彰と総一郎
「ちょっと! 今日試作担当の人どこ?」
「あ、今日具合が悪いそうで…」
「え! 困ったわね、これじゃぁ、作れないわ」
朝食準備中、冷や汗をかく彼女を朱理はじっと見やる。毎日、総一郎は新作を作り上げるため、交替でお菓子を試作させていた。その担当者が今日は来ていないらしい。
それらを提供できない事態は、今の総一郎には火に油を注ぐのと同じくらいタブーな状況であり、困るのも無理はない。
だからといって他の者に頼むとしても、誰も案など持ってはいない。
「あの」
「ん、何? 狩野さん」
彼女はにっこりと可愛らしい笑みを向けて、持っていた紙切れを彼女に差し出した。
昼を過ぎて、彰は総一郎に呼ばれた。少し気が重い中、部屋に向かう。やはり、背後には章が控えている状態で、より一層張り詰めた空気を醸し出す。
総一郎の前に座った彼はその空気に負けぬようじっと強い瞳で見返す。しかし、それを失笑して、総一郎は低い声を発した。
「従業員の女を部屋に長時間連れ込んだらしいな」
「話し相手が欲しかっただけです」
「ふん、生徒といいお前は女をたらし込むのが上手くなったらしいな。まぁ、いい。本題に入ろう」
総一郎は後ろに控える章に視線を投げ掛ける。彼は一度頷くとノート一冊分の厚みがあるプリントを彰の前に差し出した。
それを無造作にめくっていくとそこには彰と百合との関係を証拠付ける写真及び文章がずらりと並んでいた。
「――――っ」
「お前が戻るなら、これはばらさないでいてやる」
「一体………いつからっ!」
「お前が教師に入った時から俺達は見張ってたんだよ。時条百合の変装にだまされたのも、全部演技だ」
頭に血が上るのが理解できた。誰にも気付かれていない自信があった。相手は生徒で、自分は教師。付き合うという甘えを出した代わりにそれを人に知られないように細心の注意を配ったつもりだった。
だけど、実際は。この行為をした章とそれに気づかなかった自分に頭がきた。
「………っ、卑怯だ」
「それをさせているのはお前だ」
「こんなの、横暴だ!」
「それを可能にさせたのも、お前だ! 生徒と知りながら、何故付き合った!」
たたき付けられた言葉に彰は目を見開く。
『お願いだから、二人の時も………時条なんて呼ばないで』
触れるつもりなんてなかった。
手に入れるつもりもなかった。
だけど、望みが目の前にあったから…。
『好き。だから、私と付き合って』
彼女自身が同じことを望んだから。
それに、甘えてしまったんだ。
「じゃぁ、あんたはどうして結婚したんだよ」
だんと、テーブルを叩いて立ち上がる。総一郎を見下すようにして彰は拳を作った。
「母さんと、どうして結婚したんだよっ! 家柄に相応しいからか? 丁度いいからか?」
「…………そうだ」
「――――っ、嘘つくなよっ! たとえそうだとして、その方が間違ってる! おかしいだろ!」
シンとした空気が流れた。ピリピリとしたそれに彰はじっと耐える。何も言わなくなってしまった総一郎を章はただ黙って見守る。
「失礼します」
そっと静かに開けられた襖。思わずそちらに顔を向けると朱理がお菓子をお盆に乗せて運んできた。
「今は手が離せない」
「旦那様がこの時間に必ず持ってこいと命令したんですよ?」
やんわりと返した言葉に総一郎は眉を寄せてじっと彼女を見やる。睨みにも動じない彼女はにっこりと笑って有無なく菓子をテーブルに運んだ。
「本日のお菓子はクッキーの中におもちとあんこを入れた和洋菓子です」
聞いたことのないお菓子に彼は更に眉を寄せた。険しい顔をした彼にも怯みはせず、朱理はにっこりと笑みを浮かべ続けた。