マグカップの熱
天気がだんだんと悪くなっている。野宿中に雨に降られるのは嫌だということで、一行は宿場町でその歩みを止め、宿をとった。
男女に別れて部屋をとる。お風呂に入って、夕飯を食べて、これからの予定を簡単に打ち合わせて、明日早く出発することにして、部屋にひっこんだ。
アーシアさんと少しおしゃべりしていると、案の定、雨が降りだした。
窓の外から聞こえる雨音を合図に、今日はもう寝ましょうとアーシアさんが言ったので、おやすみを言って、部屋の明かりを消した。
スヤスヤとアーシアさんが寝息をたてはじめても、雨音が激しくなっていくに連れ、私はだんだんと目が冴えていく。昼間の話が、未だに尾を引きずっていた。
仕方がないから、同室のアーシアさんを起こさないようにそっと部屋から抜け出して、深夜の食堂に行く。
深夜でも、ちらほら人はいた。材料の持ち込みをすれば炊事場は自由に使って良いと言われていたから、こっそりと荷物の中からマグカップとミルクを拝借して、ここで温めた。
一人で食堂の片隅のテーブルに座る。食堂にいる何人かは酒を仰いでいるようで騒々しかった。
マグカップを両手で包み込む。
じわじわと熱が指先に伝わった。
魔力を取り戻してからというもの、もう夏に入るというのに体は冷えきっていたから、この温かさは心地よかった。
じっとマグカップを見つめていると、酒の臭いが鼻をくすぐった。
「よぉ、おちびちゃぁ~ん、ひとりでちゅかぁ~~~?」
……ええええ、酔っぱらいっ? なんでこっちに来たるのよっ。
ジョッキ片手に千鳥足で近づいてくる酔っぱらい。あれこれと呂律のまわらない口で話しかけてくる。人が気落ちしてるときに……空気読みなさいよ。
「なんらの、ひとりなら、おじちゃんにぃビールついでおくえよぉ」
「……ええと」
ああもう、鬱陶しい!! 誰か保護者はいないの!!
私が困ってしどろもどろになっていると、酔っぱらいが私の腕を掴んでくる。
「きゃっ」
「おぅ? おちびちゃんは冷たいな~~、おじちゃんがあっためてあげよぉ」
「っ!」
突然腕をとられて、マグカップが倒れそうになるけれど、何とか倒れずにすんだ。少しテーブルにミルクが零れたけれど、今はそんなことより。
「離してっ……!」
「ん~~おじちゃんとお話ししまちゅかぁ~~~?」
「誰が……!」
誰が酔っぱらいと話なんてするもんですか!
そう思いながら、必死に抵抗する。でも、私の力よりも、酔っぱらいの方が力が強くて、椅子から強制的に立たされた。
椅子に足が引っ掛かって倒れる。思った以上に木の椅子は、石の床に響いて倒れた。
食堂にいる人が全員こちらを見る。
酔っぱらいは静かになった部屋に気づかないで、私に声をかけてくる。
「ほぉら、おちびちゃぁん、お部屋でゆっくりはなそう~~ビール持ってくの忘れるなぁ~~」
「離してって言ってるでしょう……!」
踏ん張ろうとしても無駄で、一歩二歩と、足踏みするように酔っぱらいに引き摺られる。
食堂の誰も、私を助けてくれない。
遠巻きに見て、こそこそと思い出したように会話を交わすだけ。
誰も助けてくれない。
そう思って、泣きそうになったその時。
「あんた何やってんだ? そのお嬢さんうちの子なんで勝手に連れていかれると困るんだけど?」
「おぉう?」
「フィル……!」
食堂の入り口からフィルが入ってくる。フィルはへらっと笑って、酔っぱらいの前に出た。
「うちのお嬢さんに何か用? もう夜遅いんで、寝かせなきゃいけないんですけど?」
「あに言ってんらよ、寝るから部屋に戻るんだぞぉ」
「戻るなら一人で戻れって」
フィルが動きを止めた酔っぱらいを越えて、私の方に来る。それから、酔っぱらいの腕を無理矢理、私から引き剥がしてくれた。
「あにすんだぁ~~~!?」
「なんだよ幼女誘拐未遂犯。犯罪者になる前に部屋に帰って酔いを冷ましてこい」
「あんだとぉ~!?」
逆上した酔っぱらいがフィルに食いかかると、外野がざわつき出した。
「そうだ、幼女誘拐犯になるとこだったんだぞー」
「それ未遂で良かったなー!」
「おらてめーのせいで興ざめだ、部屋に帰りやがれー!」
罵倒や叱咤が飛んできた酔っぱらいは、ようやく回りに気がついたようで、きょろきょろと声を浴びせてくる方をみる。
さすがにばつが悪くなったようで、ちっと舌打ちをしながら、食堂を出ていった。
それを見送りきる前に、私はフィルに声をかける。
「あ、ありがと、フィル」
食堂から完全に酔っぱらいが退去するのを確認してから、フィルは呆れた顔でこちらを振り向いた。
「深夜の食堂なんか、酒場みたいなもんだから気を付けろって。王都から離れると、どんどんガラの悪いのが増えていくからな」
「……幼女誘拐未遂犯てフィルにそのままブーメランよね」
「茶化すんじゃない」
「はい」
助けてもらったことに感謝をしつつ、ちょっと茶化せば半眼でこちらを睨んでくる。はい、すみませんでした。
「次から気を付けろよ」
「……ん」
フィルの言葉に項垂れる。あーあ、また叱られちゃった。
フィルには叱られたり、泣いてるとこみられたり、格好がつかないなぁ。
視線を下げて、ぼんやりとそんなことを思っていると、フィルが倒れた椅子を直して、そこに座った。
「どーせ、考え事してて目が冴えたとかそんなことだろうけど。ほら、座れ」
フィルが机に備えつけられていた布巾で、マグカップと零れたミルクを拭いた。まだマグカップには中身が残っているから、私は言われた通りに座る。
ほんと、フィルには敵わないなぁ。




