1章39話 カギナシビト
人口僅か百九十数人の小さな村。『カルク村』は、ドド国の最北にある海が綺麗なところだ。
海と空の綺麗な風景がある事、エイヴの実が特産品である事、少し大きな剣道場がある事…一般にはそのくらいしか知られていないが、もう一つ大きな特徴がある。
それは、俺以外の村人全員が『妖精』族であるという事。
今となっては御伽噺だ。
遥か昔、『異世界から来た』と言う青年が現れた。その青年は誰からも愛されて、やがてこの世界を救った。俺もそのパーティーに加わり、世界を救う旅を共にした。
青年は世界中から称賛され、勇者と呼ばれるようになった。
世界が平和になったことをきっかけに、異世界から様々なニンゲンが召喚された。
ある者はやる気が無く、ある者は復讐に満ち、ある者は頭の軽い女を侍らせ、ある者は文明と文化を伝え――『ガッコウ』なるものから団体で現れる事もあった。
バラバラに現れる彼らは、どうやらきた時代もバラバラな様で、マゲを結ったサムライや、メカトロニクス国にあるような電子機器を持ったニンゲンがいた。
いずれにせよ、『彼ら』に、『ニンゲン』に共通していた意識は――『無双』だった。
異世界から来る者は男が多かったらしく(異種族に変わったり、女に生まれ変わる者もいた)野蛮な思想の者が多かった。溢れ続ける他文明の情報による世界の発展、現れ続ける聡明な異世界からの頭脳、そして生まれ変わりたい、最強になりたいという思いによって、ある事実が発覚した。してしまった。
人間は、『妖精』族の力を取り込む事が出来る。
人間の、異常な魔力量、妖精の、魔術における異常な技術力。この二つを合わせる事が出来る。
そうなってからは、早かった。男ならば、親友のように接し、取り込む。或いは有無を言わせず殺し、力を奪い続けた。女の妖精ならば恋人のように接し、取り込む。或いは持ち前の能力で、無理矢理カラダを―――
妖精族の数は減り続け、国は疎か、世界を破壊する段階まで能力を上げ続けた人間は、それでも強くあろうとし、妖精を探し続けた。妖精が完全に姿を消した頃、人間は次第に力を失いはじめていた。
人間としての純粋な力は無くなっていき、やがて争いも好まなくなり、いつしか人間という種族はこの世界ミリネアに馴染んでいた。だが、今でも僅かに異世界人は召喚されるので、種族を俺たちの世界で分ける事にした。
異世界はそのまま、『人間』または『ニンゲン』。
住み着いた人間は、繋がる者――『オビ』。
妖精と交わったばかりの人間は、枷の無き者、『キーレスト』と分けられるようになった。
カルク村は、そんな妖精が暮らす村。人間と妖精の関係についての史実も、今となっては妖精族達しか知らない。今となっては妖精は生きてるだけでも貴重。世間一般には絶滅したとされる種族。
エルフである俺は、異世界へニンゲンを招いてしまった罪滅ぼしのため、この村で護衛と剣道場の経営をしている。
長命なエルフならば、長い間村を守ることができる。勇者のことを忘れずにいられる。
「ハクト…この世界は随分と物騒になったぞ。またパッと現れて、パッと救ってくれよな―――」
そう言って、俺―――『ミガル・ミッドナイト』は剣道場の中へ入った。
ハクトに世界を救って欲しい、その願いが彼を呼び寄せたのか?
休館中の道場に男が1人、立っていた。
首筋を掻きながら、ニシシと笑うその立ち姿は、まるで―――
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フィシカの記憶を頼りにすれば、カルク村まで迷うことなく着くことができた。時刻は昼過ぎ。海の見えるカルク村は、青空と草が波打つ美景となっていた。
最北とはいえ、ミリネア大陸はひょうたんを横にした形なので、真ん中に位置するトド国はけっこう暖かい。
にも関わらず海以外は山岳に囲まれているため、カルク村では暖かい日差しに涼しい北風がやんわりと吹くのだ。
「記憶でしか知らない村だったけど、なんだここ。神スポットじゃねぇか」
『懐かしい。どれだけ戦争が起きても、ここは何も変わらないのね』
「ああ―――綺麗な村だな。ここは」
『―――ええ。貴方ならそう言うと思った』
「綺麗な道場だな。海風が入ってきて気持ちいいや。誰もいないのか?」
浜辺へ下る様に村を散策すると、一際大きな木造の建造物を見かけた。中に入ると、綺麗にワックスがけされた木目の床が、海の景色を青く反射していた。
潮の匂いと、自然の匂いと、ほんの少しだけ汗の匂い。
細波の澄んだ音が、道場内を反射してカイトの周りを包む。
「海の上にいるみたいだ…」
『ふふ、随分とロマンチックなのね』
「い、いやぁ!なんとなーくそう思っただけで…」
ぽろっと溢れた一言を脳内のフィシカに拾われてしまい、恥ずかしさをニシシと笑って誤魔化す。全く、脳内だけでも油断ならない女性だ。
「―――ハクト?」
そんな二人の掛け合いは、見知らぬ男によって遮られる。見知らぬ?いや、彼女の記憶の中にこの男は存在している。
「…『師範』」
そう、無意識に言葉が出た。
「師範だって?…ハクト、その姿は『キーレスト』だな?お前、またキーレストなんかに…」
男はカイトにズンズンと近づき、少し怒ったような表情を見せる。カイトは無意識に出た言葉に気が付き、訂正を入れる。
「あっと、今のナシナシ!全くもって初対面だよ俺は。それより、ハクトって…人違いじゃないか?」
「人違いだと?生命エネルギーの使いすぎで記憶を失くしたんじゃ…んん?いや、どうやら本当に違うらしい。雰囲気がまるで違う」
男はジロジロとカイトを見つめる。「いや、しかし…」とは呟くものの、何かしらの違和感を感じ取り、納得したようだった。
「ふーむ、どうやら本当に人違いのようだ。ハクトはもっと最強感のある雰囲気だった」
「む、なんか遠回しに弱いと言われた気分」
「俺は、『ミガル・ミッドナイト』。この村で道場を開いている。ミガルと呼んでくれ」
「俺はカイト。黒崎海斗だ」
「クロサキ?クロサキだって!?…『クロサキハクト』や『アサダハクト』という名に聞き覚えは?」
「だ、だから誰なんだよそいつ。いよいよ無関係じゃなさそうだぞ」
ミガルと名乗る人物。長身で、紺色の髪に長い耳、オレンジ色の目が特徴だろう。目元は落ち着きつつも寂しげな優しさを感じさせ、若々しい見た目に反して相当の人生経験を積んでいることが窺えた。
「数千年前、この世界を『2度も』救ったーーー『本物の勇者』だ。『勇者』の語源は彼から来ている」
「す、数千年前か。記憶ねぇからさ、まだ見ぬ父親や兄貴かと思ったぜ。いたかどうか知らないけど」
「うーむ、本当にそっくりだ。本人ではないなら…人間は数十年で死ぬからな、もしかしたら君は子孫なのかもしれん」
「勇者の子孫ね…悪いけど、勇者がどうとか、今は興味ないんだーーーそれより、聞きたいことがある」
数日前のカイトなら、「か〜っ!やっぱ俺って異世界転生かつ先祖が最強の勇者だったか〜!」…と、浮ついていただろう。しかし、浮ついた結果人が死んでいるのだから、それどころではないのだ。
「…悲しい目つきだな。キーレストになったのも、何か訳があるようだ」
「俺の大事な人が、死に際に与えてくれた力だ。けど、俺自身はキーレストのこと何も知らなくて…キーレストについて、知ってることがあれば教えて欲しいんだ」
「君に取り込まれた、妖精の名前は?」
「名前は…『フィシカ・エルベハート。この村では、フィシカ・パロムという名前でした』」
「フィシカだと!?ーーーそうか。フィシカ、そこにいるんだな?エルベハート姓に、大事な人、か。剣士として、誉れある一生だ。誇っていい」
「『ふふ、ありがとうございます、師範』」
「…君、彼女の記憶に引っ張られすぎだぞ」
「…いいんだ、これで。彼女は俺の心の中で生きてーーー」
「生きてなどいない。たとえ声は聞こえていても、その亡者の戯言は幻だ。フィシカは死んだんだよーーーそのまま彼女の意識を持ち続けると、君は消えるぞ。記憶が君を飲み込もうとしてる」
「フィシカは、そんな事ーーー!」
「しないだろうな。だからこそだ。彼女の意思など関係ない。…いや、そこに彼女の意思などない。」
「1度目は、次元龍の暴走による世界危機。2度目は、ニンゲンたちをきっかけとした、種族間戦争だった」
「じげ、…は?」
「キーレストが爆発的に増えたのは、種族間戦争。ハクトが救った、2度目の世界危機の話さ」
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1度目の世界危機。これを救ったのはニンゲン、『クロサキハクト』だった。
世界中の時空が歪み、空間そのものを破壊するバグが起きてたんだ。ハクトは各地へ赴いて、そのバグを解消していった。
旅の仲間は、数人。魔術師のエルフ、ミガル。まあ俺だな。あと、妖精剣士のアリーア、呪術師の獣人、ミカン。基本はこの4人で行動してたかな?
ハクトの活躍を見た俺は、ニンゲンという種族の素晴らしさに気がついた。無尽蔵の魔力に常識はずれの発想、道徳的な倫理観、何かを成し遂げるときの絶対的な熱意、そして、多種族への理解…種族としての魅力を、俺はハクトに見出したんだ。
ハクトが元の世界に帰った後、ニンゲンを召喚する魔法陣を生み出し、各地に普及させた。ニンゲンならきっと、ミリネアを…異世界を、さらに発展させてくれると思ったんだ。
…間違いだったよ。群れたニンゲンは、恐ろしいものだった。当時は他種族間の深い交流は少なかったからね。どの種族がどう作用するかなんて誰も知らなかった。
妖精族が魔力のみの生命体である事と、それを飲み込むことのできるニンゲンの魔力保有量…うまいこと噛み合ってしまったんだよ。
混合体は『キーレスト』と呼ばれ、恐れられるようになった。キーレストたちは群れをなし、一国を滅ぼし、その荒地に新しく国をつくった。ニンゲンだけの国が欲しかったのだろう…
そんなとき、ハクトがまた現れた。人が変わったかのように憔悴していたけど、ハクトはまた世界を救った。1度目とは違って、ひどい戦いだったよ。なにせ相手は大量のバケモンだ。スパイに騙し打ち…クスリをばら撒いたこともあったな。とにかく、俺たちは必死だった。それほどまでに手強い相手だった。
すまない、昔話に花が咲いてしまったね。
本題に入ろう。キーレストについて知ってることだろう?知ってるとも。生み出した張本人だ。
全く知らない、赤の他人の記憶を手に入れてしまったら、どうなると思う?
生命エネルギーから変換した魔力は、本人の記憶と深く結びついている。ただし、魔力は新しい記憶と結びついていくから、昔の記憶はどんどん心の奥底へ沈んでいく。昔を思い出せないのは、そういうことだ。
しかし、相手の魔力を受け入れるときは別だ。生まれてから今までの記憶が一気に流れ込んでくる。
忘れることなくね。
当然だろう?心の奥底に沈んでいない、新しく入手した記憶なんだからね。
ところで、君の幼い頃の夢は何かな?思い出せない?フィシカの夢なら?へえ、そうなんだ…
…昔があやふやな記憶と、全てをハッキリと覚えている記憶。
果たして、本当の君はどっちだい?
…その答えの果ては、自己の暴走だよ。枷がないからキーレストじゃない。それはキーレストを恐れた奴が付けた、後付けの意味だ。
自分というカギを失った者。誰かであるが故に、誰でもなくなってしまった…鍵なし人。
それが『キーレスト』だ。
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道場から見える水平線を、太陽が赤く染めている。暗くなりはじめたカルク村は、海風が少しだけ冷たくて、夜の訪れを感じさせた。
長い時間話し続けたミガルは、ふう、と息を吐くとおもむろに歩き出し、暖かいコーヒーを淹れはじめた。
物置部屋は給湯室になっていてね、砂糖はいるかい?と聞きながらカップをカイトに渡すと、沈み切ろうとしている夕陽を見つめた。
「…無理矢理融合した記憶は、すぐに暴走を起こした。暴れ狂ったり、自害したり…当時のキーレスト達は、少しずつ自分自身に発狂して、最期は残酷な死を迎えた。」
「自分がなくなる、か。フィシカはこのことを?」
「知らなかっただろうね。キーレスト達の最後を見たのは俺たち旅の仲間だけだ。伝承にはキーレストの存在だけが残っている」
「でも、無理矢理取り込んだ記憶の暴走だろ?やっぱりフィシカは関係ない。彼女は俺に協力的だ」
「いや、それが厄介なんだ。自分の記憶が侵食されていることに気が付かない。激しい自己矛盾に気がつくまでは、他者の思考を自分の思考だと思いこむ…他人に指摘されないと気が付かないケースということだ」
「…確かに、自分の中で何かが変化している気がする。ブローに対して、今まで湧かなかった感情が生まれてる…親愛のような、そんな気持ちだ。最後はフィシカに乗っ取られて、俺の自意識は消えるのか?」
「いいや、どんなに混ざろうとも、ソレはクロサキカイトではないし、フィシカでもない紛い物。結末は同じだ」
「そう、か…キーレストになった時点で、俺は死ぬんだな…」
コーヒーをグイッと飲み干すと、カイトはカップを近くの棚の上に置いた。棚の隣には、大きな鏡があった。自身の動きを確認するために置かれた、道場の中で最も大きい鏡だ。
鏡に映る自分の顔を見た。フィシカと混ざった顔。髪は青黒い色から明るい空色に。筋肉でガッチリとした身体や顔つきは、女性らしさが混ざり中性的になっている。自分が自分じゃなくなっていく感覚。ゆっくりとクロサキカイトは消えて、そうやって死ぬのだろう。
「いや、そんなことはない。早い段階でフィシカの魔力を全て放出するんだ。膨大な量だがな」
のみ終えたコーヒーのカップを棚に置き、ミガルは答えた。
「普通は混ざり合ったら恨みと共にへばりつくものだけど…記憶が協力的で、自己がまだ確立している状態なら、分離は可能だろう」
「なら…!」
「今は無理だ。いや、手遅れというべきかもな…君は、記憶の中のフィシカの存在を認めてしまった。別人格として、受け入れてしまった…」
それは、そうだ。だって確かにフィシカは心の中にいる。現に会話ができている。フィシカはきっと、心の中でまだ生きてーー
「フィシカは死んだ。今君の中にあるモノは、ただのデカい魔力だ。それを消費するんだ…そう思わないと、フィシカの魔力を放出することは難しいだろう」
カイトに力を託したフィシカ。共に魔王打倒を志し、道半ばで生き絶えたフィシカ。憧れ、そう言って消えてったフィシカ。頭の中で、いろんなフィシカの声が反響している。
ーーー『カイト?大丈夫?』
…ああ、大丈夫だよ、フィシカ。俺たちはきっと、ずっと一緒だ。
「……そんなの、無理だ」
「だろうな。だから手遅れなんだよ」
ミガルは、誰かの面影を思い出しながら、カイトの顔を見ていた。




