ノゼアンという人
言うこと言ったし、お茶を飲んでさっさと戻ろうと思ったとき、フィルが思いもよらないことを口にした。
「そのノゼアン。俺の記憶が間違ってなければ、俺が昔いた協会に顔だしていた奴だ」
私は目を丸くしてフィルを見る。お師匠も、本に伸ばしかけていた手を引っ込めて、フィルを見た。
フィルは腕を組んで、唸りながら言葉を探しているようで、歯切れ悪く話す。
「俺にかかった呪い。魔法の副作用って、言ったよな? 副作用が呪いみたいな効果だから呪いって呼んでるんだけどさ、詳しく説明するとちょっと違うんだよ。で、その魔法を使えって言ったのがノゼアンって呼ばれている奴だった。月に一度、協会の奴らに会いに来ていたんだよ。俺も、何度か話したことがある」
「……ノゼアンは、もう二十年近く行方知らずだったのですよ。それが都合よく、」
「髪はあんたみたいな金髪で、長く後ろで結んでる」
フィルの言葉にお師匠は口をつぐんだ。
確かに彼の容姿と一致する。ノゼアンは血を分けたお師匠と同じで金髪だった。私が、グレイシアが最後に会ったときも長い髪を細く一つに束ねて背中で揺らしていた。グレイシアは銀髪だったけれど、あれは母譲りだと聞かされてるから、グレイシアを当てにするよりはお師匠のような髪色を想像した方が早い。
フィルがノゼアンを知っていたのならば、どうして私のもとに来た謎の人物をすぐにノゼアンだと特定できなかったの? 同一人物だと分からないくらいに老け込んでいたとか?
そう問えば、フィルはちょっと情けない顔になった。
「ノゼアンの魔力が闇属性だって知らなかったんだよ。知ってたら、そんな貴重な属性の持ち主、真っ先に疑うさ。ニカに接触してきたときは、全身黒ずくめだったし。……というか髪色金髪だったとかははっきりと思い出せないし」
最後の方にごにょごにょと何やら付け足しているけれど、とにかくフィルにも断定が難しかったことは分かったわ。
そこでお師匠が不思議そうな顔をする。
「知らないとはどういうことですか? 貴方のその不思議な魔力の在り方に関係が?」
お師匠の言葉にフィルが面食らったような反応をするけれど、お師匠は視える人だから。私の魔力に関して今まで言ってたから、まさか自分まで指摘されるとは思っていなかったのかしら。
フィルは視線を泳がせたけれど、堂々とすることに決めたようで屈託なく笑った。
「あんた視えるなら分かるよな。俺、もともと魔力がなかったんだよ。だけど、こいつがいるから魔力が使える……」
「こいつ?」
今度は私が不思議な顔をする番。
困ったようにフィルとお師匠の顔を交互に見ていたら、フィルがちゃんと説明してくれる。
「俺のなかには精霊がいる。ノゼアンは俺に禁忌の術を使わせた。それが、」
「なるほど。精霊化の魔法ですか。貴方の持つ魔力の源は貴方の内部にいる精霊から来るもの。精霊と同化することで自らを精霊へと昇華させる魔法。大方、精霊化に失敗して、精霊を取り込んだだまま切り離すこともできずにいる……というところでしょうか」
「そうだ。もう、精霊を取り込んだまま人間やってるとその副作用が化け物じみてるから、呪いみたいなもんなんだ」
フィルの言葉を遮って、お師匠がその詳細を言う。フィルは言おうとした事を全部言われてしまって苦笑している。
でも……そうね。フィルが大怪我を追っても死なないのは精霊が治癒力を高めてくれているからなのでしょうね。風属性の精霊は基本的にはおおらかだから、進んで精霊の力をフィルに貸してあげているのかも。そう考えれば、フィルの魔力質が高いのも、不死だっていうのも、なんとなく理解できる。
でも、疑問は残る。
どうしてノゼアンはそんな禁忌を犯したのか。そして私の魔力を封じ込め、生き返らせたのか。都合よく私がお父さんの娘として生まれた理由。それは何。
ぼんやりと記憶の波が押したり引いたりしている。
グレイシアが幼い頃の彼は、父だった時の彼は、そんな狂気じみたことを考えるような人では無かったはず。無愛想で不器用で、でも優しい人。
そんな人が理由もなしに禁忌の術を使うわけがない。
「お師匠は、何か心当たりありますか?」
「あったらこんなところで悶々としていませんよ」
ピシャリと言われて、それもそうだと苦笑した。
「ニカの術が破られたことは近いうちに彼も気づくでしょう。その時には接触を試みることもまた一つの可能性だと信じて、今は放っておくのが一番です。悩んでいても当事者がいなければ答え合わせなどできませんから」
お師匠はそう言ってカップの中身を飲み干すと、席を立ち上がった。
「明日壁の内に戻るのでしたね。私から伝えることはほとんど伝えきったつもりです。ニカ、貴女には。風の子、夜になったら火鳥の子を連れて私の部屋に。本当なら火鳥の子の片割れも共にいるべきではあったのですが、いないのならば仕方ありません。貴方たちに渡しておくものがあります」
「今からじゃ駄目なのか?」
「まだ準備が整っていないので夜に」
「私には?」
「貴女が使う必要のないものです」
私とフィルは顔を見合わせた。フィルとサリヤ、カリヤが使って、私には使う必要がないもの? そのなぞなぞに私もフィルも首を捻ったけれど、お師匠はそれ以上何も言わずに部屋へと戻ってしまった。
考えてもらちが明かないので、私もフィルもテーブルの上を片付けて席を立った。使ったティーカップとポットはちゃんと洗います。お師匠、私たちに片付けさせる気で先に席を立ったな。
お師匠がしてくれたことを考えればこんなことほんの些細なこと。文句なんか言えるはずない。




