出かけよう
誕生日を過ぎてからというもの、お父さんはずっと浮かない顔だった。お母さんに聞いても内緒よという答えが帰ってきて、何だか煮え切らない。お母さんは事情を知ってるようだけど、それを私に教えてくれないのはやっぱり私がまだ子供だから?
子供だからという理由で何も知らされないのは悔しい。
「というわけでユート君。今日は探偵ごっこをして遊びましょう」
ちくちくと真白な一枚布に刺繍を施しながら、ユートを呼びつけて言う。因みにこの刺繍は本日の私のノルマです。
アマリス村は織物造りが盛んで、機織りや染めから刺繍まで村の女性は誰でもできる。普通なら成人になるまでは売り物としての作業はできないんだけど、特別上達の早かった私は十二になってから売り物を任せてもらっていた。私としては何年も針を持っていなかっただけだから勘を取り戻すだけだったんだけど。
今はカーテンになるという布に刺繍をしている。向こうが透けるくらい薄い布は日光を程良く室内に取り込むためのものだから、あんまり刺繍もごちゃごちゃさせられない。
「最近お父さん元気ないからねぇ」
「やっぱりー? ぼくもそう思ってたんだよ! 今日もね、畑に水まきしてるときに考えごとしてて、同じうねにずっと水まいてたんだよ。畑ぐしょぐしょになっちゃったから土ふやしたんだー」
なるほどなるほど。だいぶ悩んでるようですね。やっぱり例の噂の事なのかな。あんな信憑性の無い話、いつものお父さんなら一笑するんだけどなぁ。なんか思い当たる節でもあったのかしら。
と、カーテンの刺繍を進めながらユートに話しかける。
「ユート、これから暇?」
「うん、ひまー。なにしてあそぶ?」
「町に出かけるよ。これ、もう少しで終わるからお出かけの準備しておいで」
「なにしに行くのー?」
「図書館だよ」
「はーい、お母さんに言ってくるー」
まぁメインは図書館じゃないんだけど。図書館に行くついでに噂話聞いちゃっても仕方ないよね?
ユートがパタパタとお母さんの元に駆けていくのを見てから、私は手元に視線を戻す。今日は集中して早めのペースで刺繍したから、ノルマ分は完成目前だった。朝早く起きて始めたおかげもあるかもしんない。
パパッと手早く最後の一縫いを仕上げてしまう。うん、これでよし。
仕事用の籠に綺麗にカーテンを折り畳んで仕舞う。籠の中は後カーテン一、二枚分で一杯になりそうだった。そろそろ問屋に卸すことになりそうだと思いながら籠から離れ、裁縫道具を一つ一つ確認しながら片づける。針一本でも見落とさない。針山に刺さっている針と自分の記憶している本数が一致してるのを確認して、お仕事終わり。
「さて、行きますか」
クローゼットからコートを引っ張り出して袖を通すと、タイミング良くノックがされた。
「はーい」
「ニカ、入るわね」
扉から顔を覗かせたのはお母さんだった。珍しいな、お母さんが私の部屋に来るの。普段は洗濯物を仕舞ったり布団を干したりとかじゃない限り、私の部屋には入らないのに。
お母さんは、私の目の前まで来ると、膝を折って目線を合わせてきた。……私の身長は他の子より小さいから、この状態で話しかけられるのは幼い子のように扱われているようで嫌なんだけどな。
そんなふうにつらつらと考えていると、お母さんが口を開いた。
「ニカ、本当に今日じゃなきゃ駄目? お母さんが今度町へ行くときに図書館に行ってきてあげるから」
ピンときた。これだ、お父さんが気にしていること。やっぱりお母さんも知っていた。
「今、町には変な噂が立ってるから、あんまり行かないでほしいんだけどな」
「役人が召し使いを集めるって話?」
聞き返せば、お母さんは目を丸くして。
「知ってたの?」
「アレンから聞いた。でも噂でしょ? 私みたいなの、連れて行かれるわけ無いよ。それにチビだから使えないって追い出されるに決まってる」
「……まぁ、それもそうね。気をつけるのよ? 何があるか分からないんだから」
「行ってもいいの?」
「ニカが行きたいなら止めないわ。あなたは私たちに似合わず賢い子だから、気をつけてくれるなら他に言うことはないし」
お母さんは笑って立ち上がった。いってらっしゃい、と頭をくしゃくしゃされる。うん、私、この手は好き。慈しみに満ちた母の手。憎むべきか親しむべきか分からなかった女性の手は、今は私の一番の理解者の手だった。