002
エイリャがダカットを案内したのは、他の民家よりも横幅が倍程度ある家だった。
しかし少し大きいと言うだけで、特に看板などが出ているわけではない。それに馬小屋があるわけでもないので、言われなければ宿とは気付かないだろう。
「おかーさーん、お客さんだよ!」
そこはエイリャの家だった。
何のことはない。彼女の家は時たま宿屋のまねごとをしていると言うだけなのである。
「あらあら、どなたかしら」
「お客さん、宿の!」
エイリャが呼びかけると、家の中から若々しい女性が姿を現した。エイリャと同じ赤い髪を長く伸ばした、農民にしては線が細い色白の女性である。
「あら、まあ…………大きなお客さんねえ」
彼女は家から出てくると、ダカットを見上げて呆けたような声を出した。
「ダカットだ。世話になる」
「これはどうもご丁寧に。私はその子の母で、エマと申します。家は見ての通り、お客さんには少し狭いかも知れませんが……」
「構わない」
ダカットの身長は通常の人間より高い。入り口を潜るのすら大きく体勢を落とさなければならない程だ。一般的な民家では、彼にとって何もかもが窮屈なのである。
しかし、ダカットは特に気にした様子もなく了承した。彼にとっては当たり前の事だし、今重要なことはエイリャの案内する宿に宿泊することだからだ。
「お食事付きで、一晩銀貨一枚になります」
「安いな」
「そうなんですか?」
「町なら三枚はするぞ」
「あらまあ……うちも値上げした方が良いのかしら」
エマはおっとりと頬に手を当てて首を傾げた。
「でも家は本格的なお宿ではありませんし、どうしましょう?」
「俺に言われても困るんだが……む?」
ダカットがエマと話していると、ふと、何かに引っ張られるような感覚を覚える。彼が視線を下げてみると、そこには足下で外套を引っ張るエイリャの姿があった。
「ねー、おじさんまだー」
「こらエイリャ。ダカットさんを困らせてはダメよ」
「でも、お話ししてくれるって約束したんだもん」
「こっちが終わってからにしなさい」
「むー」
エマに呵られて、エイリャはぷっくりと頬を膨らませた。どうやら彼女は、ダカットが思ったよりも冒険の話を楽しみにしているらしい。
仕方がない、とダカットはエマに一歩近寄ると、外套から左腕だけを彼女に向けて差し出した。
その腕は普通の男性と同じ程度のサイズだ。しかし彼の全長からすれば随分と小さく、アンバランスで不格好に見える。
彼はそんな左手で何かを握り、エマに拳を向けたような格好になった。
「あら?」
「手を出してくれ」
「はい、こうですか?」
天に向けられたエマの手のひらに、ポトリと二枚の金色のコインが落ちる。
「あらあらあらあら」
「それで数日頼む」
「数日と申しましても……」
ダカットの適当な勘定に、今度はエマが困惑した。彼女の提示した代金と比べて、ダカットの払った代金があまりにも多かったからだ。
「おじさん、金貨ってすごいの?」
「銀貨十枚分の価値だ」
「本当! すごい!」
金貨の価値は銀貨のおよそ十倍である。つまりダカットの払った金貨二枚とは、この宿で言えば二十日分程の代金にもあるのだ。
宿代を一晩銀貨一枚に設定していたエマからすれば大金であるし、彼女が困惑するのも当然のことと言えるだろう。
とはいえ、ダカットの知る宿代からするなら、金貨二枚とは五日程度の代金である。数日というのもあながち間違いではない。
「何日滞在するかは分からない。だからその代金分で泊めてくれ」
「あらあら、そういうことでしたら。分かりました、お金は受け取っておきますね」
「そうして欲しい」
そうやってダカットが話を切ると、再度エイリャは彼の外套を引っ張った。先程エマに呵られたせいか、その態度は控えめだ。
しかし、上目遣いの瞳の中にある好奇心は爛々と輝いているように見える。
「お話終わった?」
「ああ。どこかで休むついでに、約束の話をしよう」
「やった! お部屋はこっちだよ!」
ダカットの言葉を聞くと、エイリャは大喜びでダカットを家の中へと引っ張り始めた。
ダカットはエイリャの後に続こうとするが、エイリャの家の入り口は彼にとって狭い。やむを得ず身体を屈めて歩くダカットに、背後からエマの申し訳なさそうな声がかかった。
「娘がすみません……夕食の時間にはお呼びしますね」
「助かる」
「それと、狭そうですけど、本当に大丈夫ですか?」
「慣れているから、大丈夫だ」
ダカットにとって家が狭いというのは日常茶飯事のことだ。当たり前だが、圧倒的に背の高い彼を許容できるサイズに作られている家の方が少ない。
だから彼にとって不便であるのは当然のことで、それよりも、彼には一つ心配なことが他にある。
「はーやーくー!」
会話のために足を止めたため、エイリャが催促の声を上げた。
「分かった。分かったから引っ張らないでくれ」
ダカットはエイリャに応えると、恐る恐ると家の中へ歩を進める。何故恐る恐るなのかと言えば、彼の脚がガシャンと足音を立てる度に、ミシリと床板が嫌な軋みを上げるからだ。
「床は抜けないだろうな……」
不便慣れしたダカットにとっては、そちらの方がよほど気を遣う事柄なのである。
ストーリーは土台作りから!
というわけで、ちょっと序盤の展開は遅めです。
と言っても、一章4話までにはバトルシーンっぽいのが入る予定なんですけどね。
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2017/11/07:行間に改行を挿入しました。