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エッセイなど

書き続ける意味

作者: 羽鳥藍那

物語を描くのは楽しい。

頭にふと湧いたイメージを鮮やかに色付け、そこに息づく人々に生を与える。

生まれた子供たちが自由に動き回り、自らが選んだ役割を演じて行くのは、親としてこの上ない喜びがある。

だから、そんな作業が楽しくてしかたがない。


それでも、多くのアマチュア作家さんが口にする「いつかは作家デビュー」に、私は心動かされる事はない。

始めて数カ月の私には、思い描いた半分も書き出せていないのだから、そんな作品でお金をもらおうとは思っていない。


なら、なぜWEBに投稿しているのか。

それは、自分の描いた世界を共有してもらいたいため。

自分の生み出した世界観に、共感してくれる人が一人でもいるのなら、大変うれしい事だと思っているからだ。


それは読み手としての私にも言える事で、共感できる作品に出合える喜びは、格別の喜びがある。

それでも、作者と全てを共感しているかと言えば、そんな事はありえない。

なぜなら、文からイメージできる描写は限られたものであり、自身の経験や知識がおのずと補ってしまっているからだ。

こればかりはしかたがないもので、描写の詳細をダラダラ書けば読む気も失せるし、足らなければ補いようも無く色褪せてしまう。

そのさじ加減は、読み手と作家の相性にもよると思っている。


では書き綴っていて「夢は無いのか」と問われれば、無い訳ではない。

私の作品に共感してくれて、それを映像として世に送り出して欲しいのが夢と言える。

ようは、マンガの原作者だったり原案として取り扱ってもらいたいのだ。

それで私の作品が色鮮やかになるのであれば、子供たちがより輝けるならば望むところなのだ。

それは、作家デビューするよりも難しくて、作品を穢されるリスクをはらんでいるのは承知している。


最近は小説にしろマンガにしろ、女性の性被害を安易に取り扱っている作品が目に付く。

それを目にする不快感は、言葉にし難いものがある。

所詮フィクションだから。

現実じゃないから。

混同する方がおかしい。

いろいろな意見はあるだろうけれど、必然性のないその設定が私は不快でしょうがない。

感性の問題なので、存在自体を否定するつもりは無いけれど。


私は、生み出した子供たちが幸せであって欲しい。

幸せの定義は人それぞれであろうが、親として実子に向ける願いと同じものだと言えば解っていただけるだろうか。

故に、私の作品に波乱万丈はほとんど無い。

作品としてつまらないと言われてしまえば本当にそれまでだが、このスタンスを変えるつもりは全くない。

その時には、スタンスを変える事はなく筆を折るだろう。


それでも私は、毎日欠かさず書き綴っている。

デビューを目指す作家さんからすれば、駄作もいいとこかも知れないし、それはPVの低さにも表れているけれど、イメージが浮かぶかぎり書いて行きたい。


生み出す事は辛くもあるが、物語を描くのは楽しい事なのだから。


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