それは私の仕事
「あー肩凝った!!」
フィルが小さな箱を片手に地下倉庫から這い上がってきた。それを見て、地下への入り口を閉める。
「地下はちょっと寒かったなー」
「待ってて、お茶を入れ直すわ」
「頼んだ。俺、ちょっとルギィに聞きたいことあるから部屋まで持ってきてくれね?」
「はーい」
お茶をフィルの部屋までね。ルギィと話すなら彼の分も持って行こうかしら。
キッチンでさっきお茶していたティーカップを回収して洗ってから、布巾で丁寧に水滴を拭う。その間にお湯を沸かして、と。
何のお茶が良いかしら。もう夜も遅いし、よく眠れる奴にしよう。
いそいそと茶葉をポットに詰めてお湯を入れる。砂時計をひっくり返してお茶を蒸らして。んー、お茶を蒸らしている間は完全に手持ち無沙汰。ぼーっとポットの口から見えるゆらゆらと上がる湯気を見つめてみる。
今日は一日濃かったなあ。たった一日フィルと過ごしただけなのに、とても疲れた。そりゃ、大掃除したから疲れていないと言ったら嘘になるけどさ。そうじゃなくて、なんとなく心が疲れた。
あんなに避けていたこの屋敷を訪れる事になったのも、ルギィと再び暮らすのも、全く知らない赤の他人と時間を共にするのも、新鮮であってどこか心苦しい。
この屋敷の全てが、私の心をえぐる。
フィルが来てくれて新しい風が吹いてくれるような気がしたけど、そんなの私の勘違い。足りないの。私が後一年と区切った期限までに、私が変わるための決定的なものが足りない。このままじゃ変われない私は、いっそ世界から消えてしまえばとさえ。
お父さんを悲しませることはしたくない。あの人が私に願うならなんでも叶えようと思う。それじゃ駄目なのに。私はもうグレイシアじゃないのに。
このポットの水蒸気みたいに空へと消えていけたなら、どんなに心安らぐのだろうと。そう、思ってしまう。
駄目ね、こんな場所にいるからかしら。色々と考え込んでしまうのは。でも、どうしても、一人になると考えてしまうの。
「そろそろいいかしら」
ポットの中を覗いて、お茶の色が十分にでているのを確認してから茶葉を取り出す。入れっぱなしだと渋くなるからね。
お盆にカップとポットと砂糖を乗せて。運ぶ前に一つ深呼吸する。大丈夫、私は今ニカだ。
フィルには私がグレイシアだということがいつか知られてしまう気がする。理由は分からないけど、なんとなくそんな気がして。でもそれは今じゃないから。
不自然にならないように『私』は息を潜めないとね。
「よいしょ」
そっとお盆を持ち上げる。うっ、ちょっとポットにお湯を入れすぎた? 持って行けないことはないけれど、気をつけないとバランス崩してひっくり返る。
そろそろとゆっくりとキッチンから出て、と。廊下もゆっくりゆっくり……。
突然、ふっと腕が軽くなる。
「え?」
びっくりして、浮いたお盆を見れば……え、なにこれカーテン? 中身の無いカーテンがお盆を支えてる?
「……もしかして、もしかしなくてもルギィ?」
カーテンは頷く代わりにお盆を運んでいく。うーん、確かにルギィならちっちゃい私より簡単に持って行けるけど……。
「待ってルギィ! それ、私の仕事!」
ちょ、持って行かないで!!
「止まって!!」
叫べばカーテン……じゃなくてルギィは止まってくれる。階段の中腹で追いついて、私はお盆に手を伸ばす。
でもお盆はすいっと一段上へ。
「えっ」
何このやりとり。さっさとお盆返しなさいよ。
「ちょっとルギィ、ふざけてるの?」
そんな子供っぽいいたずらやめて。いたずらかお手伝いか分からないけど、これは私の仕事なの。
半眼になって見つめていると、ルギィはまた歩を進めて。ちょっとルギィってば!
止まって、って言ってるのにどうして聞いてくれないの。
「ルギィ、お盆返して。私の仕事取らないで」
お願い、仕事をさせて。どうにかして階段を上りきる前に奪い返したいのに。お盆を返してもらうだけなのに、どうして私はこんなに焦ってるのだろう。
口から一言、言葉が飛び出す。
「ルギィ、私の理由を取らないで……!」
私がこの屋敷にいるための理由を取り上げないで。




