1章31話 告白
「――それで、私はエルベハート家に行くことになったの。ああ、道中の話もしたいわ。あの時の私は剣に必死だったから、ほぼ一直線でエルベハート家に向かったんだけど、国に入る前に変な人に会って…あれ」
「う…んむ…」
「お、女将さん?…眠ってしまいそうね」
話が長いので、当然の結果である。女将はカイトとの出会いを聞きたかった筈なのに、いつまで経ってもカイトが出てこない。『フィシカエルベハート②』辺りで既に寝てしまっていた。
「話し過ぎちゃったかしら。起きて、女将さん。風邪引きますよ」
「ん…はっ。ご、ごめんなさい!仕事の疲れでついうとうと…私から話しかけたのにこんな失礼な――」
「いいえ、大丈夫です。私もつい話が長くなってしまいましたから。今まで自分の話なんてあまりしてこなかったもので…楽しかったわ」
「カイト君の話は?」
「もう遅いもの。また別の機会にしましょう」
「そう、スッキリしたみたいでよかったわ。『ソール』と呼んで。フィシカ、また今度続きを教えてね!」
「ええ、また会いましょう、ソール」
フィシカは女将のソールを後にした。
「あっ…彼、まだ部屋にいるわ。…仕方ないわね」
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「あーあー、惚気やがってよぉ。やっぱ異世界来たら楽にモテモテルートか…いや楽ではないか」
「とにかく、俺達はそんな変な関係じゃないんだ。勝手に決めつけないでくれ」
カイトは目の前の碧眼金髪青年に、入念に伝えた。全く、同じ日本から来たというのに、どうもソリが合わない。
「わーったよ。マジメな奴は嫌いじゃない、イジるのはやめとくぜ。…さて、俺も仕事に戻るかな」
「…俺も明日の朝には出る。また会えたらいいな」
「それフラグっていうんだぜ。…大輔だ。『星谷大輔』。ダイスケって呼んでくれ」
「カイト。『黒崎海斗』だ。」
互いに握手を交わす。カイトは何故だか心強い気持ちになったような気がした。話は合わずとも、ダイスケは信用できる人だと、不思議と思えた。
「んじゃ、シリアスに疲れたら可愛い子連れて遊びに来な。俺らはいつでもふざけてっからさ」
ハハッと笑うと、ダイスケは部屋から出ていった。女が好きな性格ではあるが、それ以外は普通の好青年なのだろう。
「さて木刀でも振るか…お?」
旅館の部屋の内装は実に和風的で、『旅館のあのスペース』と呼ばれる広縁の再現度も申し分ないものだった。広縁の窓を開け、夜空を眺める。今夜は満月だ。
「この世界にも月はあるんだな…やっぱりココは地球なのか。ま、にしても…」
明日は青空だな。風を受けながら、久しぶりに心地の良い気分になった。
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「ええと、256号室…」
「そこの美しいお嬢さん、何かお困りかな?もし良ければこの僕、『ポルクス』に手伝わせてはくれないだろうか?」
フィシカが旅館内を歩いていると、碧眼で金髪の青年に出会った。髪は綺麗な七三分けで、にこやかに話しかけてくる。何やら女性に慣れているような素振りで、ソールが言っていた男の事を思い出した。
「ありがとうございますポルクスさん。ですが部屋を探しているだけですから、お構いなく」
「いいや、この旅館は少し入り組んでいてね。経営者の僕も頭を悩ませる程だ。256号室と言ったかな、渡り廊下を歩くのは、夜風が身体に悪いだろう?少し遠回りになるが…お嬢さん、名前は?」
「え、ええと、フィシカと。あの、渡り廊下?256号室ってすぐそこじゃ――」
「いい名前だね。綺麗な蒼い髪とその美貌によく似合っているよ。さあフィシカ、この廊下を行こう。道中カフェがあるから暖かいココアでも如何かな?」
「いいえ、結構ですよ。まだ湯冷めはしていませんから、部屋に戻るだけで――」
「そうか僕の早計だったな。暖まった体にホットココアは好みが分かれるね。そうだ、身体も火照っている事だし、こんな夜は冷たい飲み物がbetterだね。僕の部屋に丁度、冷えたドリンクがあるからおいでよ」
「あの、ですから部屋に――」
ポルクスはフィシカを優しくエスコートする様に、部屋のドアを開ける。口がクルクルと回るポルクスの前に、褒め慣れていないフィシカが戸惑う。
「僕の部屋?ああせっかちだな、空室はいつだって僕の部屋だとも。さ、目の前の255号室が洋室だから丁度ダブルベッドで――」
「――女神パーンチっ!!」
「ごれいぬっっ!?」
「あ、アゴに直接…!?」
――突如、ポルクスの左顎に強烈な一撃が入る。飛んできた女神とやらは、巨大化した特撮ヒーローの如く、一直線にストレートパンチを浴びせたのだった。
フィシカも口に手を当て、実況してしまうレベルの技であった。
「すっかりコレのことを忘れてたわ。何もされてない?」
「ええ、あの、ソールはいつもこの様な事を?」
「ええ日常よ。…ダイスケ!ニンゲンには会えた?」
倒れている男を、抱き抱える様に支える。男は目の前にあるモノを、現在も揺れまくってる脳で感知する。
「――可笑しいな。僕の目の前に揺れまくってる太陽が二つ…この豊満な輝きは、君だねソール…いたっ」
ソールは無表情でポルクスのおでこを叩く。
「ポルクスの方ね。彼女はコワーイ相方がいるわよ」
「薔薇は眺めるが吉だよね。特に青薔薇なんかは育てるのに苦労するとは思わないかい?」
「ハイハイ…お騒がせして悪かったわね。この人二重人格なのよ。まあどっちもタラシだから変わらないけどね!困った事があったらフロントまでお願いね!」
「え、ええ。こちらこそ…」
(ソール、申し訳ないのだけど全身にキテるから抱きかかえてもらっていいかい?君の心音を聴きながら安らぎたいな…)
(床とキスするのはいかがかしら)
そんな会話をしながら、ソールはポルクスを引きずり、去っていった。
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部屋に入ると、広縁の机に広げた地図を真剣な眼差しで見ているカイトの姿があった。手元には魔力で生成された木刀。薄手になっている状況から、素振りの後なのだろう。風に靡くカイトの髪を、フィシカはぼんやりと眺めていた。
彼を好きになった理由が、あるとするならば―――
きっと根本は、昔の私が求めていた――本気の努力をする人。それが彼なのだろう。
「―――先、いただきました」
ひょっこりと顔を出すフィシカに驚く。湯上りの彼女は、普段とは違って見えた。目を合わせるのが恥ずかしくなり、目線を下に落とす。浴衣姿であることに気がつく。
「…おー、浴衣もあるのかこの旅館」
「え、ええ。つい気になって――変でしたか?」
髪を少し弄る姿は、自身がなさそうに思える。咄嗟にフォローを入れる。そうだ、今日は景色がいい。
「いやそんな事ないぜ。まあ日本由来のものだし馴染みがあるっていうか…ほら、月が良く似合う」
「あら、満月…今日の月は綺麗ですね」
フィシカは窓の前まで歩き、空を仰いだ。暫く、景色に見惚れ、沈黙が続く。
自然と、適当な話が始まる。
「…不安はあるけどさ、宿のおかげで少し気が楽になったよ。いい所だなここは」
「ふふ、無理矢理ここに来た甲斐があったわね。…もしよかったらで良いのだけど、貴方の旅の経緯について教えてくれないかしら。ユージン様からは、アズフィルア国に囚われた後、サンライト国が救出したと聞いているのだけど」
「そっか、直接話した訳じゃないからまだフィシカは詳しく知らないのか。ユージンは俺の事をなんて?」
「友と。今回の戦争に巻き込まれた被害者で――憶測でしたが、酷い事をされている筈だ、と仰っていました。あえて四天王という座を与え、西の勇者という名を付けられ戦争の盾に使われていると」
「酷い事なんかされてないさ…国民性はサンライト国と変わらない。環境の問題が大きいけどな」
「勇者や四天王というのは?」
「四天王にされたのは本当だ。勇者ってのは――元々異世界はユージンが行く予定だったんだ。俺は見送りでさ、巻き込まれた挙句勘違いされたって訳…ニンゲンっつー種属が強かった世界ってだけで、ウン前年に一人の勇者じゃないよ。扱いだってむしろいい方だった。」
「それが本当なら、西の勇者様はアズフィルアに戻って、再びサンライト国に敵対といった所かしら」
「…どうだろう、サンライト国の有名剣士様は俺を殺す気かな」
「私?ふふ、私はもうただのフィシカよ。ユージン様の命令も、結果的には無視しちゃいましたし」
互いに目を合わせ、笑う。笑っていると、二人は時間がゆっくりになるのを感じた。
「フィシカとユージンには悪い事をしたな。フィシカは、アズフィルアについた後どうするつもりなんだ?もし俺がアズフィルア国に戻らずに、旅をする事になったら?もし俺がアズフィルア国に残って、本当にサンライト国と戦うことになったら?」
「旅を続けるというならば、ユージン様の命令は破らずに済みますね。そのまま私も同行いたします。…貴方が、国へ戻るならば、私は私の旅をします。きっと両国にも、故郷にも私の居場所はありませんから。――剣の腕を磨き、己を高める。そして、人探しね」
「人探しか…昔の友人か何かか?敵国なんて中々行けないからな」
「私の師匠、『ソード・キンライ』よ。アズフィルアにいる筈なの。せっかくアズフィルアに行くなら、強くなった私の実力を見せつけなきゃね。ふふ、歳とってボケてないといいけどっ」
フィシカはクスクスと笑う。彼女が中々見せない、意外な一面なのだろう。故郷の名残だろうか。しかし、それよりも驚くべき事実を聞いたカイトはビクッと身体を震わせ、神妙な面持ちでフィシカを見ていた。
「――誰だって?」
「あら知り合い?…どうしたの?」
冷や汗をかくカイト。急な態度の変化に、フィシカは心配と、動揺をする。
「――――そうだな。来たばかりの俺に優しくしてくれた人がいたんだ。ヴァンと戦っているとき、弱い俺を守ったばかりにその人は命を落とした。ああ、俺が弱いせいだ。俺が浮かれてたせいだ。」
「それは…貴方には辛い話ね。ねえ?何の話を――」
「語らせてくれ、他に話すのは初めてなんだ。牢獄でヴァンと話していて思ったのは、『悪いヤツじゃない』っていう大雑把なモンでさ。レツやフィシカから聞くヴァンは、俺が目の前で話してたヤツそのままで…アイツの、『殺したのは俺じゃない』って言葉を、目を、信じてるんだ」
「…ヴァン様は仕事を第一に考える人だけど、同時に剣に誇りを持つ者。殺した戦士への礼節を重んじる人よ。その言葉に嘘はないと思うわ」
信じたくない、聞きたくない、そう思いながらも、フィシカはヴァンについて話した。
「うん、じゃあ誰が?って話だ。俺が気を失う前、ヴァンは目の前にいたし、遠くでその人の…叫び声も聞こえてた。ヴァンの目的は俺の回収で、殺しではない」
フィシカは言葉を発せずに、傷ついたような顔でカイトを見ている。
「その時、あの人に――『ソード・キンライ』に一番近かった人物はただ一人。―――俺が国へ戻る理由は、魔王『ソニット・オルビット』だ」
「……じゃあ、私の旅は、中止、ね。わかった、それは私にも関係ある話だわ。…話してくれてありがとう」
暫くの沈黙の後、フィシカはカイトへ微笑みかけた。
「悪い、早く言うべきだった。俺だけの問題だと…」
「偶然に偶然が重なっただけ。それにキンライさんのことだもの、顔が広かったのね。悪いなんてよして」
罪悪感に苛まれるカイトに、フィシカは優しく続ける。
「そうね、彼のためにも、真偽ははっきりとしておくべきだわ…暗い顔しないで。私は大丈夫だから――そうね、気分転換に温泉入ってきなさいよ。木刀なんて振って、まだ汗を流してないでしょう?」
「あ、ああ。そうだな、でも」
やり切れない気持ちを、カイトはフィシカへ伝えようとする。
「――ね、そうして」
しかし、彼女は、ただそう呟いただけだった。声が震えないように、優しく、笑顔で――フィシカの精一杯の表情だった。
「…俺は長風呂だから、先に寝てもいいからな」
「うん。おやすみ」
「…おう」
そう言って、カイトは静かに戸を閉めた。
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優しく、笑えていただろうか。
彼が部屋の扉を閉めるやいなや、私の心にポッカリと穴が空いた気がした。無意識に広縁へ足を運び、景色を見る。窓口に腕を組み、体重を預ける。無意識に、呟く。
「…やっぱり、トド国の月は綺麗ね」
自然とあの日を思い出す。私が初めてキンライさんに負けた日。長時間打ち合って、私は気絶。気がついたのは夕陽の落ちる頃だった。暫くして、キンライさんは動けない私を背負って――家についたのは夜だった。
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「綺麗な村だな。ここは」
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月に照らされた村に、キンライさんは言っていた。優しい笑顔を思い出す―――。
「…っ……ううっ…くっ……」
鼻の奥が熱くなるのを感じる。呼吸が、乱れていくのを感じる。涙を止めなきゃ。止まって。止まって――止まれ、止まれ、止まれ――膝から崩れ落ちて、感情も溢れ出す。涙は止めなきゃ。カイトだって辛いのに――。
カイトは、キンライさんのために努力してたのね。やつれるまで、手の皮が擦れて血塗れになるまで。最初に出会ったカイトは黒髪に青い魔力が通って、シックな紺色だった。――今は真っ青。黒色の面影はどこにもない。
「私が、カイトを守らなきゃ。カイトのためにも、私はまだ死ねない…!」
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夜も遅いようで、露天風呂に人はいなかった。小さい頃から上せやすい俺は、時間を潰すため、腰の辺りまでしか湯に浸からないことにした。
湯煙が登る先を追うと、ぴったり月と目が合った。湯気を被った満月は、光を弱く反射し、広縁で見たときよりも幻想的に映っていた。
「『今日の月は綺麗ですね』か…」
月明かりに照らされる彼女を思い出す。嬉しそうに微笑む顔はまだ少し火照っていて、つい目を離せなくなってしまう。そして、俺を励ましてくれたときの表情もまた、脳裏に焼きついたままだ。――自分が情けなくなる。
「俺はまだ死ねないよ、フィシカ―――」




