177◇第十層・渾然魔族『喚起邀撃』領域10/召喚
「レメゲトン様」
牛人の【黒魔導士】であり、魔王軍直属の配下である【黒き探索者】フォラスの声。
「あぁ」
彼の伝えたいことは分かる。
【嵐の勇者】エアリアル以外の侵入者が現れた。それもほとんど同時に。
【疾風の勇者】ユアン、【魔剣の勇者】ヘルヴォール、【迅雷の勇者】スカハ、【湖の勇者】レイス、【破壊者】フラン。
レイド戦に参加した全ての【勇者】が、ここまで到達したことになる。
僕は立ち上がり、彼らを見下ろした。
「貴様らはこう思っていることだろう。『次は魔王だ』『自分たちが魔王を倒すのだ』と。それがいかに愚かな考えであるか、教えてやる必要があるようだ」
第一位、第三位、第五位に、四大精霊契約者と【破壊者】のタッグ。
このメンバーは、人類側が用意出来る最強の布陣に近い。
そして実際、第十層最終エリアまで侵攻されてしまっている。
フェニクスパーティー戦で、僕に後悔があるとすれば。
親友との戦いそのものにはこれ以上なく満足のいった僕が、防衛という観点から失敗だと思ったのは。
『惜しかったね』なんて、視聴者の意見を沢山出してしまったこと。
『もう少しで魔王城を攻略出来たかもしれない』、という考えを多くのファンに抱かせたこと。
ここで彼らの攻略を食い止めても、また言われることだろう。
僕の導く勝利は、策を積み上げていくもの。
上位の【勇者】がみんな持っている、圧倒的な暴力とは別種のもの。
「ほう、それは楽しみだね」
エアリアルさんは笑っている。
【絶世の勇者】エリーさんのミラージュを利用した奇襲を、難なく聖剣で防ぎながら。
ここまでの撤退も、本来は敵の攻略に合わせて配下を召喚し、自らは悠然と最終エリアに戻る、というものになる筈だった。
エアリアルさんの追跡によって、それは崩れたわけだ。
ここで、僕らが激闘の末に敵を全滅させるだけではもう――足りない。
彼らに、視聴者に、強く印象づける必要があった。
何があっても、魔王城が落ちることだけは絶対にないのだと。
誰であっても、魔王城の王を殺すことなど出来やしないのだと。
そのために必要なのは、そう。
あの御方をおいて他にいない。
僕の右腕を、黒い物質が覆う。硬質なそれは、肘からは円錐状の突起として生える。
「……ほぉ、それが貴殿の角か」
さすがは一線級の猛者達、この魔力を前に怖気づく者はいない。
それでも、実力者だからこそ分かる筈だ。
僕の角の魔力は、空などではない。
フェニクス戦で消耗? あぁ、したとも。すっからかんになった。
ニコラ戦で見せたのは全力ではない? あぁ、あの時はまだ魔力が足りなかった。
そして、今。
ダンジョンコアの魔力を吸収するという、新たな技術を、僕は――習得していた。
空間が震える。
「あはは。いいじゃん、レメゲトン!」
風魔法で浮遊し、こちらへと迫るのは――レイスくん。
スカハさんとユアンくんは聖剣を、ヘルさんは魔剣を抜く。
フランさんは幼馴染を追おうと走り出す。
僕はフォラスと反対側、彼と共に椅子の両側に控える形になるよう移動する。
そして、指輪に魔力を流した。
角で純化・凝縮した魔力がごっそりと失われる。
「――こちらへ」
その存在が空間を超えて現れることに、世界が悲鳴のような声を上げた。
いつもとは違う。
中々召喚されない。彼女の通る道を開けるという作業が、それだけ途方もないものということ。
突如、玉座の前の空間に、罅が入った。
「余を喚び出すとはな、我が参謀よ」
罅から、小さな手が出てくる。それが、殻でも破るように空間を剥がし、そして、現れた。
身の丈以上の紅の髪、燃えるような双眼、一対の黒き角。
童女のごとき矮躯と侮ることなど、何人にも許されない。
そもそも、王から放たれる圧倒的な魔力を浴びて、そのような戯言を吐ける者などいまい。
「余に鏖殺を望むか?」
「いいえ、我が王。この者共に王威を示していただきたく」
師匠の時のようなことを、魔王様にしてもらうつもりはない。
魔王一人で敵全滅。確かに、難攻不落の名もつくことだろう。
だが、僕らは僕らで勝つつもりでいる。みんなで作るエンターテインメントという前提を壊すつもりはない。
ただ、冒険者が最高戦力の【勇者】を最初から投入するのに対し、魔物は最深部に到達した敵を【魔王】が迎え撃つという形。
もはや師が魔王城にいないことは、周知の事実。
だから、一度教えておく必要があった。
【魔王】ルキフェルは確かに王位を退いた。
だが、魔王城には変わらず、冒険者に永遠の戦いを強いる最強の存在がいるのだと。
「ほう……」
ルーシーさん……いや、ダンジョンネームで呼ぶべきだろう。
【魔王】ルシファー様が、唇を楽しげに歪める。
「まっこと忠臣よな。よかろう、愛しき我が魔物の願いだ。指折り五つで、格の違いを見せつけてやろう」
魔王様の姿が、消えた。
瞬間、冒険者達の叫ぶ声が響く。
エアリアルさん、スカハさん、ユアンくん達の三人が同じ言葉を口にした。
「精霊よ……ッ!」
本能が察したのだろう。すぐさま精霊の魔力が必要だと。
しかし。
「喧しい」
ヘルさんの魔剣、スカハさんとユアンくんの聖剣が――次々と砕け散る。
僕の目では、速すぎて追えなかった。
ただ真紅の残光だけが、フィールドを駆ける魔王様の存在を教えてくれる。
「ん、さすがに堅いな」
エアリアルさんの聖剣だけは、なんとか剣の形を保っている。
だが、罅だらけ。
それも彼が魔王との戦いに向けて振り返った際に、砕けてバラバラになってしまう。
風精霊本体の加護でさえ、数秒長持ちする程度。
指折り五つ……五を数えるまでもなく、冒険者の武器が破壊された。
「余は帰る。貴様らの顔を見ることは、もうなかろう」
魔王様は、僕らが勝つと言っている。だから、彼らは再び魔王様の顔を見ることは出来ない。
「待て」
雷光が瞬いた。
魔王様が一瞬前まで立っていた空間を、雷撃を纏ったスカハさんの右足が薙ぐ。
雷の速度で放たれる蹴りは、空振った。
我らが王はスカハさんの背後に、音もなく立っている。
「聞いておったか? 貴様らの相手は我が子らが――」
「『迅雷領域・導針』」
「む」
スカハさんの姿が掻き消えたかと思うと、魔王様の周囲で電光が凄まじい頻度で瞬いた。
無差別範囲攻撃である『迅雷領域』を、スカハさんは完全制御出来る。
これはそこから発展させ、一つの対象に向かって四方八方から雷撃を叩き込む技……なのか。
魔王様の姿が、ブレて見える。……全ての雷撃をその両手で捌いているようだ。
僕がフェニクスの『神々の焔』を防いだように、高密度の魔力で魔法から身を守ることが出来る。
魔王様はそれを鎧のように纏っているのかもしれない。
「おいおいスカハ! あたしも混ぜろ!」
ヘルさんが走り出す。その軌道上に、彼女を喚ぶ。
「来い――ベリト」
出現した【蟲人】の女性を見てヘルさんは立ち止まり、すぐに嬉しそうな顔をする。
「……んー、お前さん確か、あれだろ。レメとタッグトーナメントに出てた」
「第三位【勇者】に知られているとはね、光栄だよ」
タッグトーナメントの時は特別ルールで魔物魔力体オーケーだったが、今回はダンジョン攻略。蟲人っぽさは装飾品で補い、ゆったりとした衣装を纏うことで更に誤魔化す。
【銀砂の豪腕】ベリト。中身は【銀嶺の勇者】ニコラ。
僕の友人で、貴重なファンで、タッグトーナメントで共に戦った相棒。
「魔王城に就職したのか」
「今回限りだ。貴女と戦えるかもと聞いてね」
「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。生憎魔剣はさっき壊れちまってな。でも、楽しませてやれると思うぜ? ――あたしの精霊術を、知ってるか?」
「……もちろんだとも。精霊は魔剣の呪いを好かない。貴女が魔剣を装備している間は、怒って手を貸してくれないんだろう?」
「あ? 詳しいな。まぁその通りでな。中々使う機会もねぇんだが、お前さんとお揃いの土属性だぜ」
ヘルさんが両手を広げると、彼女の腕を岩が覆う。
「喧嘩、好きなんだろ? やろうぜ」
拳を叩き合わせながら、好戦的に笑う魔剣なき【魔剣の勇者】。
「喜んでお相手しよう」
ベリトの両腕を『白銀』が覆う。
「魔王が俺を無視するってことは、あんたが相手してくれんの?」
空を飛んで僕に迫るレイスくん。
今の僕は、彼の敵。思うことは、魔王軍参謀として伝えよう。
「貴様は問題外だ、勇者に値しない」
「……は?」
「来い、ベヌウ」
その炎は、青かった。
魔人だ。その二本の角は、側頭部から後ろに向かって生えている。
その髪は深い青で、非常に長い。
顔全体を覆うのは、金属質な仮面。
【不死の悪魔】ベヌウ。
【炎の勇者】フェニクスの、魔人魔力体だ。
「己が愚挙に気づきもしない小僧だ、少し炙ってやれ」
「御意」
炎を噴いて、ベヌウが空を駆ける。
「……誰だよあんた。レメゲトンと戦いたいんだけど」
「資格なき者を通すわけにはいかない」
「俺は【勇者】だよ。魔物を倒して、仲間を勝たせる」
「出来てもいないこと、誇らしげに語るものだな」
「……さっきから、二人してわけ分かんないなぁ。まぁいいや、やろうか」
嵐風が渦巻き、蒼炎が噴き上がる。
多くの者が知らぬまま、四大精霊契約者同士の戦いが始まろうとしていた。
「ふむ、賑やかになってきたね」
エアリアルさんがポンと手を叩いた瞬間、世界の法則が歪んだ。
「ユアン、四方に風刃を」
「は、はい!」
聖剣はあくまで加護の宿った剣。
精霊術は変わらず行使可能。
ユアンくんが自分の周囲から全方向に放った風刃は、それぞれが『初級・始まりのダンジョン』の魔物達をそれぞれ正面から斬り裂いた。
「フラン、好きなように暴れるといい」
フランさんが虚空に蹴りを放つと、彼女の足だけがオークのダンジョンマスター【寛大なる賢君】ロノウェの前に現れ、強烈な一撃がその胸部に炸裂した。
大きく後退しながら、ロノウェはそれに耐える。
【零騎なる弓兵】オロバスの放った矢が途中で消え、どういうわけか――背後から彼女を襲う。
周囲のオークが咄嗟に盾を構えたおかげで、矢は弾かれたが、異様な出来事に動揺が走る。
だが、彼らもすぐに分かる筈だ。第九層の映像で確認済み。
自在なる空間制御。精霊術の深奥が一つ、『天空の箱庭』だ。
「さてレメゲトン殿、私のことはどう倒す?」
彼の問いに、僕は――。