鎮魂のツンデレラ
数日後、国王の葬儀は厳粛に執り行われた。
齢は六十過ぎ――王妃には先立たれていたものの自身には大きな病もなく、まだまだ長生きすると思われていただけに、突然の崩御は国中に大きな衝撃を与えた。
葬儀は王都の大聖堂で行われ、多数の貴族が参列した。
彼らの注目を集めたのは王子の愛を独占するツンデレラだ。
次期王妃としての資格で葬儀に参列した彼女は喪服に身を包み黒いベールで顔を隠し、次期国王である王子の隣に座っていた。
(あれが魔女と噂される王子の愛人か?)
(何てことは無い外見じゃない? あの見た目で、よくも王子の寵愛を独り占めできたものね?)
(だから魔女と呼ばれているのだよ。あの娘は……)
(それにしても我が国は平民出身の小娘を王妃として仰ぐことになるのか?)
遠慮のない噂話がツンデレラの耳に届く。
気高い行いが求められるはずの貴族だが、噂話の水準は下劣の一言に尽きる。
だがツンデレラは聞こえないフリを通した。
彼女が大騒ぎすれば王子の権威に傷がつく。そうなれば庶民の出はやはり庶民、生まれは争えないものだ――と貴族たちがほくそ笑むのが分かっていたからだった。
ツンデレラに無視され続け、貴族たちは気分を害する。
(やれやれ、国王陛下が亡くなられたというのに涙一つ見せようとしないとは……)
(やはり……あの噂は本当だったのかも知れぬな?)
(噂……とな? その噂とはなんだ?)
(大きな声ではいえぬが、あの小娘が陛下を害し奉ったというものだよ。自分に夢中な王子を王にし自身が王妃になるためにな)
(おお……なんと恐ろしい話だ!)
ツンデレラが反応しないのをいいことに、貴族たちの噂話は彼女をひどくおとしめるものに変わっていく。
ツンデレラはそれでも顔色一つ変えようとしなかった。
ただ、色が白くなるまで握りしめた小さな拳だけが彼女の内心を現している。
「……ツンデレラ」
震える彼女の手に王子の手がそっと重ねられた。
王子の耳にも貴族が無責任に広げる噂は聞こえていた。だが場所は父親の葬儀会場である。
「こらえてくれ」
現時点では公式な身分は無く、ただの愛人にすぎないツンデレラをかばい、貴族たちの不作法をなじることはできない。
だから王子が愛する者にしてやれることは、ただ手を重ねる事しかなかったのだ。
「……わかってる」
ツンデレラにも王子の真心は分かった。愛されている自分が幸せだと知っていたから。怒りを抑えることは簡単だった。
実は葬儀の席でも蔭口を絶やさない貴族たちよりもツンデレラは国王の死を悼んでいた。
ツンデレラは愛する王子の父親――王宮の庭での園芸のみが趣味な老人を意外なほどに好いていたのである。
かつて彼女は不思議に思い、内密に国王に問うた事がある。
なぜ自分のような娘を国王も認めているのか――と。
そのとき、国王はこう答えた。
「ワシは政治にも権勢にもあまり興味が無い。一国の王としては失格じゃろう?
おかげで貴族たちの陰謀や権力争いからも生き残ってこれたのじゃがな。
しかし、この歳になって時々心がうずくのじゃよ。この国はこれで良いのかとな。
これでも、ワシはワシなりに生まれ育った祖国を愛しておるのじゃ。
しかしワシには政の才能がない。ならば国のため必死で働く者は応援してやろうと思っていたのじゃ――もっとも、このように可愛げな娘がそうだとは思わなんだが……」
大笑いした国王はこう続けた。
「それに、お前には媚びが無い。これでも権力の中枢である王座に長くいるわしじゃ。
ある程度人を見る目はある。媚びる者には卑しさが出るのじゃ。
しかし、それがお前には無い。それはわしのように権力の中枢にある者にとって何より素晴らしいことなのじゃよ」
頼りなく見えても一国の王とはこういうものか……とツンデレラは思ったものだった。
献花の順番が回ってきてツンデレラは回想をやめた。王子の隣から立ち上がり、静かに献花台へ歩み寄る。
貴族たちのぶしつけな視線が突き刺さる中、ツンデレラは手中の花を国王に捧げた。
(陛下。あなたの志や願いは受け継いだわ……安心して休んで)
国王の肖像画にツンデレラは向き直る。
(せめて趣味の場所である庭園で死ねたのが幸せだったのかしらね)
いかめしく描かれていても、どこか柔らかな表情の国王が微笑した気がした。
庭園で摘んだ花を捧げ、来たときと同じく静かに歩み去ろうとしたツンデレラは、不意に視線を感じた。ツンデレラは視線の出所をさり気なく探る。
すると、とある神官が敵意むき出しの視線を自分に向けていることに気がついた。
いや彼だけではない。葬儀に関わる神官たちは程度の多少はあれ、悪意を抱いた目つきでツンデレラを見ていたのだった。
(だれ? なぜ、あんな目でこちらを?)
不吉な予感がしたものの葬儀の進行を妨げるわけにはいかない。ツンデレラは素知らぬふりで王子の隣へと戻ったのだった。
「おかえりなさいませ、お方さま」
「ご苦労さま。仕事を続けて?」
「は、はい」
国王の葬儀が終わり、ツンデレラは部屋へ戻る。表情を変えずに歩む彼女を王宮の召使たちが気味悪そうに眺めていた。
王宮に急に放り込まれたツンデレラを、召使たちは温かく見つめてくれていた……はず。
しかし、彼らまでが良からぬ噂を信じはじめている。
味方だったはずの彼らが向ける疑惑の視線、ツンデレラにとって何より応えた。
(ここで心を乱したら、あたしの負けよ……)
無理やり自分に言い聞かせると、ツンデレラは平静を装ったまま自室へ戻る。
後ろ手に扉を閉めるとツンデレラはうつむいた。意地でも泣き声は漏らさない。
しかし華奢な肩は震える。溢れ出た水滴が頬を伝い落ちて、毛足の長い絨毯に吸い込まれていく。
そこが限界だった。
ツンデレラは寝台の上に崩れ落ち、嗚咽を始める。
「涙は……あなたには似合わないわよ」
ツンデレラが泣き崩れた顔を上げると、そこには魔女が立っていた。
ゆっくりと近寄ってくる魔女の胸にツンデレラは飛び込む。
「う……ウ、あウ……あうぅうぅ!」
魔女の胸に顔をうずめると、ツンデレラは感情を思い切り爆発させた。
幼子の様に大泣きしながら、しがみついてくるツンデレラを、魔女は慈母のように優しく抱いて包み込む。
「う……ひっく。み、みっともないとこ、あんたに見せちゃったわね……」
少し落ち着いたのか、ツンデレラはしゃくりあげながらも言った。
魔女の胸の中、甘く柔らかな匂いがツンデレラの鼻腔を満たす。弱気になったツンデレラの心がすがりつくものを求めた。
「あんたの服、汚しちゃったわね……お詫びにあたしを……その――あんたの好きにしてもいいわよ……こんなこと滅多にないんだからね。感謝しなさい」
そういうと、ツンデレラは上気した顔のまま目をつむった。
だが魔女はツンデレラに手を出さなかった。一つため息をつくと口を開く。
「あたしの話を聞けーっ! 据え膳を食わなくて恥になるのは男だけよ。だいたい自棄になっている今のあなたを好きにしても意味は無いもの。
それに、あなたには慰めてくれる男がちゃんといるでしょう?」
魔女はツンデレラの額を指で軽く弾いた。そして同じ個所に今度は口づける。
ツンデレラが目を開くと眼前から魔女の姿は消えていた。
あわてて左右を見回したが、室内には何者の姿も無い。
「ど……どこにいったのよ!ミランダ!」
親を見失った迷子のように呼び掛けるツンデレラに、どこからともなく魔女の声が響く。
「ツンデレラ、自分をもっと大事になさい。ああ、それと神官たちには気をつけなさいよ。あいつらあなたに対して何か企んでいるわ。
あなたのこと、いつドコにいても私が見守っていてあげる。ミランダさまがみてる――ってことよ。だから心配せず思いっきりやりなさい」
それっきり魔女の声は消えた。
「……もう、余計なところで律義な魔女なんだから」
ツンデレラは口を尖らせた。だが、その顔には先ほどまであった悲しみも怒りもなくなっている。
「とにもかくにも――あたしは王妃になるんだ。非公式とはいえ、一国の切り盛りができる。自分の望んだ地位よ。なら、どんな目で見られようと、やれることをやれる分だけ、頑張るしかないわね」
ツンデレラは机に向かう――やり残した仕事は沢山あった。積み上げられた書類の山へツンデレラは勇んで挑んでいく。
その夜、ツンデレラの執務室の灯火は消えることはなかった。