1章35話 いつも通りの朝が来た
気がつくと、いつも通りの天井を見ていた。この天井は、確か―――
「―――俺の、部屋だ」
朝だ。
ベッドから起き上がると、視界の端に知らない影が映った。覚醒しきれない頭を影の方に向けると、そこには鏡があった。鏡があって、「黒崎海斗」の面影を残した誰かがそこにいた。
「なんだ、これ。俺の顔か―――あ?あー、あー、声が、高い」
鏡の近くに寄って、顔を確認する。黒崎海斗といえば、ボサッとした黒髪に目つきの悪い顔。それがどうしたことか、明るめの青色に髪は染まり、目元は優しく変わっている。何より、頬に蝶のタトゥーが彫ってある。なんの蝶だろうか。
「なんか、肌も潤いがあるような―――」
そもそも、俺は何をしていただろう。上手く思い出せない。頭の中に流れてくる記憶がバラバラで、上手くつながらない。ただ、鏡越しに映る自分の顔から目を離せない。懐かしいような、愛おしいような、泣きたくなるような。そんな何かの感情が、押し寄せては崩れ去る。一体、この気持ちは―――
『―――カイト』
「っ!?」
突然、鏡の前の自分が喋った気がした。驚きなのか嫌悪なのか、咄嗟に鏡を叩き割った。突然の出来事に脳が処理できず、右拳の流血も、ノックの音も気がつかず、激しい動悸だけを感じていた。今のは一体、誰だ。
「…寝てるか。カイト、入るぞ―――カイト、起きたのか!何してんだ血だらけにして!」
「あ、っと…」
目の前に現れたフードの人物は、私の血だらけの手を気づかい、心配そうに見つめる。名前は、確か―――
「ブロー?」
「ああ、ブロー・シェイトだ。覚えてるみたいだな」
そう、ブローだ。四天王の一人で、緑色の魔力を持っていて、他人の姿形を真似する変装能力があって、小さい頃に別れた妹で、『変装』という能力の弊害で一人称がバラバラな、性別不詳のいいやつ。
「俺、どうしてたんだ?上手く記憶が繋がらなくて」
「どこまで覚えてる?サンライト国に連れて行かれたことは?」
「言われてみれば、なんとなく」
「魔王様がお前を連れ帰ってきたんだ。驚いたよ、あの魔王がボロボロだったんだ」
「…俺がやったのか?」
「何があったのかは分からない。ただ、今のお前には誰かが混じってる。カイト、『キーレスト』になったんだな」
「キー…レスト。誰かが混じってるってどういう…」
「ま、座れよ。ちょっと難しい話だからな」
「肉体の鍵、枷…それが無くなった『人間』をキーレストと呼ぶ。人間はどの種族よりも魔力量が多い。それ故に循環ができず、黒く濁る訳だ」
「色素と関係があるみたいだな。異世界に来てからだいぶ髪の色や目の色が変わった」
「つまり、どれだけ努力しても人間は体内の魔力を完璧に扱えない。というかそんな莫大な魔力、誰でもコントロールできない―――ある種族を除けばな」
「…『妖精』族」
「思い出してきたな。身体が全て魔力で出来ている妖精族は、天性の才能で魔力の扱いに長けている」
「そっか、俺。妖精族の子と旅してたんだ」
「人間は、その莫大な魔力の保有力を使って妖精を取り込めるんだ。他の種族ならそうは行かない。絶対に吸収しきれない。故に成立しない」
「その子と旅をして…?」
「魔力は記憶と深く影響している。だから限界を超えて使うと記憶の欠損が見られることがあるんだが…カイト、今『二人分の記憶』があるな?」
「二人分の…そうだ。『私』が俺を見てる記憶がある」
「記憶の混濁はそれと、恐らく大量の魔力放出による影響だ。いいか、冷静に思い出せ。『その子』はどうなった?」
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―――空に煌く水色の光に手を伸ばし、号哭しながら名前を呼ぶ。
「フィシカ!フィシカ!!フィシカァッ!!」
呼ぶ声は森へ響き、そして誰も答えない。フィシカの魔力とカイトの魔力は互いに弾けあい、バチバチと雷のように音を鳴らす。有り余る魔力は結晶化し、蝶のような羽を作る。
―――無力。なんと無力なことか。
自分のために囮になったキンライ。
自分のために犠牲になったフィシカ。
自分のために、二人は死んだ。
キンライの一件から何を学んだのか。
涙はいくら流しても枯れず、声はいくら枯れても叫び足りない。
カイトは叫び続け、魔力を抑えることなく暴走させる。羽に流れる魔力は鋭い結晶片を生成し、所構わず発射させる。森の幹に刺さった結晶は弾け飛び、木々をなぎ倒していく。バチバチと弾ける魔力は地面を抉り、地形を変形させていく。
「魔王…魔王!魔王っ!殺すっ!絶対に殺してやるっ!」
目をギョロリと動かし、魔王を吹き飛ばした数百メートル先を睨みつける。考えるより早く、カイトの足は走り出していた。速度は生物の常識を超え、筋繊維を弾け飛ばしながら目標に近づく。地面を踏み鳴らすたびに、溢れる魔力が地面の自然エネルギーと呼応し音を鳴らす。走って数秒、魔王が攻撃の構えをしていることを確認する。
「はああああああっ!」
創造―――剣
高エネルギー体となった魔力で形成された剣で魔王を
斬り上げる。
魔王は硬化した左腕を強く振るい、剣をへし折る。
創造―――剣
振り抜いた腕をそのままに、破損した剣を再生成する。逆手持ちになる形で魔王の胸元へ振り下ろす。
魔王は右腕を泥化し、咄嗟に剣を泥に沈める。カイトの腕まで泥へ沈み込み、剣は封じられる。
創造―――剣
左手で剣を生成し、振り上げて泥を断ち切る。拘束は外れ、二刀持ちの形で斬りかかる。
魔王は斬られた右腕を再生するため、左腕のみで剣撃を弾く。が、手数が間に合わない。思わず左手からエネルギー弾を放出し、牽制。相手との距離をとろうとする。
創造―――剣
三本目の剣を生成。口で剣を持ち、エネルギー弾を乱雑に切り飛ばす。右手の剣を上へ放り投げ、口元の剣を持ち直す。一歩引いた魔王を見逃さず、距離を詰めて斬りかかる。
右手の再生を終えた魔王は、腕の形態を変化させる。『暗手』と呼ばれる、実態を持った影の手は自在に伸び、カイトが右手に持つ剣を拘束する。
創造―――剣
右手の剣を離し、新しく生成。刀身に炎を宿す『カエンザン』で影を振り払う。炎を宿した剣を上へ放り投げ、拘束から解かれた剣を手にする。
魔王は腕の攻撃をことごとく躱され、生命の危機を感じ、さらに一歩下がり距離をとる。
創造―――剣
「逃すかぁっ!!」
手に持った二刀を投げつけ、両肩へ突き刺す。
空高くジャンプし、上へ放り投げていた二刀をキャッチ。重力と共に魔王へ突き刺す。
更に新しく剣を生成。ダメージを受けてよろけている魔王の胸元を斬りつける。
「ぐうっ…!貴様のその姿、『キーレスト』か…!」
「っあああああ!」
カイトは再び魔王へ切りつけ、勢いよく蹴り飛ばす。
「吹き飛べぇっ!」
瞳孔を開かせ、右手を魔王へ伸ばし、握り潰す動作をする。それを合図に、魔王の両肩に刺さった四本の剣が風船のように膨らみ、爆発する。ヴァンが持っていた、爆発するクナイを応用した創造だ。
「ぐっ、まだ隠していた技があったか…クク、ハハハハハッ!」
蒸発する魔力を煙らせ、全身に高熱の爆発を浴びながら、魔王は笑った。
「そうか、あの女は妖精族だった訳だ!ハハハハハ!」
気でも狂ったのか、普段のカイトならそう言って用心するのだろう。しかし、今の魔王に対してカイトは全く聞く耳を持たない。ただ、殺す。何をしてでも殺す。フラッシュバックするキンライとフィシカが殺意をいきり立たせる。
「うおおあああああっ!」
結晶の翼から五月雨のように羽を発射する。水色に煌く鋭い結晶は着弾と共に弾け、小さな爆発を起こす。
「素晴らしい!やはり人間を強くするのは『怒り』だ!しかもサンライト国側の妖精族を連れてくるだと!?これほどまでに都合がいい回は久しぶりだ!」
爆発を受けながら、魔王はひたすら嬉しそうに、狂ったように、笑う。
「クロサキカイト、俺を殺してみろ!キンライも女も俺が殺したぞ!貴様の周りのグズ共は全て俺が殺してやる!」
魔王の言葉を受け、カイトは再び叫ぶ。渦巻く魔力は濃度と粘度を増していき、更に高温になる。カイトから溢れ出る魔力はブクブクと泡を立てて沸騰し、身体中の皮膚を溶かす。
「女の最期は実に滑稽だった!貴様が弱いばかりに死んでいくなど、無様以外になんと言おうか!」
「黙れえぇっ!!」
自身の魔力に耐えきれず、革靴が焦げ落ちる。カイトの脳内にはもはや物質を想像し創造するほどの余裕がない。素手に素足、そこに魔力を込めて獣のように襲う。
「ゔおおおおおっ!」
魔王は重い一撃を両腕で防ぐように受け止める。異常なまでの威力。後方へ砂埃を上げながら後ずさる。
―――『カイト!逃げて!』
「あぐっ!?」
突然、脳に鋭い痛みが走る。
突然の出来事に、カイトの魔力は勢いを弱める。
一方魔王は、自身の身体にヒビが入ったことを確認する。
「…俺の外殻にヒビを入れるとはな。ふん、ここまでか。しかしここまでの放出、魔力を体外に通す『魔穴』は十分に広がっただろう」
―――『暴走する魔力に身を委ねては死んでしまうわ!』
「あ、うう…フィシ、カ?ここにいるのか?」
胸に手を置き、激しい頭痛の中、カイトは確かにフィシカを感じる。
「…『催暗眼』」
「あ?…が!?」
魔王が何か呟いたのに気がつき、前を見る。魔王の目は真っ黒に染まり、見つめ合ったカイトは引きずり込まれるように感じ、意識が朦朧とする。
「眠れ、クロサキカイト。俺への怨恨を抱きながらな」
そうして、大量の魔力を発散させ、カイトは地面へ崩れるように倒れた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「―――ト、カイト!」
ブローの呼びかけに反応し、身体がビクッと動いた。
「ぅおっ、わ、悪い悪い…思い出したぜ」
「顔色、悪いぜ?起きたことはブラッディにしか言わないから、今日はゆっくり休めよ」
「ああ…魔王は今どうしてる?」
「王室で執務中だ。あれからかなり経ってるからな。詳しいことは明日話すが、基本はいつも通りの毎日だ。サンライト国とのいざこざも最近は落ち着いてる」
ベッドから立ち上がると、ブローは割れた鏡の破片を手に持ち、見つめる。
「いつも通りの毎日…キンライ以外は、な」
キュ、と心が苦しくなる。以前にもまして、2倍分は心苦しい。
「明日の朝、四天王でキンライの墓参りに行こう。9時に歓談の間に集合だ。はは、最初の時みたいに遅刻はしないぞ」
「―――ああ、懐かしいな」
そう言って、カイトは壁に空いた穴を見る。異世界に来た日の夜、隣室のブローがブチ開けた穴だ。
「いや懐かしんでる場合じゃないよねこの穴。なんで塞いでないの?プライバシーはどこに行ったの?」
「バカ言えお前にプライバシーなどない。じゃ、徹夜で今から寝るんで、また明日会おう」
「穴空いてるから丸見えなんだけど。会うどころか常にお互いを知覚し合ってるけど」
「わかったわかった。布でもかけて隠しといてやる…なあ」
「ん?」
「―――また会えてよかった」
「…こちらこそ」
そう言って、ブローはドアを閉めた。
自室に戻り、机の上に生けてあるサボテンを見ながら、ブローは考える。
(また会えてよかった、だって?らしくもない事を…)
口に手を当て、自身の発言に疑問を抱く。
ふと思いつき、ベランダに出る。ここならカイトにも聞こえない。
(カイトの顔つき、体つき。以前とは全く違う。比べ物にならない程に鍛え上げた身体…いや、それよりも明確な違いは女性的な細身の身体。そしてあの顔…ずいぶんといいツラになってるな。中性的な顔つきだ。あれがキーレスト…)
「親父も、ああなってたのか―――」
親父、と言った。自分の発言にまた驚き、口に手を当てる。
(記憶が、戻ってきてる?)
魔王から与えられた『クローバー』の『変装』という名の能力。変装という名ではあるが、本質的には『本人』そのものを自分にコピーするに近しい能力。
(能力のせいで他人の記憶塗れ。すっかり昔の事など消え去ってしまったかと思ってたが…)
今のカイトの顔。そこに別の誰かの、懐かしい面影を感じる。
(心がザワつく。『会えてよかった』がその子に言った言葉だったとしたら、とても近しい知り合いのはずだ。そして連鎖的に思い出した『父親』)
「…つまり、機械魔兵に殺された母さんに、キーレストになったと推測される親父。んで、もう一人いた、って事だ」
しかし、そのもう一人がカイトから感じるということは、つまり。
「バカみてぇ…思い出しても、ろくな物じゃないな。まあ、消えちまうくらいの記憶なんだからそうか」
―――全員、死んでいるのだ。
朝日に照らされたアズフィルアの大地を見る。あいも変わらず乾燥しきったヒビ割れの大地。
枯れきったこの地が、いつも通りの日常なのだ。誰が死のうと、きっとこの先も、変わらない。サボテンに日光が当たるようにカーテンを閉め、ベッドに潜り込んだ。




