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孤鬼伝  作者: 雪之進
3/4

三節

 昨晩私が寝床として使用したのは動物が利用していたらしい木の根の下に存在していた巣である。

 匂いがかなり薄れていたのでおそらく既にこの巣は捨てられた物なのだろう。有難く利用させてもらったが、……集落の寝床より寝やすかった事に対してちょっと思う所はあった。

 まあ、それよりも目を覚ましたのだし早速昨日の猫背男の動きを真似るとしよう。

 振るうだけならそこらに落ちている木の枝で十分だ。長さは先日まで使用していた剣とそう変わらない長さの物を選んだ。まあ、軽いし、何より右腕がないので今までと勝手は違うが、こればかりはしょうがないだろう。

 慣れないが、右手に剣を握る。やはりしっくりとしないが、こればかりはいつかどうにでもなるだろう。

 とりあえず軽く振ってみる。一回、二回振ってみて、軽さに対する違和感と、右手である違和感と、どうしても身体の左側に違和感を感じる。

 ううむ、なんというかまずは真似よりも体に慣れる方を優先させるべきかもしれない。

 なんというか、このままだと真似するよりも前に死ぬかもしれない。こんな気持ちの悪い感覚のままで動いていてはそこらの動物相手に負けそうだ。元々鹿を安定して狩れるようになったのも生まれて4年くらい掛ったのだからそれよりも状況の悪い今は間違いなく鹿に苦戦する。熊なら死ぬ、多分。


 まずは左側が軽い現実になれないといけない。

 その為にまずは走るとするか。歩くだけしか今のところ行っていないので違和感くらいしか感じなかったが、走るとなると大きく違うだろう。何せ振る腕がないのだ。

 そう思い、軽く巣の周辺を一回りしてみたのだが、──予想以上にひどかった。

 腕が振れるとか、触れないとかそういう問題じゃない。そもそもバランスが取れない。気が付くと右側に体がずれている。逆に左側を意識しすぎると簡単に転倒してしまう。

 それに倒れた際、右手だけでは体を支えるのも難しい。半端に残っているのでそれで支えようとしたが、骨が肉を突いて痛いどころじゃない。洒落にならなかった。

 それでもしばらく走っているとある程度は慣れてくるものだ。普段よりも格段に体力を使っているが、それでも慣れたおかげかだいぶマシになってきた、気がする。

 何より何度も転んだおかげで痛くない転び方がなんとなくわかってきた。その倒れ方をした後は、なるべく早く動くことを意識していたので起き上がりもだいぶすんなりと出来る様になってきた、気がする。

 とりあえず今はこれを繰り返すとしよう。気がする、なんて曖昧な言い方じゃなくても済むように努力しなければ。

 まあ、何はともあれ腹が減った。適当に木の実でも取って食べるか。

 手頃な石を手に取り、真上へと大きく振りかぶり投げて、──あれ?

 変な方向へ飛んで行った石を眺めて茫然とした。

 そうか、今まで逆の手でバランスを取りながら投げていたのが、唐突に片腕になった影響でずれたのか。

 よくよく考えたら木登りも困難だ。どうしようか、最後の手段でそこらの雑草でも食べるしかないかもしれない。──本当にどうしようか。

 いや、此処は是が非でもそうするべきだろう。空腹と一時の苦痛なら、空腹の方がつらい筈だ。

 しかしこれは困った。一気に食事が貧相になってしまった。

 だがまあ、これはどうにかなる。雑草は、調理すれば多少は、……多少はマシになるし、苦みとか。だが調理するにも調味料がない。絶望だ。

 それにしても、まさか二度と食べないと思っていた雑草をまた食べる機会が来るとは思わなかった。いやまあ、食べれるだけ問題はないが。

 とりあえず、昔から食べなれている苦い、青臭い、噛めば噛むほどドロリとした触感の草。

 一応食べても毒がない貴重な草なので我慢できるが、この森にはないが、せめて煮ると美味い草がどこかで手に入ると嬉しいんだが。

 まあ、ない物ねだりをしてもしょうがない。とにかく適当につまむとしよう。

 ……やっぱり不味い。



 ◆



 それからも私は走り続けた。毎日、毎日。

 最初の頃は何度も転んだ。擦る度に怪我を負い、その痛みを糧に、痛みを減らす為の技術を少しづつ身に着けていた。転ぶ際にどのように体を動かすのか、両手があるのなら考えもしなかった行動は次第に私の傷を減らす事に繋がっていった。

 途中慣れが出来たせいか手を抜きそうになった。毎日食べている草は不味く、たまに食べる動物の食い残しも不味く、正直げんなりとしていたのも原因の一つだと思う。しかし、それでも毎日続け、進展が無くなってくると段々と手を抜く、と言う事そのものが手間になってきた。──というよりも、走り続けた後に感じる爽快感が、疲れたと逃げ出したくなる弱さを上回ったのだ。

 今では転ぶこともなく、木々の間を軽やかに走り抜ける事も可能だ。今の身体の扱いにも慣れ、バランスを崩すような事もなく、転んだとして体は自然と痛みを遠ざける動きを行い、素早く立ち上がる。前に倒れた際に、気が付くと体を丸め、そのまま回り勢いのままに立ち上がった際は自分自身で驚いたものだ。

 そんな事をしていたおかげか。私は月が14回回る頃には自分の身体に慣れていた。

 それだけではなく、身体全体が一回り小さくなり、小回りが利くようになった。ただ、体重は増えたようで、どうにも肉がこの年になって鍛えられたらしい。走り回っていただけなのに不思議だ。別段狩りをした記憶はないのだが。

 まあ、こうして思わぬ収穫を得たのは驚きだが悪い事ではなく、むしろ喜ばしい事だ。

 だが、これはあくまでも体を慣らす為の準備で、本番はここからだった。

 そこらに落ちている木の枝から、長さが昔使用していた剣とほとんど変わらない物を選ぶ。

 振るが、前のように違和感はない。いや、無い訳ではないが、気になるような事ではない。

 最早右腕は、左腕のように、いや左腕以上に軽やかに動く。当時は盾を持ち、受け止めたり、逸らしたりしていただけなので左と比べると動かしにくかった為両手に剣を持つ事はやめたが、今左腕があるのなら間違いなく出来た、と思う。尤も、今はもうやろうとは思わないが。

 手に持つ木の枝を持ち、先日の猫背男の構えを真似る。

 何やら穴の開いた棒に剣を収めていたが、ともかくそのポーズを真似た。もちろん、そんな物はないので右側の腰辺りに木の棒を構えるだけだが。

 そこから猫背男は動かずに、どのようにしてか鋭い一閃を放っていた。少なくとも足は殆ど、それこそ踏み込みの一歩くらいしか動かさず、手は鋭く抜く事しか行っていなかったはずだ。

 問題はむしろ体そのものだった。見ていて信じられなかったが、まるで猫のようなしなやかさで身体が動き、なんというべきか、こう、その力が綺麗に奔るというか、剣が撃つというか。ともかく、体の動きがそのまま一撃の鋭さになっていた。……アレはどういう事なのだろうか。

 真似をしてみたが、枝の一撃はヒュンと軽い音を出しただけで、鋭さなんて何もない。

 どうすればあんな薄く軽そうな剣で木で作られた机を割れるのか、──考えても分からない。

 私に出来るのはやはりただ一つ、意味が分からなくても真似する事だけだ。

 ただ只管に振り続け、必死に答えを探し出し、いつか私もこの動きを覚えるのだ。

 簡単ではないだろう。だが、自由な私にはこれ以上ない娯楽だった。

 ……暇な方がつまらないとは贅沢だな。

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