羨ましくても覗いちゃ駄目だからね
ヴェニス山脈は火山帯。良い温泉が湧くということで、その山麓には温泉街がある。
一行はその温泉街の一つに宿をとった。
山へと上るには、陽が上りすぎているのよね。だから明日の朝早くから山を上ることにした。
そういうわけで!!
「温泉だー!」
「ニカちゃん、湯船に浸かる前にほら、体洗ってね」
「はーいっ」
温泉と言えば怪我に病に肩こり、冷え性に効果的で、保湿成分たっぷりと美容効果も期待大! 効能沢山で女の子なら一度入ってみたいと話題沸騰の観光名所! それがヴェニス山脈の温泉街!
ふふふ、やらねばならないことがあったからとはいえ、ここに来れるなんて願ったり叶ったりよ!
満面笑顔で風呂場へと足を踏み出す。もわっと湯気が立ち込めた。
内風呂の正面には外の露天風呂が大自然でできた美術品の一つとして見られるように、大きなガラスの窓が一面に張られていた。東方諸国に一般的な、石と低い木々の庭園を彷彿とさせる露天風呂。すごい……そこを行き交う女性ですら、自然の美として見られるほどに、露天風呂の設計が完璧にされているんだもの。
私はささっと洗い場で髪と体を清めて、まずは内風呂へ。
温度は人肌より少し高め。体温の低い私には少し熱く感じられた。
ちゃぷちゃぷとお湯を跳ねさせて遊んでいると、
「ここのお風呂、とても広いわね」
「ですねー。こんなにお湯をたっぷり使うなんてとっても贅沢」
少し遅れて湯船に入ってきたアーシアさんが隣にやって来る。お喋りすると、内風呂だからか、声が良く響いた。
二人で和気あいあいとお喋りしていると、アーシアさんが露天風呂の方も行ってみない? と誘ってきた。
もちろん私は断らない! 内風呂、熱くてそろそろ湯だって来ちゃうところだったし! 露天風呂こそ温泉の醍醐味ですし!
そういうわけで私たちは内風呂から上がって、露天へと出ようとする。立ち上がったとき、ちょっとくらっと来て、アーシアさんを心配させてしまったけれど、大丈夫ですと笑って見せた。
内と外を隔てる木製の扉に「立ち眩み注意!」と注意喚起の札がかけられていたので、思わず心のなかで遅いわ! と悪態をついてみせた。うん、心の中だけです。言ってはないはずです。そこ、アーシアさん、笑わないで。
そういうわけで露天風呂へと移動する。扉を開けば風が体を撫でて一気に体温をさらっていくけれど、それが心地よい。
「アーシアさん、どれ入る?」
「えーと、何があるのかしら……。目の前のが水風呂で、階段を降りたとこにある屋根つきのが帯電風呂、その向こうの白いのがシルク風呂?」
「あっちの壁際にあるのが壺風呂で、階段をちょっと上ったところが花風呂だって」
「ニカちゃんはどれが言い?」
「帯電風呂に入ってみたいですっ」
「それじゃ、階段降りよっか。足滑らせないでね」
というわけで、濡れた石の階段を下りる。と言っても五段ほどで降りきるわけだから、そんな大袈裟なことでもないんだけれど。
私たちはそこから一番近い屋根つきの露天風呂に足を運ぶ。
帯電風呂はその名の通り、雷を帯びているお風呂。と言ってもビリビリするわけではなくて、人体が感じないくらい微弱な雷を水に属性として付加しているお風呂。血行促進、肩こり解消に効果覿面が売り文句だそうです。
ヒノキアという、まっすぐ癖のない香り高い木々を組み上げて作られた屋根付きの露天風呂にそっと入る。じんわりと、中の熱いお風呂とはまた違った感覚で、熱が体へと伝わっていく。
ふぁ~……気持ち良い……
「雷属性の水だって聞いたから、ビリビリするかと思っていたわ」
「そんなビリビリしてたら心臓止まっちゃうわ。たぶん雷系統の魔法使いが人体に影響の無いようにあれこれ手を施してるんだと思うよ。あそこのお湯の足し口、魔方陣が描かれてるし」
「そうなのね」
アーシアさん不思議そうな言葉にさらりと返せば、アーシアさんが笑いながら納得した。私もつられて笑う。
そこからまた世間話に入るのかと思いきや、次に出たアーシアさんの声は少し沈んだものだった。
「私も、ニカちゃんくらいに魔法に明るかったら、彼らの力になれたのかしら」
ぶくぶくと顔をが浸かるくらいにまでだらしなく体を温泉につからせていたら、アーシアさんがそんなことを呟いた。
私はちゃんと座り直してアーシアさんに言う。
「どうしてそんなこと思うの? さっきサリヤに言われたことのせい?」
「……」
アーシアさんが困ったように笑う。濡れた赤い髪の毛先から滴が落ちた。
温泉に入る前、宿を取る時。サリヤはアーシアさんに、荷物番のためにここで待機をするように言った。
でもそれはうわべの理由だと、誰もが知っている。
アーシアさんには何の力もない。魔法に明るいわけでも、剣が上手なわけでもない。
それでも連れてきたのは、アーシアさんの血が、魂が、ペルーダに繋がるものだから。
だからサリヤは連れていきたがった。それこそ山頂まで。ペルーダのすぐそばまで。
だけどカリヤは連れていきたくなかった。それこそエンティーカの屋敷で待っていて欲しかった。
そんな兄弟の折衷案が、ヴェニス山脈の麓でアーシアさんを待機させることだったわけなのだけれど……
「彼らは私に何も言わないから。今回もついてこいと言われ、結果荷物番。勇気を出すことをニカちゃんに教えてもらったのに、これではふりだしね」
アーシアさんの言い分に思わず目が点になる。
…………えーと? それは? つまり?
なんなのあの兄弟、この期に及んでまだアーシアさんに話していないわけ!?
一瞬、思考が止まったけれど、すぐに頭を回転させる。あの兄弟、バカじゃないの。
何て言ってフォローをするべきか良いあぐねていると、アーシアさんがお湯から体を引き上げて、ざばっと立ち上がった。
「変なこと言ってごめんなさい。私もう上がるから、ニカちゃんはごゆっくり」
「あ、アーシアさんっ」
制止するけれど、アーシアさんはそのまま行ってしまう。
どうするべきか悩んで、結局私はそのまま湯船に肩まで浸かった。あれは、私から言って良いことじゃないわ。
私がどんなにフォローしても、アーシアさんはきっと「ニカちゃんは優しいのね」と言って終わってしまう。だからやっぱり、彼らの口からきちんと理由を説明した方がいい。
どうして彼らの責任にアーシアさんが連れ回されているのか。アーシアさんには知る権利があるのだから。
ぶくぶくと湯煙の上がるなか、頑なな彼らがどうにかならないものかと、ぼんやりと考えた。




