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グラウンドの持久走

作者: ParticleCoffee

 担当の教員が出張に行ったため、ボクのクラスは自習をさせられていた。

 とはいっても、自習監督の教員は授業開始と同時に「静かにしてれば何をしててもいい」と言い残し、教室を出ていってしまっている。

 席を入れ替え、みんな好き勝手にしている。

 そんな中で、ボクは窓から校庭を見下ろしていた。

 グラウンドで二クラス分ほどの女子達が整理運動をしている。

 上下ともに小豆色のジャージーを着ているところをみると上級生で間違いない。

 男子は別の授業をしているのだろう。グラウンドには体育教員以外女子しかいない。

 グラウンドの上級生たちが、白線で引かれたトラックのスタート位置に並び始める。

 どうやら持久走をさせられるようだった。

 三年女子は約五キロだっただろうか。

 その距離に相当する分の周回を走らされるのだ。

 並び終えて間もなく、体育教員の合図でグラウンドを走り始めた。

 走り始めは大きな差は出なかったが、じょじょに散り始めてゆく。

 一周目が終わるころ、だいたいのグループ分けができてくる。

 先頭を、運動部の人間が走り、程々に身体能力のある人間が追随する。

 中間は、仲の良さでニ・三人が集まり、やる気の大小で適当な順番の位置取りをして、小さな集団が点在している。

 そして最後に、やる気がないか、体力がないか、その両方かの人間が気だるげに走っている。

 その最後尾のグループの、さらに後方に、ボクの知る先輩がいた。

 先輩は、やる気はあるが体力がない人間だ。それに加えて何もないところで転べるほどの運動音痴ときている。

 背も低く、カラダも華奢で運動にはまったく向いていないタイプだ。

 今も、走るときに腕を横に振る、いわゆる『女の子走り』をしている。

 カラダの中心がブレて速く走ることもできず、スタミナも無駄に消費してしまう典型的なダメな走り方だ。

 可愛くはあるが、最下位にいるのも無理はない。

 先輩は、一周半も走っていないにも関わらず、すでに『何十キロも走らされた』といわんばかりにヘトヘトと走っている。

 ボクは、両手のひらを先輩に向けて、さらに、十本の指の先端を先輩に向ける。

 ――こっちに気付けーっ

 そんな念を送ってみる。

 強く、強く送ってみる。

 ふと、ボクの脳に、ピリッとする感覚が走る。

 そして、頭の中に直接響くように先輩の声がした。

『いまっ……いそが、しいっから……はなしぃ……かけ……ない、で……』

 息も絶え絶えで、なまめかしい吐息を含んだ言葉が聞こえてくる。

 先輩は、グラウンドで最後尾の集団にだけは置いていかれまいと必死で走っている。

 先輩の言うとおり、確かに忙しそうだ。

 そのまま、ボクは黙って先輩の走りを見ていた。

 どうにか先輩が二周目を終えたとき、最後尾の集団に半周ほど離されていた。

 そのうえ、すでに後方からは三周目を終える四・五人の先頭集団が迫ってきている。

 まもなく追いつかれ、追い越される。

 追い抜きざまに、先頭集団の数人が先輩に声をかけ、先輩もそれに手を挙げてどうにか答えていた。

 三周目を走っているあいだにも、先輩はどんどんと四周目の人間に追い抜かされてゆく。

 頑張れるようにしてあげよう――

 そう考えて、ボクは再び先輩に向けて両手をかざした。

 ――ほーら、あんまり遅いとみんなに拍手で迎えられちゃいますよー。「がんばれー、がんばれー」って応援されちゃいますよー。

 からかう言葉と、その光景を頭に思い浮かべながら先輩に向けて念じる。

 すると、うつむきがちに走っている先輩がわずかにこちらを見上げた。

『わたし、だって……がんばっ……って、るのぉ……っ。……、じゃま、し……しな、いで……』

 半泣きで、すこし恨めしそうな目でにらんでいる。

 そんな先輩の顔を見ると、ボクは思わず、うれしくなってしまう。

 ――あっ。

 先輩の背後から、前を走っていた最後尾の集団がいつのまにか後ろから迫ってきている。

 そして、あっさりと追い抜いた。

『あっ――』

 先輩が驚いているあいだに、最後尾の集団は前方へ離れてゆく。

 先輩は最下位であるだけでなく、全員から一周分の差をつけられたことに大きなショックを受けたらしい。

 体力的な限界も相まって、歩いているのか走っているのかわからないほどのペースになってしまった。

 その背後からは、再び先頭集団が来ていた。

 先輩はそのあとも、なんども追い抜かされていった。

 何人もの上級生が、何度も先輩を追い抜いてゆく。

 そのうち、先頭集団がゴールし、後ろを走っていた上級生たちも続々と完走してゆく。

 最後尾の集団が完走したとき、グラウンドを走っているのは先輩だけになった。

 ゴールした全員の前を先輩は走り過ぎる。

 一位から二周分弱遅れてゴールした最後尾の集団から、先輩は、さらに二周ほど遅れているのだ。

 トボトボとひとりで走る先輩がさびしくならないように、ボクは積極的に話しかける。

――やる気あるの。さっさと着替えたいんだけど。早くしてよ。そんな目でみんな見てますよ。

 実際は、見ているというほどでもなく、仲のよいグループで適当な談笑をしている。

――ははは、みんな呆れて笑ってますよ。

 周りを確認できるほどの余裕のない先輩は、失笑気味なボクの言葉を事実のように思ってくれるだろう。

――あーあぁ、これでゴールなんかしたらいい笑い者ですねぇ。

『……うぅう……ぅあっ……ぇぐっ、ひぅっ……ぅっっ……』

 残り一周を超えたあたりで、先輩からは泣きべそのような声しか聞こえなくなっていた。

 それを聴いていると、ボクは、胸にこみ上げる熱い高鳴りを抑えることができなかった。 ゴールまではあと半周程度、ここで一気にたたみかけて――

 ガラガラガラ、

 と、教室の扉が開かれる音がした。

「はーい、席に着けー」

 続けて、声を上げながら自習監督の教員がはいってくる。

 教室が静かになり、全員の視線が教員に集まる。

「自習課題のプリントがあったの忘れてた、悪い悪い」

 不満の声が飛び交う教室で、教員は悪びれもせずプリントの束を配り始める。

 ボクと先輩の『楽しいおしゃべり』もここまでのようだ。




 お昼休みと放課後に先輩に会いにいったが、顔を合わせることはできなかった。

 どうやら避けられ、逃げられてしまったらしい。

 いつもなら面と向かって誠心誠意謝るふりをすれば許してくれるが、会えないとなるとどうすることもできない。

 電話にも出てもらえず、メールも返事はなく、通話アプリも既読はつくが返事はない。

 拒否にできないあたりが先輩らしいな、などとボクは思っていた。




 次の日、ボクのクラスも持久走だった。

 走り始めて半周もしない内に、ボクの頭に先輩の声がひびいた。

『一一というわけで、若ダンナが『小糸』っていう芸妓にいれこんで……』

 これは……古典落語の名作『立ち消え線香』。ウブな芸妓と若旦那の楽しくも悲しい恋の話だ。

 ボクが泣ける話に弱い事を知っている上での一席だろう。

 三年の教室が並ぶ校舎の三階に目を向けると、窓から先輩が顔を出している。

 やさしい先輩が精いっぱい考えた仕返しなのだ。

 確かにボクは泣ける話に弱い。

 しかし、先輩には悪いが、走るのに影響があるほどではない。

 むしろ先輩の声が聞けたというだけでボクの心は躍った。

 どうにか平静を保ちつつ、ボクはわざと困ったような顔を先輩に向ける。

 そうすると、先輩の話は止まってしまった。

 やりすぎちゃったかも……?とでも思ったのだろう。

 いつもならこんな状況になるとやめてしまう先輩だが、昨日のことが余ほど堪えたのだと思う。

 先輩は、動揺をグッと抑え、話を続けた。

 感心すると同時に、先輩の仕返しにどう応報してくれようかと考える。

『必死で走っているかわいい後輩にいやがらせをするひどい先輩』

 ――これをネタにして思い切りいぢめてやろう。

 先輩に届かぬように、そっと心の奥で思った。

 これからすること、そして、された先輩の泣きじゃくる顔――

 想像するだけで、思わずにやけてしまいそうになる。

 収まりのつかない期待と興奮を両脚に込め、ボクはグラウンドを走る。

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