「よし。まぁ、次の会場はこっちで準備する。また手紙を送って……いや、かったるいな。直接ここに来よう。アルフォンスには話をつけよう」
帰り際に二人は書斎に入り、アルフォンスと軽く話をした。
そして、直接屋敷に来ることの許可をもらい、二人は屋敷を出た。
「あれ、帰りはどうするんだ?」
馬車でも待たせてあるのかと思ったが、別にそんなことはなかった。
「貧乏貴族は金も節約しないとな。乗合馬車に決まってるだろ」
とダニエルが肩をすくめる。
いやー……この二人が乗合馬車とか乗っていたらめちゃくちゃ目立ちそうだけどな。
特にギュスターヴは超絶美形で振る舞いが洗練されすぎている。
そんなことを思って、ぼけーっと二人を見ていると、ギュスターヴがぽんと箱を渡してきた。
反射的に受け取る。
「ではアリスさん、またお会いしましょう」
「あ……うん」
頷くと、二人はだらけた感じで歩き出した。
その二人を見送ってから屋敷に入り、手に持っている箱のことを思い出した。
「ん?」
箱を見ると、さっきの箱だ。
開けてみると、やっぱり紐パンが入っている。
「し、自然に渡すなよ、こんなもの……」
人目に付かないように、とりあえず自室に放り込んでおいた。
○コメント
最近全然書くタイミングが無くて、文字数が全然増えません。
このペースでは完結はいつになるやら(汗;




