135◇間違いじゃなくても、苦しいのだから
僕の前に座るレイスくんが、驚いたように目を瞬かせる。
カコンッ、と彼のグラスの中で、氷の音がした。
「驚いたよ。頭の回転が速い人なんだなとは思ってたけどさ。どうして分かったの?」
「……僕ならそうするから、ってだけなんだけど」
「あはは」
レイスくんはおかしそうに笑った。次に、嬉しそうに。
「そっか。それは良いね。じゃあやっぱり、手伝ってよ。レメさんなら分かるだろ? フェニクスセンパイが、エアおじが、俺が、強い奴らがどんだけレメさんを認めても、実力を疑う奴は消えない。強い人を見て、強いねと認めることも出来ない奴らばっかだ」
確かに、ベリトとのタッグトーナメントの一件や、エアリアルさんが僕を勧誘した事実が知られたことで、【黒魔導士】レメへの評価が一変したとか、そういうことはない。
少し、ほんの少し、認めてくれる人が増えた、という程度。
僕はその小さな一歩に不満はないが、レイスくんは違うようだ。
僕を否定する人達にも、彼らなりの評価基準がある。
僕が勝っても、地味なのは変わらない。
黒魔法が目に見えないのは不変。
僕の容姿は優れているとは言えないし、あのようなやり方が攻略で役立つとは思えない。
他にも色々、僕を否定する理由は幾らでも用意出来るし、転がっている。
ただ、他者の評価に晒される場に自ら身を置く以上、批判はついて回るものだ。
エアリアルさんなら年寄りだとか、フェニクスならリーダーシップに欠けるだとか言う者はいる。
全ての人に手放しに褒められる存在は、きっといない。
それが分かっていても、否定されるのは辛いものだけれど。
そして、否定されるのが自分の大切なものだったら、きっと自分の時よりもずっと辛く苦しい。
「手伝うことは、出来ないよ」
「分かんないな。分からない。勇者になるんだよね。諦めたわけじゃないなら、何がしたい……いや、何をしてる、かな。レメさんが、どうやって目的を果たそうとしてるのか、俺には分からないんだけど」
まさか魔物側に回っているとは、彼も思わないだろう。
だからこそ、彼には僕の態度が不可解なのだ。
新パーティーに加入せず、彼やエアリアルさんの誘いを断り、だが勇者は目指し続けている男。
「まぁ、いいや。そんなに言いたくないならさ。俺達の戦いを見たら、きっと一緒に戦いたくなるよ。レメさんはサポートしてくれてもいいし、自分で戦ったっていい。レメさんがやるなら、それが勝つ為に必要なんだろうから」
随分と信用されている。
いや、違うか。彼はただ、僕の戦いを見てそう判断した。
ベリトとの共闘は、彼にそう判断させるだけのものだったということ。
「その気持ちは嬉しいよ」
「でも断るんでしょ? 分かってるって。じゃ、もう帰ろうかな。明日から忙しくなるし」
「レイスくん」
「ん、なに? 気が変わったって話なら、大歓迎だけど」
「そうじゃないんだ……その、もし僕の勘違いなら申し訳ないんだけど」
「なに、怖いな」
レイスくんは微苦笑しながら肩を竦めた。
僕は迷った。
ある言葉を誰かに向ける時、重要なのは言葉の意味だけではない。
相手と自分の関係性、状況、相手の心境など、様々なものが関係してくる。
言葉をぽんと放てば、誰が何を言おうと同じように万人に届く、なんてことがないように。
僕が言おうとしていることは、踏み込みすぎではないのか。そういう迷いが、あった。
「憧れた人の正しさを証明することは、良いと思う」
「その話か。うん、どうも」
彼は視線を逸らし、面倒くさそうに首を傾けた。
好ましい話題ではないのだろう。
「君が、憧れた勇者のようになりたいというなら、それは立派な目標だと思うから」
「……何が言いたいのか、よく伝わってこないよ」
彼はしっかりと、僕の言葉の裏を読もうとしている。
先の流れから、ただ肯定の言葉を放つだけとは思っていないのだ。
「えぇと、だから……君は、君がなりたいものに、なろうとしていいんだ。その、つまり……もし、【不屈の勇者】の代わりになろうとしているなら……それは、健全じゃない」
彼が、目を見開く。
――あぁ、当たってしまった。
彼の発言から、【不屈の勇者】が家庭を持って引退したことを快く思っていないのは感じ取れた。
でも、彼は冒険者時代の父親の在り方を正しいと思っており、それを証明する為に戦うのだという。
彼のようになりたいではなく、強かった勇者の正しさを証明したい、これが目的。
「……誰かに、何か聞いた?」
「いや、ごめん。全部僕の憶測だ」
「そう……本当に怖いな。それとも、俺がまだ未熟なのか。それで、健全じゃないって、何が」
「僕も、【不屈の勇者】が引退後に何を言われたかは知っている。ファンだったからね。とても悲しいし、悔しかったよ。あんなに強く格好いい人が、どうして悪く言われなきゃいけないんだろうって」
「子供が出来た程度で、挑戦することを諦めたからだ」
…………。
レイスくんは、自分で言いながら、表情を歪めている。
「それは、違うと思う」
「どこが? 俺には分からないよ。もう一年努力して、【嵐の勇者】達を超えるべきだった。出来た筈なんだ。それをしなかった所為で、逃げたなんて言われてる。つまり、俺の所為で」
「……君の所為ではないよ」
「あぁ、分かってるよレメさん。お決まりのやつだよね。『お前の為だ』ってやつ」
きっと、彼の苦しみを感じ取った人達は、そのように励ましたのだろう。
そしてその言葉は、彼を救わなかった。
「いいや、彼自身の為だ」
「……どういうこと?」
意外な答えだったのか、レイスくんが僕の言葉に耳を傾け始める。
「本気で何かを目指す人にとって、当たり前だけどその目標はとても重要なものだ。色々なものを犠牲にして、どんな努力をしてでも果たしたいと思うし、実際にそうする」
「……つまり、あの人は本気じゃなかった?」
「違うよ。……あのさ、こんなこと、子供もいない僕が言えるようなことじゃないけど」
「いいよ、聞かせて」
「『犠牲』に出来ないくらい大事なものが出来て、それを守る為に歩む道を変えることは、逃避なんかじゃない。彼は自分の為に、自分でそう決めたんじゃないかな」
「…………」
「【不屈の勇者】は、一位を諦めたんじゃない。家族を諦めなかっただけなんだと、僕は思う」
だから、自分の所為だとは思わなくていい。
なりたい姿を定めて、その為に戦っていい。
そう、伝えたかったのだが。
どれくらい経っただろう。
レイスくんは、ふぅと息を吐いた。
「うん、レメさんが当たってると思う。多分、そういう意味で言ったんだなってセリフ、聞いたことあるし。でもさ」
レイスくんは、唇だけで笑った。
「俺は、それが嫌なんだって」
そう。
今の彼の行動にあるのは、憧れではない。
自己の否定だ。贖罪、と言ってもいいかもしれない。
自分が最強を汚したと、彼は考えてしまっている。
だからせめて、その汚れを払拭したいのだ。
そうして綺麗になった最強で、世間を認めさせないことには。
彼は、彼を許せない。
齢十の少年が背負うには、重すぎる。
「レイスくん」
「楽しかったよ、レメさん。またレイド戦が終わったら話そうね」
そう言って、彼は席を立った。
その背を追っても無駄だろう。
明確な拒絶が感じられる。
言葉だけで、些細な会話の中で、人が救われることもある。
けれど、彼の悩みはそういう類のものではないのかもしれない。
ならば、僕に出来るのは――。




