お菓子と婚約?
「何だそのふざけた菓子は」
本気で怒っている様子の総一郎に朱理は怯むことなく見返す。やんわりとした優しい笑みを浮かべて、ゆっくりと口を開いた。
「今までこの会社では和菓子、洋菓子の品質を極限にまで上げて、製造していました。それは、昔からの伝統と技術、守るべき味があり、それを好むお客様がいたからです」
落ち着いた様子で述べて、朱理はやはり視線を逸らすことなく、更に言葉を繋げる。
「しかし、利益が伸び悩んでいる今はその考えも少し変えなければいけません。和菓子は和菓子、洋菓子は洋菓子……ではなく、せっかく両方のお菓子を極めているのなら、それぞれの性質を生かした、和洋菓子を提案してみました」
嘘のない、堂々とした様子に総一郎もすぐには反論できず、息をのんだ。しかし、今までのポリシーを曲げた商品をそう簡単に受け入れるわけにはいかない。
眉間にシワを寄せて、しばらく黙る。
「……………これは、誰が?」
「恐れ多くも私が案を持ち、作らせていただきました」
見るからに何の経験もなさそうな彼女。普通なら考えられない行為だ。しかし、歌詞の職人である者達が何も言わずに彼女に貸したのならそれ相応の理由があるからだろう。
そう、半分彼らのことを信頼し、そして半分は目の前にある菓子の興味で総一郎はあえて何も突っ込まず、その菓子に手をつけた。
それには彰はもちろん、章にも予想できない事態で二人共呆然と見つめる。
「いかがでしょうか?」
「………」
難しい顔をしたまま微動だにしない彼に流石に彼女の顔も次第に曇っていく。職人でもない彼女が勝手に作り上げ、変な理屈とともに彼に得体の知れないものを差し出した。そんな行為はb普通なら許されるはずがない。
この菓子が認められないということは、彼女の身が危ういのと同じなのだ。
「お前、菓子作りの経験はあるのか?」
「──いえ、趣味で少しだけやっていただけです。それ以外は全く」
「そんなものを私に食べさせたのか」
「す、すみません。ですが、ちゃんとここの………」
慌てて頭を下げる彼女を余所に総一郎は残った菓子も全てぺろりと食べきってしまった。一瞬、何が起きたのか理解できなかった彼女は何度か瞬きを繰り返してその様子を見つめた。
「まぁ、それでもアイディアは素晴らしかった。この私の意見を押し曲げて出す、菓子。それは一番完成品に近いものだ。才能があると思うぞ」
「───っ、実はそれ…私の父が考え出したものなんです。父はここの店の菓子が大好きで、だからパティシエの職業にも就きました。その時に考えていたものなんですが、それを実行する前に亡くなったんです。その案が認められて私は嬉しいです」
「そうか。気に入った。このまま君はここの正社員になりなさい。何なら時期社長の彰の婚約者にもさせてやる」
突拍子もない言葉に彼女は凍りつく。彰もテーブルをだん、と叩き身体を総一郎に近づけた。
「あんたは、何勝手に決めてるんだ! 俺には恋人がいるし、ここを継ぐ気なんてない!!」
「お前の意見など聞いてない。黙ってなさい! どうだ? いい話だろ? そういえば名前はなんだったか?」
ついに彼の言葉にも耳を貸さなくなった総一郎は固まっている彼女になるべく優しく声をかける。予想だにしない事態に総一郎以外の者はついていけてない。
彼女は少し微笑んで、やっと気持ちを落ち着かせた。
「そうですね、じゃぁお付き合いさせていただきます」
突然、声音が低くなる。ゆっくりと立ち上がった彼女は髪を止めていたピンを順に外していく。
「これからは名前を覚えといてくださいね。顔と一緒に」
聞き覚えのある声、見覚えのある姿に彰と章は目をむいた。驚きで言葉も出ない。
総一郎もどこかで見たことのある顔に口を開ける。
「初めまして、私は時条百合といいます」
にっこりと微笑む彼女は高校生の顔をした、ヒロインだった。