1章22話 ああ、お前には敵わねーよ
レツが連れてきてくれたのは彼ら双子の自室だった。
中はカラフルな子供部屋で、壁のあちこちに絵が書いてある紙がたくさん貼ってあった。床には書きかけの絵とクレヨンが散らばっている。机、椅子、ベッドに歯ブラシ。何から何まで全てが2つずつ揃っていた。カチカチと一定のリズムをとる大きな2つの時計の音が響き、その下には異色を放つように銃が1つだけ飾られていた。
「ここが、ぬけみち。ぼくとレイでつくった、ちかつうろだよ。」
赤目の少年が指差したのはピンク色と水色の2つのベッド。
「ここにね、スイッチがあるんだ。」
140センチくらいだろうか、紅色の少年はベットに乗り出した。ぎし、と軋む音を立てて枕の方まで這うと、枕の下のシーツを剥がした。
俺からの目線だと、タイトな黒いズボンで覆われた尻がこっちに向いているものだから、「成る程これがショタか!」とつい関心してしまった。異世界とは奥が深いもんだ。
「えーと、あった」
少年、レツがカチリとスイッチを押すと地響きがした。下からだ。ベットを押してどけてやると、床に両開きの扉があった。開けると四角い空洞が奥まで続いていて、中は明かりが一定の距離で置かれ、途中から登り坂になっていた。
「ここ、ここがぼくとレイのひみつのみち。お絵かきがあきちゃったらひみつで外にでるんだよ。ひみつ、ね?」
赤いアホ毛をさっきからぴょこぴょこと動かしている。だが顔は真剣で、どうやら本当にバレてはいけないらしい。
「ああ、わかった。俺とレツだけの秘密だな。」
「レイも!あと、ヴァンおにいちゃんとフィシカおねえちゃん!」
「いやだいぶ秘密の範囲広いな?ヴァンお兄ちゃんってのは…」
俺は無意識に顔をしかめてしまいそうになり、そっぽを向く。
まさか、ヴァンの名前をここで聞くとは。
2人で地下通路の中を歩きながら駄弁っていた。
幅はそれほど広くないので、俺が新しく履いていた靴の音がよく響いていた。
「…ヴァンおにいちゃんは、ヴァン・フレイビアってひと。しってるひと?」
「あー、まあな?」
「いいひとだよ!ヴァンおにいちゃん!」
うむ、今俺の眉にはシワが寄ってるだろうな。あまり子どもに見せられない顔だ。
「あー、その、フィシカってひとはどんな人?」
話題を変えないと一向に顔を向けられない気がしたので、パッと表情を変えてレツに話しかけた。
「フィシカおねえちゃんは――『フィシカ・エルベハート』ってひと。しってる?」
――そういえば確か、知り合いにエルベハートを名乗る女の人がいた。そうか、あいつの名前、フィシカって言うんだ。
俺の記憶にあるフィシカという女性は、真面目な性格でありながらもよく俺の話に付き合ってくれていた優しい人だった。俺が、どうしても剣術を学びたいと懇願すると「駄目です。絶対に安静にしてもらいますからね。そうでないとユージン様が…」と言って止めるのだが、最終的にはいつも親身に、厳しく教えてくれていた。顔は、見たことがない。暑い時に甲冑を脱いでいいとは言ったが、彼女が俺に見せたのはバイザーを上げた時に見えた、凛々しい『目』だけだった。他の特徴と言えば、僅かに隙間から見えた綺麗な水色の髪と、上品な言葉使いと、爽やかな立ち振る舞いと、清々しい心と、落ち着く声と、それと――――
「フィシカ…そっか、フィシカって言うんだ…」
「ねえねえ、おにいちゃん?あおいかみの、ツンツンのかみのおにいちゃんは、なんてなまえ?」
「あ、ああ悪い。まだ――名前言ってなかったよな」
ハッと振り返って少し後ろの急ぎ足のレツに目をやる。しまった、いつのまにか早足になってたみたいだ。
「俺の名前は『黒崎 海斗』。ちょっとばかしの間だけど、よろしくな」
「クロサキカイト?クロサキがなまえ?」
「ああいや、カイトの方が名前。好きに呼んでいいよ。」
抜け道の出口が見えてくる。俺たち2人は木造りのドアの前まで来た。ドアの先には、サンライト国の街並みが広がっているだろう。
ドアノブに手をかける。
「カイト…クロサキ、カイト…」
突然レツはピタリと足を止めた。それが何を意味しているかは、俺でもわかった。…しまった。
「カイトおにいちゃん…クロサキカイトは、東の勇者の名前だ」
レツの様子が明らかに変わっている。さっきまでの優しい顔の面影はどこにもない。目に光沢は無く、無表情だ。いや少し殺意も感じるまである。
当然だ。当然だった。どんなに小さな子供でも、ここは異世界。きっと彼自身には物凄い能力があって――それも、俺を簡単に殺せる程の力を持っているんだ。そうじゃなきゃ、『三銃士』なんて称号もらえるものか。そうさ、ヴァンがあの戦場にいたなら、レツ達だってあの時、戦場にいた筈だ。
その勇者が脱走しているんだ。当然止めに来るだろう。
「なんで、ここに東の勇者がいるの?西の勇者様の命で今は牢にいる筈なのに。…王に、サンライト王に背くの?勇者が?」
思わず、俺はドアノブから、ゆっくりと右手を離す。
情け無い。俺は数メートル先にいる小さな少年に対して冷や汗をかいている。怯えている。
空気が一変する。
子供に刃を向けたくはない。それ以上に、死にたくない。呼吸が荒くなるのを自覚する。落ち着け、話をしないと。
「…この国が嫌いなんじゃないぜ。俺はただ、元の国に帰りたいだけなんだ。アッチの、アズフィルアの国の王にどうしても聞かなきゃいけない事があるんだ。その為に、ここを抜け出す。」
嘘はつかない。誠意をただひたすら伝える。
「…そう」
少年の顔色は変わらない。
どうすればいい、どうすればこの状況を打破できる。
震えが、止まらない、息が、荒い、心臓が、張り裂けそうで―――
いや?違う。この心音は、荒げた息の音は、俺のだけじゃない。目の前の、小さな子どもだ。小さな声が聞こえる。
「どうしよう…レイがいなきゃ…ぼくじゃ…ぼくだけじゃなにも―――はあ、はあ、落ち着け、おちつけ――」
怯えていたのは俺だけじゃない。レツも、そうだったんだ。レツは殺気立ってたんじゃなくて、酷く怯えてるだけだったんだ。1人でどうしたらいいかわからないんだ。
「わるいひとなの…?分からない…だれか、おしえてくれないと、きめてくれないと、ぼくじゃわからないよ―――」
無表情なわけじゃない。分からないんだ。何も分からないんだ。目の前の人間の善悪の付け方も、道を教えていいかも―――誰一人として、自分で決める事を許されなかった。
この子は、自分で善悪をつける事すら許されなかったのか。
この子は、思考を放棄するように育てられたのか。
この子は、自由じゃなかったのか。
そんなの―――人間のしていいことじゃない。
「レツ!」
俺は叫んだ。
ビクリとレツが動く。
そのままレツは腰が抜けたかのように、ぺたりと床に座り込んだ。
レツは、ヴァンとフィシカの事をいいひとだと言った。きっとそれは自分で感じた事じゃなくて、自分の身近な、他の誰かが言っていたから、そう教えられたからそう思っているんだろう。
「俺は、俺の意思でここにいる。お前はどうだ?」
優しく、俺の出来る範囲で優しい声で聞いた。
「どういうこと?わからない」
「俺は、俺が決めて、俺が動く。俺が、俺の全てを決める!他の誰でもない、俺が決める!」
レツは黙って話を聞いている。理解しようと、必死に聞いていてくれている。純粋な、いい子なんだ。
「レツ、誰を信じるかはお前が決めるんだ。他人に何を言われようが、最後は自分で決めるんだ。」
ドアノブを握り、軋む扉を開く。閃光のように俺の瞳に入り込む七色の太陽。暗かった地下道に暖かい日差しが入ってくる。力強く立つ俺を眩く照らし、そして弱々しいレツにも太陽は優しく照らす。
再び、俺はレツの方へ振り返る。
手を、伸ばした。
「ここに居たらレツは操り人形のままだ。自分の本当にやりたい事がわからないままだ。それでいいなら、この手は取らなくてもいい。ただ、それが嫌なら、この手を取って、俺と一緒に行こう。それを決めるのはお前だ、レツ。レイでもなけりゃヴァンでもフィシカでも無い。ましてや他の大人の誰かでもない。――――――お前が決めろ、レツ」
「僕は、ぼくは――――」
俺はただ、彼の目を真っ直ぐ見つめていた――――
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
城から少し離れた、木々が生い茂る庭の陰に隠れて俺たちはカイトを待っていた。
「 ね、ねえ、ヴァンお兄ちゃん。なんでおしろの外にきたの?レツとは、おしろの中ではぐれたのよ?」
後ろで不安そうに、空色の髪の少女が聞いた。
「考えてみろよレイ。もしカイトが出れるとしたらココしかねーだろ?他の出口は兵士でいっぱいだしな」
「でも、ここはわたしとレツとヴァンお兄ちゃんとフィシカお姉ちゃんだけがしってるばしょにちかいわ?ここに来るなんて――まるでわたしたちのへやからでてくるみたい。」
「…ああ、多分お前ら双子の部屋の地下通路から出てくるだろーよ」
「…レツがみちをおしえてるってこと?そんな、だれもそんなことおしえてないわ?」
レイは不思議そうに俺の顔を見る。その表情は、よく見るレツの不思議そうな顔に似ている。双子だから、当たり前と言えば当たり前だ。ただ、この双子は何かが決定的に欠落している。それが何かはわからないが、話をしていて違和感がある。…いや、もしかしたら俺も気づいているのかもしれない。この違和感の正体に。
「――レツは、お前よりも好奇心が旺盛だからな。カイトとは、ウマが合うかもしれねーな。」
ニヤリ、レイに笑いかけた。この双子の良いところは、物凄く純粋なところだ。俺が嬉しいとこの子達は嬉しがるし、俺が叱るとこの子達はしっかり反省する。
「ふうん、カイトってゆうしゃさまは良いひと?」
「――――――ああ、良い人だよ。」
小さく、レイに聞こえない声で呟いた。
何故だろう、悔しかった。そうだ、あいつは、あの勇者は、クロサキカイトは、真剣だった。熱意があった。意固地だった。人たらしだった。―――いいヤツだった。
「あっ、お兄ちゃん!アレって――――」
レイが小さな手で指を指す。その先は、秘密の道の出口の前。ドアが開いている。耳を澄ますと、2人の声がした。
「ヴァンお兄ちゃん、行きましょう。カイトって人は今、後ろを向いてる。…きっと彼処に私のレツがいるわ。可哀想に、直ぐに私が助けて―――」
「待って!…くれ。少しだけ、待ってくれないかレイ」
何故かわからない。でも、俺は聞こえてくるカイトとレツの会話が無性に聴きたくなってしまった。違和感の答えが、クロサキカイトという人の本性が、わかる気がしたんだろうか。
「――――――手を取って、俺と一緒に行こう。それを決めるのはお前だ、レツ。レイでもなけりゃヴァンでもフィシカでも無い。ましてや他の大人の誰かでもない。――――――お前が決めろ、レツ」
彼の声がする。いつもの、意思を持った彼の声だ。
「僕は、ぼくは――――」
レツの、今まで聞いたことがない、不安そうに震えた、だけど感情のこもった声。
「――――じゆうになりたい!ぼくは、ありのままのぼくでありたい!」
「よし、よく言った!ついて来いレツ!お前は自由だっ!」
満遍の笑みを浮かべたカイトは、朝の布を勢いよく外し放り投げた。新品の、鮮やかな鎧が太陽の光に反射して、綺麗に見えた。
レツが立ち上がり、カイトの元へ走る。手を、握る。
2人が駆け出すと、すぐに俺たちを見つけた。
「っと、よおヴァン。散歩か?」「ヴァンおにいちゃん!」
「そんなところだ。ご機嫌だなカイト、レツ。どこに行くつもりだ?」
俺は太刀を構える。…ああ、もう分かってる。俺はこいつを止める気なんかない。ただ、知りたいだけだ。こいつのどこが、俺をこうさせたのか――。
「どこって、言ってなかったか?―――魔王城だよ。」
目の前の青髪のツンツン男は、ニヤリと笑った。




