1章23話 それはまるでラブコメのようで
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少し前――
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「君、カイトの部屋で護衛をしていた兵士だね?もし、よければなんだが、カイトが旅をする時にそのまま護衛として出てくれないか?」
ブロンドの髪をさらりと流し、ユージン様はそう言った。彼はどうやら私に相当の期待をしているらしい。それもそうだろう。エルベハート家は由緒正しい、確たる実力を持っている。ユージン様はエルベハート家としての私の力を欲している。
――はい、分かりました。いつでも出れるようにしておきます。
「おい、いーのかよ?嬢ちゃんは名のある剣士の家の出じゃねーの?いくらなんでも…」
オレンジのもじゃもじゃ…否、ヴァン様が私を止めようとする。確かに、これでは急だ。私はサンライト国で三本の指に入る剣士の家の当主を務めている…仮だが。しかし、心配はない。私にエルベハート家の血はない。次期当主である弟、エイル様はもうご立派だ。周りの目も、私には辛く刺さる。『あの女は、いつまでここにいるつもりだ。』と。
――大丈夫です。ヴァン様。私はもう、エルベハート家としての役目は果たしています。もうエルベハート家は私を必要としていません。
ヴァン様が、少し肩を落とした気がした。仕方がない、本当だから。私の居場所はもうここにないから。
「酷だとは思うが、君が適任だと思う。…馬車は用意してある。いつの日かくるかもしれないその時まで…と言ってもだいぶ先になりそうだがね。でも心構えをしておいてくれ。」
どうやら、国創会の方々は頑なに旅を許可しないらしい。もはや不自然なほどに、幽閉をしようとする。この調子では、少なくとも数ヶ月…場合によっては数年単位の説得になるかもしれない。なるほど、彼が逃げ出そうとするのも頷ける。それは置いておいて、ユージン様に返事をしなければ。
私はいつも通り、エルベハートとして淑女らしく返事をした。
エルベハート家らしく…そう私はエルベハート家の駒。今の私に名前はいらないの――――
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現在――
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塀の上から堂々と存在するサンライト城を見つめ、剣を握りなおす。私はヴァン様の指示で、ユージン様から頂いた馬車を用意して待っている。ここに、彼が来るのだという。
ここなら、今は人がいないだろうと思い、私は鎧のヘルメットを外す。髪の引っ掛かりを取るため、頭をふるふると回す。綺麗に手入れした、水色の短髪を搔き上げる。普段顔は人に見せない。なぜならばエルベハート家は代々男が継いでいたから。なるべく女である事は隠し、声もなるべく隠す。ずっとそうしてきた。この顔と、私の名前を知る人は極少数。更に、名前と顔が一致する人なんて…今となっては誰一人いないだろう。
――だから、だから彼に会う時は、『初めまして』でいよう。エルベハート家としてじゃなく、あの頃の村娘でいよう。照れ臭いけど、彼ならきっと、いつも通り…
――彼は、無事でいるだろうか。
塀外の馬たちはおっとりした目で私を見上げていた。
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「どこって、言ってなかったか?―――魔王城だよ。ついてくんなバーカ」
俺は目前の、もじゃもじゃミカン、黒ハチマキ昭和顔――否、ヴァンに向かって得意げに笑いかけた。正直仲間をコイツに殺されたのは恨めしいが、どうもヴァンは憎めないヤツだった。というか、本当にキンライを討ったのならもっと堂々として欲しいものだ。
「へえ、魔王城?帰っちゃうのかよ四天王サマ。」
「魔王に問いただしたい事があるんでね。キンライの仇打ちはその後だ。」
「仇打ちって、あー、そうか。言ってなかったな」
ヴァンは構えていた太刀を降ろし、気まずそうにこめかみを掻く。俺は機嫌が直ぐに悪くなった。一体なんだと言うのだ、俺はヴァンを悪いヤツじゃないと感じただけで、今回の件とは別で――
「実は、キンライにトドメ刺したの俺じゃねーんだわ」
「あ?」
目の前の男を鋭く睨む。敵わない相手であっても、できる限りの悪態をつく。冗談ならばタチが悪いにもほどがある。
「いや、本当だ、信じてくれ。…お前が気絶した後だ。俺だってあのじーさんとサシで殺り合いたかった。最後までな。」
サシで、だって?その言い方はまるで、
「あの場に誰かいたのか?俺たち以外に?」
ヴァンはずっと気まずそうなままだ。打ち明けたことが気まずいのか、それともまだ何か隠しているのか。
「ああ、まーな。その、それだけ伝えたくてな?お前になるべく嘘はつきたくねーんだよ。」
「誰がいたんだ!教えろヴァン!お前のその言い方…俺に嘘はつかないって言ったな?だったら俺に――」
「嘘はつかない。だから、俺はお前に教えない――自分で探せ。その方が今のお前の為だ。」
意味がわからない。ヴァンが嘘をついてないなら、あの場所に誰が来れた?だって、そんなの魔王くらいしか―――
「カイトおにいちゃん?だいじょうぶ?」
横で紅髪の少年、レツが心配そうに俺を見つめた。その声かけで我に帰り、今すべきことを思い出す。国の牢を脱走中の俺は、どうにかしてこの場から逃げないといけない。遠くで兵士達の足音も聞こえる。危なかった。冷静になれ。今の俺の目的は別だ。「悪い、喧嘩しちまった。ありがとな。」とレツの頭を撫で、俺は再び太刀を構え直したヴァンと目を合わせた。冷静に考えれば、俺は今劣勢なのだ。
「取り敢えずお前の言うことは信じる。で、要件はそれだけか?お前と鬼ごっこは死んでも嫌だぜ。」
「オニゴッコとやらは知らねーが、どうやら城下町の西の塀に嬢ちゃんがいるらしいぜ。そこには馬車もある。」
「何が言いたい。」
「ちょうどそこら辺は俺の隊が見回りをしててな?他の兵は寄り付かんらしい。」
「逃すのか?俺とレツを?」
「バカ言え。責任追及で俺の首がサヨナラだろーが。」
「なんだってんだよ!」
「好きにしろ。…俺たちはここで会わなかった。」
「!」
「じゃ、レツを暫く頼むわ。…行くぞ、レイ。俺はもう満足だ。俺もレイに何を教えればいいかハッキリした。お前のお陰だぜ、クロサキカイト。」
そう言ってヴァンは納刀し、レイという名前の小さな水色の女の子の肩をポンと叩いた。背中を向け、ヴァンは歩き出す。
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淡い水色の髪を靡かせ、女の子が必死に弟を止めようとする。
「ま、待ってよ、レツ?そのひとと行くの?きっと良い人じゃないわ。それに、だれもレツにそんなこといってないわ」
レツとレイは双子だ。カイトは黙って二人の会話を聞く。彼女らには自立が必要だ。
「レイ。これはぼくがきめたんだ。カイトおにいちゃんがいいひとかわるいひとかはぼくがきめる。カイトおにいちゃんだけなんだ。ぼくがひつようだっていってくれたの」
「…!そんな、レツ?わたしだってレツがいないとこまるわ。もどってきてほしいの」
小さな二人は考えて、大事に考えて話をしている。ただし、一方は不安そうに、もう一方は腹を括ったように。
「…レイは、ぼくにもどってきてほしいの?なんで?」
「え、だって…おとなのひとがそうしろっていっていたわ!だから…!」
レイは言葉を詰まらせる。不安色の顔は変わらない。
レイは、周りの大人がそうしろと言うから、そうしているだけに過ぎない。生まれてからずっとその生き方を強いられたから、そこに何の疑問を持たないし、持てるような環境になかった。それは双子の弟、レツも同じだ。ただ、この瞬間レイは自分の感情がわからなかった。伝えるべき事は伝えている筈なのに、何か遣る瀬無い。伝えきれた気がしない。喉の奥で何かがこびりついている。そんな気がした。
「だから…えと、おとなのひとが、いってるから、ね、えと、えっと…」
きっとこの子はレツよりも考え方が深い所まで来ている。今、レツにしたように手を差し伸べても答えは変わらない。カイトはそう感じた。――この子は、レイは感情を知らないのかもしれない。今の自分の感情の答えが、分からないんだ。
「レイ?ぼくはだいじょうぶだよ。ぼくがかえってくるまでいいこにしていてね。おでかけする前に、おとなのひとがいってたよ。いいこにしててねって。」
「でも、でも…」
「いってきます、レイ。」
少年は笑顔で、安心させるようにレイに言った。少女もまた、少し不安になりながらも、
「いってらっしゃい、レツ。」
ぎこちない笑顔で言った。
きっとこの会話も、『おとなたち』から教わった形式的なものだ。意味を込めて、彼女達は言葉を発しているのか。カイトはこの2人が操り人形とか、AIとか、その類いなんじゃないかと思った。そうであって、欲しかった。
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「ヴァンお兄ちゃん。カイトってひとはいい人なの?」
「さてね。自分で考えてみな、レイ。自分で考えることも覚えな。」
ヴァンお兄ちゃんはニコニコしてた。なんでニコニコしてるかわからないから、「なんでわらってるの?」ってきいたらこんどはニコニコしなくなった。へんなの。
「あっ!ヴァン!君達、カイトを見てないか!?」
「うおっ、ユージン!ビックリさせんなよ!」
お兄ちゃんとおしゃべりをしてたら、西の勇者が走ってきた。
あせをかいていて、かわいそうだった。
「まさか本当に逃げるなんて、しかも行方知れずなんて!」
「…あっ、そういや東の塀にカイトを見たってウチの兵士が言ってたな」
「本当だろうな!」
「オレ、ウソ、ツカナイ。オマエ、ジョウシ。オレ、ブカ。ウソ、ツカナイ。」
「なんで早く伝えないんだ!行くぞヴァン、僕に続け!」
「へーい。」
2人がおしゃべりをして、走っていった。さっき、ヴァンお兄ちゃんがカイトさんに言っていたところとはんたいだったので、
「…わ、わるいおとなだわ…」
そうおもった。わたしは、レツのまつこと、ヴァンお兄ちゃんが教えてくれた、じぶんでかんがえることをしないといけないので、おしろの中にはいった。
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どのくらい時間が経っただろうか。私はあいも変わらず城を見つめていた。騒ぎはだんだん大きくなってきているようで、兵士達の騒ぐ声が響き始める。
私は、本当に彼がここに来るのか少し不安になってしまった。座っていた携帯用の椅子から立ち上がり、四つ這いになって、ゆっくり塀の下を覗いてみた。相変わらず日陰のまま、ヴァン様の兵士達が欠伸をしながら立っていた。近くの家に目をやっても、何日か前と同じ洗濯物が干されっぱなしだったし、植木鉢の花々は少ししおれていた。
騒ぎがますます大きくなる。きっと、彼はまだ逃げ続けている。騒ぎが収まらないのが証拠だ。私は本日…何回目かは忘れてしまったが、置いた鎧の反射で自分の顔を確認し、髪を整えた。もうすぐ来るかもしれない。万全でいよう。
なんて話をしたらいいだろう。私は高い塀の上で三角座りをしていた。きっと、彼は私の名前を知らないだろうから、私の顔を知らないだろうから、ヴァン様に言われても気がつかない。今までの時間を無かったことにするのだ。彼はエルベハート家の女として見ていた筈だから、内面の私を知らないから、一から自己紹介だ。私は呟く。
「…はじめまして。私の名前は…んん、違う。私は…んと…」
名前を呼ばれるのが恥ずかしい気がする。私はすぐに鎧の反射で自分の顔を見た。ん、少し赤くなっている。…いや、これは暫く名前で呼ばれる機会がなかったから慣れずにそうなってしまっているだけのことであって別に彼であろうがなかろうが変わりはなくてレツとレイに名前を呼ばせないのもエルベハート家だからとかの他にもそういうところがあったからかも知れないし私はもうエルベハート家ではないからこの名前呼びを定着させないといけない訳で一回一回恥ずかしい思いをするというのは今後絶対にないとは思うしそう考えたら別に恥ずかしいというのは当たり前であって今更考えることじゃないしそれよりも今はどうやって挨拶をすればいいのか考えないとまた硬くなってしまうかもだしそれに、それに、私だって、一度も―――
―――彼の名前を呼んでいない。
私は、あいも変わらず城を見つめていた。
塀の外にいる馬たちは、今か今かと私を見つめている気がした。
「――――ぁ――ぁ―――」
声が聞こえる。兵士の騒ぎと混ざって、微かに聞こえる。
「ぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!」
音が近くなる。私は、危険を感じ、剣を手繰り寄せ立ち上がった。
「ああああああ速いいいいいいいいああああああ!!!!」
遠くから、急接近する男と、それにくっついてる小さな子ども。私は自分の目を疑った。彼が、空を飛んで来ているのだ。
「速いあああああ!!!」「おにいちゃんぶつかる!ぜったいぶつかる!!ばかぁ!!」「バッバリアアアアア!!」
蒼く輝く彼は、そのまま私の――――――横、数メートル先に突き刺さった。
(来、来てしまった…!な、なんて自己紹介すればいいんだっけ…!)
何故か、緊張が高まる。砂埃の先に彼がいるのだ。落ち着いて、私。彼は私が分からない。そうよ、分からない。だから私とは、初対面。この際言葉が硬くなってもいい。大事なのは気持ちであって…
けほ、けほ、と咳き込む声。
私は小走りでそこに向かった。
彼が立ち上がり、私は一言、はじめましてを―――――
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俺は、そこにいる美しい女性にすぐ気がついた。こうやって言うんだと、決めていたんだ。
「――――フィシカ!行こう!」
彼女の名前を、呼ぶと決めていたんだ。
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心臓が跳ね上がった。締め付けられるようで、小さくなったようで、心がとても苦しく、痛くなった。でも、きっとこれは、私だけの心。私だけの痛み。この気持ちがとても気持ちよく感じた。緊張は、感動に変わって、それからきっと、この気持ちは―――――――まだ、わからない。それでも、私にできることは、たったひとつだけだと思った。
「はい、行きましょう。―――カイト!」
彼の――カイトの名前を、私は笑顔で呼んだ。
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そうして俺たちは、初めて名前を呼びあって、お互いに笑いあった。この異世界で初めてこんな感情に、展開に遭遇した。何よりも目の前のフィシカを、俺はとても愛おしく思えた。
だって、それはまるでラブコメのようで、確かな幸せを感じたから。




