自傷ヤンキーと両片思い?
今日も彼は傷だらけだ。
「ただいまー」
無機質に響く挨拶に、机に向かっていた顔を上げる。
ついこの間出来たばかりの兄はいわゆるやんちゃ盛りで、今時珍しいテンプレみたいな反抗児だ。
私には優しく努めてくれている気もするが、不本意に出来た妹にどう接するか考えあぐねているだけだろう。
「おかえりなさい」
玄関まで迎えに行くと案の定打撲、裂傷、流血、……そんな状態で嬉しそうに破顔する明るい茶髪の青年。
「いたんだ、部活は?」
「気分乗らなくて行ってない、昼間から喧嘩?」
「喧嘩っていうか絡まれた。返り討ちにしたけど」
誇らしそうに語られるそれを聞いてちょっとしかめ面になる。
暴力は苦手だ。一方的にやられるだけの立場だった事もあるし、創作でもたまに気分が悪くなるし、私にとっていい事ない。
だけどどうやら兄にとってはちょっとしたスポーツみたいなものらしい。
そういう物の考え方は新鮮だと思うけど、実際怪我が絶えないのは心配になるからよしてほしい。
「そんな顔しないでよー、大丈夫だから」
「大丈夫っていうのは流血してる人が言わないの。手当てするからリビング行こ」
「はいはい」
大人しくついてくる兄に気づかれないようそっとため息を吐いた。
どうもこの人、手当てするときやけに上機嫌になるんだ、もしかしてわざと怪我して心配されるのを楽しんでいないか?
そうなのかもしれない。何せ再婚前は10年前に母を亡くして父は多忙、幼年期をほぼ独りきりで過ごしていたらしいから。
人に心配されるのが面白いのかもしれない。
変な人。
戸棚を開けて救急箱を取り出す。
中にある色々な道具はほぼ兄専用、私や母が使うのは絆創膏くらいの物だ。
毎日といって差し支えないほどに怪我をするので、それに合わせて私も手当てに慣れてしまった。箱を開けて机に必要なものを手際よく並べていく。
その間兄は椅子に座って制服の上着を脱ぎ、ズボンを捲り上げて………
「え、そんなとこも怪我したの?」
「ああ、これは喧嘩じゃないよ。階段のところで滑って打った」
覗き込むとまだ血が赤く、周りが青紫に腫れて酷く痛々しい。
さっきまで普通に立っていたのが不思議だ。
「血が出てるってことはズボン汚れたな、脱いで」
「えー?えっち!」
「ふざけてると怒るよ」
「はい」
ズボンを脱ぎ出す兄を、あまり見ないように視線をうろつかせる。
男の人に免疫がない上に、兄はそこらの男の人達よりスタイルいいし、顔も傷ばかり作るのが勿体無いくらい整っている。いわゆるイケメン様だ。
兄妹とは言えついこないだからの間柄、まだまだ慣れずにいる。
「どこ見てんのさ」
「!!き、がえ、もってくる」
「ああいいよ。どうせトランクスだからズボンと大して変わらないだろ」
私的には変わるんですが!!
私の精神衛生をもうちょっと気遣ってくれてもいいんじゃないんですか!!
とも言えず、大人しく手当てを始める。
大体こういう時は兄からの質問責めが始まる。無言よりよっぽどいいけど、たまに困る質問が飛んでくる事もある。
「そういや彼氏できた?」
……こういうやつ。
「それ、昨日も聞いてたし。今日も昨日と答えは一緒だし……」
「あはは、冗談だよ気にすんな!でもお前結構可愛いのになー」
「そんなこと言うのアンタだけ、眼科の受診をお勧めしとくわ」
恋愛関係の質問は気まずい事この上ない。
大体私を可愛いって形容していい人じゃないよこの人。天下のイケメンに褒められて喜びより困惑が勝つわ。
そんな他愛ない会話の中で止血と消毒と絆創膏を貼っていく作業。
あと古い絆創膏も兄は剥がれたら剥がれたままにするので貼り替えてやる。
この人本当に私より年上なのか……?
「日に日に手際よくなってくなあ」
「慣れたくないけどしょっちゅう傷を作るアンタのせいでね。保健委員顔負けなんじゃない?」
なんなら本当に保健委員なってやろうかな。
当てつけ気味にそう口にした途端、兄の顔が強張った。
ガシッ
「びっ……くりした、なに」
「ならないよな?」
「え?」
「保健委員ならないよな」
「ちょ、痛」
「他の奴の手当てなんかしないよな」
ギリギリと掴まれた腕が締め付けられる。
爪が食い込んでプツリと皮膚の切れた感覚がして、こんな乱暴な兄は初めての事で、
「お兄ちゃん!痛い!!」
そう叫んだらビクリと動きが止まった。
握力からも解放され、腕を見てみたら手の跡がくっきりついていた。あと数ヵ所出血。ひえー……流石男の人。
「ご、ごめんな、こんな事するつもりなかった、ごめんな痛そう」
「急にどうしたのさっき、そっちのが心配だわ」
「お前が他の奴にもこんな風に優しくするなんて考えたら頭に血が上った」
ごめん、と呟く兄は私よりふた回りは大きいはずなのに今はやけに小さな子供みたく見える。
こういうところ、ほんとずるい。怒れなくなる。
「とりあえず手当てしよ」
「あ、俺やったげる。いつものお礼」
私の腕を支えながら傷の出血を拭き取る兄を見ながらふと思う。
ちょっと不安定なところはあるけど、優しいしかっこいいし、もしも兄じゃなくて先輩として会ってたら……なんて。
まあ向こうから願い下げなんだろうけど。
今日も俺は傷を作る。
「ただいまー」
じくじくと痛む全身の傷を感じながら帰宅。今日は確か部活のある日だから夕に帰ってくる。それまでにもうちょっと傷を増やさなければ。
そこまで考えて玄関に彼女の靴を見つける。
……帰ってる?
「おかえりなさい」
玄関まで迎えに来た可愛い女の子。
これ、俺の妹なんだって。
父さんが再婚した女の連れ子。
見るからにマジメ、悪いことはほぼやったことないです、みたいな。
シングルマザーで育ったから結構達観したところもあるけど、汚れない高潔な性格。
正直言ってすげー好き。
「いたんだ、部活は?」
「気分乗らなくて行ってない、昼間から喧嘩?」
「喧嘩っていうか絡まれた。返り討ちにしたけど」
わざと声のトーンを上げて言ってやればしかめ面をされた。
こういう所好き。人の傷を想像して、痛みを感じ取って、心配して。
今までどんな奴に心配されたって特に何も感じる事なんてなかったけど、彼女に心配されるのはとても心地いい。
「そんな顔しないでよー、大丈夫だから」
「大丈夫っていうのは流血してる人が言わないの。手当てするからリビング行こ」
「はいはい」
彼女は結構潔癖なのか、どんなかすり傷でも手当てをしたがる。
まあそれにつけ込んでいっぱい傷を作るんだけど。
実は喧嘩での傷はほぼないに等しい。
だって俺強いから。打撲はあっても一、二箇所くらい?
ほとんどは裂傷、最初は色々と誤魔化しの理由を考えてたけど最近はもう何も聞かれなくなった。
ナイフで皮膚をなぞる時は必ず彼女の事を考える。俺のことを考えて、いっぱい心配して。
……その慈愛を俺だけに捧げて。
実際の所こんな風に手当てしてもらえるのは最高に楽しいひと時だ。なんせ彼女が自ら俺の体を触ってくれる。……やべ、考えてたら勃ちそ。
勃起見られたらやばいし足の怪我はズボン履いたままでいっか。
そう思いズボンを捲り上げる。
「え、そんなとこも怪我したの?」
「ああ、これは喧嘩じゃないよ。階段のところで滑って打った」
「血が出てるってことはズボン汚れたな、脱いで」
「えー?えっち!」
「ふざけてると怒るよ」
「はい」
軽口を叩きながらズボンに手をかけると、途端に視線をうろうろと逸らす。
そういうウブなところも好き。
意識されてることが嬉しくてついからかいたくなる。
「どこ見てんのさ」
「!!き、がえ、もってくる」
「ああいいよ。どうせトランクスだからズボンと大して変わらないだろ」
ただ勃起しないよう気を張るのが大変だけど。
手当てされてる間はいつも落ち着かない。
なんせまじで欲情抑えるのに必死だから。
でも黙ったままだと悶々として襲ってしまいそうで、自制と興味本位からいつも質問タイムになる。
……まあ、知らない事なんてほぼないから質問は大抵彼女の近況についてだ。
「そういや彼氏できた?」
「それ、昨日も聞いてたし。今日も昨日と答えは一緒だし……」
「あはは、冗談だよ気にすんな!でもお前結構可愛いのになー」
「そんなこと言うのアンタだけ、眼科の受診をお勧めしとくわ」
結構本気で言ってるんだけどな。
地味な格好してても見た目が冴えなくても、彼女には内側から溢れる人柄の良さがある。
俺なんかを心配して構って大事に思うその精神性こそ愛らしく、また恐ろしい。
きっと兄という立場にならなかったら彼女からの慈愛は一生得られなかっただろうから。
不良のお手本のような自分。
以前は本当に喧嘩ざんまいで自分の事なんか省みたりしなかった。
今は、彼女に心配して欲しくて傷を作るけど、本当に酷い怪我をすると共感性の高い彼女が傷つくからその分軽い怪我しか作らなくなった。
彼女に優しく触れてもらえる特権を手に入れたと同時に、一生彼女と結ばれない枷を背負うことになったが、きっとあのままの自分では彼女を怖がらせ傷付けるだけだったろうから後悔はない。
肌を滑る華奢な手の感覚ににやける顔を俯いてごまかす。
「日に日に手際よくなってくなあ」
「慣れたくないけどしょっちゅう傷を作るアンタのせいでね。保健委員顔負けなんじゃない?」
なんなら本当に保健委員なってやろうかな。
その一言で、凍りついた。
駄目だ、そう思うのに手は自分の言うことを聞かずしたいように振る舞う。
先程まで気を許し触れていた手が怯えて逃げるので反射的に容赦なく掴んでしまった。
でも悪いのはお前だろ?なんで逃げるんだよ、こんなに愛してるのに。
俺の様子が変わった事に聡く気づいたのだろうが、探るような表情。
今はそれにも苛ついてしまう。
「びっ……くりした、なに」
「ならないよな?」
「え?」
「保健委員ならないよな」
「ちょ、痛」
「他の奴の手当てなんかしないよな」
目の前が熱い。
どこもかしこも燃えているみたいだ。
大事な大事な目の前の女の子を、誰かに取られると少しでも想像するだけで全身が感覚を失っていく。
思わず握り込んだ腕に力を込めると突き刺さった爪が赤く痕をつける。
はは、すげーいい気分。俺の印だ。
「お兄ちゃん!痛い!!」
はっとした。
すぐさま腕をどければ痛々しいほど握り込まれた部分は痕になり、爪が食い込んだ部分は薄っすら血が滲んでいた。
なんて事をしたんだ俺は。彼女は傷付けず大事にしたいのに。
「ご、ごめんな、こんな事するつもりなかった、ごめんな痛そう」
「急にどうしたのさっき、そっちのが心配だわ」
「お前が他の奴にもこんな風に優しくするなんて考えたら頭に血が上った」
正直に白状すれば、なんだこいつと言う目線が降ってくる。そうじゃないでしょ、お前はもっと怒っていいんだよ。
でも酷い事をしたのに俺を怒らないのは彼女らしいと言えば彼女らしい。
そういう所、本当に大好き。
「とりあえず手当てしよ」
「あ、俺やったげる。いつものお礼」
ティッシュを取って傷口に当てながら、お兄ちゃんと呼ばれたのは初めてだったなと思い返す。
……うん。やっぱり俺、この子の兄になれて幸せだ。
もし彼氏彼女になっていたとしても、こんなに信用されなかったろうと思う。
血こそ繋がってないけど、離れる事のない兄妹という絆の方が彼女を縛るには優しくて、より強固だろう。
そう、独り言ちた。