ただいま、お父さん
「お父さん、ただいま!!」
「おわっ!? ニカか!」
エンティーカの帰り、フィルに頼んで屋敷には直接帰らずに、アマリス村の畑の方まで足を伸ばしてみた。
すると、ちょうど農作業を終わろうとしたお父さんを見つけたので、とりあえず泥で服が汚れるのも省みず、走って抱きついた次第です。
「あー! お姉ちゃんだー!」
「ユートも、ただいま!」
ぴょんとお父さんに抱きつくのをやめて、スコップや熊手の入ったバケツを放り投げ出したユートと手を繋いでくるくる回りだす。
「お姉ちゃんだ、お姉ちゃんだー!」
「ふふふー、ただいまユートー」
あはは、目が回る。
「タレス殿、無事戻りました」
「フィルレイン殿。よく戻られた。全て、終わったということで良いのか?」
「ああ。ルギィの件は全て終わった」
「そうか、それなら良かった」
お父さんがほっとしたように胸を撫で下ろす。お父さん、心配してくれたのね。
「お父さん、私も頑張ったのよ、誉めて誉めて」
「そうか、ニカも頑張ったのか。よしよし」
ててて、とユートの手を引っ張って、お父さんのところに戻る。
お父さんが、よしよしと頭を撫でてくれた。きれいに結った髪がぐちゃぐちゃになるけど、気にしない。
「えへへ」
お父さんに誉めてもらったことが嬉しくてついつい、頬がゆるんでしまう。
「……ほんとにニカって猫被ってるよなぁ」
フィル、よく聞こえてるからね? あなたのスープに入る肉団子の数が減るわよ。
お父さんになでなでしてもらっていたら、ユートがずるいずるいと主張してくる。
「ぼくも畑のおしごとがんばったよ!」
「おー、ユートもえらいなぁ」
両手が私とユートの頭にとられてしまうけど、お父さんは楽しそうに頭を撫でてくれる。
気がすむまで頭を撫でてもらうと、お父さんはそうだと手を打った。
「フィルレイン殿。事の顛末を聞いてみたい。よかったらうちへ来ないか」
「話してやりたいのは山々だけど、あの兄弟に口止めされてるから」
「そうか……まぁ、気にはなるが、解決したのならもう問題はないのだろう? 」
お父さんは私を軽々と抱き上げて見せた。
「ニカ、久しぶりに母さんのご飯食べたいか?」
「食べたい!」
「ちょ、ニカ」
お母さんのご飯好きだし、久しぶりに食べたいわ。母の味って言うやつ? あれだけ毎日食べていたのに、ずいぶん食べてない気がして、ちょっと懐かしくて。
「ニカはこう言ってるが、フィルレイン殿はどうする」
「いやでも、肉団子……」
「肉団子?」
あ、そうた。今日のお夕飯のためにお肉調達してきたんだった。
でもでもでも、お母さんのご飯も捨てがたく……
「お父さん、今日のお夕飯のお買い物してきちゃったのはどうしよう」
「なんか買ってきたのか?」
「うん。パンと、お肉と、お野菜が少し」
「ふむ……まぁ、明日でも腐らんだろう」
「フィルー、それでもいい?」
抱き上げられたまま、私はくるりと首だけを巡らせてフィルの様子をうかがう。フィルははいはいと呆れたように手をひらひらさせた。
「ニカだけで行ってこい。俺はルギィと飯食うよ」
「あ、ルギィ……」
「たまには家政婦休暇ってことで。今日はそのまま実家に泊まれ」
フィルはそう言うけど、ほんとにそれでいいのかしら?
「ご飯どうするの?」
「簡単なものくらいできるって」
まぁ、肉団子だし……味に拘らなければスープにしちゃえばどうにでもなるけど。
なんかちょっと、もやってするなぁ。
「ほんとに、私いなくて大丈夫?」
「大丈夫たって」
「そう……それじゃ、お言葉に甘えて。お父さん、帰りましょ」
フィルが気を遣ってくれたから、私はもやっとする何かを抱えたまま、お父さんを促す。
「そうか……気が向いたらまた寄ってくれ」
「ありがとうございます」
にへらっとフィルが笑って、本当の帰路につくべく背を向ける。お父さんも、バケツを拾ったユートと手を繋ぎ、私を肩に乗せ、帰路につく。
片手で抱えるお父さんに、ひょっこりと上から顔を覗かせる。
「お父さん、重くない?」
「はは、何を言う。前にも言ったが、ニカ、お前は軽すぎる。もっともっと、大きくなれ」
お父さんは笑って言うけど、成長するのか微妙なところよねぇ。
グレイシアはもう十五歳の時には成長止まってたし。まわりの女の子も身長がぐんぐん伸びてる。私の成長、ちょっと遅すぎないかしら。
「でも、軽いとこうやって肩に乗せてもらえるから、私、このままでもいいわ」
「はは、ほんとうにニカは俺のこと好きだなぁ」
「ぼくもー! ぼくもお父さんすきー!」
「おっ、ユートもありがとう」
三人で笑いながら、お母さんの待つ家へと帰る。
これが元々の私の日常だったのに。今はフィルの元が日常になりつつあった。その矢先の今回の一連のこと。
例えるならそうね、なんだか、長い旅に行ってきた感じ。
実はもう旅はここで終わりで、フィルも明日には静かに姿を消すの。そういう、普通の女の子がちょっとした冒険をしに行くような、物語のような経験。
でもこれは物語じゃないから。
今日はちょっとした、休憩みたいなもの。
温かい家に帰り、お父さんとお母さんとユートと、温かいご飯を食べる。
これが私の日常。
私が、壊したくなくて、守りたくて、ずっとこのままでありたかった日常。
でも、それも十六歳までと期限を区切っていて。
……私の期限はもっとずっと、その先。そのはずだったのに。
今回の件で、私は引き返すことのできない選択を自ら選んだ。
もしかしたら、心の奥底では思っていたのかもしれない。
私がグレイシアだと、ひっくるめて誰かに知ってもらいたかったのかもしれない。
だからこんな無茶をして。
お父さんに触れようとして、やめる。あんまり触らない方がいいかもね。冷えた指先はいつこの身を蝕むか分からないから。
それにお父さんはもしかしたら私の死の謎を───
「ニカ、まだ言ってなかったな」
お父さんが、思考の海から私を引き上げる。
私はきょとんとして、子首をかしげた。
お父さんは目元を弛ませて、微笑む。
「おかえり、ニカ」
私はぱちくりと目を瞬かせた。
言葉の意味を咀嚼する。
私はたまらず、お父さんの首に腕を回す。
「おわっ!?」
「ただいま、お父さん!」
ユートがびっくりして、すぐに、お姉ちゃんだけずるいーと言い出すけれど、今は私だけ。
愛しい愛しい、お父さん。
私のぬくもりを忘れてしまう前に、もう一度。
あなたのぬくもりを忘れてしまう前に、もう一度。
きっと私が区切った期限が来る前に、私はあなたから離れてしまうだろうから。
ここまでをペルーダ編(仮)として第一部の幕引きをさせていただきます。
これからの更新に関して、小話をちょこちょこ挟んだ後、第二部の始動をしようと思います。
どうかこれからもお付き合いくださいませ。




