1章29話 フィシカ・エルベハート①
ヒロインの過去編です
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空気を鋭く切る音がする。一定の間隔で、絶え間無く。耳を澄ませると、上履きと床が擦れる高い音、木刀を握り直す低い音、そして――――あの人の僅かな息遣いが聞こえてくる。
その日、私は道場へ少し早い時間に来ていた。何故って…たった数週間しか滞在しないと言われていても、気になるものは気になる。――――一体彼は何者?どうしてこんな村に?
彼の手が止まる。汗を肩で拭うと、半開きの扉から覗いている私と目が合ってしまった。パッと表情を変え、木刀を肩に乗せると、彼は言った。
「よう、今日は随分と早いんだな。それともいつも早いのか?―――まあ、なんにせよ…おはよう、フィシカ。」
むぅ…目が合ってしまったことに屈辱を感じつつ、私も優しく挨拶を返した。この数週間、彼が剣を教えようとしてくれるのだ。学ぶ事など何も無いが…私は天才らしく、余裕を持った挨拶を心掛けた。
「ええ、おはようございます――――キンライさん。私は皆より、少しだけ早いのよ?」
――――――ああ、またどうでも良い嘘をついてしまった。本当はもっと寝ていたいのにね。
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人口僅か百九十数人の小さな村。『カルク村』は、ドド国の最北にある海が綺麗なところだ。
海と空の綺麗な風景がある事、エイヴの実が特産品である事、少し大きな剣道場がある事…一般にはそのくらいしか知られていないが、もう一つ小さな自慢がある。
それは、村人全員が『妖精』族であるという事。
今となっては御伽噺だ。
遥か昔、『異世界から来た』と言う青年が現れた。その青年は誰からも愛されて、やがて世界を救ったらしい。それをキッカケに、異世界から溢れるように『彼ら』は現れ続けた。
ある者はやる気が無く、ある者は復讐に満ち、ある者は頭の軽い女を侍らせ、ある者は文明と文化を伝え――『ガッコウ』なるものから団体で現れる事もあった。
いずれにせよ、『彼ら』に、『ニンゲン』に共通していた意識は――『無双』だった。
異世界から来る者は男が多かったらしく(異種族に変わったり、女に生まれ変わる者もいた)野蛮な思想の者が多かった。溢れ続ける他文明の情報による世界の発展、現れ続ける聡明な異世界からの頭脳、そして生まれ変わりたい、最強になりたいという思いによって、ある事実が発覚した。してしまった。
人間は、『妖精』族の力を取り込む事が出来る。
人間の、異常な魔力量、妖精の、魔術における異常な技術力。この二つを合わせる事が出来る。
そうなってからは、早かった。男ならば、親友のように接し、取り込む。或いは有無を言わせず嬲り殺し、力を奪い続けた。女の妖精ならば恋人のように接し、取り込む。或いは持ち前の能力で、無理矢理―――
妖精族の数は減り続け、国は疎か、世界を破壊する段階まで能力を上げ続けた人間は、それでも強くあろうとし、妖精を探し続けた。妖精が完全に姿を消した頃、人間は次第に力を失いはじめていた(種族間の差別が無くなり、事態が収まったのは約5000年前に現れた勇者が関わってくる。が、それは別の話)。
人間としての純粋な力は無くなっていき、やがて争いも好まなくなり、いつしか人間という種族はこの世界に馴染んでいた。だが、今でも僅かに異世界人は召喚されるので、種族を私達の世界で分ける事にした。
異世界はそのまま、『人間』または『ニンゲン』。
住み着いた人間は、繋がる者――『オビ』。
妖精と交わったばかりの人間は、枷の無き者、『キーレスト』と分けられるようになった。
カルク村は、そんな妖精が暮らす村。人間と妖精の関係についての史実も、今となっては妖精族達しか知らない。今となっては妖精は生きてるだけでも貴重。世間一般には絶滅したとされる種族。それが、二百人も!――だからこれは、声を大にして言えないけど、私の自慢。
そして、私―――――『フィシカ・パロム』も、例外ではなかった。
ただ、他の妖精と比べる事があるとするならば、耳の尖りが少し小さい事、それと、妖精のくせに『剣術の天才』である事くらいだった。
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朝陽が私の目覚めを快く迎える。少しだけ、ぼうっとそのまま布団を被ったまま。やがてゆっくりと起き上がり、背伸びをする。鏡越しの私の長髪に、軽く櫛を入れ、すうっと伸ばす。毛先を確認し、櫛をドレッサーの棚にしまう。
玄関に立てかけた、新品の木刀を持ち、踵の潰れた靴を履き、大きな声で、
「行ってきまーす!」
後ろから小さく返事が返ってきたのを確認し、私は髪をなびかせ、道場へ駆け出した―――
ウチは村の中では高い位置にあるので、一面の海が丘の緑、砂浜の白と相まって、映える。
空が青い日に限って気分がいいのは何故だろう。やっぱり、私の好きな色が青だからなのか。
雲一つ無い青空、雄大な海――――世界いっぱいの青に、私は今日も包まれている。海岸近くの道場まで、あと少し。
道場に着くと、たくさんの木刀と木刀がぶつかる音が私の耳に届いた。自主練習の邪魔をしないよう、場内の端を歩き、荷物を棚に入れた。髪が長いと便利だ。――俯くと顔が隠れる。
私は自主練習とやらをしないので、毎朝の視線が嫌になる。袋から緑色のヘアゴムを取り出し、結ぶ。新品の木刀に手を伸ばそうとすると、背後から声が聞こえた。
「おい、集合時間ギリギリに来てるぞあの女。どういう神経してんだろうな。俺たちは朝早くから練習してるってのに」
「やめとけって、何されるかワカンねぇぞ」
「そうさ、『天才』サマには練習なんざ必要ねえのさ」
「はは、ずっと独りで虚しくならないのか不思議だな」
心臓を締め付けられているような、そんな気持ちがして、私は今日も新品の木刀は使わないことにした。努力をステータスだと思っている奴らなんて、嫌いだ。頑張っている自分に酔うやつなんか、ロクなのがいない。そんな奴らの前で、この木刀は振れない。それに、朝早く来たところで、やる事なんて何も無いのだから、時間どうりに来ればいい。そうだ、私は正しい。正しい。
私が到着してから十数分後、時間どうりに道場の師範が現れた。私達門下生は一列に並ぶ。師範からのありがたい言葉。具体的には今日のメニューと、精神論。今日のメニューの中に、『私vsその他』があった。私はこの時の為だけに道場に来ている。流石の剣の天才でも、できないことはある。
「――それとだな、今日から1ヶ月俺の友人が剣を見てくれるそうだ。『剣豪』の称号をもっているという方だ。お前らも学ぶ事は多いだろう。ジャンジャン聞け。ジャンジャン見ろ。少しでも技を盗むんだ。それがお前らの強さに繋がる。」
「「はいっ!」」
剣豪、ですって?隣国のサンライトで、今一番優れてる剣士ってことじゃない?私は周りの門下生を見る。どうやら、剣豪という称号の凄さを感じていないみたいだった。私は周りとのレベルの差に少しうんざりした。まあ、剣豪ってやつもきっと大したことはないんでしょうけど。
「紹介する――『ソード・キンライ』さんだ。午後から一人ずつ見てもらう予定だから、午前のうちに万全にしておけよ」
「「はいっ!」」
「おっす、ソード・キンライだ。今はちょっと訳あって、各地の道場で指南をしている。短い間だが、よろしく頼む」
「「はいっ!」」
師範の横にいた、黒髪で細身の男が笑った。歳は――師範と同じか、もう少し上だろうか。よく見るとシワがある。細身といっても、一見そう感じるのであって、よく観察すれば鍛え上げた無駄のない筋肉や骨の太さを感じ取れる。感覚でわかる。今まで来た連中とは訳が違う。確かに実力は認められていそうだ。
午前中は剣の打ち合いや、新しい技と既存の技の指導、ウォーミングアップを兼ねてのトレーニングを行った。キンライという男は、練習の合間に声をかけてあげていたり、気になった数人を集めて指導していてくれた。そして、案の定私に声をかけることはなかった。
午後、ついに彼のマンツーマンの指導が始まった。彼の剣さばきを見るのはこれが初めてだったので、最初の数人は私も見ていた。―――正直、期待はずれだった。
彼は確かに実力者なのだろう。説明もわかりやすく、手本としてみる分にはとても見やすい。だが、それだけだ。彼は、一人一人の門下生に合わせて戦っている。
要するに、生徒が真似しやすい振り方をするのだ。大振りな人には、大振りの良いところを生かす型に。手数の多い人には、手数の多さを生かす型に。相手の振り方の上位互換を見せ、参考にさせる。
私の番が来るまで、彼は遂に本来の実力を出すことはなかった。
「――よし、次!そこの青髮の嬢ちゃん――は最後!次は…」
「はぁ?」
周囲から微かに笑い声が聞こえる。声の方向を向くと、朝に陰口を叩いていた三人組だった。
「おい見たかよ今の」
「うわうわ恥ずかしい」
「天才サマは特別扱いだ。俺らだって頑張ってんのにな」
ボロボロの木刀を強く握り直す。聞こえないとでも思っているのか、それとも聞こえるようにしているのか。…剣の天才?そんなの、良いことなんか一つもない。ましてや、こんな小さな村で。私が俯いていると、キンライさんが三人組に声をかけた。
「――よし、次!お前ら三人来い!まとめてやってやる」
「俺ら三人!?どうして急に――」
ハッと顔を上げた。マンツーマンを終えた人達は各自で自主練をした後、ストレッチをして帰るという流れだったので、場内に残っているのはキンライさん、師範、四、五人の門下生に悪ガキ三人組、そして私だけだった。キンライさんが肩に木刀を乗せる。
「どうしてって…特別扱いされてえんだろ?かかってこいよ、本気で相手してやる」
どうやら、私への陰口は、彼にも届いてしまっていたらしい。キンライさんは私のことなんか一切見ずに、三人組を待ち続けていた。
「おい、どうする?」
「どうって、行くしかないだろ」
「剣豪だかなんだか知らないが、大した剣の振りじゃないぞ、あいつ」
「やっちまおう」
そうして三人は彼を囲うように剣を構えた。
「うし、お前ら名前は?」
「キヨデ!」
「フジ!」
「ヌシ!」
「よし、かかってこい!」
三人が一斉に斬りかかる。キンライさんは一歩素早く踏み出し、キヨデに近づく。
「は、はやっ」
キヨデの剣は振り下ろす前に、彼の剣で強引に弾かれる。
「反応が遅い。そのくらい想定しとけ」
弾かれた剣の反対側の脇に木刀を一撃入れる。
キヨデの方向に向いているキンライさんの背後に二人が走り込む。フジは首へ、ヌシは足元へ木刀を振る。
キンライさんは防ぐように、首元に自身の木刀を置き、フジの剣撃を弾く。
「ガラ空きっ!」
「足元だけを見るな」
ヌシの木刀が足元へ届く――事はなく、背後を向いていたはずのキンライさんがヌシとフジに対面し、キンライさんの木刀は既にヌシの剣をかち上げていた。斬り返すようにヌシの右肩に一撃。
「くぉっ…」
体制を立て直そうと一歩引くフジの目の真横に鋭い突きが入る。…入る、と言っても瞬きの間に既に入っていたのだから、音とフジの叫び声で判断するしかないのだが。
「ふぉお!!」
「間違いではないが、引き方が甘い」
目元僅か数ミリを尋常じゃないスピードで突かれたフジは、尻餅をつく。
背後、脇の痛みを感じながらもキヨデが突きをキンライさんへ入れようとする。が、不発。キヨデの背後へくるりと回り込み、背中を強く押す。突きと押された勢いで、ヌシにぶつかる。
「突き方がなってない!振りも遅いっ!」
ぶつかったヌシ、キヨデはそのまま倒れこむ。
「終わりか?あっけないぞ三人衆」
「くそっ」
ヌシ、キヨデは勢いよく立ち上がる。
「はわわわわ」
フジは情けなく立ち上がる。膝が笑っている。
様子を見ると、キンライさんはフジの方へ一歩強く踏み出す。が、踏み出すだけ。だけなのだが、あまりの音にフジは防御姿勢をとる。
「ビビってたら勝ち目ねえぞ」
キンライさんはそのまま、木刀を構えたヌシ、キヨデの方へ振る。負けじと二人は対抗するが、弾かれる。キヨデは立て直すが、ヌシは弾かれた方向によろけてしまう。
「ヌシは体幹が弱い。その程度なら隙だらけだ」
踏み出し、左肩に一撃を入れる。
「いでっ!」
「キヨデは、突きと振りの遅さが致命的だ。打ち合いで負けるぞ」
「っす!」
肩でヌシをそのまま押し倒すと、キヨデに振りかかる。防ごうとして、木刀で受けるも、足元へ両手ごと弾かれる。
足元へ弾かれた木刀をかちあげる。キヨデの目線はぐるぐると木刀を追う。かち上げた木刀を右へ弾く。右へ弾いた木刀を左、次に下、上、右、下、左、上、右…キヨデの顔が苦痛に歪み、一歩ずつ下がる。手の痺れだ。なすがままのキヨデにキンライさんが言う。
「大した振りじゃないと言ったのはお前だな、キヨデ。ほうら、俺の振りを上回ってみろっ!」
弾かれ続けるも、必死に耐えるキヨデ。
上、右、下、上、右、上、下、上、下、上、下、左…左に打たれた瞬間、キヨデが回転しながら素早く斬りかかる。打たれた勢いをそのまま、キンライさんにぶつけようとする。
「…っらぁ!」
「狙いはいい。だが読まれてはいけない」
キンライさんは一撃を躱す。自身で制御出来ない速さの振りが空振り、体制が崩れる。キンライさんはキヨデの振りを更に早めるように、左方向に一撃を入れる。もはや木刀に振られている状態のキヨデは、勢いよく床に叩きつけられる。
再び背後。フジが襲いかかる。思い切り木刀を振り下ろす!キンライさんはそれを見ずに躱す。思い切った一撃は足元で転がるキヨデにぶつかる。
「おえっ!」
「ご、ごめ」
「気をそらすな!」
躱し、万全の態勢のキンライさんは、フジの目元僅か数ミリを尋常じゃない速度で突く。フジはついに白目を剥き、情けない声で痙攣する。直前背後に回り込み、背中を押す。フジがキヨデに倒れこむ。
たじろぐヌシにキンライが言う。
「ほら、残りはお前だ。一撃入れてみろ」
「っっおおお!!」
ヌシが走る。
キンライさんは剣を構える。
今までで見たことがない構え。
ヌシが斬りかかる瞬間、キンライさんの体が震える。―――今度は瞬きはしていない。でも、見えない。
構えていたハズのキンライさんは、既に木刀を振り終えた形になっていた。走ってきたハズのヌシは、そのままの勢いで、力が急に抜けたように倒れてしまった。
「み…見えな…かった…」
普通見えないというのは、動作が理解できない時に言う…と思う。物作りにおいての熟練の職人の手さばき、プロの演奏家の楽器の指、確かに目に見えていても、脳が追いつかない。理解ができない。
だけど、今の動きは本当に見えなかったのだ。残像はおろか――目が、像を捉えなかった。
――――――彼を、超えたい!
「―――って事が大事だな。三人でお互いに指摘し合うといい」
「「「はい、師匠!」」」
「師範俺なんだけど?」
気がついた三人はキンライさんを尊敬の目で見ていた。総評を聞いた後は木刀をポイと片付け、興奮を抑えぬまま、叩かれたところを摩りながら、キンライさんの『ココがヤベエ』ポイントを話し合いながら帰っていった。
その後もマンツーマンは続き、残りは私と師範と、キンライさんだけになった。
「――うっし、最後だな。待たせて悪い」
「…午後は、予定がないから大丈夫」
私の全集中は目の前の男に向く。視界が狭まり、白い空間に閉ざされたような、そんなイメージが出てくる。彼と私だけの空間。呼吸を乱さず、睨みながら、ゆっくりと木刀を構える。――これほどの緊張は、高鳴りは、いつ振りだろうか。
しかし彼の目はなんともやる気が…
「――遠くね?もっとこっち来いよ嬢ちゃん」
「…へ?ああ、ごめんなさい!」
キンライさんの気の抜けた声に気がつき、周りを見渡す。彼は道場の真ん中にいると言うのに、私は隅の方で構えていたのだ。考えれば、あの暴言三人組がやられた時からずっとココで彼を睨んでいた。私はパタパタと小走りし、キンライさんの元へ向かう。
――今、他の門下生はいない。
私は一旦棚に行き、新品の木刀と交換した。ワクワクが止まらなくなる。このために私は新品の木刀を用意したのよ。そう言いたくなる。
「お、新品。朝から使ってなかったのに」
「これ程の手練れと本気で出来るなら、この子だって喜ぶわ」
私は再び構える。稽古?知らない。私はこの人に負けたくない。天才の私に、できないことはない。負けたら、きっと努力をする連中は、努力を自慢する連中は、私を馬鹿にする。あってたまるか、そんな事!彼が剣を構えるまで、私はひたすら待ち続けた。
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「なあ、ミガル。さっきから言ってんのに、あの嬢ちゃん何も聞こえてないぞ。師範のお前が注意してくれ」
「いやあ、あの歳で剣に魔力を纏わせるなんてな。キンライ、お前を殺すつもりだぞあの子」
「…お前、楽しんでるだろ」
「彼女、自分より強い奴に会ったことが無いんだ。それで『努力をする奴ら』から孤立して、ちょっとコンプレックスになっててな。色々、俺も試したんだが、何より師範の俺より強いもんで…お前に頼むのが一番いいかな、と」
「ふうん、『努力をする奴』が嫌いなのか。…どれ、オッサンが人肌脱ぐかな」
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彼がやっと、私に目をやる。キンライさんは、私に少しだけ微笑むと、木刀を構えた。
「いいぜ、嬢ちゃん。俺を、殺してみろ」
彼が私を、真剣な眼差しで言う。
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彼と本気でやり合ったのはこれが、最初で最後。
でも――
――――この一戦が、私を変えたの。
彼がいなければ、私はあの村で、独りで消えていた。―――『フィシカ・エルベハート』には、ならなかった。




