1章27話 今日だけは
――――朝がきた。
麻袋に数日分の食料と衣服、地図を入れ、右手で肩にかける。着けていた鎧も、いつでも作り出せるようになったので宿に置いてきてしまった。お気に入りの、フードがついた黒い上衣を着て門へ歩いた。彼女たちには置き手紙を書いておいた。異世界――所謂、ミリネアという世界では日本語が使えるものの、漢字の普及率は低い。連れの中には子どももいたので、丁寧にひらがなで書き残しておいた。
昨夜の彼女の言葉を思い出す。
『分かってないかもしれないけど、魔王は貴方より遥かに強いわ。貴方じゃまだ敵わない』
当然だ。いくら修行したところで、なんの才能もない俺じゃあ国のトップと対等に戦うことはできない。だからこそ、話をするのだ。魔王は、今の俺に興味がないと言っていた。おそらくそれは、戦う価値すらないという事だ。相手はそこまでの大物。手は絶対出してはいけない、これ以上感情的になってはいけない。
「そも、興味無いって言って仲間見殺しなんだから、反感買われて当然だろ。」
そう呟いて、俺はトド国の中心街を後にした。
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手紙に気がついたのは、カイトが出て行ってから数時間後だった。
「『たいせつな たびの なかまへ。くにに かえらせて もらいます。 そうどうが おちついたら おわびします。 おせわになりました。 では あとは てはずどおりで。 かいとより あいをこめて』だって。お兄ちゃんかえっちゃったの?」
レツはひらがなで書かれた手紙を読む。レツでも読めるようにと丁寧な字で書いてあった。
「朝早くに出たみたいねぇ。手筈って言うのは昨日の事かしらぁ。カイト君って、いい子だけど周り見えて無いよねぇ。」
「わ、私はなんと言う事を…!ベッドに潜っていたのが魔力でできたダミーだったとは…」
フィシカはため息をつく。
「仕方ない、仕方ない。カイト君の成長ヤバいからぁ。今はもう像がぼやけているけど、さっきまで本物そっくりだったからねぇ。目を開けてるのに息しないから死んだかと思ったわぁ。」
3人はダミーを見つめる。ベッドの上でぐったりしているソレは、目を瞑ったままだ。クロサキカイトがつくりだした本物に近い人形。服の下は分からないが、顔はかなり精巧に作られている。人形はやがて青い光に包まれ、像がぼやけ、そのまま消えてしまった。
「早く追いつきましょう。まだ周辺にいるかも…いえ、私だけ彼を追います。お二人は国に帰ってユージン様にお伝えください。」
「フィシカお姉ちゃんだけ?どうして?」
「馬車じゃきっと追いつきません。それに、行き先は魔王城。むやみに近づくのは危ないですから。」
ガシャガシャと身支度をし、メットのバイザーを閉める。
「わかったわぁ。『勇者が自ら魔王城に向かいました』なんて言っちゃ駄目よねぇ。」
「…ぼくがつたえるよ。お兄ちゃんのはんだんをダメにしたくない。」
「このような別れ方になってしまってごめんなさい。行ってまいります!」
「4人旅楽しかったわぁ。また会いましょうねぇ。」
「またね、お姉ちゃん!」
フィシカは門に向かって走った。
(もしかしたら、もう国境は超えてるかもしれない…急がなきゃ、私、まだ…!)
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「…思ったより進んでないな。あれ?この地図って1センチでどんくらいの距離だ?倍率のとこが読めん。そもそも1センチでいいのか測り方。ミリネア語全然わからんからな、まだ文字覚えたくらいで…お?あのデケェ岩は地図に載ってるのと似てるな!てことは、てことはてことは…西方向に歩いてないな、コレ!?知らん大陸の太陽あてにしちゃ駄目だったか…!じゃあまだ国境でてないじゃん。トド国じゃん!なんなら有名スポットの温泉街が近いじゃん!!…なんで有名スポット書いてあるんだ。…空飛んだ方が速いかぁ。でも魔力切れになったことないから残量の感覚知らんし、戦う時に温存したいな。」
「やっぱり戦うのね嘘つき!ていうか街から1キロも離れてないじゃない!どういう方向感覚してんのよ!!」
「うおっ、フィシカ!?どうやってここに!?そんでめっちゃ汗かいてんな!?」
「はあ、はあ、貴方いつも喋ってるの?聞き込みしたら、独り言しながら観光地図見て歩いてる人がいたって言うから、すぐわかったわよ。はあ、焦って走り回ったのが馬鹿みたい。心配して損しました。」
俺は改めて地図を見る。イラスト付きで文字以外は非常に見やすいポップな地図だ。
「か、観光地図…」
「日暮れまで歩き回って国境沿いなんて、馬車使った方がまだマシよ」
「観光地図…?コレが…コホン、んで?何しに来たんだ?言っておくけど、アズフィルアには向かわせてもらうぜ。国境は近いんだ。すぐに…」
「キャンプ地はかなり先。そして、夜のアズフィルアは魔獣だらけで自殺行為。無い馬車でも使う気なのかしらねこの一直線馬鹿男は。その地図で食べ歩きでもする気?」
「ぐうの音も出ない」
「どうするの」
「は?」
どうするの、とはどういうことか。フィシカは確かに俺を止めにきた筈だ。俺の意見よりも連れ戻すことを優先するだろう。なのに、こちらの動向を探るというのはどういうことか。
「どうするんですか、この後」
フィシカは投げ捨てるように言った。疲れているような、面倒に感じているような、そんな態度だ。確かに、日は落ちようとしているし、フィシカは一日中俺を探し回ったのだろう。俺を心配してあちこちを走り回ったのに、近場にいたのだ。気も疲れるだろう。
「私、汗をかいているんですけど。貴方は?」
「え、まあ、ちょっとかいたかな?何?どうした?」
「〜ッ!」
フィシカの顔が赤くなっていく。心なしか睨んでいるようにも見える。な、なんだか悪い事をしてる気分になる。そんなに疲れてるならどこか休む所でも……
「…あっ。温泉街に行きたいって事?」
「そ、そう言うと私が誘ってるみたいじゃない。気づいてよ、馬鹿」
フィシカは俯いて目を逸らす。なんだこの人は。2人きりの途端コレなのか。
普段受け身なフィシカにこう言われてしまうと、どうしようもなくなってしまう。なんだよ。超可愛い。
「…そうだな、一日無駄に使っちまったし、今夜は泊まるしかないか。地図も買いなおしだ。」
「ええそうね、そうしましょう、その地図貸して。行きたいところあるの。」
「…敵わねえな、フィシカには。」
嬉しそうに地図を眺めるフィシカ。空色の綺麗な髪が揺れる。凛とした顔立ち、綺麗なボブカットの彼女に思わず見惚れてしまう。
仮に、足止めだとしてもこの温泉街で体力は完全に回復するだろう。万全の状態で向かうことができる。
今日1日だけは、何も考えずにフィシカといよう。2人きりなんて、あの牢屋以来だから。
今日だけ、きっとバチは当たらないだろう。
今日だけ、どうかこのまま。
2人でいよう。




