山道の先の記憶
息を切らせて走る。
間に合え、私の足。
「ストップストップお姉ちゃん!? そっちはいっちゃいけない道だよ!?」
「バレなきゃいいのよ」
アマリス村に入る手前にある山道。今や獣道と言った方がふさわしいようなその道に、私はユートを引き連れて入ろうとした……のを、ユートに止められた。
「そっちにお兄ちゃんいるわけないよ」
「……ユート。ブツブツ言うくらいなら先帰る?」
立ち止まって、愚図るユートを振り返る。私は焦ってて、ついいらいらしながら言い放ってしまった。ユートは口を鳥のようにすぼめて、抗議してた。
「そっちは行っちゃいけないんだってお父さん言ってたもん」
「そうね。でもフィルレインさんは多分こっちだよ」
「嘘だぁ」
「嘘だと思うなら帰りなさいよ」
「ヤダ! ぼくもお兄ちゃんに会うの!」
「なら、黙ってついておいで」
ユートがまだ納得いかないような険しい顔でうなずいた。
そう、この道はお父さんから決して行ってはならないと言われた道。この道の先に何があるのか、私は知っている。
随分と草木が繁って道が悪くなっていたけれど、私はかすかな獣道を辿って行く。ガサガサと音を立てて道無き道を通っていく。……昔はもっと整備してあったんだけどな。
「おねぇちゃぁん」
「ほら、こっち」
ユートの手を握って、山道を登る。割と急な場所があって、すごく登りにくい。ここには確か石段があったはずなんだけど……。
「──着いた」
私は開けた視界いっぱいに景色を取り込む。懐かしさで溢れるこの情景。
……草木萌える山間の、凍れる花の屋敷。
そう呼ばれていたこの屋敷。
──グレイシアの屋敷。
私は敷地内に入る前に呼吸を整える。
お父さんが入ってはいけないと言っていた道の先にあるのは、かつてグレイシアが住んでいた屋敷。私は知ってる。お父さんが、グレイシアが死んでから暫くはこの屋敷に入り浸っていたらしいのだけれど、お母さんと結婚してからはしなくなったって事。村のじい様に聞いたからたぶん正しい。
私が死んでから暫く通っていたのは嬉しいけれど、死者にいつまでも想いをとどめていては駄目。そんな父を立ち直らせたのがお母さんだったんだって。
だから私はお母さんの事を憎めない。羨ましくても、決して憎めれないよ。
顔を上げて過去に向き合う。
灯りの点ることのないランタンが、門代わりのアーチの下にぶら下がっている。それをくぐって春らしく花の咲く庭園を抜けた。何年も人のいなかったはずの屋敷は、美しいままで保たれているのはきっと姿の見えない彼のおかげかな。
──名を呼んでください、グレイシア。私はいつでも貴女の元に寄り添いましょう。そして、末永くあの男と幸せに暮らすと良い。貴女の育む命を見てみたいのです。
耳の奥に聞こえる、グレイシアへの言葉。
約束を守れなくてごめん。見えないのに勝手なことを願ってごめん。二度と姿を見せるつもりもなかったのにここに来てごめん。
沢山言いたいことがあるけれど、姿が見えなくて、面と向かって言えないことが一番ごめん。
グレイシアがいないのに、ここに留まっていた彼の十数年もの孤独を思いやる。
「立派なお家だぁ……」
ぽかんとした間抜け面のユートの手を引いた。アーチを抜けて、庭園を横切って、屋敷の入り口へ。大きな玄関のドアノブに手をかけると、自動で開いた。
ふわりと漂う風に、私は目を見張る。
「……ありがとう」
あなたはきっと気づいてる。でも何も主張しないでじっと気配を殺してるのは私のためでしょう。
私は自嘲してしまう。だって死者の屋敷に通っていたお父さんよりも、私の方がずっとずっと死者に囚われてる。
……忘れかけていた想いや思い出が想起されてしまうのはどうしようもなくて。
「──全く、責任とってよね」
まずは助けてくれた命の恩人に対して軽くぼやいた。
 




