凍れる蕾の杖
障害物も何もない山のクレーター。私たちはそのクレーターの淵から駆け降りる。といっても、淵から底へかけての角度が急なので、飛び降りるに近いけど。
先行したのはカリヤ。
さすが騎士さま、鍛えられているからか、危なげなく真っ直ぐ下っていく。いつでも剣……ううん、刀を抜き取れるように、下りきる前には既に腰に帯びている刀の柄に手が伸びている。
サリヤは少しもたついて、降りやすい場所を探しながら下っている。時々、魔法を使って安定した足の置き場を作りながらだから、少し効率が悪そうね。
フィルはいつかのように足元を淡い緑色に輝かせる。カシャンとガラスの割れるような音共に地を蹴り、宙に浮いた。
こちらへと手を差し伸べてくれる。
「ほら」
私はこくりと頷いて、自らその手を取った。大丈夫、怖くない。
私は地を蹴り、自分の体を宙へと放り出す。落ちる前に、フィルが私の身体を正面から受け止めた。
フィルの首に腕を回す。
フィルは私の身体を掬うように抱え直し、横抱きにする。
私はルギィに顔を向けた。
「結界、よろしくね」
私が言葉をかけると、ルギィは神妙な顔になる。
「……期待していますよ。貴女は私が待ち続けた娘。必ず成功させてください」
もちろん。
私に生きる意味があるとするのなら、きっと今日この日のために違いないわ。ルギィの宝物を救うために私は生かされたのだと、今はそう思うことにする。
誰かの都合のためなんかじゃない。私が認めるの。私が、私の生きる意味を作るのよ。
「行くぞ」
フィルが言うと同時に、風が私たちを包む。ルギィの言葉に強く頷いて、私たちもクレーターの底を目指す。
ルギィが大きく腕を広げ、大気に散っている魔力で結界を成すように操っていた。風なのか、魔力の粒子の移動なのか、彼のゆるやかなウェーブのかかった髪が、ゆるく揺れていた。
私とフィルはゆっくり滑空する。サリヤがカリヤの立つ場所に辿り着くと同時に、私たちも地に足をつける。
フィルの腕から離れて、私は声をあげる。
「ここに私が魔方陣を作るから、カリヤとサリヤは頃合いを見計らって誘導してちょうだい」
「はいはい」
「分かっている」
それじゃ、と二人は更に前へ突き進む。未だ動かぬペルーダに挑みに。
どこまで彼らの力が通用するのかは分からない。何せ相手は神話の生物。私たちはその恐ろしさを知らない。
でも、せっかく力になってくれているのだから、存分に頼らせてもらうわ。
それじゃ、私もそろそろ……
「フィル、少しだけ離れてね。魔方陣、ちょっと大きくなるから」
「了解」
フィルが数歩私から下がる。
私はきょろきょろと回りを確認した。障害物なし、方角は……
「もう少しこっちかしら?」
ととと、っともう少し南側に移動する。
私がフィルから少し離れたから、フィルがこちらにその分だけ近づこうとするけれど、それを視線で制した。そんなに離れていないし、たぶんそれ以上近づくと、魔方陣に被ってしまうから。
それでは私の、過去最大の魔法を造りましょう。
グレイシアは魔方陣を重ねることで複雑な魔法を産み出すことを得意とした。それはまた、私も同じ。
ペルーダの魂を抜き取って、他の器に。
生きている生き物でそんなことをやったことはないけれど、とても複雑で、魔力の消費もとんでもないでしょうね。私たちは精霊と違って周囲の魔力に直接干渉は出来ないから、私の魔力が先に枯渇するかもしれないけれど。
そんな結果、やってみなければ分からないから。
「まずは杖を変えないと」
これは封印堰を解放するために造った小さな杖だから、これから描く魔法のためだけの杖を造らないと。
私が杖を振ると、雪が降るようにほろほろと崩れて、あっという間に消えた。
もう一度、私は杖を生成する。
「───氷の造形の魔法」
今まで私が使っていた、小振りの、ペンのような杖ではなく、カリヤのように大きな杖を生成する。細い持ち手の先に、水晶のような球を何重にも氷の帯が、花の蕾を成すように包むような造形をイメージ。この帯、もとい花びら一つ一つに、魔方陣が刻まれている。
杖の形成に時間がかかるけれど、後の事を考えれば、こっちの方が良いわ。
うっかり地面に刻んだ魔方陣を誘導されたペルーダによって消されても悲しいから。
私は杖を見る。薄い花びらに葉脈のような筋がはしっている。これが魔方陣の元になる。
慎重に、慎重に。
全神経を注いで杖を生成。
吐かれた息は、火山帯、しかももうすぐ夏だというのに白い。
「ニカ……」
心配そうなフィルの呟き。大丈夫。ちょっと、繊細な作業に集中しているだけだから。
それに、氷の杖は魔力で練られているといえども、所詮は氷。あんまり暑いと溶けちゃうから。
私は無心で花びらを作り出す。まだ、足りない。まだ、もっと、沢山。
私がペルーダにかける魔法は、とても複雑な魔法。一つの魔法だけでは収まらず、何重にも重ねてようやく一つの効果を生み出す。
魔方陣は万能じゃない。
一つの魔方陣で、魔法使いが使役できる魔力や精霊の量は限界がある。その限界を突破して複雑な魔法を行使するには、単純に魔方陣を大きくしないといけない。
でもそんな大きな魔方陣をこの場でのんびり敷いていられないから。
私は魔法の合成が得意。この間、お師匠の所でやってみせた三重の魔法。あの要領で、私はペルーダのための魔法を編む。
この特技、今使わずして、いつ使うの!
「……よし」
白い息を吐きながら、私は杖を見上げる。
私の背よりも少しだけ高い魔法の杖。氷の蕾に、最後、一枚の葉を添えて完成。
私の周囲、魔力が氷の粒になって可視化されているのに気づく。集中するあまり、知らないうちに安全装置の容量を越える魔力を使っていたみたい。チョーカーやブレスレット、アンクレットを見れば、霜がついているし。あちゃー、凍傷になる前にはずさないと。
せっかくフィルが作ってくれたのに壊してしまったかもしれない。後で謝らないと。
私はアクセサリーを丁寧にはずして、服のポケットに入れる。フィルの方をちらりと見たら、怖い顔をしていた。ごめんってば。
「さて、と」
私は杖に手を添える。少し冷たいけれど、私の魔力が濃いから、魔力に冷やされた大気中の水分が氷ってできた、さっきみたいな霜みたいに凍傷の心配はない。
私が魔方陣を重ねるのが得意なのは、この魔力の性質のおかげ。火や水、風の魔法使いにはたぶん真似できない。地の魔法使いならばあるいは可能かもしれないけれど。
魔力で産み出した氷は魔力そのもの。本来触れることのできない魔力が物質化ができるからこその、荒業……それは、魔方陣の保存。
基本は魔方陣を杖に刻むのと同じ考え方。それを少し応用して「魔方陣を重ねることでより複雑な魔法を発動する」ことを自分一人で可能とさせる。もともと、魔方陣を重ねるほどの魔法は複数人でやるもので、儀式と同程度にはおおががりになるのよね。
つまり、私がこれからやることは儀式。
魔法と言うよりは、儀式に近い行為。
私は杖を垂直にして、地面に立てる。
準備はできた。
「フィル、合図を!」
「ほらよ、っと」
フィルは懐から一つの玉を取り出す。ちょろんとでている紐に魔法で火をつけて、風を使って空へと吹っ飛ばす。目標座標、だいたいペルーダの頭上あたり。
目標地点に到達するよりほんの少し早く、玉は破裂した。仕込まれていた火薬が色鮮やかに散って、カリヤとサリヤがこちらの合図に気がついた。




