私が成したことと彼が成したこと
ルギィに繭を渡し、それから、地面に置かれたままの氷の瓶を拾い上げる。その時に魔力の使いすぎからか、軽く目眩がして、倒れそうになったけれど、私は踏ん張った。倒れてなんていられない。
私はようやく彼を直視する。
「フィル!」
私をかばって、自分からペルーダの爪に刺さりにいった彼。ペルーダの体が、ほろほろと朽ちていくなか、腕もまた、朽ち始めていた。ううん、もしかしたら、体より先に朽ち始めていたのかもしれない。
どちらにせよ、私が今気になるのはそんなことじゃない。
杖を手放し、フィルの方へ駆ける。
手放した杖はひとりでに傾いで地面にかしゃんと叩きつけられ、割れる。そして大気中に光の粒となってさらさらと砂のように散っていった。
その間にも私はフィルの元へとたどり着いていて。
サリヤが魔法を使って、フィルに刺さった爪を維持しようとうとしているのを見る。カリヤはサリヤの手元を見守るように覗き込んでいた。
「サリヤ、どんな感じなの」
「ニカ・フラメル。下手に抜くと血が流れすぎるから、とりあえず維持してる。早く医者に連れていかないと……」
いつもは間延びしたサリヤの声も、今は切羽詰まっているかのよう。言葉の続きを聞く前に、私はフィルの頬を触る。ひんやりとした私の手のひらへ、フィルの熱が伝わってくる。
「……にか?」
「おはようフィル。馬鹿ね、こんなことして。貴方が刺さる必要なんて無かったのに」
フィルは困ったように笑う。
「だって爪の勢いすごかったし……」
「言い訳しないの」
ぺちりと頬を軽く叩く。
うっすらと目蓋を上げたフィルが、驚いたような顔をした。
「ニカ、泣いてるのか?」
言われて始めて、私は自分の頬を流れる滴に気づいた。あれ、これ、いつの間に。
ぽたぽたと地面に滴が落ちる。ああ、また。私、どうしてフィルの前だとこんなに泣いてしまうのかしら。
フィルが力の入らない腕でそっと私の涙をぬぐう。私はその腕にそっと触れた。
「ねぇ、フィル。爪はどうするのが正しいの? 外した方がいいの?」
「ばっか、ニカ・フラメル! そんなことしたら失血で……!」
「抜いてくれ」
フィルがきっぱりと言い切った。
それにサリヤが正気!? と聞き返す。カリヤもまた、瞠目していて。
私だけが頷く。
「他に私たちにできることは?」
「あー……目、つむっててくれ。ちょっとグロいから、見られたくない」
「分かった」
私はそっと目をつむる。目をつむっても、フィルの腕には触れたまま。そしたら、フィルが腕を動かし、私の手を握るように指を絡めてくる。
「ほら、カリヤとサリヤ……いや、カリヤだけでいいや。サリヤは目、閉じろ。カリヤ、悪いけどこれ抜いてくれ。そしたらあんたも目、閉じてくれればいいから」
「ふん。騎士を見くびるな。今までにも何度か死体を間近に見る機会があった。それに比べれば生きた人間なぞ……………………うっ」
「言わんこっちゃねーし」
え、カリヤが呻いたんだけどどうなってるの。
え、すごく見たいんだけど。
「ニカ、見るなよ」
「はい」
釘を刺されたので私は大人しく目を閉じていることにした。
まぶたの奥で淡い光を感じる中、ぐちゅぐちゅといったような不快な音がすぐそばで聞こえた。これ、もしかして肉を繋げる音……?
つまり体の肉を物理的に修復しているということで、その光景を想像するに……
「うぇっ」
「想像するなって」
フィルに言われたけど、残念、遅かったです。
想像しちゃったじゃないのー! やだー! えぐいー!
さっきまで泣いていたのが馬鹿らしくなるくらいに、怪我をした本人が飄々と声をかけてくるから、私も必要以上に気落ちすることがないのは良いものの、これ、精神衛生的にはよろしくないわ……。
見たいような、見たくないような思いに揺れながら、私はぎゅぅぅぅと目蓋を閉じ続ける。
いつまでも続くと思われた不愉快な音は、やがて途絶えた。
絡めていたフィルの手に引っ張られるように、私の体が傾いだ。驚いて目を開けると、ぽすんとフィルの胸元に。
「フィル?」
「あー、冷てー。きもちー」
「おいこら」
私で涼を取るんじゃありません。
「ペルーダの爪、魔力が通ってたからか、刺さった瞬間、体内の血液が蒸発したんだよ。んで、ニカがどうにかしてくれるまでそのままでさー。いいだろこれくらい」
そういわれてしまえば、断るなんてできないじゃない。私はなすがままに、フィルに抱きすくめられる。
よく見ると、フィルの服は破れている。爪が体を貫いてできた穴は完全に塞がれていて、傷一つもない綺麗な肌が……
「これは?」
ちょうど心臓の位置、そこに何か刺青が。
フィルの顔を見上げれば、ぺしっと手で目を塞がれた。
「……ニカの変態」
「はぁ?」
なんでそうなるのよ!
「ほら、じろじろ見んな。そろそろ涼も取れたし、いい加減そこで突っ立ってる阿呆兄弟が憐れだ」
フィルの腕がほどけて、私は身を起こしてサリヤを見る。サリヤが呼吸をする魚のように口をぱくぱくさせていた。それをカリヤが困った顔で見ている。
どうしたの……て、ああ。
「そういえば二人は知らなかったんだっけ」
「教えてないはずだからまぁ、この反応は予想していた」
「ちなみに暴露しちゃってもよかったの?」
「あんまりよくないけど、まぁ、口外したところで信じる奴なんかいないさ」
そうよねぇ。私は一度それっぽいことがあったからまだマシなだけで、内心はびっくりしてるわけだし。でもまぁ、私みたいに生まれ変わってるような人間もいるくらいだから、フィルみたいに不死みたいなのがいてもおかしくはないのよね。
「サリヤ、事情知りたい?」
ぱくぱくとしていたサリヤが口を閉じる。それから、うーんと唸るようなしぐさをした。それからちょいちょいとカリヤを手招きする。
「カリヤ、これ突っ込んで聞いてもいい奴だと思う?」
「サリヤ、これは厄介ごとの気配がするからやめておけ」
「だよねー……んじゃ、カリヤはこの事に納得は?」
「聞くな。この世の摩訶不思議な事に関しては魔法使いの方がよっぽど詳しいだろう」
「魔法使いだって理論あってのことですぅー。こんなの、長老レベルの魔法使いだって理論付けできるかどうかだしー」
ひそひそ話しているつもりなのだろうけど、聞こえてるからね?
じっと成り行きを見守っていると、二人で話し合って答えを導きだしたようで、こほんとサリヤが一つ咳払い。
「今は聞かない。必要に迫られたら聞くかもだけどー」
「必要に迫られたらって、例えば?」
「さぁ? だってフィルレインのそれ、禁術レベルじゃんー。あえて厄介事に首を突っ込む趣味はないよー」
「あっそ」
フィルとサリヤがわりとあっさりした会話で終わる。ちょっと拍子抜けしちゃったわ。
ここまでが色々とあり得ないことの連続だったからかしら、もうこれ以上考えるのはやめようって雰囲気がひしひしと伝わってくるせいもあるかも。ま、当然かしら。
ここに至るまでが全て必然だとしても、奇跡のような出来事だった。
私がいて、フィルがやって来て、マッキー兄弟と出会って、ルギィが望んだ。
ここまでの道中の過程を一つでも外したら、何も成せなかったかもしれない。そう考えると、なんというか、達成感もあるのよね。
サリヤとフィルが話していたところに、カリヤも加わり、三人で話始める。なんだろう、フィルってば思ったよりもサリヤ、カリヤと仲良さげな感じが……?
そんなことをつらつら考えていると、ふわりとすぐそばに風が起こる。そちらを向くと、ルギィが繭を手に包んだ状態で宙に浮いていた。
「ニカ、お喋りも良いですが、彼をどうすれば良いのですか」
あ、そうでした。忘れる前にやることをやらないと。
「えと、この繭の体を手に入れないと……」
私は自分で持ってた小瓶を見せつけるように、たぷんと中身を揺らしてみせた。
ペルーダが自由に動く体を手に入れるために、一旦、アーシアさんのところへ戻りましょう。
彼女が適任だろうから、ね。




