悪意あるものたち
『六王教』とは、この大陸全体に広まる宗教だった。
六王とは天の王夫妻、地の王夫妻、最初の人類にして史上初の王とされる夫妻のこと。
合わせて六柱の神が主な信仰の対象とされている。
かつて、大陸各地で信仰されていた神々――それらを宗教対立を防ぐため、統合・吸収する形で造られた人工的な教義が特色だった。
各宗教の統合は宗教対立を円満な形で収束させたが、しかし一方で教団が一つになり巨大化したことによる弊害も指摘されつつあった。
たとえば―――かつては戒められていた俗世権力への接近――政治への介入もその一例だった。
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王都『六王教』神殿の一間。
厄除けの祈祷と銘打ってはいたが、その実はツンデレラの政治に不平を抱いた貴族のたまり場となっていた。
不満の一例を言えば、ツンデレラの命によって編纂された『王国法大全』がある。
ツンデレラは街道の敷設、整備と並行して法律の成文化――いわゆる法典編纂も進めていた。複雑な国内法を系統立て整理して、一冊の本にする計画である。
学問好き王妃の妙な道楽――貴族たちは最初そう考えていた。
煩雑化する一方だった王国の国内法は貴族たちの頭も悩ませていたから、法典となり成文化され分かりやすくなることは、貴族たちにもありがたいことに思えたのである。
だが、ツンデレラの他の政策と同様、実はこれも貴族の勢力を削ぐためのものだった。
今まで法は貴族だけのものだった。平民たちは政治に不満を抱いても、そういう法があるのだと強弁されれば泣き寝入りするより他はなかった。
それがツンデレラによって成文化された法典が広く公開され、貴族たちはかつてのように法を好きなように運用することができなくなったのである。
(もっとも法典の完全版の完成は後世のこと。ツンデレラが公開したのは簡易版だった)
貴族といえども法に逆らえば王宮に訴えが行くことになる。
そして王宮からの勧告を無視し続ければ、軍を送られ罰されることになる。
結果として貴族たちは、今までのように領民に罪を着せて財を没収することも、ケタ外れの重税を課すこともできなくなったのだ。
自身の贅沢のため不正な蓄財に頼っていた貴族たちは、見事に困窮することとなったのである。
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「あの小娘! 王妃になって地位相応に大人しくなるかと思えば、前より派手に行動しおって!」
苦々しげな声が薄暗い聖堂に響く。
部屋の中には、既得権益を奪われた貴族たちが群れをなしていた。彼らは新たな王妃への苦情を口々に述べ出す。
「平民出身の娘が王妃にまでなれたのだ。その幸運に感謝しているだけでよかろうに。
あの魔女め、それだけでは飽き足らぬと見える。我らが代々、王家への忠誠の代わりに与えられていた神聖な権利を容赦なく奪い去って行きおった!」
「そうだ。少し前までは我らに導かれていた平民。それも卑しい商人の娘だったというのに、今では我らを偉そうに見下してきおる」
「お人好しの王子――ああ、今は国王陛下であったか……まあ、男をたらしこんだだけの小娘であろう?
代々高貴な家柄の我らを前にして図々しいにもほどがあるというものだ!」
不平不満――時代から取り残されかけているものたちの遠吠えであった。
自身とその取り巻きの利得しか考えない。追求しない。
それで国が疲弊して潰れれば、結局は自分たちも一緒に潰れることすらわからない視野の狭い者たち――ツンデレラのもっとも忌み嫌う者たちだった。
とはいえ、こうやってお互いにグチを漏らし合っているだけで、普段ならばそこでおしまいになる他愛のない会話のはずである。
しかし、今日はちがった。
「皆様のご不満よく分かりました。たしかに王家が累代の臣下たちを軽んじるのは良いことではありませんな」
なだめるように、しかし本当は焚きつけるように言う男が一人――白い衣に身を包む神官だった。
「ですが、新しく国王となられたシャルルさまは元来聡明なお方。
身近にいる王妃の差し出口で、皆さまのことを誤解なさっているのでしょう」
神官の言葉は巧妙な誘導だった。
貴族たちには王家に対する遠慮がある。だが元は平民だったツンデレラに対しては悪意を向けることにためらいは無い。
彼らにとってツンデレラこそ君側の奸というわけだった。
「そうだ! 全てはあの王妃が悪い――いや、あのような魔女を王妃と呼ぶことすら、おぞましい!」
「ああそうだ――あの魔女こそ排除されるべき存在なのだ!」
こうして室内の意見は王妃排斥で一致していく。
「皆様の意見は御一緒のようですね……でしたら、我々の方にそれなりの方法がございますよ?」
あくまで頼まれたからやるのだ――神官はそういう立場を取る。貴族たちの思考を誘導したことなど、おくびにも見せない。
「ただ、準備に少々時間がかかります。……ですので皆様には王妃の行動を徹底的に妨害していただきたい。ありとあらゆる行動をです」
神官は言い切った。貴族の一人が不安げに訊く。
「しかし、あの小娘の行動にも国のため欠かせないと思えるものがある。それまで妨害してしまうのはいかがなものだろうか?」
神官は、その貴族に向きなおり鼻を鳴らした。
「ふん……大事の前の小事ですぞ? 国政を担う貴族の方が覚悟せずにどうするのです?
そんなことは王妃を追い出してからやればよい。いや、だからこそ早急に王妃を追放せねばならないのです」
神官の言うことは詭弁であった。
しかし強い語調で自信たっぷりに言われたことで、貴族たちは納得してしまう。
元々、自分たちの見たいことしか見ようとせず、聞きたい事しか聞こうとしないところのある貴族たちだった。
「うむ……その通りだ! では後のことをお願いするぞ。神官殿!」
「我が国に、これほど国を思う神官殿がおられてよかった!」
「うむ……我らこの国のため、あの魔女を除こうではないか!」
口々にいうと貴族たちは意気揚々と屋敷へ帰っていく。
「ふん……馬鹿は乗せやすい」
貴族たちが勇んで部屋から去ると、神官は冷笑した。
「この国のため? そんなワケあるはずが無かろうが! わたしはこの教団のためだけに動くのだよ!」
懐から取り出した巻物を眺め、神官はにやりと笑う。
「さて……こちらの手ゴマは準備できている。あの娘がかき回してくれたおかげでやり易くなったが――そろそろ舞台から退場してもらう刻限だからな」
そういうと、神官も部屋から立ち去っていく。
神官の背後――薄暗い室内を照らす蝋燭が、風もないのに一瞬揺らめいた。