暗躍のツンデレラ
「すぅ、すぅ……」
ツンデレラは、うたた寝をしていた。
執務の合間、ようやくできたわずかな休息時間にツンデレラは机に突っ伏し、わずかな仮眠を貪っていたのだった。
一つの国を影から支配するというのは大変な激務である。
文学侍従から上がってくる情報はささいであっても見逃せない。少数の常備軍で王国ににらみを利かせつづけるには、小さな兆候であっても見落とすことは許されないのだ。
謀反を企んでいるか否かの情報だけでなく、貴族の領地経営の状態も把握しておく必要もあった。
経営失敗も謀反につながる。経済的な破綻は人を極端な行動へ走らせるからだ。
また街道の維持管理、補修や延長も彼女にとって大きな仕事となっている。
迅速な軍勢の移動、情報の獲得には街道が完全に機能していなければならない。
それゆえ道路関連の事務仕事もツンデレラの肩に重くのしかかることになった。
今は仮にツンデレラに従っている役人――その忠誠を確かにする意味で力を見せる必要もあった。細かな雑務や裁判に関しても手を抜くことはできない。
幸いなことに協力者は多かったことが、ツンデレラにとっての救いではあった。
王国の役人には貴族の専横にはらわたが煮えくりかえっているものは多かったし、商人たちもツンデレラの政策を支持していた。
また幾人かの心ある貴族たちも、陰ながら彼女を支援してもいた。
ツンデレラの庇護者である王子も元首である国王も、ツンデレラには好き放題にやらせてくれていた。
王子はツンデレラに惚れ抜いていたし、国王もツンデレラの気性を面白がっていた。
そもそも彼らには政治に関する意欲や関心は最初から存在しなかったのだ。
それにツンデレラの政策は王室の収入を大いに増やしてくれていたから、彼らが文句を言う筋合いも無い。
「この書類は根回しに出しといて。ただし、できるかぎり内密にすすめたいから相手は厳選して。回覧が終わったら即座に焼き捨ててちょうだい」
ただ、ツンデレラにかかる負担は並大抵のものではなかった。優秀な賛同者が増えるほど上位者としての有能さを示し続けねばならないからだ。
結果として常に気を張り続ける生活がツンデレラに求められたのである。
「だめだよ、ツンデレラ、これ以上は……」
「いいの。続けて――――お願いだから」
ツンデレラを愛してやまない王子は彼女の体調を配慮し、共に夜を越える回数を減らそうとした。
だがツンデレラは決して夜を一人で過ごそうとしなかった。
それは彼女の権力の源泉が王子の愛情にある――という理由だけではない。
いや、むしろ彼女の方がより王子を求めた。積極性は激務の代償だったのかもしれない。
王子と過ごす夜だけが陰謀と政治に明け暮れる非人間的な生活の中、数少ない人間らし
さを取り戻せる時間だったのだ。
もっともそのおかげでツンデレラは睡眠時間を奪われ、こうして昼間から居眠りをしてしまう羽目となったのだが――。
――――――――
机に上体を持たせかけ、小さな寝息を立てるツンデレラに何者かが毛布をかけた。
しばらくツンデレラの寝顔をながめた後、その何者かは静かに立ち去ろうとする。
「――ありがと、優しい魔女さん」
「起きてたの? 狸寝入りなんて趣味が悪いわよ」
不意に声をかけたツンデレラに魔女は苦笑した。
「ううん。ちょうど今、起きたところよ」
目をこすりながらツンデレラは言った。
「あれ、起こしちゃったのかしら?」
すまなさそうに言う魔女に、ツンデレラは首を横に振った。
「いいえ……つい寝入っちゃったけど、本当はこの仕事、早く終わらせなきゃいけなかったの。起こしてくれて助かったわ」
仕事を再開しようとするツンデレラを魔女は慌てて止めた。
「だめよ! 女の子がそんな寝ぐせだらけの髪で――」
どこから取り出したのか、魔女はクシを手に持った。そして、ツンデレラの後ろに立ち、彼女の柔らかな巻き髪を梳きだす。
疲れと眠気が抜けきらないのかツンデレラは抵抗することなく魔女に身を委ねた。魔女の豊かな胸に後頭部を預けると、うっとりとした表情になる。
「なぜかな? あんたとこうしていると心が落ち着くわ。あんたは魔女なのにね……」
心地よさにツンデレラは半ば目を瞑りかけている。その小さな頭を抱えると魔女も柔らかな表情になった。
「魔女だからよ。これは魔法なの――あなたを油断させるためのね」
「まあ! それは大変ね……」
向き合った二人は声を合せて噴き出した。
「ふふふ……こんなに笑ったのは久しぶり、本当に魔法みたいだわ」
楽しげに声を立ててツンデレラは笑う。
「そう? なら、ついでのサービスよ。本当の魔法もおまけしてあげる」
魔女は小さく指を鳴らした。すると室内にそよ風が一瞬吹き――消えた。
「ん――あれ? 眠くない」
吹き抜けた風はとてもさわやかだった。同時にツンデレラの体に生気がみなぎる。
「ありがと! 魔法ってすごいのね!」
いつの間にか疲労感も体のだるさも消えていた。目の下に陣取ったくまも取れている。ツンデレラは素直に感嘆した。
だが魔女は称賛の言葉に心配げに返答する。
「これくらいならね? でも、あまり不摂生をしていると魔法でも治せなくなるわよ。休む時はちゃんと休みなさい」
「ふふ……まるで母親か姉みたいね。あなたは魔女なのに」
「こら! ふざけないの!」
「はあい……」
心許せる同性との会話、誰にも知られてはならぬ秘密の二人三脚をツンデレラが存分に楽しんでいると――。
コン、ココン、コン……
ツンデレラの執務室の扉が叩かれた。叩き方は文学侍従だけのもの――内密裏に話すべきことがあるときのそれだった。
「……お方さま。緊急の用件がございます!」
一瞬でツンデレラの表情が変わる。背後にいたはずの魔女の姿も忽然と消えていた。
惜別の念を心の底に押し込め、ツンデレラは冷静な声で返答する。
「……入りなさい」
「はっ……失礼いたします」
侍従は扉から静かに入ってきた。そのまま、やや急ぎ足でツンデレラの元へ向かう。
「その……国王陛下が――」
緊迫した顔の侍従が密やかな声で告げた報告は、ツンデレラの表情を一変させた。
「なんですって!陛下が……!」
ツンデレラの顔は蒼白になる。
事態は彼女の予想を超え、急速に動き出していたのだった。