商人の旅立ちの予定
最終話なので少し長めです。
ターラーだけでなく、他の楽団員たちもかわいらしいエルフの少年に近寄り、話し始める。
そこに輪が出来ていた。
「いろんな楽器で音を合わせるのは難しくないのですか?」
「何度も練習するのよ。そうすると少しづつ重なって、響く音になるの」
ユイリが夢中で楽団員と話をしている。
ギードとタミリアはその楽しそうな息子を微笑んで見ていた。
「ギードさま」
ふいに背後から声をかけられて、タミリアは剣に手を伸ばそうとするが、今日は持っていなかった。
ちっ、と妻の舌打ちが聞こえる。
ギードは苦笑いをしながら振り向かずに小さく声をかける。
「スレヴィさま、お久しぶりです」
スレヴィは優秀なダークエルフ傭兵隊の諜報員であり、現在は王太子妃でもある。
「ご依頼の物です」
ギードは後ろ手で紙束を受け取り、すぐに影の収納に入れた。
「ありがとうございます。助かります」
「いえいえ、『砂漠の英雄』さまのお力になれて光栄ですわ」
ギードはぐぇっと声にならないうめき声をあげる。
「やっぱりそうなんですね」
ふふふ、と背中から含み笑いが聞こえる。
劇場にかかる演目には原作がある。
それを書いている作家の一人にギードの養父である、エルフの森の長老がいるのだ。
「商国の成り立ちを長老さまにお話しされたのでしょう?」
「ええ、まあ」
基本、森に引きこもりのエルフたちは、外から戻って来る同胞の話を聞くことが好きだ。
養父である長老は、ギードにとってエルフでは唯一、頭の上がらない相手なのである。
だいぶ脚色はされているが、知っている者には誰の話なのかはわかってしまう。
「『英雄』なんて、酷い扱いです」
ため息を漏らすギードをスレヴィとタミリアが顔を見合わせ笑っていた。
翌日、ギードはミキリアを連れて『始まりの町』領主館を訪れた。
「よく来たな。ギードが戻るまでとは言わず、好きなだけいればいい。鍛えてやる」
ダークエルフのイケメンがにやりと笑う。
ギードは、戦闘術の教官であるイヴォンに弟子入りするには、まだ自分の娘は幼過ぎるだろうと思っていた。
「はい。よろしくお願いします」
隣から声が聞こえて、ギードは驚いて娘を見る。
ミキリアは父親にきらきらとした笑顔を見せた。
「私、ずっとイヴォン師匠のところで修行したい。ギドちゃん、いいでしょ?」
その決意の目は妻に似ていて、ギードは紛うことなく母娘だなあと変に感心した。
「わかった。でも、いつでも帰っておいで」
妻と同じ藍色の髪をした娘は、父親の手を放す。
ギードの後ろ姿を見送り、ミキリアはぐっと拳を握り締めた。
エルフの森の奥、聖域の老木の精霊は、ふたりの獣人の使者と共に待っていた。
幼いナティリアを抱き、黒髪の青年執事を連れたギードが現れる。
「ギードさま、お久しぶりです」
狼獣人の若者ハシクとその友人である熊獣人のフュヤンは緊張しながら挨拶をする。
「ふたりとも、元気そうでなにより」
ギードは獣人の若者に声をかけ、老木の精霊に軽く片手を上げて挨拶をする。
若者ふたりは商国の元となった獣人の村の出身で、今はこの森で修行中の身だ。
他の獣人同様、彼らも商国の従業員であり将来の幹部候補だが、身体中傷だらけで、少し将来が心配になった。
「しばらくこの子が世話になる。よろしくね」
ギードの言葉にふたりは元気よく「はい」と答えた。
黒髪の末娘を抱いていた父親は、眷属であるクー・シー族の執事に娘を引き渡す。
「ロキッド。遺跡の中の家を使え。あそこなら精霊も多い」
「はい、ギードさま」
「ナティがあまり我が儘を言うようなら、守護者さまに叱っていただけばいい」
「はい、ギードさま」
ロキッドは恩人の娘を託されるという重責を背負った。
「じいちゃん、よろしく」
「ふぉっふぉっ、任せておけ」
ナティリアに手を振りながらギードの姿が消えると、ロキッドの顔がくしゃりと歪んだ。
ほんの短い間だとしても、別れは別れだ。
まだ小さなナティリアはよくわかっていないが、彼女の両親はもしかしたら戻って来られないかも知れない。
そう思うとロキッドは自分の主であるナティリアが哀れに思えた。
「ロキッドよ。まだまだ修行が足りないようだの」
「すみません、守護者さま」
ロキッドがナティリアに見られぬように涙を拭っていると、
「お、修行やり直しか。よし、俺が鍛えてやる」
とハシクが調子に乗り、フュヤンが止める間もなくロキッドに殴り飛ばされていた。
ナティリアはそれを見て、きゃっきゃっと楽しそうに笑っていた。
ユイリはひとりでエルフの森へ飛んだ。
前回来た時、すでに最長老からエルフの森への帰還魔法をもらっていた。
ここはエルフの森。
人族の町中では目立つ自分の容姿も、ここではたくさんいるエルフのひとりに過ぎない。
ユイリはぐっと手を握り込む。
今までの、自分は特別だという自覚は、ここでは特別ではないという事実。
「これから僕は普通のエルフになるんだ」
エルフの少年はぽつりと呟いた。
「ユイリ、良く来た。部屋はこちらだ」
最長老というには見かけが若すぎる男性エルフがユイリに声をかけた。
昼過ぎにはギードは商国の自分の館に戻って来た。
「出立は本日の夕刻でしたね」
眷属である土の最上位精霊のコンがギードの姿を見つけ、近寄って来た。
「ああ、ズメイの都合で夜間に飛ぶからな」
雪のドラゴンのズメイが、ギードたちを背中に乗せて飛ぶという手筈になっている。
ギードは自分の部屋である地下室に入り、スレヴィに渡された紙束を取り出す。
「大神の資料ですか?」
「ああ」
神といっても様々な者がいる。
『大神』は一番古い創世の神であり、その分逸話も多い。
不確かなものでも構わないとスレヴィに王宮にある文献を漁ってもらったのだ。
「コン」
ギードは自分の眷属の中でも一番古株であるコンの名を呼ぶ。
「はい」
そして、この部屋にかけられている防音結界を確認した。
「自分に何かあったら、ユランさまに伝えて欲しい」
コンは静かにその場に佇んでいる。
「……はい」
ズメイの妹である炎のドラゴンに伝えるということは、ギードはズメイを敵に回す覚悟をしているということだ。コンはそう感じた。
「ギードさま、これを」
コンは黄色の石を嵌め込んだ首飾りをギードに渡した。
ギードはそれに見覚えがあった。
昔、タミリアたち脳筋を集めて、祭りの余興として結界の中に放り込んで戦わせたことがある。
その時、一人一人に致死の怪我を負った場合、一度だけ発動して守るという魔道具を配っていた。
「私の力を込めました。ギードさまを必ずお守りします」
ギードは、「コンは相変わらず心配性だな」と笑って答える。
「ありがとう。でも皆は影の中で待機してくれてるし、最強の護衛もいるし、大丈夫だよ」
しかし、相手はドラゴンと神である。
コンは自分たち眷属の力が及ばない危険も考慮し、最強の絶対防御を石に封じていた。
その時、最強の妻が部屋に飛び込んで来て言った。
「ギドちゃん。おやつは何持って行けばいいのー?」
ギードは微笑みながら、懐からいつものアレを取り出して見せる。
それはあっという間にギードの手から奪われてしまった。
~完~
お付き合いいただき、ありがとうございました。
次回はちゃんと旅立ちます。