約束と指きり
まともに歩いたことのない道。普通なら見慣れた風景のはずなのに、彼は初めて行く時のように落ち着かない。少し重い足を進めてそれでも時間内にその場所にたどり着いた。
学校……か。
大きく、冷たいコンクリート造りの校舎を知らぬ間に睨んで、敷地内に入った。
ざわざわと辺りが騒然とする。視線の中心にいることが嫌で、だけど逃げようとは思わなかった。
約束…
約束。
今まで何を言われても気に止めなかった彼は他人の、しかも小学生の女の子との約束を必死に守ろうとしていた。
「財津!」
「お前今まで…」
「出席日数が」
数々に言われる教師の言葉をスルーして彼は自分の教室に入る。部屋の一番隅。
廊下側の後ろ。わかりやすい席に苦笑を漏らしながら彼は座った。
見慣れない世界。
落ち着かない風景。
いるだけで気持ち悪くなるくらいそこは人が多く、居心地が悪い。
「どこが……いいんだよ」
人がいても、ヒトリなのは変わらない。
気にかける人も、気にかかる人も、誰もいないから。
泣きそうになりながらも彼はそれでもその場所から逃げ出すことなく、一日理解できない授業を受けた。
懐かしい学校のチャイムを聞きながら彼はカバンを片手に学校を後にする。
夕焼けに赤く染まりながら疲れた頭を振った。
「全く理解できねー」
だけど、理科とかはまだ楽しかったか。
「実験とかになるとやだけどな」
ペアになるものは誰とも組めない。そうなればただ一人で眺めてるしかない。彼の噂で教師もなかなか声を掛けることもない。
皆の中に一人でいることは思ったよりも堪える。
「あいつはこういうのがないからあんなこと言えたんだよな」
純粋で、無邪気で、だから。
だから…
「何かムカついてきた」
イライラが膨れて、眉を寄せる。冷たい風が彼を更にみじめにさせた。ふと前からはしゃいだ声が聞こえた。前を通る小さな存在の中から思わず彼女を探してしまう。
この淋しい世界の中で自分を知っているのが彼女だけのように、必死に。
「ちょっと近付かないでよ!」
「疫病神!」
幼さが残るまっすぐで大きな声が残酷な言葉を放っていた。思わずそちらに顔を向けるとそこには見知った人物が何かを我慢するかのような顔で立っていた。
離れていく同級生を最後まで見つめている。
「………おい!」
彼の叫びに彼女は肩を震わせて振り返る。見たこともない泣きそうな顔をしている彼女は彼の顔に更に顔を歪ませた。何も言わずに走り出して抱き付く。
勢いのある彼女を思い切り腹で受け止めた彼は少し唸りながらも少女の頭を撫でる。
「お前、友達いなかったんだな」
「………いるよ、お兄ちゃんが」
か細い声はそれでも少し嬉しさが混じっていて、逆に切なさを覚えた。無邪気で、学校を勧めた小さな女の子は、彼から誰よりも遠く、近い存在。
「どうして、俺に学校を勧めたんだ?」
「………そしたら、私も学校に頑張って行こうと思ったの。もしお兄ちゃんがいつか教えてくれる日が来るなら絶対にやめないって」
小さな女の子が見つけた、小さな希望。それは遠く、儚い目標。
彼が先生にならなければ叶わない、見込みのないもの。
「――――っ、」
思わず涙が出る。
赤の他人。
知り合いですらなかった彼女。
「馬鹿だな」
彼女が小さな、小さな、消え入りそうな希望を抱いたのと同じように、この時彼にも小さな希望が生まれる。
「じゃぁ、やめんなよ。絶対、先生になってお前の前に行ってやるからな」
強く、強く彼女の身体を抱き締めて、彼………彰は言った。彼女は嬉しそうに微笑んで頷く。
道の長い目標。けれど、二人は今にも叶いそうなほど嬉しそうに笑い、指切りを交わした。