朱理と彰
早朝、五時。寝室からは離れたその場所で調理の音が響く。
「今日はお客様が来られるから下準備忘れないようにね」
「はい」
おそらく責任者と思える彼女ははきはきと指示を与える。ふと脇で道具を用意している女性に目がいき、首を傾げた。
「貴方、新しい子?」
「あ、はい!ご挨拶が遅れました。狩野朱理と言います。これからよろしくお願いします」
「はぁ、お互い大変ね。ここに入った子すぐにやめちゃうから、新しい子後が尽きないの」
「そんなにですか?」
「給料はいいからね。甘い気持ちで入ってすぐに嫌になっちゃうんでしょうね。貴方はそんなことないようにね」
「あ、はい。頑張ります」
「失礼します。朝食をお持ちしました」
総一郎は既に着替えを済ましてテーブルについていた。威厳ある彼に多少躊躇しながらも朱理は用意された食事を丁寧に運ぶ。その様子をじっくりと見ながら、突然口を開いた。
「見慣れないな」
「新しく入りました狩野といいます」
「そうか」
会話はたったこれだけだった。朱理は静かに襖を閉めて、もう一つの食事を持って、廊下の奥へと歩む。
すると突き当たりに一つだけ襖が見える。そこをノックして返事を待った。
「お食事をお持ちしました」
「入ってくれ」
静かに襖を開けると総一郎とは違い、二・三個ボタンを外したシャツを着た彰が布団の上に座っていた。あまり彼の方を見ずに彼女は食事をテーブルに並べていく。
「食べ終わった頃に取りにきますので」
「………あんた、どっかで会ったことある?」
最後の皿を持ったまま彼女は彰を見つめた。少し意外そうに目を開いて、そして優しく微笑んだ。
「覚えて下さったんですか? 私、彰先輩と同じ高校にいたんですよ」
「えっ!?」
意外な言葉に彰は目を丸くした。確かに何処かで見た気がする。けれどそれが何処なのか見当が全くつかなかった。
朱理はまっすぐに彰に向き直って少し幼い表情を作る。
「私は結構彰先輩のこと見てましたよ。………好き、でしたから」
「………俺」
「あ、知ってます! 彼女いるんでしょう? 大丈夫です、わかってますから」
慌てて彼女はお盆を抱えて立ち上がる。だが、彰は思わず彼女の手を掴んで止めた。不思議そうに首を傾げるとはっとしたように手を放した。
「ごめん、あのさ……何で好きだったの? 俺、丁度不良時代だろ?」
「…………でも、真面目になったじゃないですか」
中学から引き続き不良の時代が続いていたあの頃。大体の人が彰を冷たい目で見ていた。それは仕方ないことだし、それでいいとまで当時の彼は思った。
「私、人を見掛けとかで判断しませんよ。あの頃の先輩は確かに怖かったけど、でもどこか…淋しそうでした」
誰にもわかるはずない。誰にも気付かれなく終わると思っていたこと。
だけど、誰か一人でもそう思ってくれる人がいるなら…と儚い夢を抱いていたあの頃。
こんなに、近くにいたんだ。
そんな人が…。
「また話せるか?」
「お昼もまた運びにきますよ。夜も。その時に少しだけ話しましょう?」
無邪気に笑う朱理が残してきた彼女の笑顔と重なる。今、何をしているのだろうかと、案じながら少し冷めた料理に手をつけた。
薄味の料理は少し物足りないくらい美味しく、だけど彼の淋しさをまぎらわせてはくれなかった。
「くそっ、これも違う」
運ばれた和菓子を順に口にしながら彼、総一郎はぼやく。見た目は食べるのが勿体ないほど綺麗なそれは彼にとってはまだ不完全。
「もっと斬新で…美味しい何かを」