1章34話 あたたかくてつめたい
「フィシカ、起きろ!逃げるぞ!」
「う、うう…」
カイトが駆けつけた先では、グチャグチャの木々と共に満身創痍のフィシカが倒れていた。ぐったりとした様子で空を見ている様子は痛々しく、魔王は本気でフィシカに攻撃したようだった。カイトは自分の不甲斐なさに奥歯を噛みしめた。
「魔王からざっと4、50メートルってとこか。トド国の方面へ戻った方がいいな…フィシカ、立てるか?」
「足に…枝が刺さってる…力が入らなくて」
尋常ではない速度で森林に叩きつけられた身体は、あちこちから出血が見られ、鎧すらも半壊の状態だ。こうなってしまえば移動の妨げになる。
「じゃあ負ぶって俺が飛ぶ。鎧、外し方教えてくれ」
「ここの内側の…ベルトを緩めて…」
「ああ…」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「手ェ出せ。しっかり掴まれよ」
フィシカを連れて飛ぶほど、カイトに余力はない。少しでも軽くするために鎧を外す。カイトはフィシカを抱き抱えようと手を伸ばし―――
「っカイト!」
瞬間、カイトの背後に泥の塊が襲う。振り向き、とっさに技を発動する。
「『創造』バリア!」
急造のバリアは大量の泥を受け止める。が、次々と襲う泥の勢いは止まらず、バリアにヒビが入る。
「ぐうっ!」
(バリアじゃ防ぎきれない!)
バリアに固執し続ければ、フィシカもろとも泥に撃たれる。避ければ、動けないフィシカに全弾が集中するだろう。とっさにフィシカの方を向き、覆いかぶさるように庇う。
「ぐあああっ!」
バリアを突破した泥の塊は、勢いをそのままにカイトの背中を強撃する。あまりの痛みに転げ回りそうになるが、目前の痛々しいフィシカを見て、奥歯を噛みしめ、耐える。
「オニゴッコはこれで終わりか?どうしたクロサキカイト、お前が弱いままなら女を殺すぞ」
木陰から魔王が、再び姿を現す。追いつかれてしまった。
「…はっ、セコセコ早足で歩いてきたのかおチビちゃん。鬼ごっこはテメーの手でタッチしないと終わらねえし、追い込んだら3分間待ってやるのが礼儀だぜ」
ジクジクとした痛みで頭が回らない。目が虚のまま、出来る限りの軽口を言って魔王の気を引く。
「遊びに礼儀とは、異邦の文化は理解に苦しむな。後でゆっくり城で聞かせてもらおう」
「『明星一閃』!」
そう叫び、魔王の胸元を貫こうとしたのは、フィシカだ。血を流しながら、瀕死とは思えないほどの素早さで一閃の突きをする。
「ふん、礼儀どころか教養もない女だ」
当然、剣は届かない。硬化された左腕で弾かれる。
「生憎、お堅いのが嫌いな村娘に戻ったばかりなのよ」
「場違いだ。消えろ」
魔王の右手が変形する。泥のように見えたその腕は、像をぼやけさせ物質との境目を曖昧にしていく。やがて右手は『実体を持った影』に変わった。
「『暗手』」
「―――『胡蝶剣舞』!」
未知の技に対応しようと、カウンター技で受け止めようと構える。
「――それも、キンライのものだ。なるほど貴様は『ソード・キンライ』の模造品というわけだ。クロサキカイトに同行しているのも納得する」
影の手の猛撃を剣撃で弾く。
「くっ!」
「おおかた、『似ている』から惹かれでもしたのだろう?なんとおこがましい事か。貴様は類似ではなく劣化だというのに」
「―――黙れ!」
血液が少ない。頭がうまく働かない。それでも精一杯反抗する。
「奴の吸収速度は見ものだろう?俺のチカラを与えているからな。技の再現においては一級品だ」
カイトに与えられた能力。完全なるコピー能力。技の伝承においては群を抜いて得意な能力だ。どんなに憧れた人の技でも、どんなに練習した技でも、カイトの前では―――
「教えてやろう。お前のそれは『恋慕』などではない。『嫉妬』だ」
「黙れぇっ!」
もはや、胡蝶剣舞の型は崩れ、ただ感情のままに剣を振るう。影の手は冷静に形を変形させ、フィシカの傷口に刺す、深く刺す。
「ああああっっ!」
「『想像』『カエンザン』!」
咄嗟にカイトが影の手を振り払う。炎に圧倒され、影は消滅する。
「フィシカ落ち着け!ここは俺が――」
「まだいけるっ、二人で合わせるわよ!」
今まで聞いたことのない声色。振り向くと、フィシカは魔王をただ一直線に睨んでいる。
「――ああ、任せろ!」
「「『明星一閃』」」
息を合わせ、渾身の突きを魔王に向ける。光り輝くほどの速度で放たれる二人の剣は、砕け散る流星の様に勢いを増し―――
「暗黒多手!」
―――そして止められる。分裂した影の手達は、剣に纏わり付き、勢いを絞め殺した。
「―――ッどう!?当たった!?」
「当たったって…全部受け止められてるぜ。クソッどうすりゃいい…!」
連携では駄目。単騎は論外。逃げ場は無く、互いに満身創痍。気を抜いたら意識が途切れるだろう。
「手詰まりか。これはどうだ?」
右手を元に戻し、再び泥に変化させる。地面に腕を伸ばすと、泥が一気に拡散し、足元を侵食させる。泥は濁流となり、メキメキと木々がなぎ倒れ、泥の量が増えていく。
「泥に飲まれるわ、上に飛びなさい!」
フィシカは倒れた木に飛び乗り、カイトに指示する。
「なんでもアリかよ、クソッ」
津波のように押し寄せる刹那、魔力をジェットパックのように噴出し、空へ回避する。
「フィシカ!」
フィシカが乗った大木は泥にエネルギーを吸収され、枯れ木のように脆くなる。足場が崩れ、泥の中に落ちる。
「くっ…」
(足が…痛んで…)
泥が一斉に引き、水位が足首ほどに変わる。フィシカの足は泥に絡まり、身動きが取れない。魔王の元に戻った泥は、再び影へと変貌し―――
「『暗手』」
「かふっ」
―――フィシカの身体を貫いた。
「な…にしてんだ、テメェ!!」
魔力を爆発するように吹き出し、一気に魔王へ近づく。
(…速い!)
「ぐっ!」
カイトの拳は魔王の右頬に直撃し、勢いのままに振り抜く。あまりの衝撃に耐えられず、魔王は後方数百メートル、異常な速度で飛ばされていった。
「がぶぅっ」
泥が引き、自由になったフィシカは膝から崩れ落ち、痙攣しながら吐血する。
「フィシカ!しっかりしろ!フィシカ、フィシカ!」
(出血しすぎだ…!止めなきゃ、止めなきゃ!」
仰向きに倒れるフィシカを抱え、カイトの頭は記憶を引っ張り出して救命の方法を探す。
「止血、止血…ックソ!ブラッディの医療魔術を見ておけば!」
苦しそうに息をするフィシカの目は、少しずつ力を無くしていく。握り締めた手は冷たくなり始めている。ただ、溢れる血だけが暖かい。
「手がこんなに冷えて…とっくに限界だったんだっ…!」
思えば二人で技を放った時、既に目は見えていなかった。音のみで戦っていたのだ。
「けほっ、けほっ…カイ…ト…?そこにいる?」
出せる限りの全ての血を吐き出し、フィシカの呼吸が静かになっていく。
「ああ、いる!ここにいる!どこにも行かない…!」
「そう…魔王は?」
「ぶっ飛ばしてやったからしばらくは安全だ。これならトド国に戻れる!痛いけど我慢しろよ…!」
そう、魔王が遠い今ならトド国へ戻れる。しかし、もはやそこは問題ではない。それでもカイトは現実を直視しようとせず、ただひたすらフィシカを生かす方法を脳内で模索する。フィシカはぼうっとした目で呟く。
「…嫉妬って言われちゃった。でも違う―――」
「話は後で聞くから、今は安静にしてくれ。この傷は、薬草じゃ間に合わない…!」
「―――『憧れ』。貴方より頑張ってる人、見た…こと…ない…か…ら――――――」
口の動きが止まる。
「だめだフィシカ呼吸しろ!お前はこれから頑張るところだろうが!」
呼びかけに気づき、僅かに肺が動く。目の色が、白く濁っていく。少しずつ散っていくフィシカを前に、カイトは嫌でも『死』に向き合わされる。次の瞬間には、ただフィシカの話を聞こうと感じていた。
「―――顔、もっと寄って…私ね、『妖精族』なの。ビックリした?」
ゆっくり、顔を近づける。
「…ああ。そりゃあ、凄いな…驚いた」
「人間は、妖精族を取り込むことができるの」
「は…ちょっと待て。それ、って―――」
「カイト、大好き」
そのまま、フィシカはカイトにキスをした。
ふうっと息を吹き込み、魔力をカイトへ送る。
(ま、魔力が、記憶が、入ってくる…!)
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
『―――お父さんは、ニンゲンに殺されたのよ』
『人間と妖精の融合体をキーレストと呼ぶ』
『私、強くなるわ。誰かを護れる、剣になる』
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
『行ってきまーす!』
『天才サマには練習なんざ必要ねえのさ』
『紹介する――ソード・キンライさんだ』
『――――――彼を、超えたい!』
『一番難しい、強い技を教えて!』
『―――ここまで。…これが俺の必殺技だ』
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
『先代は亡くなった。兄のいない今、僕がエルベハート家当主なのだ』
『女の癖に剣を握るか。売女の真似事でもして食いつないでるのかね?』
『気にしなくていーぜ。お嬢の強さは俺が証明してやっから』
『私は、フィシカ・エルベハート』
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
『俺の元に仕えてみないか?もちろん、ヴァン君も一緒だ。共に勇者を迎えようじゃねーか!』
『朝田家のこの力。全て貴方に捧げます』
『西の勇者―――僕の友人を保護した。君に任せたい』
『話は聞いてるだろ?しばらくよろしくな、兵士さん』
『名前、言ってなかったよな』
『黒崎海斗だ』
『――――フィシカ!行こう!』
『はい、行きましょう。―――カイト!』
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「あ、う…!」
次々と流れ込む、知らない記憶。
どれもが輝かしい、彼女の記憶。
水色の光は、カイトの青い魔力光と混ざり、弾け、とける。
光り輝き、魔力は溢れ出て結晶になり、羽のように形成される。高温で発光するカイトの身体の皮膚は剥がれ、目元に『蝶』の形のアザが現れる。
「―――綺麗」
フィシカは弱々しく笑い、その身体は水色の魔力、光に包まれ、そして消えた。
「―――うわああああああああああああああああっ!!」
そうしてカイトは、鮮やかに魔力を輝かせながら、悲痛の叫びを上げた。水色の瞳からは、涙が溢れていた。




