炎の吐息
火薬が光を放ち、合図は届いた。
私はそのまま視線を下に持っていき、彼らに焦点を会わせた。
カリヤが、のそりと動き出したペルーダの視界に入りながら、あちこちを駆けている。サリヤはペルーダから距離をとり、後方から土の壁を生成しては、ペルーダの爪や尾の軌道を邪魔している。よくやるわねぇ。
時々、ペルーダが、けほけほとおかしな喉の動きをさせている。あれ、なんだろう。少し気になる。
杖を抱え、様子を観察していると、ペルーダが大きく息を吸った。
それをすかさず、カリヤがサリヤの造った土壁を踏み台にし、顎の下から刀を鞘ごと振り上げる。相当の威力だったようで、ペルーダはのけぞるとまではいかなかったけれど、ガッと強制的に顎は閉じられ、顔は空を仰ぐ。
グルルルとかすかなペルーダの声が風に乗ってこちらまで届くのと同時、誰かの声を拾った。
『───タイ……イタ……』
……誰の声かしら?
私は周囲を見渡すけれど、フィル以外にはいない。
目を閉じて、耳をすませる。
『──イタ……イ……タイ……イタイ』
その言葉をとらえた瞬間、私は顔を上げた。フィルの方を見る。彼は、険しい顔でペルーダの方を見ていた。それだけじゃない。握りこんだ拳から、一筋の滴がこぼれ落ちて。
「フィル……」
「なんだ?」
「手」
フィルは自分の手の平を見る。今気付いたかのように、困った顔をする。私は口を尖らせた。
「後で消毒ね」
「……終わったらな。それよりも。ニカ、聞こえるか?」
「ええ。風に乗ってかすかに聞こえてくるわ。さっきまで聞こえなかったのに」
「たぶん、本当に目覚めたってことだろ。あんたが魔法を使い始めたくらいから動き出して、何度かこっちに来ようとしてたけど……たぶんまだ半分眠っていた状態で本能的だったんだろうな」
フィルが言葉を区切ったとき、ちょうどカリヤが上手い具合に挑発しこちらへと誘導を開始した。
「ニカ、この声なんて聞こえてる?」
「……痛いって言ってるわ」
「……呪いか? それともカリヤの挑発か?」
「たぶん、どっちも」
ペルーダの声はきっとサリヤもカリヤも聞こえているとは思うけど……どうなのかしら。ジョージの話だと、限られた人しか意思疏通ができなかったみたいだし、その基準はどこにあるやら。
もし聞こえていたとしても、彼らはきっちり仕事を果たすでしょうけど。
私は一度目を閉じ、もう一度ペルーダを見る。ペルーダは白濁した目でどこか一点を見ている。分かりにくいけれど視線の先は……たぶん、私かしら?
ペルーダが一歩を踏み込むと同時、息を吸う。カリヤが気づきもう一度跳躍しようとするけれど、サリヤはちょうど自分の作った土壁に視界をとられ、それに気づかない。
カリヤの跳躍が足らず、刀身の先は虚しく空を薙いだ。
「まずい……おいもぐり!!」
カリヤが叫ぶ。
フィルが反応し、カリヤが何かを伝える前に、それは起きた。
『───シャァァァァアアアアアアアアアア』
咆哮と共に、目の前に炎が迫る。
一直線。
まるで声を出すように、息を吐き出すように、ペルーダは炎を吐き出した。
炎の勢いは強く、回避の間に合わなかったカリヤを呑み込み、私の目の前まで迫る。
私は杖を抱きしめ、座り込む。思わず目をつむった。熱気がすぐそばにまでやって来て、熱風が炎を撫でた。
でも。
「───え?」
炎は私を飲み込まないまま、熱風だけが通りすぎた。
私は目を開ける。炎は目を瞑っていても煌々と輝いていた。炎が私を飲み込む前に、輝きが途絶えた。それは……
「フィル!」
「あ、危ねぇ! 間一髪!」
フィルが私の前に立ちはだかり、ぎりぎりの所で風を操り、物理的結界を作っていた。
「動くなよ! ものすごい熱だからか、風が言うこと聞かねぇ!」
「え、ええ」
言われるまま、私は身を固める。頬をかすめる熱風は今だ健在、炎に対し吹く逆風はまだ熱を孕んでる。
私は頬をひきつらせた。
「肺活量どうなってるのよ!?」
「それ俺も聞きてぇ!」
フィルの額に大粒の汗が浮かぶ。熱気か、魔法の行使か。どちらにせよ、フィルにとって大きな負担に違いない。
そう思って、私が杖を放し、フィルに加勢しようとしたとき。
「───土より壁を築く魔法!」
サリヤの叫びにも近い声と共に、フィルより前方に重たい音を響かせて土が盛り上がり、壁が築かれる。
炎が完全に遮断され、フィルが風を弱めた。
「はーい、待たせたねー」
「サリヤ!」
サリヤが炎が当たらないように迂回してきたのか、私の背後から声をかけてくる。
「火を吹く魔獣だって聞いてたから、気を付けていたんだけどー……危なかったねー」
「あんたが騎士の方の援護を完璧にやってたら危なくもなにもなかったはずだけど?」
「タイミングが悪かったから仕方ないと思わないー?」
いつもの間延びした調子でサリヤはフィルと言いあっているけど、ちょっと待って。
「カリヤは無事なの?」
彼、今の炎、直撃だったでしょう? 私より、そっちの援護に行くべきではないの?
そう捲し立てようと口を開いたら、サリヤはしぃーっと人差し指を口許に当てる。私は口を閉じた。
それを見たサリヤは満足げに頷く。腰に手を当て、もう片方の手にあの大きな杖を握りながら、壁越しに呼び掛ける。
「カリヤ無事ー?」
「───無事だがその壁を退けろ! そっちに行った!」
「ほいっと」
サリヤが予告もなしに杖を水平に薙いだ。それに沿って、土壁が崩れる。
土壁が崩れると同時、近づいてきたペルーダのその大きさが、私にも実感できるようになる。
それ私の背を軽く越えていた。たぶん、三メートルか四メートルくらいはあるんじゃないかしら。神話通りの蛇のような頭に獅子のような鬣。緑の皮膚。亀の甲羅のようなものがあると言われているけど、鬣で隠れているのか、それだけは見えないわ。
移動するときは這いつくばるのか、先ほどまでは二本足で立っていたのが、今はペタリと四足ともを地につけて、亀がそうするように、蛇がそうするように、首のような、胴体のような、長い腕とおぼしき足の上から伸びる頭を高く留めている。その歩行速度はとても早く、カリヤを引き伸ばす。
私の目前まであっという間だった。
私は、その存在に圧倒された。
これが、神話の魔獣。
人によって呪われた、可哀想な獣。
彼が、ルギィが、救いたいと願っていたモノなの。




